第5話 サラダ用フォークと肉用フォーク

 「門」から戻った俺を待っていたのは、神妙な顔をした大河内さんだった。


「……多田くん、ごめんなさい」


 戻ってきてすぐ、目が合うなり謝られた。


「……?」


 首を傾げた俺に、答えはすぐ返ってくる。


「多田くんのことが父さんの耳に入ってしまったの」


「あぁ……」


 なんだか色々納得だった。

 どうやら今日は、そういう流れの日らしい。


 それから俺は、大河内さんの案内で本館のほうに連れて行かれた。じつは本館に入るのは、これが初めてだったりする。


 客間に案内されるかと思っていたら、書斎らしき部屋に連れて行かれた。

 壁際の本棚には高価そうな装丁の背表紙がずらりと並べられていて、大きな書斎机は木目が綺麗でどっしり重厚――扉を開けた瞬間、目に飛び込んでくるその光景は、慣れ親しんだ者には安心を、部外者には疎外感を与えるものだった。

 まさに自陣ホームというやつだ。大河内パパはもっとも私的で排他的な場所で俺を待ち構えていたというわけだ。


「きみが最近、我が家の蔵にこそこそ出入りしているという多田仁成くんか」


 お父様の開口一番は、端々に毒を含んだバリトンだ。

 オペラ歌手のようによく響く低音と、射貫いてくる眼光。今日はオフだからかノーネクタイだけど、だらしなさは微塵もない。先ほどまで相手にしていた男爵パパの印象が残っているせいか細身に見えるけれど、痩せているのではなく引き締まっていると形容するべきだ。ジム通いの習慣があったとしても納得だった。


 そんなお父上が、一見すると娘の学友を歓迎するような態度で話しかけてくる。


「きっと年頃の娘というのは、どこの家でもそういうものなのだろうが、娘はきみのことをなかなか私に話してくれなくてね。おかげで今日まで挨拶しそびれてしまったよ。すまないね、多田仁成くん」


 わざわざフルネームで呼んでくるのは、自分と俺との距離感がどれくらい遠いのかを示すためか。


 ……なんとも慇懃無礼に嫌われたもんだ。


 これはさっさと帰るべきなのか? でも、ここで退散したら二度と「門」の向こうに行けなくなってしまいそうだ……ああでも、向こうでの拠点もちょうど失ってしまったところだし、ここらが潮時ということなのかも……。


 ところが、俺の内心とは相違して、大河内パパは笑顔でこう言ってきた。


「せっかくだから、夕食を一緒に食べていきなさい。じつはすでに、きみの分も用意するように料理人へ伝えてあるんだ。まさか無駄にさせたりはしないだろうね」


 大河内パパは冗談めかしたように笑うが、さり気なく命令形だし、準備を始めていると宣言することで圧力をかけてもきているし、俺に断らせる気はないようだ。

 この人はなんとなく洒落や皮肉が好きそうな気がするから、きっと「最後の晩餐にするといい」とか思っているのだろう。


 まあいいさ。それならそれで、ご馳走になろうじゃないか。


「では、そうさせてもらいます」


 俺がそう伝えると、大河内パパは眉をひくりと跳ねさせたけど、それ以上のことは表情に出さずに頷いた。


「では支度が調うまでの間、客間でゆっくりしているといい」


 大河内パパがそう言うと、どこに控えていたのか、田井中さんがすすっと出てきて、俺を促すように頷いた。


「あ、わたしが案内します。わたしのお客なんですから」


 大河内さんはパパさんを見やってそう言うと、俺の右手に自分の腕を絡めて歩き出した。


「……!?」


 大河内パパが、ふごっと鼻息を吹いて驚愕する。それを横目にして、大河内さんはほくそ笑む。一矢報いてやったという顔だった。



 客間には少し遅れて田井中さんもやってきて、三人で軽くお茶をした後、大河内さんにチェスを教えてもらって過ごした。

 思いの外チェスに熱中していたところで、夕食の準備が出来たとのお呼びが掛かり、俺たちは食堂へ移動した。


 大きな広間に大きな食卓。三人しか座らないので広々としすぎていて、俺には逆に居心地が悪いくらいだった。


 出てくる料理もまた、ここはどこのレストランだ、と言いたくなるようなフルコースだった。いちいち一皿ずつ運ばれてくるような食事が、ご家庭の食卓で楽しめるなんて! ……と圧倒されるばかりだ。


 ……まあ、そうやって俺を圧倒させるために大河内パパが仕組んだ献立なのだろう。


 一緒に食卓を囲んでいる大河内さんは恥ずかしそうに言い訳してきた。


「普段はこんな食事じゃないの。誤解しないで、多田くん。あぁ……小宮山こみやまさんにも後で謝っておかないと」


 小宮山というのはたぶん、料理人の名前だ。とても腕の良い料理人だということは、一口食べれば俺でも分かる。こんな美味しいものを食べさせてもらえたのだから、それだけでも儲けものだ。

 でも、できるなら、大河内パパ抜きでの食事がよかった。


「多田仁成くん、そのフォークは違うよ。それはサラダ用ではなく、肉用のフォークだ」


 大河内パパがしたり顔で指摘してくる。


「いや、済まないね。多田仁成くん。本来ならカトラリーは使う順番で並べられているのだが、今夜にかぎって手違いがあったようだ。私からも謝らせてもらうが、まあ、問題ないだろう」


 謝ると言いながら、その顔はにやにや笑っている。でたらめに並べられたナイフとフォークのセットにてんてこ舞いの俺を嘲笑っている。

 ……大河内パパは、見た目はダンディなナイスミドルだけど、中身はなかなか底意地が悪い。


「いやいや、済まないね。多田仁成くん。娘の客だからと張り込んだのだが、かえって恥を掻かせることになってしまったね。はははっ」


 じつにいい顔で笑う大河内パパ。清々しいほど大人げない。


「……父さん、最低」


 大河内さんが小声で吐き捨てたけど、幸か不幸か、お父さんには自分の笑い声が邪魔になって聞こえなかったようだ。

 いい気味だ。せいぜい、今だけ勝ち誇っているがいいさ。後で娘から無視されて泣けばいいのだ。というかだいたい、サラダ用フォークと肉用フォークってなんだ? ちょっと先っぽのギザギザ具合が違うだけじゃないか。そんな違いが分かるか――。


 ――と内心で笑い飛ばしたそのとき、俺の脳裏に天啓が閃いた。


「あっ」


「多田くん?」


 急に声を上げた俺に、大河内さんが小首を傾げたのが見える。でも、今の俺には彼女にまで気を回す余裕がなかった。


 俺はガチャガチャと音をさせながら、ナイフとフォークを両手で次々持ち上げては確認していく。


 ぱっと見は同じなのに、よく見れば大きさや形が少しずつ違っている食器たち。ナイフは切るもので、フォークは刺すもの。それだけの道具なのに、少しずつ形状の違うものがいくつも用意されている。その理由は何故かと考えれば――。


「――うん」


 俺は居ても立ってもいられなくなり、デザートを辞退して大河内家を後にした。


 大河内さんは戸惑っていたけれど、大河内パパは満面の嘲笑だった。俺が尻尾を巻いて逃げるように見えたのだろう。


 ――いいさ、今はそう思っていればいい。あんたをヒィヒィ鳴かせるなんて、いつでもできるんだ。でも今は、先にやることがある。後でたっぷり鳴かせてやるから、今のうちに笑っておくがいい!

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