23.

 北の帝国シャピアロンには、「黒鉄くろがね」と「白鉄しろがね」と称される部隊が存在する。両者はそれぞれ明確に役割がわかれている。

 北国ゆえ、シャピアロン民にとって雪は身近なものである。年間を通して雪が降り積もる地域すらある。

 雪原で白服で身を包むものは遠目からではシルエットが判別できない。ゆえに、隠密に動くものは白服を着込む。いつしか“白”は隠密行動を行うもの、諜報の隠語となった。

 シャピアロンで諜報任務を担当する「白鉄部隊」の由来もまたそこにある。対比的に後発の「黒鉄部隊」は表立った武力制圧を任務とし、アイゼルの騎士団を参考に設立されている。

 白鉄は最古にして最高の諜報機関。「部隊」と名はついているが、その規模すら不明。彼らはどこに潜んでいるかわからない。世界中に根を張り情報を吸い上げ、あるいは知らずうちに情報毒を混入する。各国の諜報機関にとって畏怖の対象であり、考えるだけで頭痛を催す。

 “白”は、そんな存在だ。


 彼らがどこまで情報を掴んでいるかは未知数だった。情報収集のためにかなり動き回ったし、手掛かりも多い。

 第四皇子の行方不明。第三艦隊の協力。あとは、内部犯罪調査室がグロウネイシスに関心を寄せていること。

 これらの情報を統合して、「第四皇子がキールニールの棺を引き上げ、封印を解こうとしている」――その事実に気づく可能性は、完全に否定できるものではなかった。

 だが、確証までは手に入れていないはずだ。もしそこまで気づいているなら、彼らは確証を欲しがる。そして、彼らに確証を掴まれてしまったのなら、第四皇子の計画は破綻してしまう。

 カティアからアイダの〈消憶〉の話を聞いたとき、これは絶好の機会だと思った。

 “白”の諜報能力を過大なほど高く見積もり、「棺がなにものかに奪われた」というところまで露呈していると仮定する。ならば、彼らはその現場を押さえようとするはずだ。あわよくば秘密裏に棺を奪い、第四皇子の軽率な行動が最悪の事態を招いたとして喧伝する。その尻拭いをシャピアロンが担ったのだというシナリオを完成させるだろう。

 考えすぎかと思った。杞憂に過ぎないと。しかし、それは、驚くことに功を奏してしまった。


「サヴァム・スタフニー。騎士候補の一人となっている獅士だね」

 ヌフはその男の経歴を読み上げた。岡島にとって予想だにしていない人物だった。

「で、彼をどこで? というか、どうやって?」

「カティアはある人物を追っていた。俺はそれに同行した。かなり後ろの方からな」岡島はヌフの様子を伺いながら続ける。「その人物の名はアイダ。かつて、キールニールの従者として世を荒らした悪魔だ」

「ふーん」そこまで聞いても、ヌフに変化はない。

「アイダは〈消憶〉という叡海干渉魔術を持つ。誰も彼女に関する100年以内の記憶を持つことができない。よって、彼女の話を聞いたり、彼女の姿を見るだけで認識能力を保てなくなる。そこには絶対的な隙が生じる」

「へー」ヌフは平然と菓子をぼりぼり食べている。

「俺たちがあの島で仲良く気を失ってたのも、その女が原因だと?」レックとしては確認しておきたい点だった。

「そういうことだ。彼女を島に誘い込むのがカティアの計画だった」

「だが待て。話を聞いただけで、というのは? 今は違うのか?」

「え? ……アイダ?! あのアイダ!?」突如、思い出したようにヌフはガタリと立ち上がり話に割り込む。

「あ、ああ。そのアイダだ。多分」

「そういえば……というか、そうだ。生きてるはずなんだよ、彼女は。彼女が魔族なら、まだ生きてるはずなんだ。でも、にもかかわらず、今までそのことにまるで気づかなかった……」

「それが〈消憶〉の効果だ」

「でも、今はなんで?」

「彼女が死んだからだろう。カティアはついに彼女を仕留めた」

「斃したんだ。あの、魔族アイダを」

「ああ。だが、彼一人では難しかったのだろう。彼には強力な協力者がいた」

「協力者? 〈消憶〉があるのに?」

「カティアと同様、100年以上前からアイダを知る人物なら彼女に立ち向かうことができる。その条件に該当する人物を、我々は知っている」

 ヌフはこめかみに指を当て、少し考える。

「まさか……被造物クリーチャーゲフィオン?」

「十中八九な。姿は違っていたが、彼には〈変容〉がある」

「あれ、その話だと室長は?」

「俺には〈完全記憶〉がある。ちなみにレック、俺がカティアと取り調べをしている最中にも〈消憶〉は発動していた」

「あー……。いつの間にか話が終わっててついていけなかったよ」

「また、アイダの〈消憶〉は、“彼女が近くにいる”というだけでも発動する。具体的には、彼女の魔力が空気中の微粒子に定着し魔素化したものに触れるだけでも対象になる。ヒステミス霊山脈はいたるところに彼女の魔素で溢れていた。カティアやゲフィオン、あるいは俺のような〈完全記憶〉を持つごく一部の例外を除けば、誰であれ山に近づくだけで認識能力を失うことになる。たとえ、それが“白”であっても」

「彼――サヴァムはそこで?」

 薬で眠らせ、取調室で拘束している男を魔術鏡面越しに指す。

「そうだ。俺はあえて情報を流した。“ヒステミス霊山脈に向かう”と。なぜわざわざ情報を漏らしたのか、を考えればなにか罠があると考えるのが自然だ。あるいは、そう思わせたいか。いずれにせよ、そこに重大な機密があると知っているなら、たとえ罠があるとわかっていても誘いには乗らざるを得ない。だが、その罠の正体がアイダであるとは絶対に予想できない。こればかりは確実なことだ。俺はカティアに協力できる人間だったが、そもそも俺は魔術をほとんど使えない。怪物同士の争いに介入できる戦力は持たないから、俺は俺でやるべきことをやった」

「で、サヴァムなんだ。でも、彼が“白”だという証拠は?」

「それは今、曠野に探らせている」


「ほぼ確定ですね。彼の生まれ故郷ということになっているハーミッド町で聞き込みをしましたが、彼を知るものは一人もいませんでした」

 しばらくして、レグナの空間接続を通して帰ってきた曠野はそう報告する。

「やれやれ。帰還早々新たなお仕事とは忙しいねえ。ま、船旅はほとんど休暇みたいなものだったけど」同じくディアスも戻る。「で、これから尋問ってことでいいのかい?」

「そうだな。それからもう一人。おい、起きろ」岡島は椅子に座らせ拘束していた男の頬を叩いた。サヴァムと同じくヒステミス霊山脈で岡島を尾けていた男だ。「起きろ、ロギン」

「んあ? なんだここ。岡島? 内部犯罪調査室か?」

「驚いたな。お前も“白”だったとは」

「いや。いやいやいや。なんの話だ」

「なぜ尾けていた」

「お前なー、今の長官がお前らを煩わしく思ってるって話はしただろ。長官命令だよ。なにかやらかそうとしてるならしっぽ掴んで来いって」

 霊信:1。もとより彼のことは疑っていない。彼も苦労しているのだろう。岡島はロギンの拘束を解いた。

「ちょうどいい。お前も取り調べを手伝ってくれ」

「は?」

「サヴァム・スタフニー。おそらく“白”だ」

「なに!」

「アズキア、リミヤ。お前たちは彼と訓練で相手にしたことがあるようだが、なにか気づいたことはあるか?」

「気づいたことっていわれてもなあ」アズキアは頭を掻く。

「えっと、私たちが唯一勝てたのがサヴァムさんだよ。シスさんからは候補生のなかじゃ一番弱い、とかいわれてたけど」

「勝った、ということは使ったのか。〈状況設定〉を」

「うん。テストにちょうどよかったから」

「あー、そういえば。こいつわざとおれの剣受けたとか強がってたやつだ」

「どういう状況だ」

「“なるほど。腕に受けてもすぐ治せる。大した脅威じゃないな”みたいなことキリッとした表情でかっこつけながらいってた気がする」

「だいたいわかった。彼本来の任務は軍内部に潜入しその戦力を測ることだったのだろう。ただ、それとは別に、確実に〈風の噂〉内部にも“白”はいるな」

「ちょっと待て。“白”だと? どういうことだ」話ついていけていないのはロギンだ。


「室長!」なにかに気づいた曠野が叫ぶ。

 岡島も慌てて取調室に入る。サヴァムは息をしていなかった。

「馬鹿な。魔術錠をかけていたのにどうやって」

「蘇生を試みます!」曠野は両の手をサヴァムの胸に翳す、が。「ぐっ!」

 強烈な反動によって弾き飛ばされてしまう。壁に激突し、眼鏡がずれ落ちる。

「曠野!」

「……大丈夫です。ですが、これはもう」曠野はすでに、それが手遅れだと察した。

「時限式の呪殺だな」口を挟んできたのはロギンだった。「体内に仕込んでいたんだろう。信じられん」

「ロギン。まだいけるか?」

 というのも、彼の固有魔術のことだ。

「さっき曠野が弾かれたのからみても、逆走魔術もあらかじめ仕込んであったのは明白だな。かなり危険だが――」ロギンは冷や汗を流しながらも、決意する。「やろう。その男が“白”ならな」

 彼の固有魔術とは、すなわち〈追憶〉――他者の記憶を読み取る魔術。対象の頭部に触れればそれは叶う。直後であれば死者の記憶でも遡れる。だが、その決意の矢先、サヴァムの死体は蠢いていた。それは頭蓋で花開く。脳を食い散らかして現れたのは虫だった。

「くそ!」岡島は壁を叩く。「自死には警戒していた。口内にも自決用の術式があったから取り除いた。上着の仕込みも除いたし、爪の先まで調べた。だが、くそ、連中はここまでするのか」

「体内に埋め込んだ呪殺を除去するのは呪殺を施した本人でなければ難しい。というか、まず無理だ。やつを捕縛したのはいつだ?」

「半日前だ。たった半日だぞ。そのわずかな時間に任務を成功させ呪殺師のもとへ戻らなければ、こいつに生存の道はなかった。それがもし可能だというなら――」

「“白”は確実に空間歪師を擁しているな。お前たちのように」

 そこにはただ、敗北感が残った。


 ***


「ああ。わかった。なるほど。そうか。まったく、お前は……とんでもないことをしてくれたな」

 第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼルは頭を抱えていた。弟の第四皇子ブエルより計画の全貌を聞かされていたからだ。

「一波乱はあったけど、無事棺は取り戻せた。これからようやく計画の仕上げに入れる」

 ブエルはしたり顔だった。

「あのなあ。お前は皇子だぞ。公務をほっといて二週間も行方を眩まして、こっちが尻拭いにどれだけ奔走したか」

「それだけの価値があることだ。それはわかるよね、兄さん」

「そうかもしれんな。だが、お前でなければならなかったのか? 今でなければ?」

「今でなければならなかったし、僕でなければできなかったことだ」

「そうか……」

 本当にそうだったのかとか、ツッコミどころは無数にあるし、零したい愚痴も山ほどある。

 が、起こってしまったものはしょうがない。キールニールの棺は引き上げられ、九ヵ国封印は4つも解かれた。あとはその対応をどうするかだ。

「僕がこれからしたいのは二点。九ヵ国封印の脆弱性の指摘とその更新。そして、棺の投棄場所を変えることだ」

「……それだ。私も考えていた。深海の底に沈めていた棺を見つけ出して引き上げるなどと、そこまでされたら次はどこへ捨てろというんだ」

「いやはや、簡単なことだよ。もっと深いところへ捨てればいい」

「なに?」

「なんのために僕が永続海底研究都市の支援をしてきたか。このときのためだよ。叡海に直接キールニールを投棄する。これでもう、彼が目覚めることは二度とない」

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