第6話 耳掻きをする手は世界を制する手
一週間後の土曜日、俺はいつものように「門」を通って、男爵家を訪っていた。
今日は馬車でのお迎えがなかったから、てくてく歩いた。
結構疲れたけれど、運の良いことに、男爵は在宅していた。もし不在だったら、今日は次の訪問予告だけして蜻蛉返りするしかなかったかもしれないから助かった。
「貴様、何の用だ?」
男爵閣下は最初から喧嘩腰で出迎えてくれた。
丁度良かった。俺も喧嘩を売りにきたのだから。
「何って、味わっていただきに来たんですよ。俺のギフトに相応しい耳掻き棒ってやつを」
「なに!? まさか、本当に用意したというのか? この短期間にか!?」
「はい」
「み、見せろ。早く!」
「いえ。見せても、貴方にこの価値は分からないでしょう」
「なんだと!?」
「落ち着いて――俺は最初に言いましたよね。味わっていただきに来た、と」
会話はその程度で切り上げ、俺たちは客間に向かう。証人として、アンジェリカとヤコブさんも控えている。
「ふんっ、前回と同じようにいくとは思うなよ!」
男爵殿はひと声だって喘ぐまいと気合いを入れている。
「ではご堪能ください。本物の耳掻きってやつを」
俺は耳掻きの開始を宣言した。
男爵殿は驚くべきことに、それから三秒もの間、喘ぐのを堪えてみせた。
● ● ●
三人掛けソファに寝そべり、ぴくりとも動かない男爵の巨体。シャツが水浸しになるほど汗びっしょりで、きっと事前に用を足していなかったら失禁していたはずだ。
水揚げされた鮪のような男爵は今、ヤコブさんが持ってきた水差しの水をちゅうちゅう吸っている。
そして俺は、卓上に広げたハンカチの上に並べている耳掻き棒各種を、持参してきたウェットティッシュで拭っている。そう――耳掻き棒各種だ。
シリコン製で円盤が複数重なったような先端のもの。先端に消しゴムのようなゴム製の玉が付いているもの。竹籖で作ったクリップを重ねたようなもの。先端が馬毛のタワシになっているもの――等々。
また棒の他にも、仕上げのためのオイルと綿棒、梵天とパウダーを用意してきていた。
これら大量の耳掻き道具を順番に使って、耳穴をただ綺麗にするだけでなく、とことんまで癒し倒した。
それはさながら、フレンチのフルコースだ。
いくつものカトラリーを使い分けて食べる、胃を膨らませるためではなく、心を満たすための食事――それと同じで、道具を使い分けることにより、俺の耳掻きは心を解す域に至ったのだ。
「……認めざるを得んな」
男爵閣下が悔しげに呻く。
「その耳掻き道具一式は、百の宝石を鏤めたものなどよりずっと、貴様の腕に相応しいものだ……!」
ぎりぎりと血走った目で俺を睨むけれど、自分の無様な姿が分かっているからか、無意味な強がりは言わなかった。
俺の勝利だった。
「お父様、ありがとう!」
ずっとハラハラして見守っていたアンジェリカが、寝そべったままの男爵に飛びつく。男爵は全身が敏感になっているのか、裏返った声を漏らして悶える。
そんな父と娘の姿を眺めながら、俺はヤコブさんが淹れてくれたお茶を飲む。
「……おい、貴様」
男爵が娘に抱きつかれながら、妙に熱っぽい目で俺を見てきた。
「なんですか?」
まさか、このおっさんにも耳掻きバイトをねだられちゃうのか――恐々としながら聞き返した俺に、男爵は意外なことを言ってきた。
「貴様、私の部下になれ。このギフトがあれば、面倒臭い上役だろうと、家柄自慢の若造だろうと……くく、くくくっ……!」
男爵はマッチョな見た目に反した嫌らしい笑いを浮かべている。
俺は答えた。
「謹んでお断りします」
● ● ●
……だというのに、その翌日、俺は伯爵家の温室で、伯爵夫人に耳掻きをしていた。
どうしてこんなことになったのか――と溜め息が止まらない俺。
その間も耳掻きの手は止まらないでいて、
「ふうぁ♥ こんな深いところまでっ……怖いのにっ♥ ひいぃ♥ 堪忍してぇ♥」
夫人の糸を引くような吐息と絹を裂くような嬌声、それに汗を吸った白粉の臭いが、花の香りと混ざり合いながら温室を満たしていくのだった。
傾城の耳掻き師 雨夜 @stayblue
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