7.

「またお前らか。昨日も来たな。今度はなんの用だ」

 岡島はディアスとレックを連れ、霊峰アッタン魔術研究所・封印魔術主任研究者ヒラノ女史のもとを訪ねていた。報告通りの険悪な態度だ。

「お前ら暇なんだな。だが、あいにくこっちはそうじゃない。封印建材とかいう馬鹿げた発注を実用に足るものに仕上げなきゃならねえ。だから帰れ」

「今日は九ヵ国封印についてお伺いに来たのです」

「なに?」その言葉に、ヒラノの表情が変わる。「知らねえな、そんな大昔の封印。興味もねえ」

 霊信:2。わかりやすくて助かる。

「でしょうね。九ヵ国封印の研究は条約により禁じられています。とはいえ、ここはアイゼル最高の封印魔術研究所でもある。なにか興味深いお話を伺えるのではないかと思いまして」

「アイゼルのものはな。それも、大してあるわけじゃねえよ」

 人類最悪の厄災であるキールニールを封じるため九ヵ国が協力して施した封印魔術。各国がそれぞれ独自の体系に基づいた施術を行っているため、すべての封印を解くには各国の魔術体系に通じる必要がある。そのうえ、封印を解こうとするものが万が一にも現れないよう、九ヵ国封印に興味を持つこと、情報を収集する行為そのものが違法とされる。他国のものについては特に厳しい。

 ただ、この体制には不満を持つ研究者も多い。

「閉架資料室分類N、左から二つ目の棚の三列目」

「なんだと?」しばしの沈黙。彼女は軽く振り向き、目を細める。「お前らなんつったっけ、内部犯罪調査室、だったか?」

「ご心配なく。我々はあなた方を咎めに来たわけではありません。別件で、専門家であるあなたの意見を伺いたいだけです」

「……ちょっと来い」

 ヒラノは作業を中断し部下へ引き継がせ、岡島を別室へ案内した。ディアスは後ろからついてきながら、聞こえぬ程度に「ひゅう♪」と軽く口笛を吹いた。


 通された先は狭い個室だ。彼女の研究室だろう。高い本棚にはぎっしりと専門書や魔術書の類が並べられ、それでも収まり切れないのか床や棚の上にも乱雑に積まれていた。同様に書類や本が散らかった机を挟んで岡島は椅子に座る。足の踏み場もないくらいだが、これ以上椅子を引くのも難しくディアスとレックには後ろで立ってもらった。

「で、どこまで知ってるんだ」

 ヒラノは岡島に向かい合い、睨みつけるようにいった。

「おおよそですよ。アイゼルの封印のみならず、他国の封印についてもその体系や解法についてもある程度の成果を上げていると」

「……そういうことか」得心がいったようにヒラノは頷く。「たしかに、私らのやったのは条約違反の研究だ。が、別になにも私らの独断でやったことじゃない。400年前、九ヵ国封印はここ霊峰アッタンで執り行われた。各国が最高水準の魔術で封印を施す。その情報は各国にとって重大な軍事機密だ。ゆえに、厳重な隔離体制でそれぞれの封印が施された。九ヵ国封印の安全性を高めるためにもな。が、アイゼルは抜け目なく抜け穴を用意していた。自国内が施術現場に選ばれたのをいいことに、他国の封印現場を盗み見してたんだよ。ま、そのこと自体も長年イニアの断絶で忘れられてたわけだが、その当時の資料がほんの10年前に見つかった」

「10年前? 正確な日付はわかりますか」

「さあな。調べれば思い出せるが……まあ、より正確には11年前だな」

「そして、その資料をもとに研究をはじめた。誰の指示で?」

「……第四皇子ブエル・ブランケイスト・アイゼル」

 ヒラノの表情は、どこか上気がかって見えた。

「なるほどねえ。すべて繋がってきた。まさにそれこそが俺たちの知りたかった情報だ」

 ディアスは背後よりヒラノの肩を組む。唐突な断りのない身体接触。だが、ヒラノは嫌がるそぶりを見せない。

「なんだ。他になにが知りたいんだ」

 ディアスの固有魔術〈真相快牢〉が効いている。

 拷問と組み合わせて使うことも多いが、なにも拷問は必須ではない。できるだけ閉じた、部屋に近い場所であれば気軽に発動することができる。さらには相手に自覚させずに発動するのが効果的だ。ヒラノ女史はいま、「真実」を口にするたびに得体のしれない恍惚を覚える状態にある。

「我々が知りたいのはただ、九ヵ国封印をすべて解くのにどれだけの時間がかかるか、どれだけの資材がいるのか、そういった専門家の意見です」

「へえ、そうかい。それを知ってどうすんだ? まさかお前らが解くつもりか? 現物が目の前にないことには判断はつかんね。そもそも、深海の底に沈んでんだろ?」

「仮に、我々がその現物をあなた方の前に持ってきたとしましょう。封印を解くことは可能ですか?」

「可能かどうか、でいえば……多分な。十分に時間がかけられて、邪魔が入らねえならな。残念ながら、私らも九ヵ国封印を完全には再現できたわけじゃない。シャピアロンやエクリプスについてはそもそも記録が残ってなかったし、螺旋巻きについては魔術ですらねえからな。再現に成功したものでも、おおよその構造と形式が推定できただけで解法そのものが得られたわけじゃない。で、そのうえでどのくらい時間がかかるか、って話か。どの国のものかにもよるが、まずその文法構造を理解したうえで試行を繰り返す必要がある。演算装置を使ったとしても数週間。これを9回……いや、8回か。少なくとも18週間。そんなところだろう。いや、資料のないシャピアロンについては年単位でかかるかもな。それも、アッタンの設備をフルに使えばの話だ」

「400年前の封印ですが、経年劣化のおそれはありませんか」

「多少はあるかもな。ただ、封印を解こうとする術者の魔力を利用して損傷部分を修復するなんてのは当時から封印魔術の基本だ」

「なるほど。では、あなた方の研究記録をもとに、あなた方以外の集団が封印解除を試みる場合はどうでしょう?」

「……なんの話だ?」

「そうですね。仮にグロウネイシスがそれを試みるとしましょう」

「おいおいおいおい、まさか本気で九ヵ国封印を解こうとしてるやつらがいるってんじゃねえだろうな」

 直接的すぎる質問にさすがのヒラノも勘付く。だが、彼女はディアスの術中にある。質問をするよりも、質問に答えることに悦びを見出す空間に囚われている。実のところディアスの魔術は無差別で岡島も対象に含まれているのだが、なんとか理性で耐えている状態だ。

「アッタンの設備もなしにやるなら、もっと時間がかかるだろう。そして、どの封印も解かれてしまった際の対応策がある。強力な魔力波を放出したりな。その想定なら軍にバレるわけにはいかねえよな。こいつを外に漏らさないためには魔術障壁は複層いる。たぶん、魔力波放出のたびに何枚かはぶっ壊れるから、その再構築にも数日はかかる」

 ヒラノは「真実」を口にするたびに身体を震わせ、息を荒くしている。その様子をディアスは背後からにやにやと眺める。曠野は未だにディアスを信用していないらしいが、この“いかにも”という様子を見せられては気持ちはわからなくもない。

「なあ、今さらこうして探りを入れてきたってことは、4年前に資料を盗んだ犯人が見つかったのか?」

 ヒラノは背後の悪趣味な男ではなく、目の前の岡島に向かって尋ねた。

「そのことについてはまだお話しできません。ご協力ありがとうございました。この礼はまたいずれ」


「なんだ、俺を連れてくるまでもなく彼女を揺さぶるだけの下調べはしてあったのか」

 本部へ戻り、岡島にレックが尋ねる。

「ん? 特にないが」

「なに? 明らかに脅しをかけてる様子だったが……」

「カマをかけただけだ。九ヵ国封印について興味がないというのが嘘だというなら、つまりそういうことだろう。ご丁寧にも“アイゼルのものは”とくれば、あとはディアスの証言と曖昧な断言でゴリ押しだ」

「あー……、そうか。そうだよな。あんたはそういうやつだった」

 レックは自らの察しの悪さを恥じるように頭を掻いた。

「どうだ、ヌフ。専門家の意見では最短で18週間とのことだ」

「僕の推定でも似たようなもんだね。さすがにグロウネイシスがアッタン水準の設備を用意しているはずはないにせよ、ひとまずその基準で動いてみるべきだと思う。少なくとも、彼らはその間ずっと潜伏し続けるつもりだってこと。それから人手がいるはず。封印解除もそうだし、障壁の再構築と維持のためにも、かなりの人数がね。まずはそのあたりから探ってみるといいんじゃない?」


 ***


 その瞬間、強烈な魔力波が放出された。

 あまりの勢いに空気すら震えるようだった。それは棺を覆う魔術障壁を破り、広場の障壁を破り、さらに外側の障壁まで到達した。5重に施された魔術障壁のうち3枚が消し飛ばされ、1枚を大きく損壊させる結果となった。

「ローレシアの封印を解除。各員、魔術障壁の再構築を急いでくれ」

 指示を受け部下たちが駆ける。目を丸くするのは第四皇子ブエルだ。

「……どういうことだ。ローレシアについてはたしかにある程度解明はされていたが、こんなにも早く……」解除に費やしたのはわずが一日だ。「カティア、まさかもともと解法を……?」

 振り返り、一仕事終えた汗を拭いながらカティアは答える。

「たまたまだ。ローレシアには昔住んでいたことがある。そのとき、封印魔術も含め各種魔術を学んだ。それだけだ。さて、次はトラハディーンだな」と、特になんでもない様子だ。

 だが、彼が行ったことは決して簡単なことではないはずだ。


 400年前、当時各国最高の魔術師が集い施した封印魔術は、現代からみても極めて高い水準にある。11年前にアッタンで発見された資料は現代の専門家を唸らせるものだった。

 だが、人類は常に進歩している。現代の魔術であれば、より優れた封印を施せるはずだ。皇子は専門家ではなかったがそう直感し、アッタンの研究者に確認すると、口ごもりながらもそれを肯定した。

 皇子はその実証のため資料の内容を詳しく検証するよう指示した。彼の後ろ盾で、それが外部に漏れることのないよう隠蔽工作を抜かりなく。

 わずか数年で成果は見え始めた。当時最高とはいえ、現代でもなお最高とはいえぬことが証明された。

 そう考えるともどかしかった。

 キールニールを深海から引き上げてさえしまえば、九ヵ国封印など解けてしまうのではないか。

 そもそも、キールニールは自らに時限式の封印を施している。九ヵ国封印を遥かに凌ぐ強固な封印だ。それがある以上、そもそも九ヵ国封印などなんの意味もない。600年後のそのとき、キールニールの目覚めをせいぜい数分遅らせる程度の効果しか望めない。にもかかわらず、九ヵ国封印の防護性を高めるためと称しその研究は国際的に禁じられている。その無意味さから目を背けるかのように。

 目の前で起こった光景はその懸念が的中したものともいえた。まだ一カ国とはいえ、これほど容易く破られるものではなかったはずだ。誰もがそう信じていたし、信じようとしていた。第四皇子ブエルですら、さすがにもっと強固なものであると信じていたのだ。

 おそらく地下だ。巧妙に隠匿されているが、地下に大出力のラグトル演算装置が備えられているに違いない。でなければ、これほどの早さで封印解除が終わるはずがない。


「むぐぐ。なんだこれ。まずくはないが……」

 そんなことを考えながら食事を漫然と口に運び、ブエルの関心はいま咀嚼しているものに移っていった。

「豆だ。大弓陸の原種にいくらか手を加えてある」答えるのは隣に立っていたカティアだ。「一晩もあれば育つが、土地を枯れ果てさせてしまうため現地民からは“悪魔の豆”と呼ばれていた。ちなみに、そこで栽培している」

 そうして指をさした先にあったのは、たしかに豆だ。豆に見える。だが、見るほどにあれを本当に豆と呼んでいいのか自信が持てなくなった。

 一粒の、人の頭ほどの豆の形をしたなにかが実っていた。それを磨り潰したものがこの食感というわけだ。たしかに、味もにおいも豆そのものだが、やはり首を傾げざるを得ない。

 が、それ以上に不思議でならないのは、このルール・カティアという男だ。

 400年前から続く「本物のグロウネイシス」を名乗る彼だが、彼にはどうしてもその“らしさ”が感じられない。その語り口も理性的で、知識も広く見識も深い。とてもではないが、「キールニールの復活」などという妄想に憑りつかれるような狂人には見えなかった。

 逆にいえば、彼ほどの賢人が「できる」と考えているなら、本当に「できる」のではないか。そう考えてしまうほどに。そしてそれこそが、彼に信者たちが付き従う理由でもあるのだろう。

 だが、同じく理性ある人間である第四皇子ブエルの考えは違う。カティアは賢人であるがゆえに「できない」ことを知っている。そのうえで、他に目的があるのだ。

 ブエル自身がそうであるように、彼にとってこの試みは、目的ではなく手段に過ぎないに違いない。

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