第3話

 フリーダの手に引かれ、街を走った。

 過ぎゆく景色の中に、人間が殺される様を見た。死する2秒前、1秒前。誰かの身体が骸へと変わる。

 路地の中で、また一人、人間が殺されようとしていた。

「フリーダ! 人が……! 」

 フリーダは振り向かずに答えた。

「私の力では、君1人を守るので精一杯だ」

 慈悲のない冷たい言葉。隼人が何も反論出来なかったのは、フリーダの掌の震えを、隼人の右手が感じ取ったからだ。

 痛いほどに握られた右手。目の前の軍人の心を察するには十分だった。

「私たちの任務は民間人の保護だ。きっと私の同胞が、より多くの人数を救っていることだろう」

 フリーダの足が止まる。

 勢い余って、隼人はフリーダの背後に激突してしまう。

「下がれ!! 」

 厳格な声と共に、隼人はフリーダによって後方へ押し退けられた。

 フリーダは剣を鞘から抜いた。刀身が鋭く光る。次の瞬間、右手から迫る白い服。

 フリーダの刃は、異星人の腕を跳ね飛ばした。

 2歩間合いを詰め、続けざまに首を切りつける。薄い刃は骨の隙間を避けて通り、異星人の首が間横に切断される。

 それを見た隼人の脳裏に、両親の姿が浮かぶ。

 フリーダは、硬直する隼人の右手を再び取り、走りを再開させた。

 幾つもの死。幾つもの悲鳴。夥しい量の血。赤い血と青い血。

「隼人! 余所見はするな! 私の背中だけを見ていろ! 」

 隼人は恐怖を感じなかった。

 フリーダへの信頼もあるが、それ以上に恐怖を感じることが出来ないまでに、心は麻痺してしまった。

 受け止めるには、体躯も心も幼かった。

 言われた通りに、隼人はフリーダの背中だけを見つめ、そこら中の悲劇から視界を守ることに専念した。



 フリーダに連れられた隼人は、街外れの森の中に辿り着く。

 20名ほどの軍人が周囲に等間隔に並び、その中心には多くの民間人の姿があった。

 テントが多く拵えられている。恐らく、テントの中にも人がいるのだろう。

「ここまで来れば安全だ。同胞が君を守ってくれる」

 老若男女、それぞれが悲愴な面持ちを浮かべている。

 フリーダは傍らの軍人に、隼人を預けた。

「この子を頼む」

 フリーダは隼人の頭を撫でた。

「よく頑張ったな。後の事は全て私たちに任せてくれ」

 そう言い残し、フリーダは街の方向に戻っていった。

 隼人はフリーダを呼び止めようとした。どうしても言っておかねばならないことがあったからだ。しかし、混沌に向かって自ら進む厳格な背中を、隼人は引き留めることが出来なかった。

「さぁ、君も此方へ来るんだ」

 隣に立っている軍人の男が優しい口調で語りかける。

「俺、あの人にありがとうって言えなかった」

「気にすることはない。我々にとって、君が生きていること自体が何よりも代えがたい報酬になる」



 アンゴルモアの舟が引き上げる姿を、隼人は黙って見つめていた。

 雲の向こうに消える舟。

 街はどうなったのだろう。此処からでは街の様子が窺えない。葉留、そして葉留の家族は無事だろうか。

 学校の友達は? 先生たちは?

 設営された軍用テントの中に入る。そして、街の人間たちに混じりながら一人、膝を抱えた。

 悲しみ、というより、怒り。

 赤子の泣き声が何処かから聴こえてきた。

 赤ん坊とは違って、涙を流さなかった。流せなかった。

 感傷以外の感情が、心を占めてしまって、どうしても涙を溢せそうにはなかった。

 外の喧騒に耳を傾ける。

 学校で授業をしている間、葉留と仲良く喋っている間、何気ない日常の延長線上に、命のやりとりが確かに存在していた。

 自分はどれだけ無知だったのだろう。

 まやかしの安寧に支配されていた自分を恥じる。

 両膝に顔を埋めた。

 今すぐ、何かに怒りをぶつけたかった。

 悲しみなど存在しない。在るのは、果てのない憤怒。内蔵が爛れてしまいそうだ。怒りが熱を伴うものだと初めて知った。

 血流がはやる。

 赤い激昂が、心臓の内側を喰い破ろうとしている。

 衝動を何かにぶつけなければ、内側から怒りの炎に焼き殺される。

 断末魔が鼓膜にこびりついて離れない。

 炎の幻に融解されていく亡霊たち。

 この怒りを何にぶつければいい。

 真っ先に浮かぶのは、父と母を一瞬で殺めた異星人の顔。

 あの冷たい顔をぐちゃぐちゃに滅ぼしてやりたい。求めるのは、彼らの絶滅。

 フリーダが彼らに攻撃を加えたとき、自分は確かに、喜びのようなものを感じた。

 残酷だとは思わなかった。 

 ざまぁみろ。

 物言わぬ死体に侮蔑を吐き捨ててやりたいと思った。

 自分の無念が刃を以て代弁されたかのようで、高揚じみたものが腰から肩に迸った。

 報いを与えるための力が欲しい。

 少年の心で渇望が産声を上げた。

 冥府より深い臓腑の底で、人間の修羅が燃えた。

 


 

 

 

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