1.

 レックは密林の蒸し暑さに辟易しながら、額の汗を拭った。

 19人――二日前の襲撃で数を減らして今は14人の部下を従え、草木を掻き分けながら奥へ進む。水筒の水も尽きかけてきた。まともな食事にもありつけていない。服も肌もボロボロに汚れきっている。それぞれが背負う背嚢には予備の水や保存食、衣服などが収められてはいるが、そもそも休む暇がない。いつどこに敵が潜んでいるかも知れず、地形も把握しきれていない。

 あの襲撃を逃げ切れたのは、運よくこちらが先に敵を発見できたからに過ぎない。にもかかわらず、一瞬のうちに5人もやられた。敵の実力から考えて、奇襲を受ければおそらくひとたまりもない。

 追っ手の数は不明。少なくとも2名以上。そう聞いている。鉢合わせになったのは一人だが、分かれて捜索していたというところだろう。

 一方、こちらの数も少なくと小隊規模であることは知られているはずだ、とのことだった。先の襲撃で正確な数も把握された可能性がある。

 動き続けるしかない。だが、このままではいつ限界を迎えてもおかしくはなかった。

「お頭……ここらで休みやせん?」

「あー、お頭じゃなくてな。隊長になるらしい」

「はあ、隊長ですかい。それはそれとて休みやせん?」

「そうだな……」レックは周囲を見渡す。

 高い木々が生い茂り、ひどく見通しが悪い。敵に見つかりにくくもあるが、逆に潜む陰も多い。そこらじゅう死角だらけだ。休むのならば警戒方位を限定できる、たとえば崖の際、あるいは洞窟、せめてもう少し開けた場所が欲しい。いずれにせよ、この場は休むには適していない。

「休みたいのはやまやまだが、場所が悪い。こうも視界が悪いとレイの遠視も通らねえだろ」

 行軍は続く。士気も下がりはじめている。海賊をやっていたころはあまり経験のなかった事態だ。

 レックはふと、どこか快い甘い香りを嗅いでいることに気づいた。疲労のあまり、半ば無意識に歩を進めていたことにも気づく。

「お頭! あれ!」

「だから隊長って……ん?」

 木々の奥に、小屋が見えた。材木を組み上げて建てられた簡素な小屋だ。見たところ無人。まさに休憩にはうってつけの場所だった。

「待て。感覚を保護しろ。罠かもしれん」

「しましたよ! あれは本物ですって!」

 息を吹き返したように部下が数人駆け出していく。

「おい待て! お前たちは感覚を保護!」

 罠だった。レックが感覚を保護すると、幻影の小屋はぐにゃりと姿を消した。

 幻影魔術は〈感覚保護〉によって簡単に見破ることができる。ただ、感覚を保護し続けるには魔力を消耗するため、常にその状態を維持することはできない。警戒態勢を持続しつつ、行軍中に感覚を保護し続けることは、彼らにはとてもできなかった。

 ゆえに、幻影を疑われる光景を目にして初めて、感覚保護を発動することになる。

 そこに隙が生じる。敵はそのとき、彼らに「感覚を保護した」という幻影を見せたのだ。

「残念♪」

 刃が、レックの部下を斬り裂いた。一人、二人、三人。瞬く間に影は男たちの隙間を抜け、彼らは膝から崩れ落ち、倒れた。レックと残りの部下も即座に臨戦態勢をとり、〈銃〉を構えた。が、すでに影はどこかへと消えていた。

 見失った。あまりに速すぎる。

 右へ左へ視線を動かす。耳を澄ます。各自それぞれの方向を警戒させる。この密林だ、姿は捕らえられずとも音はするはずだ。

 ――しかし、気配はない。

 背後で、倒れる音がした。部下がまた一人、二人、悲鳴すらなく倒れている。三人、四人、五人。〈銃〉を構えるも撃つべき方向すら定まらない。このままでは一方的に狩られるだけだ。

「散れ!」

 レックは背嚢を投げ捨て駆け出す。部下も右へ左へ方々に駆け出す。その先々で銃声、怒号、そして倒れていく音がした。生き残れても一人か二人か。それとも全滅か。疲れ切っていたはずの身体に鞭打ち、レックは駆けた。

 が、その先に待っていたのは絶望だった。

「どもー」

 一人の少女がレックの前に立ち塞がった。身長はレックの胸に顔が位置する程度の小柄な少女だ。表情も朗らかに手を振るが、もう片方の手には鉄製の棒が握られている。

「リミヤ……!」

 レックは〈銃〉を構える。だが遅い。少女はレックの懐に潜り込み、その鉄棒は、掬い上げるようにレックの下顎を砕いていた。

「ん? 終わった?」

 背後から足音と、また別の女の声。倒れ地に付したレックにはその足元しか見えない。彼女は動かなくなったレックの部下を二人ほど引きづりながらやってきた。

「うわ、大丈夫かよ。死んでんじゃね」

「いやぁ~、大丈夫、だと思う。たぶん」

「ぜんぶで19人? いや20人だっけ? 全員やれたと思うぜ。縛り上げるから手伝ってくれ」


 数十分後。レックとその部下は後ろ手に拘束錠をはめられ、一カ所に集められた。小屋の幻影を見せられた、やや開けた場所だ。まだ頭がガンガンするが、顎の方は正常だ。気を失っている間に治癒魔術でも施されたのだろう。

 軽く首を回し部下の様子を確認する。斬られたはずの部下も無傷だった。思えば、たしかに血は出ていなかった。ただ、その表情に力はなく、目には光がなかった。

「さて、こんなもんだろ。これで全員だな」

「上手くいってよかったぁ。めっちゃ疲れたし」

「ったく、ハラハラしたぜ。このまま引っかからなかったら待ち損で負けだしな」

 屈強な男20人を捕らえたのは2人の女。

 一人は少女と呼べるほどに幼い。軍で正式な訓練こそ受けてはいないが、推定獅士の実力を有する。少なくとも、レックら20人が真正面から挑んでもまず相手にならない。

 もう一人もやや幼い顔立ちはしているが、背丈や相応に発育した身体つきからみても成人はしている。細身だが、確かに鍛えられた筋肉が見て取れる。胸には獅士の紋章があった。

「お前……たしか、アズキアだな?」

「ん? おっさん、おれのこと知ってんのか」

「顔と名前だけな。室長から一通り覚えとけって資料だけ渡されたんだよ」

「へえ。おっさんは元海賊とかだっけ。ま、そゆわけで今後ともよろしく」

 アズキア・リーホヴィット。このたび彼女は軍より引き抜かれ、〈風の噂〉内部犯罪調査室の新たな一員となった。

「で、どう? どうだった? レックさん気づいてた? 幻影魔術ね、小屋を見せるってだけじゃなくて微妙に甘い匂いも出してたんだよ。ここに誘引するように! 半径100mくらいだったけど、これが大変でさあ。アズさんと1時間交代で粘ってたの」

「おれはあんま幻影魔術得意じゃねえんだけどな。闇雲に探しても見つからねえってんでリミヤが待ち伏せを提案してきたわけだが……お前なあ、たしかにそりゃ行軍中はずっと感覚保護はしてねえだろうけど、こっちもこっちでずっと幻影維持とかきつすぎんだろ」

「う、うん。ちょっと考えてなかった。結局7時間も待ったし」

「7時間で済んでよかったわ。ホント」

 二人はレックを前に和気藹々と話している。その様子を呆れ顔で見ながらレックは言った。

「敵の前でもうネタばらしか? 気を抜くのが早すぎるだろ」

「あ?」対しアズキア。「いや、もう勝負ついただろ。てゆーか訓練だし? 感覚保護の幻影とかそのへんも基本中の基本だから覚えておいた方がいいぜ」

「そういう反省会も訓練が全部終わってからだろ」

「はっ、おっさん意外と真面目なんだな。それとも、まだ負けてねえって?」

「互いの勝利条件を忘れたのか? 俺たちは機密文書――という設定の文書をこの島の外部へ持ち出すこと。お前たちはそれの阻止だ」

「そいやそうだな。大方、仲間ってことになってる船がどっかに着くんだろ。おっさんはそこを目指してた」

「そんなところだ。予定としては今日だったんだが、くそ、惜しいな。ま、それもこうなってしまえば意味がない。俺たちの負けだな」

「おいおい、さっきといってること違えじゃねえか。なんなんだ負け惜しみかなんかか」

「一つ聞きたい」レックは斬られたはずの部下を見やる。「どういう固有魔術だ? ビギーもルングもレイもあんたに真っ二つにされたように見えたんだが」

 アズキアはレックの言動の意図がつかめず頭を掻く。

「まだ勝負はついてないっつたのはあんただろ? 一貫しねえなおっさん」

「予想はつく。肉体ではなく心を斬る剣。そんなとこだろう。軍に入っておきながら人を傷つけるのがそんなに怖いか」

「あん?」ぴくり、とアズキアの眉が動く。「まさかおっさんあれか、固有魔術は当人の個性だの性格を反映するって、アレ信じてんのか」

「図星だったか」レックはそういい、鼻で笑う。

「で、一応聞くけど。文書はどこだ?」アズキアは苛立ちを隠せぬ口調で尋ねた。

「こうして捕らえているんだから身包み剥いででも好きに探せばいい。背嚢のなかは探したか?」

「わかりやすい誘いだな。どうせ上着になんか仕掛けてんだろ? 乗らねーよ。拘束したうえで見張ってれば逃げられるわけねえだろ。時間切れまで粘ってそれで勝ちだ。はい終了」

「手元にあるともかぎらないけどな」

「どっかに隠してるって? 同じことじゃねえか。こっちとしては文書を見つけようが見つけまいが、それを持ち出せる人間を捕らえちまえば勝ちなんだよ。ま、別に死なねえ程度に痛めつけて聞き出す感じでもいいけど? おっさんも訓練でそこまでされんのもいやだろ」

「人間ともかぎらない」

「なに? どういう……」

「あ」声を上げたのはリミヤだ。「あ、あー! やっば!」

「どした。なんかあんのか」

 どこからか、犬の遠吠えが響いた。

「ワンちゃん! 忘れてたけどワンちゃんがいるんだって! レックさんのペット!」

 黒犬クルーガー。レックが海賊時代から魔術的に調教し飼っている大型犬である。

「え、マジ? 犬? いやでも犬っつっても……別行動だろ? 人間はここに20人全員いるわけだし、“待て”はできても……」

「銃声」

「んあ?」

「銃声を合図に沿岸へ走れ。賢いワンちゃんなら、このくらいの指示はできるんじゃない?」

「となると、さっきの遠吠えは……!」

 船への合図。レックのあの余裕、まだ負けていないかの態度も合点がいく。犬の首輪にでも文書を括りつけ運ばせていたのだ。

「くそっ、やべーぞこれで負けたら笑いもんだ」

 二人は慌てて駆け出す。遠吠えの聞こえた方向、おそらくは沿岸。


 そんな後ろ姿を見送りながら、レックは笑いをこらえていた。

「グッドタイミングだクルーガー。さて、痛えだろうがやらねえとな。たしかこのへんに……」

 レックは後ろに指錠をかけられた両手を少し持ち上げ、背に触れた。そして、上着の裏地に仕込んだ術式を発動させる。ぼん、と爆発音と煙がレックを覆った。

「っつぅ~……だが、これで」

 上着の一部が消し飛び、指向性の爆発によって指錠も脆くなっていた。あとは強引に捻じ切る。

「……甘すぎる。一人は見張りで残れよ」

 だが、音で気づかれたおそれがある。あとは手早く済ませる。捕らわれた仲間の背後へ回り、同様に指錠に術式を仕込み解除していく。

「おい、起きろ。起きろドワイト」

 やや太り気味の男の頬を叩く。この様子を見るに、アズキアの固有魔術はおそらく推測通りだろう。眠っているわけでも気を失っているわけでもないが、表情は朧気で視線も定かではない。彼女の剣は肉体を傷つけないが戦意を斬る。効果時間は不明、精神異常の付与であるなら治癒は可能だろうが、レックにその心得はない。

「……? お頭?」

「隊長だ。正直俺もまだ釈然とはしてないが……とにかくこの場は切り抜けるぞ」

 太っては見えるが、それは彼の食生活のためでも怠惰のためでもない。彼の固有魔術によるものだ。彼は自らの体積に変換して物品を〈収納〉できる。レックの部下に加わる以前もこの能力で幾度も盗みを働いていたらしい。まさに誂え向きの能力であるがゆえ、「文書」の運び屋は彼に任せていた。拷問でもしないかぎり彼から文書を奪うことはできない。

 ただ、アズキアのいったよう捕まってしまえば元も子もない。逃げ出さなければ意味がなかった。そのための仕掛けを上着に仕込んでいたわけだが、これを調べさせずに切り抜けられるかは賭けだった。

 服は罠。事前にそれを刷り込ませていたのも功を奏した。服を一枚脱ぎ捨て、裏地に接触発動型の術式を組み込み、罠を仕込んでいた。なにかの手掛かりになるのではと拾い上げたなら、それは発動する。彼女らが無事だったところを見ると、見破られたか対応されたかはしたのだろうが、発見はしてもらえたのだろう。

「ドワイト、お前はすぐに逃げろ。お前が逃げ切れれば勝ちなんだからな」

「お頭……隊長は?」

「俺はこの腑抜けどもを起こす。陽動は多い方がいいからな」

 20分後。大急ぎで踵を返してきたアズキアだったが、レックらは全員が指錠を引きちぎり、散り散りに逃走していた。

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