カクヨム杯の願い
出かける直前のことである。
同室に泊まっていたセリスはブラックの肩に手を置いてその歩みを止めた。
部屋の中はベッド以外しっかりと片付けており、忘れ物はないことをしっかりと確認している。ベッドが二つあるのに一つだけしか寝た跡がないのは、ブラックが寝てる間にセリスが忍び込んできたからである。姐から受ける愛と体温の二重の意味で暑苦しかっただけだが。
「どうかしたか、姐さん?」
「ううん、今日あなた戦うでしょう。だからお姉ちゃんの祈りを込めているの」
念を込めるようにセリスは目を閉じて手のひらと指に力を込める。
肩に食い込む指がいい刺激となるが、服とマントが邪魔してツボ押しまでは見込めない。
「別に心配は要らない。ただの力比べをするだけだ」
「それでもかわいい弟が傷つくのを姉としては見てられないわ」
「実際俺を倒せたのは姐さんくらいなものだが」
そう考えると少し複雑な感覚になる。
自分を倒せるものが存在したとなれば、自分が全力の力を使わないにしろエルティナは逸材とみて兵器に変えてしまうだろう。いつかブラックとセリスが暴走したときにわずかでも止める道具として。
姐さんもそれをきっと分かっている。鬼神の一件は二度度引き起こしてはならない事件であるのだと。
「ねえ、クロツグ」
セリスはなでるように声を吹きかける。
自分の言葉であの事件を思い出したのか、それともやはり心配してからか、優しい声が後ろからやってきた。
後ろにいる以上その顔は伺わなかったが。
「優勝賞品のカクヨム杯って、本当に何でも願いが叶うのかしら?」
「でたらめの可能性はある。召喚魔法の類いが掛けられていたりとかそんな程度かもしれないし」
手の力が抜ける。
だが振り落とすことはしなかった。
「でももし本当に何でも願いが叶うとしたら……」
「俺は何を願う、か?」
頷いたのだろう、力の余りかかってない手がわずかに揺れる。
「俺は願うことなど何もない。ほしいものも事柄も存在しないからな」
「でも邪魔な使命はあるでしょ?」
それはある。
鬼神の力を自分の身体に閉じ込めておくこと。
聖賢者として世界の秩序と安定を守ること。
この使命を消すために願いが叶うならば、鬼神という存在を消したり、全ての世界で争いがなくなるように仕向ければ良いかもしれない。
だが、
「そうだな。でもこの使命がなくなってしまったら俺は本当の意味で生きる意味を失ってしまう。俺はすでに兵器として作られた身だ、道具として整えられた身だ。今更自分のことを考えることがもう出来ない」
「それだったらなおさらっ!」
「でも
一度力が入った手が再び、抜ける。
金もあれば、権力もある、仕事もあれば、仲間もいる、自分を見てくれる人もいれば、好いてくれる人もいる。これ以上何かをほしがるというのは、もはや強欲にしか過ぎない。
庶民的な暮らしを望むブラックにとって、何でも願い叶うというそれは、何よりの邪魔でしかなかった。
「そう、だったらそれはどうするの?」
「受け取りはする。なので叶うのならば数日間のんびりするための休暇でも望むことにします。兄弟や友人を交えての」
「小さい夢ね」
「それが叶わない人だっているんですよ、姐さんや俺みたいな奴がな」
全くもう、と愚痴をこぼしながらセリスは背中から抱きついた。
腹が締められ、先ほど取ったばかりの朝食が押される。
そして背中にかかる柔らかい重圧、は気にしないが。
「姐さんだったら何を願う?」
ブラックは抑えるために話を続ける。
一応その効果は発揮した。
「うふふ、それはもちろんクロツグとずっと一緒にいることかしら」
「たまには一人になりたいんだけどな」
「もう、そこ突っ込まない!別にお姉ちゃんといるの嫌いじゃないでしょ?」
「嫌いではないけど、四六時中は嫌だな」
そう言うと放さんとばかりにセリスは余計にきつく締め上げた。
どうやらまだ前には進めないようである。
時計の刻は始まりの時間までのんびりと歩み続けていた。
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