16.

 第四皇子が寝泊まりする小屋は島の外れにある。

 名目上は仮にも皇子、できるだけ静かな場所で過ごしたいという建前だが、要は警備上の都合だ。断崖絶壁を背後にすることで襲撃される方向を限定している。今の皇子に護衛はロイ一人しかいないからだ。


 夜。ドルチェは散歩の途中に立ち寄るような気軽さで、皇子の小屋へ近づいた。

 小屋の前には護衛のロイが壁を背に立ち、目をつぶっているように見えた。眠っているのか。息を殺し、足音を殺してドルチェは静かに歩み寄る。

「それ以上近づくな」

 距離にして5m。ロイは目を見開き、剣の柄に手をかける。

「すみません、起こしてしまいましたか」

「なにをしていた」

 ドルチェの軽口には応えない。ロイの眼光は有無を言わせぬ迫力があった。

「巡回です。なにせ、あんなこともありましたから」

「ここに用はないはずだ。次、近づけば斬る」

 静かで冷たい殺意。下手な言い訳など並べる隙もない。相手の意図など一顧だにしない、自身の要求のみを刃先のように突きつける、相互理解コミュニケーションなど度外視した一方的な勧告。

 ドルチェは踵を返して去っていくしかなかった。


 南端の入り江。

 ラウルは毎晩、隊を率いてこの島唯一の船を警護している。万が一にも船が奪われるようなことがあってはならないからだ。ただ、その晩は警護というよりドルチェとの集合場所に利用していた。

護衛ロイは、眠っていたわけではないのか?」

 ドルチェの報告を聞き、ラウルは顎に手を置き、眉をしかめる。

「寝ずの番とは大した忠誠心だな。この一週間ずっとそうなのか?」

「そうですね。遠くから見ていたり、ちょっと物音を立ててみたりしましたが、ロイくんは一晩中小屋の前に立っています。目はつぶっていますが、どうにも寝ているわけじゃなさそうなんですよね」

「昼に寝ている……わけでもないよな。それどころか常に感覚保護を持続させている疑惑すらある。前に負幻影で尾行・監視させていた部下が追い払われている」

「いっそこうして、毎晩ちょっかいをかけて不眠症にしてしまうのも手でしょうか」

「いや……」ラウルは少し考えてから言葉を続ける。「俺が皇子なら 、護衛は少なくとも三人は引き連れる。実力の問題じゃない。人間は四六時中ずっと警戒態勢など続けてはいられないからだ。そのため、交代要員が必要になる。だが、皇子は一人しか連れていない。なぜだ?」

「ロイくんが一人でその三人分の役目を果たすから、ですか?」

「そういうことになるな。相手がふつうの人間なら、嫌がらせを続けて消耗させるというのはそう捨てたものでもない立派な作戦だ。だが、あのロイ相手にそれは通用しない。おそらく、そういう固有魔術なのだ」

「つまり、機を伺う意味はないってことですね!」

「これ以上監視を続けても、やつが隙を見せることはない。ただ、居場所が固定されているだけ、皇子の就寝している夜の方が攻めやすいのは間違いない」

「だったら今夜です! 今からやりましょう!」

 即決即断。ラウルも痺れを切らしていた。

「六祭祇女のみなさんもだいたい回復しましたし、ラウルさんも準備できてますよね?」

「ああ。すぐにでもいける」

 邪なるものたちが、夜に胎動し始めた。


 ***


 同刻。

 〈愛と哀しみ〉号は島から少し離れた外洋で錨を下ろし、夜闇に紛れ二艘の小型船で島へ向かった。

 認識妨害はあくまで遠距離からの発見を防ぐための障壁であり、そこに「なにかある」と勘付かれた時点で簡単に剥がされてしまう。また、魔術障壁を通過する際には干渉して剥がれてしまう。隠密作戦を遂行するにあたり、さすがに〈愛と哀しみ〉号をそのまま接岸させることはできなかった。


「よし、全員負幻影。手筈通りに行く。リミヤとアズキアは森の中心部へ行け。俺たちは北東の皇子のもとへ。レイは逆方向から術式塔を制圧しろ」

 北西の崖より、全員が闇に溶け込みながら島へと上陸。ここまでは順調だ。

 術式塔は明かりがついており、一見して灯台や監視塔のようにも見えるが、4mという高さからもそのような機能は想定されていない。交代で常駐する2名も術式の維持管理が目的であり、外敵の侵入など警戒してもいない。ゆえに、負幻影で姿を消す侵入者を発見できるはずもなかった。

 幻影魔術は強力な魔術だ。一方、対策も容易でわかりやすい。魔力で自らの感覚を保護していれば、あらゆる幻影は振り払える。ただ、この感覚保護も持続するには魔力消費が激しく、優れた魔術師でも長くて数時間が限度とされている。軍が警護する第一級の防衛施設であればローテーションで感覚保護術者を絶やさないようにするが、それでも警戒態勢でない平時においては幻影魔術の奇襲に対しては大きな隙が生じる。

 リミヤとアズキアは中心へ向かって森を直進する。レック隊もまた、皇子のもとへ向かうには森を抜ける必要があった。


 作戦は、完全な奇襲

 グロウネイシスは〈愛と哀しみ〉号の接近に気づくことはできなかったし、まんまと上陸されたことにも気づいていない。状況は確実にレック側の有利であり、あとは当初の予定通り作戦を進行させればこのまま優位を保ったまま目標を達成できるだろう。

 だが、不測の事態は常に発生する。有利にあったレック側も、グロウネイシスの動きを完全に把握していたわけではないからだ。

「――!」

 ラウル術兵部隊。目標は同じく第四皇子。いずれも作戦の最中。ただし、その目的は真逆。

 両者とも同じ方向を見据えながら、負幻影と感覚保護を同時展開。ゆえに、鉢合わせが起こる。負幻影によって見えていないはずの自軍に、相手が気づいていることに気づく。互いに目を見合わせたままの間抜けな硬直時間。

 お膳立てされたかの完全な奇襲ではじまるはずだった作戦が、遭遇戦へと変貌した瞬間である。

 戦場でなにが起こるかを正確に予見できるものなどいないし、どうすべきだったかなどと語っても結局は後知恵にすぎない。ただ、原則は存在する。このときは、戦力の分散が裏目に出た。

 レック隊10人に対し、ラウル術兵部隊12人。機先を制したのは〈銃〉を構えていたレック隊。しかし、当然ながら10人で12人を一度に倒せるわけではない。すぐに術兵部隊の反撃が始まる。

 こうして島の片隅で、誰も意図しない形での衝突が発生した。


「銃声?!」

 リミヤとアズキアはそう遠くない位置でその音を聞いていた。続いて焔爆音。魔術によるものだろう。おそらくはレックの方向、すでに戦闘が始まっているらしい。

「早すぎる。なにがあった?」

「わからない……」リミヤは足を止め、考え込む。

「リミヤ」

「うん。私たちは私たちの任務に集中する。というか急ごう」

 罠があるかもしれない、と二人は慎重に森を進んでいた。が、もはや気にしている場合ではない。警鐘系のものならなおさらだ。すでに侵入はバレてしまっているのだから。

 駆け足に進み、二人は木々の先に広い空間があることに気づく。いったん陰に隠れ、様子を伺う。

 人がいる。並べられた夜越からは音に驚き目覚めたものたちが続々顔を出していた。さらには小屋が3棟、奇妙な豆が生育する畑、貯水池。そして、中心には4本の鍾柱と術式に囲まれた黒い棺が見える。

「間違いない。あれが……」

 キールニールの棺。ただの一目で確信できるほどに、禍々しい魔力が漂ってくるようだった。

 慌てどよめくグロウネイシスの面々を確認する。危険指定されている人物――カティアやドルチェの姿は見えない。確認できるのは20~30人ほどの構成員だ。指揮官らしき人物もなく、ただ混乱し、統率されていない。警戒していた動き――棺を動かそうといった様子も見られない。彼らもまだなにが起こったのか理解できていないようだった。

「行くか、リミヤ。雑魚ばかりだ」

 アズキアが広場へ跳び出す。彼女の〈意葬剣〉は雑兵を傷つけずに制圧するには極めて向いている。一瞬のうちに一人二人三人。流れるように斬り伏せていく。

「な、なんだ?! 敵襲?!」

 ただ、数が多い。散り散りに逃げられては取り逃がす可能性があった。

 それをリミヤがサポートする。地に両の手で術式を描き、召喚する。

 魔獣〈白兎〉――ふさふさした白い毛並み、愛らしいうさぎの顔立ちをした、筋骨隆々の肉体を持つ人型の魔獣である。

「キモっ!」

 アズキアの口から思わず本音が漏れる。

 その魔獣〈白兎〉が二体、アズキアという脅威に気づいたものたちの退路を塞ぐ。一撃、顔面に力強い殴打を加えて気絶させる。あるいは両拳による鉄槌打ち、地面の熱いキスを強要。むろん、可愛らしい顔立ちままで。

「うわ……」

 などとドン引きしている場合ではなく、アズキアも敵の「戦意」を斬っていく。非実体であるためなにも考えず振り回せるのもこの剣の強みだ。ただ、逃げるものの背を斬るのは少しやりづらかった。

 そして、わずか数分。合計28人のグロウネイシスを無力化し、拘束した。

「小屋とかに残ってないかな? うさちゃんに探させてみる」

「うさちゃん? ああ、あの化け物のことか……」

 リミヤがあれをどう思っているのかは知らないが、アズキアは一応聞こえないように呟いた。

 とにかく、肝心なのは棺だ。

「ん?」

 棺へ向かったとき、アズキアはなにか白いものが飛んできたことに気づく。

 首だ。それは〈白兎〉の頭部。見れば、頭を失った〈白兎〉が立ち、そして崩れる。

「アズさん!」

 リミヤはアズキアを並び、臨戦態勢をとる。武器も先端を斧の形状へ。リミヤが相手を「殺すつもりで」戦うときの形態である。

 森の奥から歩み寄る影に、もう一体の〈白兎〉を向かわせる。力強い駆け出し、が、即座に返り討ちに遭う。殴る蹴るの暴行を受け、倒れ、崩れる。


「やっぱり、お客さんがいらしてたんですね」

 姿を現した影は、ドルチェ。手を後ろに組み、ゆっくりと歩いてくる。そして六祭祇女。各々が重々しい武器を携えていた。

「これは……ちょっとやばくねーか」

 後ろの六人は、情報の通りならばそこまで脅威というわけではない。だが、ドルチェの補助へ回るというのなら話は別だ。奇襲によって敵戦力を可能なかぎり減らさなければならなかった。しかし、広場に「戦力」はいなかった。

 焦らず、じっと待つべきだったのかもしれない。潜み、ドルチェが姿を現してから不意打ちをかけることを狙った方がよかったのかもしれなかった。銃声がなく、静かな夜のままであれば、状況を見て最善の手を模索することができた。すべては過ぎたことだ。

「アズさん」リミヤは声を細める。「その、〈状況設定〉は“アズさんが倒れたとき”だけど、わざわざ自分から倒れる必要はありませんからね」

「わーってる。おれだってやられたくはねえからな」

 睨みあう。互いに互いを強敵だと認めている。じりじりと距離を詰めながらも、様子を伺う。


 だから、まだ誰も気づいていなかった。

 上空から、高く飛び立った彼が、重力にまま降り落ちてきていることに。

 ドルチェに向かって落ちてきた影を、ドルチェに狙いを定めて殺意によって振り下ろされた剣を、彼女は寸前で横に躱した。風圧が巻き起こり、土煙が舞う。その余波だけで周囲の 六祭祇女も防御態勢をとらざるを得ないほどに。

「おろ?」

 躱されたことに目を丸くしながらも、影は即座に退避、距離をとって態勢を整える。

「いやはや、あれを避けるか」

「だ、第四皇子……殿下?!」

 驚くのはリミヤだ。

 それは、第四皇子ブエル・ブランケイスト・アイゼルその人だった。

「っと、内部犯罪調査室だね? たしかリミヤと……もう一人は最近入ったって」

「殿下、その、いったい?」

「ん? 君たち二人でそのドルチェの相手をするのはきついと思うからね。僕も剣をとる。光栄に思いたまえ」

 アイゼルは魔術主義の根強い国である。ならばこそ、古くから国を支配してきた皇族が、魔術に秀でていないはずがない。要人ゆえ積極的に戦闘行動に出ないだけで、その実力は間違いなく国全体で見ても第一級のものだ。

「そっかぁ、おーじ様も、やっぱりそうなんだあ」ドルチェは、やはり未だ薄い笑みのまま。「みんなは、おーじ様を囲んで。私はお客さんの相手をするから」

「はいお姉さま」

 そうして、身構える二人のもとへドルチェが無造作に歩み寄ってくる。

「さーてさて、悪い子は、みなさん全員、みぃんなぜぇんぶ一人残らず、殲滅掃討皆殺しです♪」

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