13.

 魔術駆動ガレー船〈愛と哀しみ〉号。

 レックが海賊船としていたもので、旧式ではあるが風の弱い竜口湾内では小回りが利き、通常の帆船に比べ高い機動力を誇っていた。その動力として両舷に10ずつの櫂が備えられている。魔術駆動であるためラグトル鉱による補助動力や数人の術者がいれば少人数でも運用可能であるのも特徴だ。ただ――。

「外洋航行は向かないんだよな……」

 と、レックはぼやきながらも舵をとる。向かないとはいっても、この船で向かうしかない。なぜなら、この船こそが内部犯罪調査室の保有する唯一の船舶だからである。むろん、予算をかければ他に借りるなど船を用意することはできたが、あるものを使わない手はない。帆も装備されてはいるので長距離航海ができないわけでもなかった。

 そして、彼らはエンベル東岸より大詠洋に進出する。乗員はレック船長とその部下19人に加え、リミヤとアズキアの2人だ。後者の2名も含め、指揮官はレックに任命された。探すのはグロウネイシスの潜む島。おそらく認識妨害で島ごと姿を隠しているはずだ。

 甲板には遠視魔術を持つレイが立つ。軍の訓練を受けその精度の向上と、認識妨害を剥がす術も覚えた。両手を合わせなんらかの形――彼の場合は三角形をつくり、そこを覗き込むことで遠くを見る。レイの遠視は2kmまでなら人相を判別できる程度の精度を持つ。

 遠視は固有魔術というほどではないが、習得は個人の資質によるところが大きい。〈愛と哀しみ〉号の乗員では他に使えるものはリミヤしかおらず、彼女の場合は1kmほどが限界だ。ゆえに、基本的にはレイの目が頼りだ。

「おい風出てんだろおれ別に漕がなくてもよくないか」

 リミヤが補助的な“目”となる一方、アズキアはただ船の動力となるほかなかった。アズキアが櫂を漕ぐと、他の櫂もそれに追従するよう連動する。そのたびに船が一気に加速していくのが肌で感じられた。アズキアの他にも漕ぎ手は6人ほどいたが、彼らはあくまで補助的な役割に留まる。アズキアが両舷二本の櫂を漕ぐ一方、彼らは片舷で一本の櫂を漕ぐ。さらにはラグトル鉱による補助動力もあったが、主な動力源はアズキア一人によって担われていた。

「いや、想像以上だ。獅士魔術師が漕ぐとここまでとは思わなかった」

 レックは久々の航海に昂揚していた。未知の海、未知の速度。そのうえ仲間も全員乗船している。いっそのことこのまま逃亡して海賊に戻ってしまってもよいのではないか。そんなことをふと考えた。

「それ漕がなきゃいけねえ理由になってねーだろ」

「頼む。まだ海溝の地点にも着いてない。速度が出て悪いことはないからな」

 だが、この速度もアズキアあってのものだ。それだけではない。3か月も訓練をさせられたせいで、それを実戦で試してみたい気持ちが芽生えていた。つまりは、あの岡島にいいように乗せられている形になる。そう考えると気に入らないが、潮風に当てられているとどうでもよくなってくる。これならば、仕事くらいこなしてやってもいい。


「レイ、どうだ見えるか」

 潜伏場所の推定海域まで入ったため、レイとリミヤを帆柱の上まで登らせる。高所へ登れば水平線も遠くなり、単純に遠くまで見渡せる。とはいえ、探すのは“見えない島”だ。推定海域の範囲もかなり広い。気の遠くなる作業といえた。

「ところどころ島は見えますが……見えてる島は違うんですよね?」

「多分な。岡島やらヌフの話ではそうだ。仮に認識妨害を施してなかったとしても、魔術障壁は確実にある。それに注意してくれ」

「わかりました。とはいえあれです、訓練でいろんなパターン試されたんでわかったんですが、認識妨害も強度や対象までの距離とかで剥がすまでの時間とか手応えとかだいぶ違うんで、そのへんの想定がぼんやりしてるとかなりきついですよ」

「すまんな、これしか方法がないんだそうだ。捜査活動ってのはこう、地道なものらしい。終わったら酒でもおごってやるよ」

「マジすか。高すぎて手ぇ出せずにいたのがあるんですよ。……ええっと、隊長?」

「船長でいいだろ。今は船に乗ってんだし」

「テキトーですね。ま、俺もその方が呼びやすくていいですけど」

「ところでリミヤはどうした?」

 いわれて、レイは隣を見る。

「高いところこわい」

 震えて帆柱に捕まっていた。

「リミヤ! レイ一人に負担をかけるな! そこが無理なら櫂でも漕いでろ!」

「そ、そういうことなら、降りたいなぁ……」

「……いや、降りるな。レイを補助しろ」


 潜伏予想海域はあくまで可能性の高さで推定されているに過ぎない。

 ただ、確実な要因もある。大詠洋の東への進出は神獣シィルの生息域によって阻まれているということだ。

 一定以上東へ航行すれば必ず神獣シィルの生息域に入り、そこへ踏み入った艦船は例外なく喰われる。ケスラの浮島が漂着した150年前であればそのようなことはなかったが、人類が外洋進出可能な航海技術を手に入れ、それを試みるようになってから繰り返された航海が神獣の怒りに触れたらしかった。グロウネイシスがあえてその生息域の突破を試みる可能性はまずない。

 次に、確実ではないがアイゼル海軍の管轄海域を潜伏場所として利用する可能性は低いだろうということ。この海域はレクテン諸国やエンベルとの交易ルートでもあるため商船の航行頻度もそれなりに高い。なにより、アイゼル海軍は神獣シィルがこちらへ生息域を延ばしては来ないかと常に警戒している。偶然による被発見のリスクは決して低くはない。

 最も可能性が高いと推定されているのはエンベル北東の外洋だ。グロウネイシスの足跡を追い、彼らの船はエンベルの港から出航したことも確認されている。ちなみに、北まで出ようとするには巨獣生息域グランドリゾートを通ることになるし、アルトニアの領海にも入ってしまう。これもまた可能性は低いといえた。

 また、棺を沈めた海溝からそれほど離れた位置でもないはずだという推測も立つ。海溝の底から棺を見つけ出すのはかなり時間がかかるはずだ。場合によっては拠点と往復する必要もある。離れすぎていればそれは困難になる。

 以上、グロウネイシスが「リスクを避ける」選択をすると仮定するなら、このように潜伏海域は絞り込める。また、推測の根拠には彼らのなかに第四皇子が含まれていることも大きい。第四皇子は事件の幕引きとして内部犯罪調査室を利用するつもりであり、それも秘密裏に処理するつもりでいるからだ。彼の誘導が効いているならば、推定海域の蓋然性はより高くなってくる。

 が、絞り込めたといってもその範囲は広大だ。海図をもとにさらに重点的に調べる範囲は絞り込めるが、結局のところ虱潰しになる。ただ、どれだけ魔術障壁で覆ってもキールニールの魔力は漏れ出す可能性が高い。ある程度近づけば魔力探知計が反応を示すはずだ。

 ここからは気力の勝負になる。

 この探索航海は最長で一か月はかかることを覚悟しなければならない。


「え、ちょ、ま、あれ神獣じゃない?!」

 リミヤが帆桁の上で、東外洋を遠視で覗き込みながら叫ぶ。

「いやいや、まさかそんなはずは……」

 レイも念のためにと東を遠視する。その先には、水平線のギリギリ手前に、巨大な水柱が立つのが視認された。

「船長! やばいですよ、シィルの海域に近づいてます!」

「なに? このあたりはまだ……くそ、こっちまで迫ってきたのか」

 神獣は生き物であるため、その活動領域は流動的だ。それはある意味で探索範囲が狭める朗報でもある。グロウネイシスもその誤差を考慮して潜伏場所を選定するはずだ。間違っても神獣の生息域ギリギリなどには居を構えない。彼らの理性が飛んでいたとしても、皇子がまずなにより反対するはずだ。

「あ、あの、レイさん……」

「今度はなに?」

「酔ってきました」

 リミヤはもはや死にそうな表情をしていた。

「船長! リミヤもうダメみたい」

 幸先の悪い一日だった。


 ***


「当海域に追跡中の犯罪者が逃げ込んだ島があるかもしれないと。そういうことかね」

 岡島とレグナは第三艦隊の協力を得て、その艦隊旗艦に乗り込んでいた。表向きは犯罪捜査の協力要請だが、実際の意図は該当の島を「発見させない」ことにあった。キールニールの棺が引き上げられたことが第三艦隊に知られれば、彼らが独自の捜査をはじめる可能性があったからだ。

「はい。彼らは相応の魔術師集団であり、認識妨害によって島そのものを覆っていると考えられます」

「ふむ。ここ二週間でそのような不審船は報告されていないな」

「そうですか。我々としても、彼らが第三艦隊の管轄海域に逃げ込む可能性は低いと考えていました。なにせこの第三艦隊は他の艦隊と比べても定期巡警や海上演習の頻度が高いですからね」

「ふむ……?」

 提督は怪訝な顔をする。

「失礼だが、君たちの追っている犯罪者集団について情報をくれないか。捜査に協力するからにはこちらとしても情報が欲しい」

「それはお答えできません」

「なぜだ」

「我々としても、捜査のため第三艦隊の定期巡回ルートをいただければ助かるのですが」

「それは機密に抵触するため答えられない」

 というのも、そのうちにキールニールを投棄した海溝が含まれているからだ。

「それと同じことです」

「なるほど。君たちの立場は理解した。内部犯罪調査室、といったかな」

 そういって提督は険しい表情を見せた。

「〈風の噂〉のオリバーから話は聞いている。君たちがなにか怪しい動きを見せたら連絡が欲しい、とな」

 それは〈風の噂〉現長官の名だった。海軍出身の将官であるため第三艦隊の提督とも個人的な親交があったということだろう。内部犯罪調査室に反感を抱いているとは聞いていたが、ここまで手を回していたとは思わなかった。

「君たちの今の動きは“怪しい動き”、といえなくはないな」と、提督は目を細める。「私としてはオリバーの頼みもあるし、彼と今すぐ相談したいところではあるが?」

「それは困ります」

「なぜだ。〈風の噂〉に連絡されることのなにが不都合だ?」

「我々は独立性の高い組織です。特に今回はその任務内容からも、緻密な連携が取れるのでもないかぎり情報の漏洩はいかなるものでもリスクを生じさせます」

「その任務内容とやらがわからぬことには、こちらとしても判断がつかんな」

「トゥーバ島基地での駐在を許可していただくだけで結構です。期間は長くて一か月」

「その目的も明かせないか。困ったものだな。君らが皇王陛下の命で動く以上、我々としてはその要請を拒否することもできないわけだが」

「基地へ滞在する間は空間歪師レグナを好きに使っていただいて構いません。兵を気軽に本土へ戻すこともできますし、新鮮な野菜などの食糧補給も簡単です」

「それは助かるな。口止め料というわけか?」

「そのようなつもりはありません。ただ……、目的もわからない得体の知れない連中を基地に居座らせるというのはあまり心地のよいものではないだろうという心中は察します」

「まったくその通りだ」

「ですので、せめてもの誠意として、簡単にですが我々の目的をお話します」呼吸を置き、やや仰々しく。「我々は、第四皇子殿下の行方を追っているのです」

「……ふむ。行方が知れないというのは聞いていたよ。ただ、その任務が秘密裏に行われる理由と、この海域を探している理由が解せないな。殿下はどこでなにをしようとしている?」

「残念ながら、そこまではお答えできません」

「そうか。我々も殿下には恩がある。それが殿下のためになるというなら、君たちへの協力は惜しむまい」

「ありがとうございます」

 提督は「第四皇子には恩がある」と語った。それは事実だ。だが、彼は知る由もないだろう。もし、第四皇子が無断でキールニールの棺を引き上げたと知ったなら、さすがに激怒したに違いない。

 そうして、岡島とレグナはトゥーバ島基地に駐在する。むろん、用があれば空間接続で本部へ戻ることもできる(基地は基本的に魔術障壁に覆われているため、少し離れる必要はある)。ただ、基本的にはこの基地で岡島はただ待つことになる。すなわち、島発見の連絡を。

 ちなみに、曠野とディアスはレック隊とは逆方向のルートから探索航海をさせている(遠視魔術は曠野が保有)。彼らが島を発見した場合、上陸作戦はレック隊で行うためレック隊へ連絡する手筈になっている。

 岡島はレックのルートで発見される確率が高いとみている。なにより、「手紙」にもあった推定海域とも一致する。曠野とディアスのルートはあくまで確実性を高めるための補助的なものと想定している。

 最終期限の想定は1か月。ただ、現実的にはそこまでの時間はかけられない。第四皇子が行方不明になっているという事件はすでに方々に知られ始めているからだ。そして、これらの想定も推定潜伏海域がそもそも的外れであった場合にはなんの意味も持たない。

 あとはただ、祈るのみだ。

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