セイクリッド・シルエット sacred silhouette

坂鳥翼

第1話

 人は祈るとき、なぜ空を見上げるのだろう。神を信じる者の多くは、神もしくは神からの加護が、天から降ってくると信じているからではないだろうか。雲の隙間から後光と共に、神が地上に降り立つ様が描かれた絵を、誰もが1回は目にしたことがあるだろう。

 人は昔から空に畏敬の念を抱いてきた。では、それらの信仰はいつから始まったのだろうか。

 人の力ではどうしようもない大いなる現象の多くが空からもたらされる。遥かなる太古の時代から、人は天を恐れ、加護を願い、敬った。

 恐怖から信仰が生じる例が、この世にはありふれている。

 しかし、文化の発展と共に、いつしか人は空への恐れを忘れた。

 天候の予知が可能になったからだ。

 信仰の奥に宿る、対象への恐怖。

 そして、その恐怖の内側を構成するのは、未知への恐れ。人は理解出来ないものを真に恐れてきた。

 科学が発展を遂げた背景には、未知を解明し、手中に収めて恐怖を克服したいという本能も大きく働いている。勿論、純粋な知的好奇心からの探究もあるだろうが、とにもかくにも人は恐怖を攻略しながら歴史を紡いできた。

 そのため、未知が既知へと変わったときに人は恐れを忘れるのだ。

 空への恐れが失われた1999年。

 人の心に再び、空への畏怖が帰ってきた。

 ノストラダムスの予言。

 1500年代のフランスに生きた医師であり、予言者でもあったノストラダムス。

 彼は予言した。


 『1999年、7の月。恐怖の大王がアンゴルモアの大王を蘇らせに到来するだろう』


 世紀末の世界に不安を落とした彼の予言は、祈り虚しくも的中してしまった。

 予言の通りに、災厄は空からやって来た。

 空の向こう、宇宙から到来した未知を、人々はノストラダムスの予言内容に則してアンゴルモアと呼んだ。

 世界中の都市の真上に現れた、空飛ぶ銀色の舟。丸みを帯びた舟の輪郭。当時を知る人々は、太陽の光が銀色に反射して眩しかったと口々に言う。

 舟の底面から地上へ、薄い黄緑色の光が延ばされる。光の中には幾つもの人影が見えた。空から降りて来たのは、人の姿に酷似した、異なる惑星の使者たちだった。

 彼らは単体で都市の空を縦横無尽に飛行し、残虐にも、人間を無差別に襲って回る。道路は人の血に塗れ、天へと高く伸びた建造物も次々に壊されていった。

 世紀末の大地は、凄惨に覆われた。

 築きあげた文明と生命を、瞬く間に蹂躙する未知の存在に対し、世界中の指導者たちは即座に軍、もしくはそれに準ずる戦力の統一を決定した。

 こうして、1999年6月に世界防衛連合軍が発足。奇しくも、外敵からの驚異に晒されて初めて、人類はお互いに手を取り合うことが出来たのだ。

 空からの来訪者たちに対して、人類は持てる叡智を結集し、辛うじて侵略に耐えていた。

 かつて旅客機が悠々と飛び回っていた空には、警戒用の戦闘機が飛び交い、静寂に満ちていた空は今や、戦闘機から発せられる轟音に支配されていた。

 “アンゴルモア” の戦艦は何の前触れもなく宇宙から現れ、その都度、戦争をこの星に仕掛けてくる。

 人々はいつ来るとも知れない異星からの驚異に怯え、空を恐れるばかりの日々を送ることを強いられた。

 原始以来、空に怯える時代が戻ってきたのだ。

 



 2004年。

 日本のとある街で、須藤隼人は空を見上げた。

 黄緑色の光線が網目状に空に張り巡らされ、真夜中だというのに空はうっすら明るい。外敵の到来を察知するための光だという。光線は、さながら北欧の空を彩るオーロラのようだ。

 午後11時。神山隼人は家をこっそりと抜け出した。玄関の扉を静かに閉じて、家の前の道路を走った。

 空の明るさに反して、街は暗い。

 真夜中に敵が現れ、標的になることを恐れた市民は、住居の窓に目張りをして備えた。おかげで、夜になれば街からは光が失われる。

 街は暗いが、代わりに空は明るい。

 そのため、隼人は特に困ることもなく意気揚々と夜の住宅街を走った。

 暫く走ると、友人の家が見えてきた。

 家の前には、持ち運び可能な望遠鏡を手にした少年の姿。

 少年の名前は灰崎はいさき葉留はる。幼稚園以来の幼馴染みだ。

 隼人は葉留に声をかけた。隼人に気付いた葉留は、歯を見せて笑う。

 そして、10歳の少年たちは裏山に向かった。

 裏山には神社があった。鳥居を越えた先の、不揃いな段差を一歩ずつ登る。

「なぁ葉留。望遠鏡、俺も持つよ。重いだろ? 」

 葉留は首を横に振った。

「平気」

 ふわふわと柔らかい髪質と穏やかな顔つきのせいか、どこか柔和な印象の葉留であったが、実際はかなりの気概を持ち合わせる子どもだった。

 二人は頂上の神社に辿り着いた。

 たかだか標高100メートルほどの裏山でも、空に幾分と近付けた気がする。

 切れる息のまま、葉留は持参してきた望遠鏡を組み立て始める。

 この時代の子どもは、夜空の星を肉眼で見たことがない。空は黄緑の閃光に覆われ、遠い宇宙の星の輝きはすっかり隠されてしまった。

 辛うじて、全天で最も明るい光を放つ、おおいぬ座の1等星シリウスが望めるのみだ。

 空から星が消えた時代で、2人は学校の図書室で出会った星の図鑑に夢中になった。

 数多の星を繋げて象られた異国の神や英雄の星座。2人はあっという間に心を奪われてしまった。図鑑を眺め、星の色を知った。空の向こう側に想いを馳せ、2人で語らう日々。そんな中、葉留は10歳の誕生日に望遠鏡を買ってもらった。

 そこで2人は、こっそり夜に家を抜け出し、少しでも星に近い場所で観察をしようと計画を立てたのだった。

「お前の姉ちゃんはどうしたんだ」

 葉留は苦笑いを浮かべた。

「ねーちゃんには家に残ってもらったんだ」

 隼人は驚いた。

「なんで」

 葉留はどこか、ばつが悪そうに受け答えた。

「だって……俺とねーちゃんの2人とも家からいなくなったら、流石にかーちゃんたちが気付くかな……って」

 4年前に夜間における不用の外出は控えるように政府が発表してからは、日が沈んだ後に外に出る者は殆どいない。

「よく葉留の姉ちゃんを説得出来たな」

 葉留の姉は欲望に忠実で、一般的に言えば我儘な性格をしている。計画を立てた日、そこには葉留の姉も居合わせていたのだ。2つ年が離れた彼女も今日を楽しみにしていた。説得は大変だったろうな、と隼人は心中で察する。

「よし、終わったよ! 」

 葉留は望遠鏡を組み立て終わった。

「凄いな」

 隼人は天体望遠鏡を見るのは初めてであった。

 三脚の上で、空に照準を合わせるレンズ。

「触っていいか? 」

「勿論!」

 隼人が鏡筒に手を触れようとした瞬間。 

 突如、街中に警報が鳴った。

 心を掻き毟るような不快な音色が街に響く。

 突然の事態に、2人は戸惑いを隠せない。

 隼人は空を見上げた。黄緑の網目の奥。一瞬ではあるが、雲の隙間に銀色が見えた。

 息を呑んだ。まさか。

 2人は急いで神社の裏側に移動した。街が見下ろすためだ。

「葉留! あれ!! 」

 隼人は空を指差した。

 黄緑の光を反射しながら、緩慢な速度で街に近付く銀の舟。先ほど一瞬だけ見えた銀色は、見間違いではなかった。

 隼人は声を荒らげる。

「"アンゴルモア" が、なんでこんなところに来るんだよ……!」

 抱いていた空への期待が、たちまち恐怖に塗り変えられる。

 舟は隼人たちが暮らす街の頭上で航行を止めた。

 間もなくして、宙に浮かぶ船体から、地上に向かって光の筋が放たれる。

 葉留は青ざめた顔で首を振る。

「もしかして、街を襲おうとしてるんじゃ……!?」

 目を凝らせば、光の中に異星人の影が見てとれた。

「葉留! 急いで家に戻るぞ! 」

 葉留は頷いた。

 2人は望遠鏡を置き去りにしたまま、神社の石段を緊迫の面持ちで駆け降りた。


 



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