8.
ヨギア北西部大鋭湾沿岸ストフォ村。
アイゼルとの国境付近、大鋭湾沿岸に位置するこの村は、人口2000人ほどの一見して牧歌的な集落だ。小さな村であるが、農業・漁業によってほぼ自給自足が成立しており、定期的に訪れる行商人相手には特産品の魔術工芸品や金祇花で取引をしている。天候も一年を通して安定し、質素で穏やかな生活を過ごすのであればなに一つ不自由はない。自然発生ではなく計画的に発展した村で、よく整備された歩道に建築様式の統一された民家、そこかしこの花壇など訪問者も魅了するような景観が工夫されている。
それらの施策はすべて、宗教団体〈あるかな会〉が統制している。
「思ったより普通なんだな」
レックは曠野と共に村を練り歩きながら、すれ違う人々と手を振り挨拶を交わす。どの村人も優しげな笑顔で迎えてくれた。子供たちが駆け回る様子は見ていて微笑ましい。
「そういうものですよ。これだけの規模の共同体になれば、構成員はほとんど“ふつうの人”です。腹の内まではわかりませんが」
〈あるかな会〉はその教義内容、成立経緯から皇国からはネオグロ系の邪教に指定されている。皇国内でもグロウネイシス的な思想を持つ集団は、オリジナルのグロウネイシスそのものを殲滅したあとでも湧き出るように現れた。そのたびに千年教会は彼らを害虫のように駆除し続けた。そして、聖堂騎士の出動による度重なる排斥により、彼らの多くはやがて国外――ヨギアへと逃げ延びていった。
〈あるかな会〉は皇国からの亡命者が現地の土着宗教と合流した結果、成立したとされている。皇国内でもネオグロ系は未だに多く潜伏しているとされているが、公然と構える最大規模のネオグロ系がこの〈あるかな会〉だ。
〈あるかな会〉の教義は、要約すると「キールニールは神の使いであり、次の目覚めで世界は一度滅び新生する」「現世の生はそのための準備である」とするものだ。
グロウネイシスを名乗っているわけでもなく、厳密にはキールニールを名指ししているわけでもないが、その思想は紛れもなくグロウネイシスのものだ。一部のネオグロ系過激派と異なり現段階で実害があるわけではないが、キールニールを崇め、抵抗を諦めるという点では危険思想に違いはない。
ヨギアにおいて〈あるかな会〉が黙認されているのは、彼らのもたらす特産品などの利得にもあるが、ヨギアが比較的キールニール被害の少なかった地方であり、キールニールによって恩恵を受けた唯一といってよい地方であるという歴史的事情もある。すなわち、キールニールの魔術による地形破壊――大鋭湾が、アイゼルとの国境として機能し、事実上アイゼルに併合されていた「ヨギゾルティア」の独立を促す契機となったためである(「ヨギゾルティア」が後に分裂し「ヨギア」と「ゾルティア」という二つの国となったのが現在の姿だ)。
「例の首飾りは影も形も見えないな。本当に関係あるのか?」
「ヌフの試算では、実働だけでも100人前後は術者が必要だろうということです。実働以外にも支援者もいるでしょうし、その規模の集団でしたら最大規模のネオグロ系である〈あるかな会〉とはなんらかの交流を持っている可能性があります。もちろん、あくまで可能性ですが」
「そんなものかね。ま、それも調べてみないことにはわからんってことだな」
「そういうことです。レックもわかってきたみたいですね。さて、聞き込みをはじめますか」
一通り散策を終えた二人は村人(=信者)に対し、似顔絵の複製を手に聞き込みを始めた。
誰もが快く応じてくれたが、誰一人似顔絵の人相についても、首飾りについても知るものはいなかった。ただ、12人目までの聞き込みを終えたところで「結果」は現れた。
「失礼。人をお探しのようですが」
白い礼服を着た大柄の男が、逆に話しかけてきた。その姿勢、口調、立ち振る舞いは軍人を思わせるものだった。
「ええ。こちらの方々です」
曠野は彼を見上げながら、似顔絵を見せて答える。
「なるほど。心当たりがあります。そうですね。立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」
そういい、男は案内する。レックより霊信:1。当たりだ。少なくともなんらかの心当たりはある。ならば、二人は応じるほかなかった。
連れられた先は村の中央に位置する、一際目立つ煌びやかな聖堂――〈あるかな会〉本部だ。
聖堂は誰にでも開かれている。礼拝者を脇目に奥へと案内される。礼拝堂の隅から狭い廊下を通り、男は扉を開け部屋へ入るように促す。曠野とレックは一礼して部屋へ足を踏み入れた。
と、すぐに違和感に気づく。机と椅子があるだけの小さな部屋には、窓がなかった。どこか重苦しい空気感まであった。男が背後で扉を閉めると、その感覚はより強くなった。
「座れ。まず、聞くことがある」男の態度が一変した。「お前たちはなにものだ?」
男は扉を塞ぐように、曠野たちを奥へ座るよう指示した。
「我々は冒険屋です。私は曠野、彼はレックです」
対し、曠野は変わらぬ態度で答える。レックは状況がつかめず部屋を見渡している。
「ほう、冒険屋。で、あの二人はなんだ? 似顔絵の連中だ」
「我々はそれをお伺いに来たのです」
「聞き方を変えよう。なんの目的であの二人を探している?」
「わかりませんか? 冒険屋の追っている相手です。つまり、賞金首ですよ」
「なぜここへ来た?」
「それより、まずはあなたの自己紹介が聞きたいのですが、よろしいですか」
「〈あるかな会〉治安部のケシュドだ。さて、なぜだ? なぜここに手掛かりがあると?」
「わかりませんね。聞き込みに来たのは我々のはずなのに、いつの間にか逆に質問攻めにあっている」
「いいから答えろ」
「こんなところに連れ込まれたのも解せない。あの扉には空間接続の術式が施されてあった。おそらく聖堂内限定のものでしょうが……ここは地下室ですね?」
「ならば自分の立場もわかっていると思うが」
「まさか、彼らを匿っているのですか?」
「馬鹿いえ。やつらは我々の仲間を殺したのだ。お前たちと同じく、我々もやつらを追っているのだよ」
「そういうことでしたら、私たちは協力し合えるのではないでしょうか」
「そうだな。ならば答えてもらおう。お前たちはやつらについてなにを知っている?」
「残念ながら、我々はこの似顔絵以上の情報は持っていないのです」
「質問を変えようか。なぜ冒険屋などと嘘をついた?」
「ほう?」
ケシュドを名乗った男はその表情に敵意を露わにしていく。
「とぼけるつもりなら時間の無駄だ。我々はすでに冒険屋連合にも該当する人物の記録がないか調査に向かっている。むろん、彼らの手配などなされていなかった。もう一度聞く。お前たちはなにものだ」
沈黙。曠野は少し考え、頭を掻きながら答えた。
「仕方ありませんね。身元を隠していたことをお詫びします。我々はアイゼル情報機関〈風の噂〉内部犯罪調査室のものです」
「アイゼル……〈風の噂〉だと?」
ケシュドから、殺気が沸き立つ。アイゼルと聞いては無理もないことだった。
「内偵か? アイゼルはまだ我々を潰そうとしているのか?」
「誤解です。そういった誤解を危惧して冒険屋を名乗っていたのです。我々の興味の対象はあなた方ではなく、似顔絵の二人です」
「そうか。だが、まずは知っていることを洗いざらい話してもらおう」
「我々の仕事を鑑みるなら、話せない内容もあると察していただけると思うのですが」
「知らんな。無事に帰れなくてよいというなら構わないが」
「……やはり、こうなりますよね」
曠野は肩をすくめる。ケシュドはさらに苛立つ。
「余裕だな。見たところそれなりの術者のようだが、ならわかるはずだ。この部屋は俺の領域だ。俺の許可なくこの部屋を出ることはできない」
「内側からは、ですよね」
「なに?」
瞬間――呼応するかのように爆発。扉が吹き飛び、煙が舞う。そこには見知った人物の影が立っていた。
「なにごとだ!」
ケシュドは膝をつき、咳き込みながらその影を見上げる。歩み寄る影に向かい、ケシュドは固めた拳を振りかぶる。
「うおっと」
空振り。視界の悪さもあり、拳はひらりと躱される。だが、次は捉える。ケシュドは腰より警棒を引き抜き、その勢いのままに振る。が――敵は背後にもいた。曠野は一息に机を跳び越え、ケシュドを後ろから体重をかけて押し倒し、そのまま思いっきり顔面を床に打ちつけた。
「ぐはっ」
「ふぅ。少し大人しくしていてください」
曠野は両の手で首の裏を押さえ、雷撃魔術を脊椎に直接叩き込んだ。
「少し来るのが早かったですね、ディアス」
「おっと。遅すぎると文句を言われるかと思ったが、そっちか」
ディアスはケシュドを押さえる曠野の傍に立ち、見下しながら答えた。
「まだ暴力沙汰にまでは発展していなかったんですよ。ま、部屋に軟禁された時点で言い訳は効きますが」
「貴様ら……! まだ仲間がいたのか」
押さえこまれ、苦しみながらもケシュドの声には敵意が滲み出ていた。
「おい、こいつまだ意識があるぞ」
「うーん、やはり私程度の魔術ではなかなか難しいですね」
「どうやってここまで入って来た……!」
「え、徒歩で」
なにいってんだこいつと呆れた顔で、レックもまた同様の疑問を抱えていた。
治安部に連れて行かれるような事態になれば、待機していたディアスが救出へ向かう。その手筈は知らされてはいたが、疑問なのはここへ来るまでにも警備はいただろうということだ。さらには、爆発系魔術で派手に扉を吹き飛ばしたにもかかわらず、人が来る気配もない。
部屋を出ると、曠野がいったようにそこは部屋に入ったはずの廊下ではなかった。冷たい地下の廊下――そして、そこかしこにはケシュドと同じ白い礼服の男たちが膝を折って倒れていた。
「……これ、全部ディアスの旦那が?」
「ぼんやりしている相手をコソコソ後ろから刺すのは得意でね」
見れば、倒れている男たちの首裏にはみな、針のようなものが刺さっていた。
「殺したのか?」
「まさか! 改心した俺は今や国家公務員。このやり方も実験に次ぐ実験を重ねてようやく非致死性の無力化手法に洗練された。せいぜい悪くて全身不随だよ」
「そうか……」
レックはそれ以上返す言葉もなかった。
「で、曠野。今からそいつに尋問か? なにか知ってそうだったか?」
「待ってください。〈あるかな会〉治安部のケシュド兄弟、有名ですよ。彼は兄ですが、弟は獅士相当の術者であると推定されています。こうなってしまった以上、まず弟を無力化する必要があります」
「それならそのへんに転がってると思うけど」
ディアスは適当に廊下の方を指さす。
「あ、すでにやったんですか」
「ぼんやりしてたからね」
「ん?」レックはやはり話についていけずにいる。「ちょっと待て、獅士相当って言ったよな。それって、あのお嬢ちゃんらと同レベルってことだよな。それを倒した?」
「まあ、厳密には違いますが」と曠野が答える。「軍の正式な訓練を受けたわけでもないですし、制圧するのに獅士一人はいた方がいい、くらいのニュアンスですね」
「ディアスも獅士なのか?」
「いやいや」ディアスは首を振る。「不意打ちで後ろから刺すくらいならできるってだけだよ。レックだって、演習では彼女らに勝ったじゃないか」
「そうだが……」
後ろから刺す。ディアスは先ほどから何気ないふうにいっているが、倒れているのは見えているだけで5人はいる。警戒度は低かっただろうが、誰にも気づかれず、音もなく始末しながらここまで来たのだ、と考えると軽く身が震えた。
――おっかねえ。レックはそう思った。
「貴様、弟までやりやがったのか……!」
ケシュドは地に押さえつけられながらもディアスを睨みつける。が、すぐにその目も地に伏せることになる。ディアスによって右手の甲を踏み潰されたからだ。
「ぐぁぁっ!」
「大丈夫。少し気持ちよくなってもらうだけだ。それで、弟さんの方もただ眠ってる以上のことにはならない。君にとっては得しかない提案だと思うけどね」
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