21.

 はじめはすでに死んでいるものと思った。

 かろうじて生きているのだとわかると、そのうちで治癒魔術を使えるもの――ロイ、リミヤ、アズキア、レグナは総動員で彼に治癒魔術を施した。途方もない損傷だったが彼は死なずにいたし、確実に回復していった。必要最低限の応急処置を終え、2時間後には上体を起こせるまでに回復した。


「カティア! すべて話してもらうぞ! すべて! すべて! すべてだ!」

「……殿下」カティアは小さく口を開く。「残念だが、それはできない。だが、棺は必ず取り戻す」

「取り戻す? 取り戻すだと? 盗られたというのか! 誰に?!」

 カティアはまたすぐに意識を失った。応急処置だけではかろうじて一命を取り留めたに過ぎない。これ以上話を聞くには圧倒的に血が足りなかった。

「殿下、少し落ち着いてください」岡島は間に入ってなだめる。

「第三艦隊が上陸します。これ以上は待たせておけません。殿下はその応対を。カティアは、ひとまず内部犯罪調査室の本部へ搬送します」

 皇子は深呼吸する。吸って、吐く。彼も自身が冷静さを失っている自覚はあった。彼は皇子、人の上に立つべく生まれた器。取り乱すのは一時的なもの、むしろ意図的な感情コントロールのようだった。

「……わかった。この事態は僕にとっても完全に想定外だ。第三艦隊は適当に誤魔化す。岡島は、ルール・カティアから情報を引き出し、なんとしても棺を取り戻せ」


 ***


 カティアが死にかけていた以上、カティアをその状態に追い込んだ“なにものか”を想定するのがふつうだ。

 そう思わせるための偽装工作だったとするなら、意図がわからない。すべてカティアの自作自演だったというのなら、カティア自身も姿を眩ませればよい。

 カティアの傷は本物だったし、間違いなく死にかけていた。それで死なずにいたのは、高い不死性――〈17人の英雄〉がその身に受けたとされる神獣エルの血による不死の呪いのためだろう。だとするなら、彼が本物のルール・カティアである信憑性は俄然強くなる。

 もう一つの大きな疑問は、いかにして島中の人間を無力化したのかということ。これもまたカティアを襲撃した“なにものか”によるものと考えられるが、常識では考えられないあまりに強力な魔術に思えた。そのうちには第四皇子やロイまで含む。彼らは皇国でも最高クラスの魔術師だ。リミヤとアズキアもいる。全員が偶然にも一斉に気を緩め感覚保護を解き、その隙を幻影魔術で突かれた。そのような可能性でも想定しないかぎりあり得ないほどの異常に思えた。

 では、その“なにものか”はいったいどこから来たのか。カティアを瀕死に追いやり、島中を無力化したその存在はいったいどこから現れたのか。

 まさか――と、岡島の脳裏に最悪の可能性がよぎる。

 キールニールの棺はなかった。それは奪われたのではなく、必要がなくなったのではないか。

 すなわち、その“なにものか”は、もともと島にいた――棺の中から現れたのではないか、と。

「……いや、ない。それはない」

 岡島は首を横に振る。希望的観測からではない。もしそんな事態になっていれば、被害があの程度で済むはずがない。カティアは間違いなく死んでいるはずだし、そもそもなぜ他は無力化されただけで無事だったのか。皆殺しになっていてもおかしくないはずだ。

 それに、カティアは「棺を取り戻す」といった。少なくともカティア自身は、棺を奪った“なにものか”がいると主張しているのだ。


 これ以上は、目の前に横たわるルール・カティアに聞くしかない。

 ほとんど新鮮な死体同然だった男は、本部施設備え付けの治癒寝台の上でじょじょに生気を取り戻しつつあった。

「ここは……」

「目覚めたな」

 その目は虚ろだった。しかし、話すことはできるだろう。

「ルール・カティア。あなたには聞かなければならないことが無数にある。まずは順を追って質問する」

「……ここは、軍……? いや、違うな……」

 岡島はレックを呼んだ。尋問の答えに嘘が混ざらないようにするためだ。その姿にはカティアにも見覚えがあった。

「君はたしか、島に来ていた……。殿下が当てにする先はいくつか見当をつけていたが……〈風の噂〉か?」

 朦朧としていた意識もようやく目覚めつつあると岡島は判断した。本題へ移る。

「まず最初の質問だ。ルール・カティア。あなたは本当にあの、〈17人の英雄〉のルール・カティアなのか?」

「ふむ……? 島でも聞かれたな。ルール・カティアがルール・カティアなのかはわからんが」

「デュメジル――創死者の日記だ」

「……なるほど」カティアは寂しげに目を伏せる。「あいつは、やはり死んだんだな」

 ゆっくり顔を起こし、岡島を見る。目は生き返り、意識ははっきりしているようだった。

「あいつの日記に、俺はどう書かれていた?」

「まぎれもない、英雄の一人だと」

「この俺が? あいつも見る目がないな……」

 そして、静かに紡ぐように言葉をつづけた。

「400年前、キールニールは突如眠りについた。俺たち二人は生き延びてしまった。俺たち二人は死に場所を求めていたのかもしれなかった。そして、喰城を塒にしていた魔族アイダに挑んだ。負けた。俺は喰城に取り込まれ、脱出までに120年を要した。

 外へ出た俺は、その間になにが起こったのかを知るため貪欲に情報を集めた。そのはずだったのに、デュメジルが生きていたという痕跡を見つけられずにいた。だから、やはりあのとき死んだのだと思った。

 俺は誓った。次は勝つと。そのために各地を彷徨い、技の研鑽を重ね、魔術の知見を広め、準備を始めた。まずはなにより仲間が必要だった。

 だが、俺はここで仲間を得ることが不可能だと知った。話が通じなかったからだ。君らがこうして俺を治したのは話が聞きたかったからだろうが、残念ながらそれはできない。つまり、ここから先は等しく、君たちにとってもいくら話したところで意味はない」

 霊信:1。意味はわからないが、嘘はない。レックの報告にもあった言葉だ。「話しても無駄」「意味はない」それはなにをもって断ぜられるのか。

「ひとまず話してくれ。意味があるかないかはこちらで判断する」

「それができないから無意味といっているんだ」

「話したくない、という意味であるならこちらにも準備がある」

「話さないとはいっていない。話しても無駄だと。だから話そう。無駄ではあるがな。まずは、なぜ話すのが無意味かということだが――」カティアは岡島やレックの様子を注意深く伺いながら続けた。

「〈消憶〉――それがやつの固有魔術だ。そしてそれは、法則ルールを支配する叡海干渉魔術でもある。100年以上昔の記録はともかく、今もなお彼女が生きて活動していることに言及するなら、なにものにも言葉は届かない。むろん、この話もな。意識を失ったかのように呆然と立ち尽くしてしまうのだ。彼女に関する100年以内の記憶をすべての術者が留めておけない。俺のように、100年以上前から彼女を知っているものを除いてな」

「それで仲間が得られなかったというわけか。で、その彼女というのは魔族アイダか?」

「ああ――」

 と返事をしかけて、カティアは目を見張る。それは信じられない「返答」だった。

 岡島は依然として毅然としている。一方、その後ろのレックはよく見た光景として認識能力を失っていた。

「なぜだ」

「ん? いや待て。記憶を消されるというのは、どのタイミングでだ?」

「話した瞬間だ。ゆえに、聞きながら相手は意識を失う。そのはずだ。後ろを見てみろ」

「……? レック? どうしたレック」声をかけるも、まるで反応がない。「……つまり、この状態に?」

彼女アイダについて話すのは慣習的に続けていたことだ。彼女の〈消憶〉は自動的に発動されることもわかっていた。以前は定期的な発動だったが、最近では常時発動に切り替わっている。ここ10年ほどは相槌すら聞けずにいた。だが、どこかに穴があるはずだ、例外があるはずだと。大して労力もないのだからと、その可能性を探っていた。こうして目の前にするまで、ほとんど信じてはいなかったがな」

「記憶を消す魔術――そうだったな」

「ああ」

「なるほどな。つまり、衝突したんだ。俺の固有魔術と」岡島は自らの頭部を指さす。「〈完全記憶〉。一度見聞きしたことを、俺は決して忘れない。すなわち、魔術によって消すこともできない。叡海干渉魔術にすら抗えるとは知らなかったがね」

「そうか、そういうことがあるのか」と、カティアは笑った。彼にとってそれは久方ぶりの笑みだった。「ならば話そう。思わぬ協力者だ。魔族アイダについては知っているか?」

「歴史上の知識でしかない。キールニール唯一の協力者。せいぜいそんなところだ」

「あるいは従者。いずれにせよ、あのキールニールに従うようなやつだ。やつ自身も邪悪。討ち滅ぼさねばならぬ悪だ。〈消憶〉によって一切の痕跡が残らないのをよいことに、やつはキールニールの眠ったあとも悪事を繰り返してきた。俺はずっとやつを追い続けていた」

「つまり……島を襲撃したのはアイダだと? 棺も彼女が?」

「〈消憶〉が無効なら話は早い。そうだ。棺はやつが奪っていった。そもそも、俺の計画、あの島は、アイダを誘い込むために用意したものだ。あらかじめ多様な罠を仕掛け、待ち構えていた。彼女の魔力探知能力なら棺を海の底から棺を引き上げた時点でなにかに気づいただろう。九ヵ国封印を解けば解くほどキールニールの“におい”は濃くなる。大陸の端からでも彼女はそれを感知し、追ってくるはずだ。その確信があった」

「なっ……」第四皇子の目的も大概だったが、それ以上の驚きだ。「そのためにキールニールの棺を?」

「やつを探し出すことは極めて困難だった。なにせ〈消憶〉のおかげで一切の痕跡がない。ゆえに誘い出すしかないと考えた。そして、最も確実に、最も無警戒にやつを誘い出せるのがキールニールの棺だと判断した」

「そして負けた」

「簡単に勝てるとは思っていなかった。だから、棺とやつ自身に大量の追跡魔術を施した。気づいたところですぐに外せるものじゃない。俺は今からその痕跡を辿り、棺を取り戻しに行く。そして、やつと決着をつける」

「……にわかには信じがたい話だな」

 レックからの霊信はない。当然だ。彼は気を失っている。カティアの話を裏付けるのは状況証拠だけだ。

 島での戦闘の跡と、瀕死で倒れていたカティア。〈消憶〉の効果とその説明。奪われた棺。

 だが、信じるほかない。ここから先は賭けだ。

「わかった。信じよう。だが――勝てるのか」

「俺一人では勝てない。協力者がいる」

「我々としても棺は確保しなければならない。カティア、あなたの作戦に参加させてくれ。こちらも少し準備がいる」


 ***


 ヒステミス霊山脈。

 その中腹に、年に数人の登山者が挑むも確実に帰らぬ人となる魔の空白地帯がある。そもそも、山に近づく人間が極めて稀である。視認できるほどの濃い魔素が強烈な誘斥効果を生じており、よほどの酔狂が足を踏み入れても無意識に引き返してしまうほどだ。明確な確信と相応の魔術素養がなければ足を踏み入れることさえ許されない。


「んもー、邪魔だなあ。これ」

 アイダはそこにいた。

 黒い棺に腰掛けながら、自身にまとわりつく異物に対応を追われていた。

 あのときの茸の胞子。小鳥爆弾の血。あるいは、彼女は気づいていなかったが虫にも噛まれていた。そのすべてがアイダの体内に追跡魔術を埋め込んでいた。さらには棺にも。九ヵ国封印の陰に隠れて、鬱陶しいほどに大量に。

 ならば、その意味するところは、一つしかない。

「しっつこいなあ。わからなかったの? 君じゃ勝てないって」

 山を登り、アイダの前に立つのはルール・カティアだった。すでに刀を抜き、臨戦態勢にある。

「あんまりしつこいと、ついうっかり殺しちゃうかもよ? それに、ここは私の本拠地ホームなの。あの島みたいに、せこい罠もないんだよ。わかる?」

 ここはアイダの魔術工房。ゆえに、アイダのペットもそこにいる。

 地上における魔獣の召喚術は魔界から伝わったとされている。魔界出身のアイダは、キールニールに仕える以前から凶悪な魔獣を生み出すことを趣味としてきた。叡海に漂う原型イメージを抽出し、これに受肉する。原型を複合させたり、受肉のあとで魔術改造を施したりと、魔獣召喚には様々な可能性に満ちている。

 今現在、アイダのお気に入りのペットは、一本の生体柱を中心にして悪趣味グロテスクなコラージュのように複数の獣を繋ぎ合わせたものだった。

 全長4m。足元には四方八方に無数の触手が伸びる。その先には牙や爪、あるいは嘴。蛇や魚の頭部にも見えた。身体には人間の唇を思わせる口や、ぎょろぎょろと覗く無数の目。牛、獅子、虎、海豚の頭部。翼も生えていたが、機能的にはなんの意味も持たないように見えた。それは狂暴な唸りを上げ、蠢いている。

 自然界には到底あり得ぬ造形。身の毛のよだつ醜悪を極めたかの姿。生存を志向せず、ただ悪意のみを体現する肉の塊。魔なる獣。

「じゃーん! 名づけて、魔獣〈邪悪タコ〉くん! つよそーでしょ?」

 お披露目から数秒。魔獣に線が走る。鋭い線が、三本。魔獣の肉体を分割する。達磨落としのようにそれは崩れた。

「え……」

 その背後から、一人の男が現れる。見知らぬ、壮健なる若い男。両手に一本ずつ軍刀を手にする双剣の男。

「誰……?」


 これは最後の英雄ルール・カティアの、勝つための戦い。

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