12.

「どう思う、ロイ」

「はい殿下」

 第四皇子ブエルとその近衛ロイは、ほどよい天気のもと、のんびりと島の外周を歩きながら話す。他のものに話を聞かれたくなかったためでもあるし、ただ暇だったからでもある。

 というのも、この計画において彼らの役割はすでにほぼ終えている。最大のものは「耐高圧深海潜水艇の提供」であり、そして「アッタンでの研究資料の提供」。いずれも、すでに終わっていることである。

 彼らはグロウネイシスの首飾りを身につけていない。彼らはあくまでグロウネイシスの協力者であり客人という立場に過ぎない。グロウネイシスからすれば、すでに用済みとなった彼らはもはや邪魔者でしかないはずだ。

「と、おっしゃいますのも、カティアでしょうか。それともドルチェでしょうか」

「両方だ。が、まずはドルチェだな。彼女は、グロウネイシスに潜ませておいた我々の仲間を正確に仕留めてみせた」

 すなわち、ドルチェが「悪い子」として殺害した3人のうち2人である。

「はい。おそらく、彼女の固有魔術によるものでしょう」

「僕もそう思う。問題は、それがどういった性質のものかだ。彼女は〈狂える巫女〉と呼ばれていたらしい。彼女の言動はまさにその呼び名を体現していたものだった。まるで根拠もなく無作為に犯人を決めつけて殺して回っているようで、確実に標的を仕留めている。偶然ということはあるまい」

「ですが、あの術式損壊は我々の仲間によるものではないはずです」

「彼らが独断で先走ったのでなければな。ただ、いずれ似たようなことはするつもりでいた。つまり、あの件に乗じて事前に手を打たれた形になる。計画にとって致命的な支障をきたすものではないにせよ、確実性は失われた。まあ、の痛手ではある」

「となると、真犯人は我々と無関係のもう一人になるでしょうか」

「確証はないがな。さらに憶測を重ねる形にはなるが、あれはおそらくカティアの仲間だろう」

「カティア自身は心変わりしたという可能性を挙げていました。キールニールを目覚めさせようという試みに恐怖を覚えたのではないかと」

「それこそあり得ない。これもカティア自身がいっていたことだ。そんな理性が芽生えたのなら、あえて止める必要がない、とも気づくはずだとな」

「軍が押し掛けた際に情状酌量の余地でも期待して――という線はないでしょうか」

「うーむ」皇子は少し考える。「そういわれると、ない、とも言いきれんか。僕としてはドルチェの方が怖いと思うけどね。事実殺されている。ただ、そもそもこんな計画に参加している時点で合理的・理性的な判断が期待できるという前提が誤っているかもしれん」

「カティアの差し金だった場合でも、その動機が不明です」

「いや、推測はできる。あくまで仮説だが。こう考えてみよう。おそらく彼は、九ヵ国封印すべてを解くことはできないのだ。そして、彼の目的にとって封印解除はあまり大きな意味を持たない。どちらかといえば、キールニールの棺を引き上げ、封印を解こうとする。そして、その行為を外部に知らしめる。そのこと自体に意味がある。どうだ?」

「辻褄は合うと思います。術式はすでに修復され損傷がどのレベルだったかは不明ですが、これもカティアの指示。証拠隠滅と考えることもできます」

「もしカティアの意図がそこにある場合、我々の利害とはさほど対立するものではない。不安要素は、それが明らかではないことだ。結局、彼の真の目的がどこにあるのか、未だに想像すらつかない」

「最悪の事態から想定すべきでしょう。そして、それを避けるように動くほかないかと」

「やつの正体もまだわからんしな。“本物のグロウネイシス”などとはさすがに嘘だろうが、あの魔術師としての知識と経験――長い年月を生きる不死者に近い存在であることは間違いないだろう。となると……、いや、止めだ。やはり憶測になる。正直にいえば、僕はカティアについては楽観的にみている。彼のこれまでの言動がすべて僕にそう思わせるための演技だ、というならお手上げだがね。問題はドルチェだ。彼女とはいずれ確実に敵対することになる」

「ならば、彼女の持つ固有魔術はいったいどういうものなのか、ですね」

「そうだ。80人以上いる信者の中から確実に不穏因子を探り当てる能力。あるいは、あれで地道な身辺調査と洞察力をもって的中させたのかもしれないが」

「その可能性は低いかと。明確な根拠があるなら、それを提示すればよい。同時にそれは我々を追い込む口実にもなります」

「我々を追い込んでどうする? 潜入者を探り当てたのがどういったカラクリにせよ、同じ方法で我々の意図くらいは彼女もとうに知りえているはずだ。にもかかわらず我々が無事でいるのは、ロイ、君のおかげだ」

「恐れ入ります」

「彼らにとって我々はすでに邪魔者だ。彼らはできることなら我々を舞台から排除したいはずだ。それができないのは、リスクが高すぎるからだ。それは第四皇子に仕える最強の近衛ロイ・イヴァナスを敵に回すことになる。いや、君だけではないな。ドルチェにとってはカティアも味方とはかぎらないわけだ」

「ドルチェであれば同様にカティアの意図と目的も察している可能性が高い、ということになりますね」

「なるほど」皇子から思わず笑みがこぼれる。「ゾクゾクするような緊張関係だ。そう思わないか、ロイ」

「私はただ殿下をお守りするだけです」

「頼もしい。この島に来てすでに一週間になる。僕は、そろそろなんじゃないかと思っているよ」

「彼らはここへ辿り着くでしょうか」

「来るさ。必ず来る。ヒントも置いてきた。そして、そのときが来たら……ロイ、君はカティアを押さえろ。おそらく彼は敵にはなるまいとは考えているが、確証はない。なにかされても困るからな。見張るだけでいい」

「了解しました。お任せください」

 計画は進行に伴い、確実と呼べるものは失われじょじょに霧のようにぼやけてくる。不測の事態は常に発生する。そんなことはわかりきっていたことだ。その無明の霧のなかへ勇気をもって足を踏み入れられるものだけが、歴史に名を刻む栄光を掴むのだ。

「……そこ」

 突如、ロイが剣を抜き樹上に向けて遠隔斬撃を振る。枝が断ち切られ、葉が舞い、そこにいなかったはずの男が姿を現す。表情は焦燥と恐怖、頬を薄く斬り裂かれ血を流していた。負幻影で姿を隠しながら皇子を監視していたのだ。

「次、そのような真似をした場合は首を落とす」

 男は返す言葉もなく、慌てて立ち去って行った。

「……いやはや、本当に頼もしい」

 皇子は有能な近衛にただ感心するばかりだ。


 ***


 封印魔術には大別して三つの形式がある。符号型、照合型、時限型の三種だ。

 符号型は、暗号や特定の手順を解法とするものだ。魔力波の組み合わせであったり、術式の歯型を合わせるなど様々だ。その利点は「鍵」を必要としないこと、そして永久封印のつもりであれば解法をそもそも忘れてしまってもよいということだ。ただ、逆に解法さえわかっていれば誰でも解くことができる。有能な術者を複数人用意し、時間さえかければ大抵のものはいずれ破られることになる。ローレシア、トラハディーン、エンベルなどの魔術小国は九ヵ国封印にこの形式を採用している。

 照合型は、封印を「鍵」と「錠」の二つに分離する方法である。封印魔術を施す際、その一部を「鍵」として切り離すのである。この「鍵」は放棄することができず、「鍵」が失われた時点で封印も解ける。ゆえに、この形式は「鍵」を保管し続けなければならないというコストが発生する。だが、その頑強さは符号型とは比べ物にならない。アイゼル、シャピアロンなどの魔術大国は九ヵ国封印にこの形式を採用している。ただ、この形式も絶対ではなく、部外者によって「鍵」なしに解かれるリスクは原理的に排除できない。

 そして時限型。それはキールニール自身が施した封印である。その期間は1000年。正式な解法が存在しないという点で理論的には最も強固な封印になりうるが、優れた魔術師でも実用レベルはせいぜい10年程度だとされている。時限式というその性質のため、経年劣化に耐えられないからだ。キールニールの1000年という封印は途方もないものであるし、400年たった今でも経年劣化はほとんどないだろう。九ヵ国封印すべてよりも、彼自身の封印が最も強固なものであるのは疑いようがなかった。


 カティアは二番目の封印であるトラハディーンの封印を解いた。符号型で、三人の術者がそれぞれ精妙に魔力波を制御することで解くことができる。前のローレシアよりは時間がかかったが、その時間は一般的な想定よりはるかに短い。同様に大規模な魔力波が放出され、幾重の魔術障壁を消し飛ばした。

「次はエルシャリオンか。やや強敵だな」

「カティア様、よろしいですか」

 耳打ちのように小声で話しかけた男はラウル。グロウネイシス内ではナンバー3の実力者ともいえる人物だ。厳めしい面構えをしている。

「なんだ」

「第四皇子のことです」ラウルはさらに声を細める。「あのままでよいのですか」

「あのままでよいのか、とは?」

 とぼけるような返事をするカティアに苛立ちを覚えながら、少し逡巡してラウルは続けた。

「彼は我々にとって、もはや危険因子でしかありません」

「つまり?」

「彼を排除すべきではないかということです……!」

「ふむ」カティアは少し考える素振りをする。「彼が危険、といったな。彼がなにをすると?」

「彼は我々を利用しているだけです。キールニールの復活など望んでいません。適当なタイミングで軍を呼び込み、この島を制圧するつもりでいます」

「呼び込む? どうやって? この島は常に魔術障壁に覆われている。〈伝書鳩〉ですら外へは飛び立てない。脱出するにしても船はただ一つで監視下にある。ここは絶海の孤島だ」

「具体的な手段はわかりません。ですが、それを企てているのは確かです」

「かもしれんな。だが、お前たちはあの近衛ロイ・イヴァナスに勝てるのか?」

「カティア様でしたら……!」

「俺か? 俺は封印解除に忙しい。そしてお前たちもだ。殿下の目的がどこにあるにせよ、九ヵ国封印の解除を望んでいるのは確かだ。だからこそ、この計画に手を貸してくださっている。それまではなにもしない。余計な揉め事を起こして計画の遅延を謀っているのは皇子か? それともお前か?」

「ですが……!」

「当初の計画に専念しろ。わかったな。噂の当人も現れた」

 そうして、ラウルは渋々引き下がった。


「ん? 取り込み中だったかな」第四皇子ブエルはラウルと入れ替わるようにカティアに話しかける。「どうかな。シャピアロンまでは辿り着きそうかい?」

「まだ当分先だ。そのうえ、シャピアロンは照合型だろうという憶測以外には資料もない」

「僕としては、せめてそこまでは解いてほしいところなんだけどね」

「せめて? 最後まで解かなければ意味がない。違うか?」

「失礼。カティアはまだその“設定”だったか」

「心配せずともよい。封印は解ける。時間さえかければな」

「なるほど。時間さえかければ」

「本当に、素晴らしいですよね」

 ドルチェだ。その横顔は、目にしただけでゾッとするような表情だった。

 頬どころか顔全体が紅潮し、瞳孔は見開かれ、歪みきった笑み、目は涙を浮かべ、口からは涎が垂れる。全身を震わせ息を切らし、その様は完全に性的に感じ入っていた。

「あの中に、あのお方がいらっしゃって……相見えるまで、もう時間の問題なんですよね?」

 本気でいっているのか、とブエルは訝しむ。いくら時間をかけたところで、たとえカティアであれ、最後に控えるキールニールの封印は解けない。そしてそれが解けないかぎり、彼の姿を目にすることもできないはずだ。まあ、もとよりドルチェは正気ではないだろう。

「次はドルチェ、君の助けがいる。手順をもう一度確認しよう」

「わかりました。カティアさん」

 そして、もはやその時間すらもかけられまい。

 カティアによる封印解除の手際は驚くほど早かった。第四皇子ブエルにとっても想像以上の成果だ。もしかしたらこれなら本当に、九ヵ国封印くらいならすべて解けてしまうのではないかと思えるほどに。

 正直、もう少し見守っていたい気もした。が、それは叶わぬ望みだ。やがてこの島は発見される。早ければ一週間以内、遅くともあと二週間後には見つかるだろう。それだけの痕跡は残してきたし、内部犯罪調査室の岡島はなかなかに優秀な人物だと兄からも聞かされている。彼らが最近になって戦力を増強したという話も実に都合がよい。

 そこからが正念場だ。カティアがなにを目指しているのかも、そのとき明らかになるだろう。

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