10.

「ドルチェ、どういうつもりだ。その男についていくつもりか」

 コロル派の教主は狼狽えていた。突如現れた得体の知れぬ男の得体の知れぬ甘言。ドルチェにとってはさぞ魅力的に響いただろう。

「だって、ここにいてもなにもできないじゃないですか」

 ドルチェは冷たくそう言い放つ。

 コロル派にとってドルチェは頭痛の種だった。追放を考えたこともある。だが、ドルチェの持つ“力”は確かなものだった。ドルチェは〈狂える巫女〉であるがゆえに、信者に対する求心力すら持っていた。追放ならまだしも、得体の知れぬ男に連れられて行くという事態は組織の威信にもかかわることだった。

「“世界はが滅ぼすために存在している。ゆえにすべては許される”――そのはずですよね。私以外には誰も、そんなこと本気で信じてもいないくせに」

「我々の信仰心を疑うというのか」

「ちゃんと顔を上げて、こちらを見て話していただけますか」

「なに?」

「そこまでだ」

 去ろうとするドルチェの前に男が立つ。鉄製の長棍を携え、威圧的に構えている。

「ああ、すみません。でしたら、まずはお話を終わらせなければなりませんね」

 そういい、ドルチェは振り返り軽く拳を握り、右腕を教主の男に向けて伸ばす。ニコリ、と首を傾げて微笑むと、デコピンのように中指を弾く。教主の額に穴が開く。教主は目を見開いたまま、ずるずると姿勢を崩し、椅子から転げ落ちて行った。

「ドルチェ貴様!」

 長棍を持った男がドルチェに襲い掛かる。が、ドルチェの蹴りが男の顎を捉える方が遥かに早かった。意識は頭蓋より吹き飛び、手からは得物が零れる。糸の切れた人形のように崩れ落ち倒れた男の後頭部を、ドルチェはつい踏み砕いてしまう。脳漿が溢れ出ているのを見ると、たぶん絶命したのだろう。


「さて、カティアさん……でしたっけ。これでようやくお話ができますね」

 彼女は屈託のない笑みを見せる。ずっとそうだった。彼女はただ笑っていた。

 それでいて、その暴力性には脈絡がない。相手がまだ“命のやり取り”など考えてもいない段階で、一足跳びにその域へ踏み入っていく。コロル派の教主も、曲がりなりにも数年を仲間として過ごしてきた彼女に、こうまであっさりと殺されるとは思ってもいなかったに違いない。

「カティアさんは、“本物のグロウネイシス”……なんですよね?」

 今度は、子供のようなきょとんとした表情を見せた。目の前の惨状を生み出した張本人とは思えぬような無邪気ささえ感じさせた。

「つまりカティアさんは、凪ノ時代の当時から生きていて、あのお方とも時代を共にしたことがある、ということですよね」

 彼女はくるくるとその表情を変えた。憧れの人物を前にしたかのような、もじもじとした態度だった。

「カティアさん、そこで一つ疑問があるのですが。はい、一つの大きな疑問です。なぜあなたは、あのお方に殺されなかったのですか? あのお方に殺していただける機会がありながら、なぜ生き永らえているのですか?」

 彼女は、心底不思議そうな顔でそういった。


 ***


「カティア様、こちらを」

 島の外周に設営された8つの術式塔。部下に案内され、カティアはそのうちの一角に訪れていた。

 報告の通り微妙な欠損が見られる。一目では判別しがたいが、これは人為的なものだ。平時の障壁運用では問題ないものの、封印解除に伴う魔力波には耐えられないだろう。すなわち、このままでは外部へ魔力波が漏れる可能性があった。

 ならば、その意図は明らかだ。現在はトラハディーンの封印解除の作業中だったが、このまま実行していればその時点で計画は破綻していただろう。魔力波が検出された時点で各国の軍がこの島に押し掛けてくるに違いない。

「すぐに修復作業に移ってくれ」

「はい。ですが、これはやはり……」

「裏切り者がいるな。潜入者か、あるいは心変わりしたか。おそらく後者だ。前者ならとっくにこの島は軍にでも占拠されている」

「いったい誰が……」

「いずれにせよ、しばらく計画は中断だ。術式の損壊された時間を推定し、当時の担当者を洗い出す」


 カティアはいったん中央広場へ戻ることにした。そして、掘っ建て小屋の自室――この島で自室と呼べるものを保有しているのはカティア含め第四皇子など上位の幹部数名にかぎられる――で腰を落ち着ける。

 問題は犯人捜しだ。当面は「裏切り者がいる」という情報は公表せずにいるのがよいだろう。うまくいけば“炙り出す”やり方もできる。

「カティアさん、聞きましたよ。障壁に穴をあけた悪い子がいるみたいですね」

 ノックとほぼ同時に顔を見せたドルチェはそう告げた。情報はどこからともなく漏れるものだ。彼女にも付き従うものはいる。情報源はそのあたりだろう。

「私、探してきますね」

 なにか当てでもあるのか。それとも、ないのか。彼女はふらりと現れ、ふらりと去っていった。


 それからしばらくして――数十分ほどだろうか。広場で騒動が起こっているのが聞こえた。なにごとかは、おおよそ想像はつく。

「悪い子はこう、ですからね」

 ドルチェだ。広場の中央で信者の一人を捕まえ足蹴にしている。突如の凶行に他の信者たちも一定の距離をとり、不安げにその様子を見守っていた。

「あ、カティアさん。どうにも、この人が悪い子だったみたいです」

 そういい、ドルチェは男の首根っこを掴んで引きづりながら歩いてきた。男の顔は腫れ上がり、力のない呻き声を上げている。ドルチェはカティアの前まで歩み寄ると、その男の首を掴んで差し出しながら、枯れ木のようにその首をへし折った。

「根拠は?」

「え? ああ、根拠ですか。ありませんね。でしたら、もう一人やってもいいですか?」

「待て。なにをいっている」

「根拠が不足しているのであれば、もう一人くらい殺しておくのが穏当かと思いまして」

「封印解除にも障壁再構築にも人手はいる。闇雲に殺すな」

「妨害されればマイナスも同義でしょう。その排除はつまりプラスです」

「確証もないまま殺すのか?」

「ええ。証拠がありませんから」

「……お前はなぜそいつが犯人だと思った」

「そいつ……?」

「お前が手にしている男だ」

「え? ああ、まるで人みたいにいうのでびっくりしました。だってこれ、死体じゃないですか」

「それは犯人だったのか」

「違うと思いますけど」

「ならばなぜ殺した」

 話が通じない。ドルチェの顔は返り血に濡れてこそいるが、表情はいたいけな少女のようだった。

「あ」

 ふと、なにかに気づいたようにドルチェは横を向く。その視線の先は草むらの陰。猫科の肉食獣を思わせる動きで、姿勢を落とした瞬間に勢いよく跳び出す。ドルチェが陰から出てくると、その場に隠れていたらしい男の首を捥ぎとって掲げていた。

「そいつも犯人か?」

「えっと……、あ、はい。多分そうですね。今度はそうだと思います」

「なぜそう思った?」

「私を見ていましたから」

「この場にいる全員がお前を見ていた。いきなり仲間を殺したんだからな」

「そんな、殺してませんよ。亡くなった方はもう仲間じゃありませんから」

「勘か?」

「んー、私はそういうのあんまり信じてないですね」

「説明しろ。お前の殺したそいつは我々の初期メンバーだぞ」

「あ、すみません。あと一人くらい悪い子がいると思うので、そちらも殺しておきますね」

 そしてドルチェは跳ねて消える。森の向こうへ姿を眩ませていった。


「……いやはや。カティア。あれはいったいなんなんだ」

 ドルチェが去っていくのを見ると、隅で様子を見ていた第四皇子ブエルが現れカティアに話しかけた。

「あれは〈狂える巫女〉だ。狂ってはいるが誤ることはない。そういう存在だ」

「このグロウネイシスに裏切り者がいる、とのことらしいな。彼女が殺したのがそれで間違いないのか?」

「おそらくな」

「しかし、ここにきて裏切りか。それとも、はじめからそのつもりだったのか?」

「不明だ。だが、つまりそれは“キールニールを目覚めさせられる”という狂信と“キールニールを目覚めさせてはならない”という理性の共存だ。矛盾極まる存在としかいいようがない」

「いやはや」ブエルは鼻で笑う。「口を滑らせてしまったみたいだな」

「なんの話だ」

「理性のある存在なら“キールニールを目覚めさせられるはずがない”、同時にそう確信しているはずだといいたいのだろう。なら、わざわざリスクを冒してまで計画を妨害する必要はない、と」

「そう聞こえたか」

「前々から聞きたかった」ブエルは声を潜める。「カティア、君の目的はいったいなんだ?」

 しばしの沈黙。カティアは少し考えてから口を開く。

「その発言で、己の身が危ぶまれるとは考えなかったのか?」

 その言葉に、皇子の護衛として影に仕えるロイが身構える。皇子自身は姿勢を崩さぬまま笑んでいた。

「キールニールの封印が解けると本気で考えているのは、この島でもおそらくドルチェくらいのものだ。あとはただ、その作業に従事しているという陶酔感に溺れているだけ。棺を前にしただけで泣いてるやつもいたくらいだ。しかし、あなたは違う。そんな破滅願望や末期思想とも無縁。なにか他に、確固たる目的がある」

「なるほど。そこまで踏み込んでもなお、アイゼルの皇子に牙を剥くような非理性的存在などではない。殿下は俺のことをそう確信しているわけだ」

「ずいぶんと回りくどいな。腹の探りあいもそろそろ止めにしたいと思ってね」

「だが、殿下が計画を妨害しようというのなら容赦はしない。それはわかっているな」

「そもそも不可能な計画に妨害の必要はない。そんなことしないさ」

「俺もまさか、アイゼルの皇子殿下ともあろうものが本気でこんな愚行が実現するなどと考えているとは思ってはいなかったよ。ただ、その“本当の目的”も、どちらかといえば愚行に部類されるものだとは思うがね」

「愚行か。そこまでいうか。いやはや、まったく正しい表現だ」

「話を戻そう。あまり大きな声ではできない話だが、それを抜きにしても――残念ながら、殿下の質問には答えられない。いや、答えても無駄というべきか」

「どういうことだ?」

「キールニールにはただ一人、従者がいた。知っているな」

「聞いたことはある。で、それが?」

 それからしばらく、カティアはただぼーっと皇子を眺めていた。

「……もう話した。やはり無駄だったようだな」

「ん? いや待て。まだなにも聞いていないぞ」

「殿下の立場は理解した。ドルチェには気をつけることだ」

 カティアはそう言い残して去っていった。


 ブエルはその後ろ姿を見送りながら、カティアの言葉の意味を考えていた。要は、話すつもりはないということなのだろう。彼がこちらの意図を察しているなら利害が衝突するということもありうる。

 ただ、前々から察していたことだが、カティアという人物は嘘が苦手だ。誤魔化し方もずいぶん強引だった。「グロウネイシス」を名乗っているのもおそらく、いや、ほぼ間違いなく嘘だろう。

 それでいて、彼の目的は未だわからずにいる。封印解除そのものが目的ではないにせよ、まだなにか我々の知らない秘密でもあるのだろうか。もう少し探りを入れる必要がある。ブエルの見ている着地点とカティアの見ている着地点はおそらく違う。その食い違いがどのような結果を生むか、今はまだ想像もつかない。

 そして、最後の言葉は――そのままの意味だろう。

「や」

 カティアのいう気をつけるべき相手が、不意に皇子の背後に立つ。そのまま肩越しに抱き着かれる形となった。

「おーじでんかは、悪い子じゃないですよね?」

 ドルチェの頬は血に濡れ、その両手も血に塗れていた。明らかに先ほどより身に浴びた返り血の量が多い。宣言通り、もう一人ほど殺してきたのだろう。そんな手で、まだ生暖かい血のついた手で、ドルチェは塗りたくるように皇子の頬を撫でる。

「まさか。キールニールの目覚めは僕にとっても悲願だ」

「だよねー! 潜水艇まで用意してくれたもん! 殿下はやっぱり味方だよね」

 ドルチェは子供のようにはしゃぐ。

「そろそろ離れた方がいい。僕の忠犬が殺気立っている」

 それは、皇子の背後で剣に手をかける近衛隊ロイ・イヴァナズを指した。

「あ、ごめんなさい。私と殿下が仲良しだから、嫉妬しちゃったんですね」

 そういって、ドルチェはルンルンと腕を大きく振りながら、軽やかな足取りで去っていった。

 彼女の通ったあとは、鮮やかな血が滴っていた。

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