14.
エルシャリオンの封印は九ヵ国封印のなかでも特殊な形態をしている。
大別すれば符号型だが、構造は極めて単純で解くこと自体は難しくない。大きな特徴は、九ヵ国封印のなかで唯一「攻性」を有する点にある。解法は複数存在しその数は200以上、ゆえに部外者の手によっても比較的容易に解くことはできる。問題はそのあとだ。
他の封印は解除された際の対抗策として強力な魔力波を放出し、外部へ知らせようとする方式をとっていた。一方、エルシャリオンの封印はもっと直接的だ。
「封印解除主体である俺はこの場を動くことができない。ゆえに、俺はここで静観するのみだ。俺が解除術式から離されたり、死亡した場合には封印解除は失敗する」
「わかってます。わかってますよカティアさん。任せてください」
〈魔獣〉とは魔術によって生み出される疑似生命であるが、その方法論がアイゼルに伝わったのは200~300年前である。シャピアロンでは〈聖霊〉と呼ばれる類似魔術が存在するが、魔術生命の召喚についてはエルシャリオンに一日の長がある。400年前の九ヵ国封印に魔獣の発生装置を組み込んだのはエルシャリオンだけだからだ。
カティアは棺に手をかける。その様子をグロウネイシスが取り囲み、身構えながら見守る。
ドルチェとその配下六祭祇女。ラウルとその配下15名の術兵部隊。
封印を解除した際に現れるものへの警戒である。
「構えろ。封印を解除する」
同時に、エルシャリオンの防衛術式が起動する。
魔力が収束し糸を紡ぐように塊となる。それは影となり、形を成す。
鉄の鎧――身長2mはあろう全身鎧の魔獣だ。両手剣を携え、殺意を漲らせ、今ここに顕現する。
その瞬間、ドルチェは跳び出していた。天高くまで舞い上がり、宙空で二回転、遠心力と重力加速度を右足の踵へ込めて、渾身の一撃を鎧の頭頂へ叩き込む。首、胸部、そして膝が歪み、大地へ衝撃が伝わる。
だが、倒れない。ドルチェは鎧を蹴飛ばして距離をとる。
「行って!」
「はいお姉さま」
続けて左から六祭祇女の一人が巨大な斧を振るう。その重く鈍い刃先を腹部へ。さらに別の祇女が右から鉄の
畳み掛けるような攻撃に鎧も多少はよろめくが、それだけだ。損傷は表面に傷がついた程度。さらには連接棍棒、戦鎚、職杖など各々の武器を振るい六祭祇女の攻撃は続くが、やはり通じている様子はない。打たれながらも、鎧の魔獣はゆっくりと両手で剣を握り、刃先を下に構える。
その動きの意味に、ドルチェは気づいた。
「避けて!」
が、遅い。
鎧が両手剣を地へ突き刺し、突風のような魔術圧が放出される。同時に放たれた風刃によっても皮膚と肉を裂かれ、六祭祇女は全員10m以上吹き飛ばされてしまった。
「撃て!」
後方で構えていたラウルの部隊が動き出す。ラウル含め16人の術兵が一斉に杖を掲げ、鎧に対し火球を浴びせる。威力は(術者にもよるが)さほど高くはない基本的な攻撃魔術だが、習得の簡便さと火力の集中のしやすさから軍でも好んで用いられる。ラウルの術兵も軍には劣るものの高い練度を誇る。
が、この戦法の欠点は、爆炎によって敵の姿を見失ってしまうことにある。
「なっ……え?」
術兵の一人がふと気づくと、隣にいた仲間の胴体が二つに分かれて地に落ちていた。次の瞬間には爆炎のなかからさらなる遠隔斬撃が飛び出し、彼自身も同じ運命を辿った。
「攻撃中止! 対斬撃障壁!」
ラウルは指示を変更。しかし、煙のなかから飛び出す遠隔斬撃は易々と術兵の障壁を貫通、術兵の身体を二つに引き裂き、新たな分割死体が増産された。
「後退!」
ラウルの怒号。煙に覆われ鎧の姿は見えない。術兵の態勢が整うより早く、巨大な影が包囲網に穴をあける。両手で大きく振りかぶられた剣が、術兵をまた一人真っ二つにした。
その瞬間をラウルは見逃さなかった。防衛装置としての魔獣が強力な存在であることはわかっていた。ならばこそ、当然の準備はしている。ラウルは地面にあらかじめ描いていた爆発系術式を起動させた。
足元からの爆発に、鎧の魔獣はぐらりとよろめいた。先の火球攻撃とあわせ、鎧の魔獣には確かな損傷が見て取れる。全身が焼け焦げ、あるいは融けていた。魔力もかなり消耗しているはずだ。が、鎧の魔獣に痛みはない。粉砕しないかぎり、その殺意は駆動し続ける。
「少し借りるね」
ドルチェは、倒れ足を骨折した部下を後方へ下がらせ、彼女から星球鎚矛を借り受ける。そして、そのままゆらりと鎧の背後へ歩み寄り、打った。
打つ。打つ。打つ。力のかぎり、思いっきり、でたらめに、鎖で繋がれた質量に遠心力を乗せて、打つ。ただ打つ。そのたびに火花が散る。金属疲労を起こした鎧が凹む。その迫力に周囲の術兵も思わず息を呑む。だが、それで鎧が怯むわけではない。大地に根が張ったかのように、鎧は倒れない。全身が分厚い鉄の鎧であるため、単純に重いのだ。崩れかけた姿勢をゆっくり立て直し、剣を構える。
「ドルチェ! 退け!」
ラウルは警告する。ドルチェは聞く耳を持たない。聞く耳を持たずに、ただ笑っていた。子供のような純真な笑みを浮かべ、ただ打ち続けていた。我を忘れているかのように、楽しそうに打ち続けていた。
一閃。鎧の魔獣が背後の敵に斬りかかろうと、そのとき。一筋の剣撃が過ぎ去る。
鎧は剣を振るその寸前で動きを止めた。まるで元からそのような彫像作品であったかのように。そして、思い出したかのように、二つにぱっかり分かれて倒れた。縦に、真っ二つに、中身のない空洞の鎧であることを晒し、黒炭のように崩れて消えた。
「いやはや、ひとまず無事成功のようだね。安心したよ」
声をかけたのは第四皇子、地面に転がる4人の死体には目もくれずに言う。遠隔斬撃で鎧を斬ったのは隣に立つロイ・イヴァナスだ。
「当時国家最高峰の魔術とはいえ、400年前の洗練されていない魔獣召喚ではこんなものか。カティア、引き続きよろしく頼む。ここ最近は本当に退屈しているものでね」
「わかっている。皆ご苦労だった。俺も少し休む。お前たちも療養してくれ」
カティアは自室の小屋へ戻る。第四皇子もロイを連れて中央広場を去っていく。その後ろ姿を、ラウルは睨みつけるように見送っていた。
「本当にお強いですよね、ロイさん」
そこにドルチェが歩み寄る。共に第四皇子と二人を見送りながら、その姿が見えなくなると、彼女は声を低めて告げた。
「ラウルさん、そろそろだと思いませんか?」
薄い笑み。その言葉の意味をラウルは察した。
「そろそろとは?」
察したが、早とちりは避ける。慎重にその言葉の意図を探っていく。
「戦力が必要になるエルシャリオンの封印は解かれました。ここまでくれば、彼らは本当に邪魔でしかなくなる。多少の犠牲を払ってでも、始末しておくべきだと、そう思いませんか? ラウルさん」
想像以上に直接的な物言いに、ラウルは思わず言葉を失う。ラウルも同じことを考えていた。が、同時にあまり現実的でもないと考えていた。たかが二人、だが相手はアイゼル皇国最高レベルの魔術師。先の鎧の魔獣を一撃のものとに斬り伏せた手腕からも、「多少の犠牲」程度で済むのかという懸念があった。
「私、ずっと我慢してきたんですよ。あの二人は、本当はとっても悪い子なんです。でも、全面的に衝突してしまえば、私たちも壊滅的な被害を被ってしまう。計画が台無しになってしまうほどに。それもわかっていたんです。だからずっと我慢して我慢して……でも、そろそろいいと思いませんか? 悪い子は殺してしまわないと、ダメだと思うんです」
「だが、カティア様は……」
「あの人はダメです。あの人もダメです。カティアさんも、実は本気で封印を解除する気はないんです」
「なんだと?」
「でも、封印を解除するための知識と能力は持っています。だから、カティアさんを本気にさせなければいけません。そのためにやらなければいけないんです。こちらも犠牲を生じるため、今後の計画進行はいくらか遅れてしまうかもしれません。でも、あの二人がいるともっと、もっともっとひどいことが起きてしまいます」
ルール・カティアのもとに集まったグロウネイシスは「キールニールの目覚め」という目的のために編成された任務部隊であり、混成部隊のようなものである。
ネオグロと呼ばれるキールニール崇拝者を中心に、テスド派、コロル派、スガタ派など様々な宗派から有能な、そしてその目的に共感するものたちをカティアが引き抜いてきた。
その数86人。彼らを繋ぐものはキールニールという目的であり、カティアという指導者への忠誠だ。
こうして同じ組織に所属していながら、ラウルはドルチェのことをよくは知らない。知っているのは、半年前に「悪い子」と称して突如19人の仲間を粛正した狂暴性だ。その後、人数合わせのためにカティアは急遽ヨギアまで遠征し、〈あるかな会〉から人員を補充せざるを得なかった。
ドルチェの粛正は唐突で突発的なものに思えた。だが、その対象はいずれもも不穏な思想を匂わせていたし、計画に懐疑的だった人物が含まれていた。結果、その粛清によって組織の結束力はむしろ強まった。彼女の気まぐれな暴君めいた虐殺は、しかし確実に正しい効果を表した。
今、ラウルのなかでカティアへの忠誠は揺らぎつつあった。第四皇子の提供した九ヵ国封印の資料と耐高圧深海潜水艇は、確かに計画にとってなくてはならないものだった。だが、それだけだ。彼自身はグロウネイシスの一員に加わろうともしない。用が済めば排除するのは自明に思えたが、カティアはそうは考えていない。
一方、〈狂える巫女〉ドルチェは、やはり正しい答えに辿り着いていた。
「俺も同じ考えだ。しかし――」
「あのロイくんに勝てるのか、ですか?」
彼女の前では、なにもかも見透かされているようだった。
「そうですね。それはわかりません。私と、私の六祭祇女と、ラウルさんと、ラウルさんの15……いえ、11人の術兵部隊と、あと他にも協力者がいればよいのですが、まあ、どれだけ上手くいっても半分以上は死ぬと思います。でも頑張りましょう! でないと、もっとひどいことになりますから!」
***
「船長、見えました。”島”です!」
捜索から一週間。ついにレイの遠視が目標とする島を捉えた。認識妨害が施されており、それを剥がした下には少なくとも二重の魔術障壁に覆われていた。逆に見つかってしまうリスクを避けるため、ただちに〈愛と哀しみ〉号も船体を認識妨害で覆い、その姿を隠す。
「ついに見つかったか……! ダミーの可能性はないか?」
「おそらく本命です! 大きさは……もう少し近づいてください……見えてきました。サイズは約1km四方!」
「ヌフの予想とおおよそ一致するな。そのサイズの島を魔術障壁で覆うとなるとコストも馬鹿にならないはずだ。よし、このまま接近するぞ。ただし慎重にだ。島の外観をある程度把握したら、夜に上陸する。今夜だ!」
「おう、ようやくか。もう漕がなくていいんだな!」
アズキアは意気込む。ついに訓練の成果を発揮させるときが来た。他の乗員も同様、〈銃〉を手に走り回った3か月を思い出していた。「本当に見つかるのか」という不安に苛まれていた彼らに、確かな士気の火が灯った。
一方、リミヤは船酔いで倒れていた。
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