19.

「デュメジル! いるか!」

 ――それは、生き残ってしまった我々の、最期のけじめのつもりだった。

 その日、は突如「飽きた」と言い残して眠りについた。残された人類は呆然とし、途方に暮れながら、おっかなびっくりその棺を囲み、今後の対応を協議した。どうせ、大してできることなどない。九ヵ国の政府はそれぞれ最高の魔術師を集め、さらに封印を重ね掛けする決定を下した。自身の封印からすれば、ほとんどなんの意味も持たないとわかってはいたが、少しでも不安を打ち消すためにそうせざるを得なかった。カティアとデュメジルもまた、その協力者として立ち会った。


 ――だが、我々にはまだやり残したことがある。

 の置き土産。喰城デメテルと魔族アイダ。

 それは人類にとって未だ脅威として残っていた。だが、人類は疲れ果てていた。ヨギア地方(当時はアイゼルに併合されていた)という辺境だったのもあり、むしろ隔離し放置する施策がとられた。

 彼らはたった二人でその後始末へと向かった。それが、むざむざ生き残ってしまった責任だと思った。

 残された最後の――〈17人の英雄〉として。

 無謀な突撃だった。考えが足りなかった。彼らもまた疲れ果てていたのだ。


「デュメジルちゃん? 死んだんじゃないかな」

 カティアの傍に落ちた影は、無情にもそう告げる。

「その点、カティアくんは頑丈だよねー。不死の呪い? 神獣の血を浴びたんだっけ? それにしては、今にも死にそうだけど」

 魔族アイダ。唯一の従者。

 がなぜ彼女を従えるようになったのかはわからない。ただ、彼女の力もの足元にも及ばなかった。そして、そんな彼女に、カティアは手も足も出せずにいた。

「私もホントは殺したくなかったんだけど、ついびっくりしちゃって。手は抜いたんだけど、やっぱり死んだかなあ。コレスティナ様からはできるだけ手を出すなっていわれてるんだよねー。しばらく放置して様子見だって。しかも、カティアくんって不死でしょ? 1000年後に目覚めるコレスティナ様と再戦! って展開熱くない?」

 彼女はしゃがみ込み、満身創痍で血だまりに倒れるカティアに向かって告げた。

「だからさ、帰っていーよ?」

 まるで子供をあやすように。取るに足らぬと冷笑するかのように、無防備な背中を晒して去っていく。

「ふざ……けるな」

 看過することなどできない。彼女もまたと等しく邪悪そのもの。生きているだけでこの世に悪意を撒き散らす。彼女だけでも、ここで斃さねばならない。滅ぼさなければならない。

 カティアは震えながらも立ち上がる。

「んもー、なにもしないってゆってるのに」

 アイダは向き直り、再びカティアに向かってくる。その笑みはまさに悪魔のもの。結局のところ彼女は、隙あらば殺したくて仕方ないのだ。

「あ」

 背後への注意を怠っていた。そこは喰城。生きとし生ける血と肉と骨を繋ぎ合わせて積み上げられた生体要塞。食欲旺盛な喰城はカティアを丸ごと飲み込み、その胃袋の中に取り込んだ。

 それから120年。カティアは喰城のなかで過ごすことになる。


 ***


「え? カティアくんじゃん。生きてたんだ!」

 400年ぶりの再会だった。

 対し、ルール・カティアは刀を抜いた。

 刀――それは150年前、ケスラの大移民によって伝わった文化の一つ。彼からすれば比較的最近ともいえる知見だが、試行錯誤の末に彼はその武器が最も自分に適していると判断した。

 すべてはこのときのために。この日のために、彼は己を磨き、準備をしてきた。


「1621年。ヨギゾルティア内戦中、その戦場に突如得体の知れない魔獣が出現。それは両軍を相手取り、やがて制圧される。死者約6000人。

 1644年。宝物の眠る遺跡があるという噂に多くの冒険屋がフェディ暗がりの森へと挑み、帰らぬものとなった。騎士団が調査に向かい制圧するまでに80人以上の犠牲者が出た。森の奥にいたのは魔獣の群れであり、遺跡も宝物も存在しなかった。

 1784年。オブスキュラで特異狂暴魔獣が出現。六カ国合同作戦が展開されるほどの大災害。死者2万人以上。噴煌に伴う魔術災害とされているが、原因は不明。

 1786年。ケスラ近郊の漁村を魔物に扮した魔獣が襲撃。その住人を8割以上虐殺。死者約3000人。

 そして現在。レンシュタイン公国での戦略魔獣実験疑惑。

 ――すべて貴様の仕業だ。魔族アイダ」

 カティアは告げる。その女の重ねてきた悪の所業を。他にも未確認ながら容疑の濃い犯行は各地で多数散見された。この女が、大人しくなどしていられるはずがなかった。あの日、作戦自体は無謀だったが、やろうとしていたことは決して間違ってはいなかったのだ。

「えー、なにそれぇ。知らないんだけどぉ」


 魔術とは、干渉する対象によって分類できる。

 〈術者〉に対するものを「近接魔術」あるいは「第一魔術空間」。

 〈場所〉に対するものを「広域魔術」あるいは「第二魔術空間」。

 なかでも、叡海に干渉し新たな法則ルールを規定する魔術を「叡海干渉魔術」と呼ぶ。

 それは、他の魔術とは明確に一線を画する。数限られた選ばれしものにだけ許された究極の魔術。ラグトル圏内に存在するすべての術者に適用される法則ルールの支配。

 それはイニアの〈言霊支配〉であり、あるいは、アイダの〈消憶〉。

 そう、彼女は叡海干渉魔術師。

 自らに関する100年以内の記憶をすべての術者から消し去る。それがアイダの持つ固有魔術だった。

 すなわち、彼女が目の前に現れたのなら、術者はその記憶を消され続ける。目で見て耳で聞くそのすべてを。ゆえに、誰も彼女を認識できない。100年以上前の記録であれば、人々は彼女について話すことができる。だが、彼女が今もなお生きているという事実については認識することもできない。推論によって辿り着いたものでも同様。人類は彼女という脅威の存在を認識することができない。

 その枠から外れるのは、100年以上前から彼女を見知っているものだけ。

 ゆえに、カティアは孤独だった。ただ一人だけでアイダと戦うしかなかった。この島の人間も、皇子もロイもリミヤもアズキアもレックも、皆がアイダを認識できない。記憶を消され続け、ただ茫然と立ち尽くすのみ。

 意志あるものとしてアイダに向かい立つことができるのは、ただ一人カティアだけだった。


「あ、そういえば知ってるカティアくん? デュメジルちゃん、実は生きてたみたいだよ。つい最近まで! カティアくんは知ってた? あの日あの時離れ離れになって、デュメジルちゃんはまだ生きてるかもしれない君を探して、〈創死者〉なんて恥ずかしい名乗りを上げて呼びかけてたよ。もしかして、もしかしてだけどあのとき、カティアくんはまだ喰城のなかにいたのかな? かわいそ!」

 アイダはカティアの神経を逆撫でするかのよう、けらけらと嗜虐的な笑みを浮かべる。

 カティアは動じない。あの日のように愚かしい突撃はしない。勝つための戦いをする。

「てゆーかさあ、これマジでコレスティナ様の棺じゃん。二週間前からなんか匂いがすると思ったんだ。引き上げたの? うっそでしょ。なんか海の底に沈めたって聞いてたんだけど。で、なに? これでなにがしたかったの? 1000年経ったら目覚めるってコレスティナ様はいったよね。今引き上げても起きないのに。なーんでこんな無駄なことしたのぉ?」

「貴様を誘い込むためだ。アイダ」

「え、私ぃ?」

「貴様を殺す。すべてはそのための準備だ」

「へー! なんだそうだったんだぁ。そういうことなら、呼べば来たよ? 私もカティアくんに会いたかったもん! 生きてるってわかったら、飛んで来たのになあ」

 アイダは柱の上でにやにやと、前屈みになりながら、からかうように、カティアを見下ろしていた。

「貴様がこうして無警戒に飛び込んでくることに意味があった」

 背後。アイダに迫る二体の影。カティアの使役する巨人の魔獣だ。

 掴みにかかる、その一瞬で。巨人の両腕は切断されていた。アイダが翼のように広げた、二対の黒い炎によって。

「警戒って。カティアくんにぃ? なにができるのカティアくん。カティアくんになにができるの」

 ふわり、と地に降り、彼女は浮いていた。地に足をつけることなく、重力を知らないかのように浮いていた。

「愛是流剣術――地走ちばしり

 刀による斬り上げから、斬撃が地を走る。「わおっ」アイダは飄々と避ける。代わりにその背後の鍾柱が、斬り、落とされていった。

「もう少しお話してもいいんじゃない? ねえ」

幽牙一閃ゆうがいっせん

 横薙ぎ。無限にも思える反復訓練によってのみ修得できる、歴史によって洗練された武術体系は意識の間隙を突く。アイダはその攻撃を躱すことができなかった。ゆえに、不格好ながらも黒い炎の翼を身体の前面に重ね、かろうじて防ぐほかなかった。

「このぉ……!」

乱咲剣華みだれざくけんのはな

 カティアは前進する。美しさすら感じさせるほどに、カティアの研ぎ澄まされた殺意は刃となってアイダに迫る。幾度も、あらゆる方向から、無数の剣撃が血を求めて唸る。その猛攻にアイダは翼を丸め、亀のように防ぎ続けるしかない。度重なる剣撃にじわじわと押されていた。

しょう

 防御に徹する相手を崩すための基本的な連携。斬撃ではなく衝撃を与える技。アイダは吹き飛ばされ、そのまま森へ突っ込んでいく。

「いたっ」

 背を木に激突。葉が揺れる。カティアはそれを追うように迫ってくる。

「?」

 ぴよぴよ、と囀りが耳に響く。見れば、肩に小鳥が止まっていた。戦いにそぐわぬ穏やかさ、一瞬の気の緩み。

 小鳥は爆ぜた。血肉を撒き散らし、一個の爆弾として。アイダは寸前で気づき、払おうとしたが遅かった。爆煙から抜けると、アイダの左肩は肉が抉れていた。

 同様の囀り。小鳥が二羽、三羽、四羽――次々に飛びかかってくる。それはまるで自爆特攻のように。アイダは黒い翼でそれを迎撃する。爆発の威力は大きい。衝撃波に骨が軋み、内臓を揺さぶられるようだった。接近を許してしまえば致命傷は免れない。迎撃を漏らしたものの爆発に、アイダは腹部を抉られていた。

「んもぉ! なんなの――」

 いったん態勢を落ち着けようと、木に背を預けたとき。それもまた罠だった。

 樹魔。枝がアイダに絡みつき、その自由を奪う。腕、脚、腰、首、やがて全身を覆い、木のなかへ取り込むかのように、強く、激しく絡みついてくる。

「らぁ!」

 魔力を放出。魔界の黒い炎が樹魔を焼き尽くす。

 アイダはさらに後退。この森に安全な場所などどこにもない。

 立て続けに次の罠が発動。茸が胞子を撒き散らし始めた。瞬く間にそれは白く視界を覆っていく。

 毒か、それとも――。

 目晦まし。正解はそれだ。地を駆ける小さな影が、無数にアイダの足元に迫っていた。

 鶏爆弾。猛烈な勢いで駆けてきてはアイダに近づく傍から次々に自爆。アイダは慌てて逃げ惑う。完全ではないものの爆発は命中、アイダの脚は損傷し、皮膚は破れ血は滲み、一部白い骨すら覗いていた。

 さらには樹上から蛇。アイダもこれは読んでいた。首元を狙ってきたそれを寸前で撃墜。


 いずれにせよこんな森にはもういられないと、アイダは森から抜け出し島の沿岸へと出た。

「はぁ、はぁ……ずいぶん芸達者になったんだねカティアくん」

 アイダを追い、森からゆっくりとカティアが姿を現す。手には長い刀が、その刃を光らせていた。

「ちょっとびっくりしたけど、でもカティアくん? このくらいの傷はすぐ治せるんだよ」

 術式を展開。抉られた肩、腹部、そして脚。ゆっくりとだが確実に、目に見える速度で傷は癒えていった。相応に魔力は消耗するだろう。しかし、致命打とはなりえなかった。

 それが魔族アイダ。キールニール唯一の従者。決して易く勝てる相手ではない。

「次はなに? もうネタ切れ?」

「……海を背にしていれば、安全だと思ったか?」

「え」

 月夜。アイダのその後ろから、海の底から出でる巨大な影。島全体を見下ろすほどに高く、それは立つ。

 魔獣〈海坊主〉。邪悪なるものを討ち滅ぼすため、その拳を振り降ろした。

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