11.
騎士団員シス・フランドルが訓練教官に任命されているのは、彼がこれ以上にないほど適任だからである。
彼の持つ固有魔術〈数識〉は、目にした術者のおおまかな魔術戦力を数値によって認識する。この魔術により彼は敵の戦力を分析できるし、騎士となりうる人材の発掘、あるいは訓練の成果を定量的に把握することができる。類例の極めて少ない固有魔術であり、騎士団にとっても非常に重宝されている魔術である。
「そうですね、たとえば、私を10としましょう。この場合、アズキアさんは3.9から4.2、リミヤさんは3.7から4.5といったあたりです。騎士候補の訓練生たちはだいたい8~9になります」
「つまり、おれら二人を合わせてもせいぜい8前後。どうあってもあんたには勝てねえって言いたいのか」
「少し違います。戦力とは単純に足し算できるものではありませんから。というより、アズキアさんには以前もお話したと思うのですが……」
「わーってるよ。もう聞き飽きた」
「リミヤさんもいるのでお話しておきましょう。君たちと訓練を共にしている4人の騎士候補生のうち、現段階で最弱に位置するのはサヴァム・スタフニーくん、評価値は約7.9です。この数値は君たち二人の合計値からすれば勝てなくはないように思えるでしょう。しかし、すでに20戦ほど試合を組んでいますが、君たちはまだ一度も勝てていない。なぜだかわかりますか、リミヤさん」
「え、あ、はい、私?」自分に振られるとはなぜか思ってもいなかったリミヤはうろたえながらも答える。「あの、その、あれですよね、一人ずつ倒されたら結局意味ないわけですし」
「お見事。優秀な生徒で助かります」
褒められて「えへへ」とにやつくリミヤを、アズキアは思わず「キッ!」と睨んだ。かつて同じ問いかけに彼女は三日三晩悩み続けたからだ。
「数と質は安易に換算できるものではない、ということです。連携の精度を高めることでかぎりなく加算に等しい数値が期待できますが、4+4は決して8にはなりません」
「つまりおれらは、この訓練中は一度も勝てずに終わるってのか」
「そんなことはありません。私の経験上では、評価値の差が一割以内であれば勝利の可能性は十分にあります。厳密にはもう少し複雑で、実際の魔術戦は一次元の数値だけで語れるような単純なものでもありません。君たちは決して負け続けるためだけにこの訓練に参加しているわけではないのです。ちなみに、カリス団長は13.2です。私では逆立ちしても敵いません」
「……そうかよ」
そうして、彼女らはもう一度シスと模擬試合を行う。結果はいうまでもない。いつものようにボコボコに伸されたあとは、ヴィゥムの治癒を受ける。その繰り返しだ。
「シスはあの固有魔術で勝てる相手だけを選んで戦ってきた。特にギリギリ勝てる相手とな。自分の戦力が10なら、9とか、9.5とか、そういう相手だ。たまに10.2くらいともギャンブル感覚で挑んだとかいってたな。とにかくあいつはそういうやつだ。自分と相手の戦力を徹底して客観的に分析しながら戦う。そーゆーのが好きなんだと! ……親父からの受け売りだけどな」
アズキアはシス・フランドルについてそう語る。前団長キズニア・リーホヴィットの娘であるアズキアは、幼いころから騎士団とも交友があった。父は、娘もまた皇国を守る剣として育てようとしていたが、ある日を境に「娘の人生は娘自身に選ばせるべきだ」と方針を転換する。それは結局のところ、「娘には才能がない」と見限ったということだ。アズキア自身にもそれは痛いほどわかった。
父のことを冷酷な人間だとは思わない。国を守る偉大で尊敬すべき存在だ。皇国最高の厳粛なる騎士でありながら、娘の前ではただ優しい父親だった。
だが、父の存在は遠すぎた。
騎士を目指さなくてもよいといわれたあの日、彼女にとって騎士への道は「父に望まれたから」ではなく、「父に認められるため」のものに変わった。そして、ついには獅士にはまでは登り詰めた。
とはいえ、そこまでは辿り着けて当然なのだ。なにせあの最高の騎士、キズニア・リーホヴィットの娘なのだから。
「なあ、リミヤ」
それからも幾度となく同様の模擬試合が繰り返された。二人は疲れ果て訓練場の隅で並んでへたり込んでいた。そして、アズキアは力なくリミヤに寄りかかって抱きつく。
「つらい」
「わわっ、アズさん?」
「いくらなんでもこれ心折れるんだが」
二人は連携の精度を高めることを訓練目的としている。そのために騎士シスと4人の騎士候補生を相手に延々と二対一の模擬試合を繰り返している。ずでに合計で100戦以上行っているが、彼女らは現在まで一度も勝てていない。
「団長に勝てないのは仕方ない…とか、シスに勝てないのは……とか、そうやって自分に言い訳を続けていくうちに……つらさがどんどん蓄積してって……」
「わからなくはないですけど」
「しかもシスって、騎士団のなかじゃ実力的には下から数えた方が早いらしいぜ? 今もそうかは知らんけど。というかあれだよ。騎士候補生にも勝てねーじゃん。要するにあいつら獅士じゃん。おれらと同じじゃん」
「私は獅士じゃないですけど」
「なんなんだよ岡島のおっさんはなんでこんなとこにおれら放り込んでんだよ」
「でも、あんな人たちと訓練できる機会ってそうそうないし」
「さすがにそろそろ一回くらい勝てないともうダメかも」
「ダメって?」
「溶ける」
「折れるんじゃなくて?」
「溶けて水たまりになる」
アズキアはすでにほとんどふにゃふにゃしていた。
「たいへん」
「なんだよリミヤはくやしくねーのかよ」
「それは、私もそろそろ勝ちたいかなーって」
「だろお?」
「格下が格上に勝つには、運とか、あとは奇襲とかだろうって思うけど、こんだけ繰り返しやってると手の内ぜんぶバレちゃってるからね」
「格下っていうなよな~」
「それは事実だし……」
「もうどうしろってんだよ。連携の精度? 基本はもう大体できてるよな? な?」
「たぶん。シスさんもそういってたし」
「うー、つらいもうダメ」
「……でも、一つだけ試してないことがあって」
「なにい?!」
「あ、うん、実はその実証もこの訓練に参加した目的に含まれてて……」
「なんだよ秘密兵器あんのかよリミヤお前魔術の引き出しスゲーなとは思ってたけどまだあんのか」
「でもアズさんにはだいぶ負担が大きいから……その、怒んないよね?」
騎士候補訓練生サヴァム・スタフニー。シスから最弱と評価された彼は、同時に最年少でもある。
短い白髪で眉の隠された三白眼の目つきの悪い少年。年齢としてはリミヤとさほど変わらないだろう。逆にいえば、候補生のなかでもっとも伸びしろがある人物ともいえる。
そんな彼と、リミヤ・アズキアとの模擬試合21戦目。ギリギリ拮抗した展開は何度かあったが、結果的には勝てずにいるのがこれまでだ。そして、こうまで続けていれば、互いにあらゆる戦法を出し尽くしてしまっている。ただ一つの手を除いて。
まず二人はサヴァムを囲む。どちらか一方が背後をとれるような陣形をとる。二対一なら基本だ。ここまでの成功率はかなり上がった。
「君の剣……〈意葬剣〉だっけ? やはりそういうことか」
サヴァムは斬られた左腕をさすりながらいう。斬られた、といっても外見上は無傷だ。アズキアの〈意葬剣〉は実体を持たず、肉体ではなく戦意を斬る。左腕は戦意を失い、動かなくなっていた。
「はじめはおそろしい剣だと思ったけど、ただ斬ればいいというわけではない。確実に戦闘不能にするには特定の部位……おそらくは心臓を斬る必要がある。違うかい?」
「なんだなんだ、左腕を斬られたのはあくまで検証のためにわざとだっていう負け惜しみか?」
「まさか。痛くもないけど、わざと斬られる余裕があるほど僕と君らで戦力に開きはない。ただ――」サヴァムは左腕に対して術式を描く。その発動を伴い左腕は再び戦意を取り戻した。「左腕なら、こうして治せるからね」
アズキアは舌打ちをした。実体を持たない防御不能の剣。はじめて相手にするものは、その特異な性質に戸惑うだろう。だが、それで“強い”かといわれると微妙なところだった。
急所に当たれば一太刀で相手を戦闘不能にする――そんなものはふつうの剣でも同じことだ。
腕を斬れば腕を、脚を斬れば脚を無力化できる――それもまたふつうの剣でも同じことだ。
そのうえ〈意葬剣〉による損傷は簡単に治癒できる。これはある意味では利点になりうるが、多くの場合は敵にダメージを蓄積できないという欠点になる。〈意葬剣〉はサヴァムの読み通り、心臓を斬らないかぎり相手を戦闘不能にできない。本来なら致命的な急所であるはずの首や頭を斬った場合でも、その効果は「意識がぼんやりする」程度にとどまる。
また、アズキア自身も剣を防御には利用できない。ゆえに、前に突っ込みすぎれば返り討ちにあうことになる。
「がっ……!」
「まずは一人」
そして、それこそがリミヤの〈状況設定〉を発動させる条件になる。
リミヤの固有魔術は「49時間以上前にあらかじめ設定した戦闘状況おいて大幅に魔力が増強される」というもの。現在の条件は訓練を続けるなか、定期的に訪れる岡島と相談して決めたことだった。更新から49時間以上が経過したのを見計らい、リミヤは試すことにしたのだ。
アズキアと組む以上、従来の「一対一」設定は使えない。かといって、「アズキアとの共闘」設定は効果が薄いことが確認された。「一対一」設定と同様に、「アズキアと共闘している」という状況認識に時間がかかるためだ。さらには、観戦者の存在も設定の精度を落とした。これは実戦でも同様の状況が想定される。
ゆえに、〈状況設定〉は即時性のある、かつ危機的状況の立て直しとしても有用であるものが採用されることになった。すなわち、「アズキアが戦闘不能となって倒れたとき」。
そのとき、リミヤの魔術戦力は爆発的に跳ね上がる。
「――え?」
サヴァムは決して油断していなかった。アズキアを倒し、次はリミヤへ。即座に振り返り、体勢を切り替えた。が、そのあまりに短い刹那に、サヴァムはリミヤの姿を見失い、足場をなくしていることに気づく。
足払い、次に鉄棒は脇腹、そして鎖骨。最後には、払われるように顎を殴打されていた。
「で、勝ったのか」
「う、うん」
「実感がなさすぎるんだが」
「だよねー」
「……〈状況設定〉か。おれが倒れたときって、ひでーこと考えるなあのおっさん」
「まあ、うん、ごめんね」
「なんでリミヤが謝んだよ。というかそれ、実はとんでもない固有魔術なんじゃないのか?」
「多分ね。なんたって、
「やっぱスゲーよなお前。その魔術が、ってだけじゃなくて、なんていうか」
「そう? えへへ」
ふと、アズキアは思う。これほどの魔術を持つリミヤは、いったいどこから来たのかと。
「前々から疑問だったんだが、リミヤはどーいう経緯であの組織に?」
「え、なに?」
「〈風の噂〉の、内部犯罪調査室だよ。別にもともと軍にいたってわけでもねーよな。おれとかレグナはそうだし、他にも元軍人みてーなのはちらほらいるが」
「室長もそうらしいよ」
「へ~、あのおっさんも。くたびれすぎてて全然そんな感じしねーけど。で、リミヤは?」
「いや~、私は……」
「なんだよ。隠すようなことなのか?」
「なんていうか、その」
「いや、言いにくいことならいいんだ。はっ、いや待てよ言いにくいって……まさか人身売買とか……あのおっさんに弱み握られてるとか……? あー、すまない。あまり踏み込むべきじゃなかったな。いや違うわ! だったらなおのことだよ! 相談しろよおれに!」
「あのー、アズさん。全然違ってね。いやそういうんじゃ全然なくて」
「おうなんだいってみろ。胸貸してやっから」
「その、お父さんなんだよね」
「は?」
「……室長」
「岡島のおっさん?」
「うん」
「つまりYOUはリミヤ岡島?」
「うん」
「マジか」
「うん」
「あれがお前の親父で、お前があれの娘か……」アズキアしばらく沈思黙考。「いわれてみれば似てるような、似てないような」と、ぶつぶつ独り言のようにつぶやきながら、思い出したように。「って、やっぱりリミヤは親父に無理矢理!」
「ち、違うって。私からお願いしたくらいだし、お母さんの意思でもあるし」
「そうか……それなら別にいいけどよ」
そこまで納得して、アズキアは気づく。二人が親子であると聞いての違和感。
リミヤは今まで、岡島に対して一度も「お父さん」と呼んでいなかった。
職場だからだろう。仕事上ではリミヤにとって岡島は「室長」であり、岡島にとってリミヤは「部下」なのだ。公私を混同せずに弁えているという点において、それは褒められこそすれ非難されることではない。だが、アズキアにとってはどうにもそれが、心の奥底でもやもやと引っかかるのだった。
「リミヤ、アズキア。待たせたな。仕事だ。明日にはここを発ってもらう。準備していてくれ」
そこに岡島が現れる。レグナの空間接続のおかげだろう、こうして頻繁に顔を出せるのだから便利なものだ。それは組織としての緊密な連絡のためか、それとも娘を気遣ってのものなのか。
「あ、はい。室長。りょーかいです」
笑みのたえないリミヤの横顔を眺めながらも、アズキアは思わずにはいられなかった。
リミヤはどれだけの時間を父親と過ごせているのだろうか、と。
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