第2話

 どうして、この街が。

 どうして、奴らが。

 息を切らして家への帰路を辿る。

 誰もが、焦りと恐怖を顔に浮かべて逃げ回っている。悲鳴と叫びが道路に反響する。

 辺りを見回した。街の至る所に注がれる、光の筋。

 そして、あらゆる方向から、戦闘機の音が聞こえ始める。

 隼人の顔に少しだけ安堵が浮かんだ。

「連合軍が来てくれたんだ! 」

 黒い翼を両脇に広げ、空を滑空しているのは連合軍の戦闘機。

 時を同じくして、風に乗った大勢の悲鳴が隼人の耳に入る。家の方向から幾つもの断末魔を聞いた。隼人に焦燥が戻る。この悲鳴の中に、もしも両親の叫びが混ざっていたら。家族の安否を一刻も早く知りたい。

 世界規模の非常時だ。当然、何処の街でも訓練は何回も行われている。公民館の地下と、先ほどまで自分たちがいた裏山の地下。その2ヶ所のシェルターに避難する手筈だが、果たして本当にそれでいいのだろうか。

 走りながら隼人は葉留に問いかける。

「葉留、本当にシェルターに逃げていいと思うか……!? 」

「どういうこと……!? 」

「もしも奴らにシェルターの位置がバレたら、良い標的だと思わないか!? 」

 "アンゴルモア" の目的が街の破壊ではなく、人を襲うことにあるとすれば。

 葉留は隼人の問いから目を背け、何も返すことが出来なかった。

 

 集合住宅を幾つも通り過ぎた。

 十字路を右に曲がった先に、自分の住むマンションがある。

 左に曲がれば、葉留の住居も近い。

「葉留! 一旦別れよう! 」

 葉留は頷いた。

「わかった! 隼人、気を付けてね! 」

 隼人は固い表情で葉留を見た。

「絶対に生き残るぞ」

 言い残して、2人は左右に別れる。

 隼人は持てる体力の全てを費やして真っ直ぐに走った。

「隼人!!! どこにいるの!! 」

 母親が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 隼人はありったけの声で返事を返した。

「母さん!! 俺は此処だ!! 」

 建物が見えた。

 マンションの入り口の前には、うろたえる父親と母親の姿。

 マンションには人気がなかった。もうとっくに住民は何処かに逃げ出したらしい。

 両親はずっと自分を待っていてくれたのだ。

 よかった、2人とも無事だ。

 両親の姿を捉えたことで、全ての危惧が取り払われる。

「父さん! 母さん! 」

 走って此方に向かってくる我が子の姿。

「隼人!! 」

 両親は隼人に駆け寄ろうとする。

 刹那、隼人の足が止まった。

 両親が走り出した場所から、更に奥。

 40メートル後方。

 視線の先に、上から下まで白一色の服を纏った男が立っていた。

 男の髪は青白い。服に加えて、肌まで白かった。隼人が男に気付いたのは、男の肌が周囲の光を集めて反射していたからだろう。

 あの出で立ち、そして、全体的に色素の薄い外見。男の黄緑の瞳が猫のように光る。

 全身の毛が一気に逆立つのが分かった。

「逃げて!! 」

 自分の声が両親に届くように、力の限りに叫んだ。

 隼人が叫んだのと同時に、白い服の男は走り出し、両親との距離を詰める。

 父と母が振り向いたとき、既に手遅れだった。

 宙を舞う、2つの球体。

 母親の長い髪が、滑らかな弧を空中に描く。2つの重たいものが地面に落ちた。

 首から上を失った身体が、力なく地面に崩れ落ちる。

 時差なく倒れ伏した2つの身体。首の断面から、赤い血が混混こんこんと流れ出た。

「ああああああああ!! 」

 事態を呑み込む前に、隼人は絶叫した。

 叫びに身を任せ、理解を拒むかのように声を吐き出した。

 隼人に向いた首の断面から、止めどない量の血液が溢れ続ける。

 異星人は、服の袖に付着した人間の血液をじっと見つめた。そして直ぐに隼人に視線を移し、幼い命をその手で刈り取ろうとする。

 胸の内側が震えた。上下する肩。立ち竦む両足。

 もう駄目だ。固く目を瞑った。

 隼人は視界を隠すようにして、頭を防御する。

 肉が裂ける音が目の前で聞こえた。

 痛みはない。死を悟り、真っ白になった頭に身体の痛みは伝わらなかったらしい。

 そう思ったのも束の間、隼人は自分がまだ地面に立ち続けていることに気がついた。

 足の裏に、まだ固い地面が感じられる。

 死んでない。生きている。

「目を開けろ!! 」

 女の声が聞こえた。

 恐る恐る目を開けると、目の前には大人の背中があった。

 黒い軍服姿の大人の足元越しに、異星人が倒れている。

 青い血が、アスファルトの隙間に染み込んでいく。

 確かには、両親の命を奪い、次に自分を殺そうとした異星人だった。

 目の前の黒い軍服を見て、隼人は半ば放心状態で呟く。

「……連合軍…? 」

 肩や膝を初めとして、全身を隈無く武装した戦闘服。

 自分は助けられた、のだろうか。

 目の前に立つ軍人の女は、隼人に振り返った。

「怪我はないか? 」

 隼人の返事を待たずして、女は右手に握った刃を腰の鞘に収めた。

 白く淡い光を放つ刀身には、青い血がついていた。やはり、目の前の女が自分の命を救ってくれたのだ。

 そして女は隼人の目線に合わせて、片膝をついて跪いた。

 最初に隼人の肩に触れ、全身を確認した。

「よし、怪我は無いな」

「あの……! 」

 女は隼人の言葉を遮った。

「すまない。私がもっと早くに駆けつけていれば、君の両親は殺されずに済んだな」

 毅然とした声音ではあったが、女の目元に後悔が滲む。

 女の顔つきは外国のものだった。肩まで伸びた髪。茶色がかった金髪が風に揺れる。

 それも束の間、女の目元から後悔が消えた。

「だが安心してくれ。私の命に代えてでも、君を安全な場所へ送り届けてみせよう」

 隼人の両肩を掴む女の掌に力が込められた。

 女は襟元の無線に報告をする。

「応答せよ。此方、アダルベルト」

 無線から雑音が混じった声が返ってきた。続けて女は無線に語りかける。

「1名の民間人を保護。これからポイントAに向かう」

 気がつけば、遠くで火が燃え盛っていた。何処かの住居から発生した火事は、勢いを増しながら街を飲み込まんとするかのようだ。

 風に乗って空へと昇る火花が見えた。

 たちまち夜空が赤く染められていく。

 周囲の状況を確認し終えた女は立ち上がった。

「私の名前はフリーダ・アダルベルト。君の名は? 」

 強烈な威光が隼人を貫いた。

 フリーダの鳶色の瞳が、隼人を真っ直ぐに見つめた。 

「す……須藤隼人……!」

 フリーダは初めて隼人に笑みを見せた。

「良い名だ。走れるな? 」

 隼人は力強く頷いた。


 


 


 

 

 


 


 

 

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