第4話 男爵閣下は屈しない。

 細かい経緯は割愛する。

 俺は同級生にして、この辺りの地主の家柄である大河内家のお嬢様(面と向かってお嬢様扱いすると静かに怒られる)から、「土蔵の整理を手伝わない? バイト代、出すから」と誘われた。そして、土蔵の奥の壁に「門」を発見した。


 それから色々あって、俺は人々が【ギフト】というものを神授される異世界と、大河内さんちの土蔵とを行ったり来たりする週末を過ごすようになった。



 「門」の向こうの異世界は、多くの神々が存在してる世界だ。少なくとも、その実在を確信させるほどに天恵がありふれている世界だ。俺が言葉に困らないで済んだのも、「人間」に言葉を授けてくれる秩序神の恩恵があったからだろう(この世界での「人間」とは、言葉が通じる者、すなわち秩序神の庇護を受ける者を指す)。


 秩序神の庇護を受けているのなら、他の神々からも恩恵を授かっているだろう――ということで調べてみた結果、俺にも【ギフト】が授けられていた。


 【ギフト】と言うのは、この世界の「人間」が生まれながらに神授されている才能の総称のことだ。例えば男爵令嬢ことアンジェリカのギフトは【鉄人】で、執事ことヤコブさんのは【器用】だ。


 わりとふわっとしたニュアンス的なものから、【剣技】【視力】と言った明快なものまで、その人に授けられる【ギフト】は多岐に渡っているという。けれども、俺に授けられていた【耳掻き】ほど極端なものは、記録を紐解いても早々お目にかかれない珍ギフトだと驚かれた。あと、失笑もされた。


 けれども、失笑していたアンジェリカお嬢様は、試しにやってみせてくださいな、と言ってきた数分後には、「あっ、あぁ♥」とちょっと余人にはお聞かせできない声を上げ、ビクンビクンと釣られた魚のように身悶えて、【耳掻き】の圧倒的効能の前に完堕ちしていたというわけだ。


 こうして俺は、アンジェリカと契約を結んだ。

 アンジェリカに耳掻きをする代わりに、対価として街の案内や貴族街への立ち入り許可を貰う、という契約だ。


 また、大河内家の蔵に戻ったところを大河内さんに待ち構えられていて、「門」のことや、「門」の向こうの世界のことを大河内さんにも全て話した。


「俄には信じがたいことだけど、多田くんは実際、この蔵の中から忽然と消えて、また忽然と現れてみせた。だからきっと、信じざるを得ないのでしょうね。ということで、信じるわ」


 大河内さんはわりとあっさりそう言った後、こうも言った。


「多田くんの【ギフト】というのががこちらでも有効なのか、検証してみましょう」


 ――というわけで、場所を土蔵から大河内さんの私室へと移して、大河内さんにも耳掻きをした。


 即堕ちだった。


 そして大河内さんとも、「門」の向こうの世界のレポートを提出するというバイトの他に、耳掻きバイト契約も別途、結んだのだった。



 こうして俺は、土曜日には二人のお嬢様に耳掻きをして、日曜日には異世界の街をスマホ片手に散策するという日々を過ごしていたのだが……ばれた。

 誰に、何を、ばれたのか? ――アンジェリカのお父上である男爵様に、目に入れても痛くないほど溺愛している一人娘の穴をほじってわななかせていたことが、だ。

 まあ、使用人がいるようなお屋敷へ週末毎にお邪魔していたら、そんな御注進が御当主の耳に入らないわけがなかった。


 土曜日、いつものように「門」を出て、迎えの馬車に乗って男爵家へ向かう。そこで、いつもならアンジェリカに出迎えられて彼女の私室へ向かうのだけど、その日は違っていた。


 俺を出迎えたのはアンジェリカと、彼女の父である男爵ご本人だった。筋肉の鎧にスーツを貼り付けたような、びっくりするほどマッチョな御仁だった。


「やあ、ヒトナリくんだね。ようこそ、当家へ。本当ならもっと早く挨拶しておくべきだったのだが、申し訳ないことに今日まで時間の折り合いがつけられずにいてね。どうか許していただきたい」


 慇懃な口調だが、目が笑っていない。俺を焼き殺さんばかりの目をしている。

 俺もより上背も体格も勝っている強面の男に、至近距離で、そんな目で見下ろされる恐怖。お分かりいただけるだろうか?


 正直、俺の冒険はここで終わった、と思った。

 だけど、アンジェリカが助け船を出してくれた。


「お父様にヒトナリ様のことを話しそびれていたのは悪かったと思います。でもお父様、ヒトナリ様の【ギフト】はとても素晴しいのですよ。お父様も一度体験してみれば理解できると思いますわ」


「……そこまで言うからには、私も体験させてもらおうではないか」


 ぎろりと俺を睨む男爵閣下。その目は如実に言っている。

 貴様のギフトを体験したうえで真っ向否定して、二度と我が家に、我が娘に近付くな――と言い放つつもりなのだ。男爵は最初から、そのつもりでいるのだ。


 ……いいだろう。そっちがその気なら、俺がその口、情けない喘ぎ声しか出せなくなるまで、穴をほじくりまわしてやろうじゃないか。


「分かりました、男爵様。善は急げと言いますし、早速始めましょう。客間のソファでいいですかね」


「ほぅ……最後の茶を飲むくらいは許してやるつもりだったが、自ら早々に引導を渡されようというのか。その潔さや良し」


「お茶はまた来たときに楽しませてもらいますよ」


「……くくっ」


 腹が据わったおかげか、まるでラスボスのように笑うマッチョでスーツの男爵閣下を、今度は真っ直ぐ睨み返せた。



 その十分後――。

 男爵閣下は客間のソファで、打ち上げられた海馬トドになっていた。この世界にトドがいるのかは知らないけれど。


「おっ、お、おぉ……」


 長いソファに巨体を横たえ、ひくひくと腰を震わせている男爵閣下。夢の世界を見つめるように潤んだ瞳に、顎の筋肉が麻痺してしまったかのような開きっぱなしの口元――十分前までそこに貼りついていた威厳は完膚無きまでに台無しだった。


「おぉ、ぉ……」


「いかがでしたか、男爵様」


 俺は静かに頬笑む。


「お、ぅ……ぁ……ま、まあまあ……それなり……悪く、ない……っ……」


 息も絶え絶えで顔も上げられないくせに、横目でぎろりと俺を睨みつけてくる。ちょっと潤んでいるのでなければ、ひっと悲鳴を上げていたかもしれない。


「お父様、往生際が悪すぎますよ」


 客間で父親の痴態を眺めながらお茶していたアンジェリカが、溜め息を零す。

 強靱な肉体を誇る男爵様でも、愛娘の冷めた視線は堪えるようだ。ぐぅっと野太い声で呻くと、後は何も言わずに歯軋りするのみだ。


 ……と思ったら、いきなり目を剥いて獰猛に笑った。


「そ、そうだ。道具が駄目だ!」


 男爵は目だけで、俺がまだ手に持っていた耳掻き棒を示して言い立てる。


「貴様のギフトは確かに侮りがたい。だが、道具が駄目だ。貴様の腕に見合っていない。斯様に粗末な道具で仕事をさせることは、貴族としての沽券に関わる。私の目が黒いうちは、我が家の敷地でそのような不調法、けして認めん。認めんぞぉ!」


 男爵様はソファに突っ伏して顔だけこちらに向けた無様な体勢ながらも、目だけはギラギラに血走らせて野太く吠える。牙を剥くような表情は、海馬ではなくて海象セイウチだ。


 そんな海象パパに、アンジェリカは眉根を寄せる。


「お父様、それはあまりに無理が過ぎますわ。だいたい、お父様はこの耳掻きが粗末だと仰いますが、どこが粗末なんですか。耳掻きに道具など、これ以外にあるものですか!」


 アンジェリカは俺の手からさっと摘み上げた耳掻き棒を器用にくるりと回しながら難詰した。


 彼女の指に摘まれているのは、銀無垢の耳掻き棒だ。銀という材質自体はけして珍しいものではないが、棒の頭には精緻な彫り物が施されている。手入れも行き届いていて、俺がいつ手にとっても、先端の平たい匙になっている部分から頭部の彫刻に至るまで、ぴかぴかに磨き込まれている。

 俺にこの世界の貴族基準は分からないけれど、十分に立派な耳掻き棒だと思うのだが……。


「ほ、宝石だ!」


 男爵は唐突に吠えた。


「宝石?」


 聞き返したアンジェリカに、男爵は捲し立てる。


「宝石のひとつもあしらっていない粗末な耳掻きなど、此奴には使わせられん! もちろん、我が家は常時永年緊縮財政だからして、余計な支出はできんからな。がはは!」


 男爵殿はいまだに腰を起こせないくせに、両手と背筋だけで上体を起こして勝ち誇ったように馬鹿笑いする。その姿はまさしく海象だ。威厳もへったくれもない。

 男爵パパさん、そこまでして愛娘の耳穴を俺の魔手から守りたいのか。俺にさっぱり理解でき……いや、理解できるな。


「……分かりました。次に来るのは、相応しい道具が見つかったときにします」


 娘が毎週のように喘いで悶えて腰砕けにされているのが看過できない親心に、俺はなんとくな共感してしまった。


「ヒトナリ様!」


 アンジェリカが大声を出すが、男爵様の笑い声はもっと大きい。


「おおっ、よくぞ言ってくれた! 貴様、意外と話が分かるではないか。それでいいのだ、それで。ぐぁっはははッ!!」


「お父様、いくらなんでも横暴です! ヒトナリ様、どうか撤回してください。どうか!」


 アンジェリカはこっちが驚くほど必死に引き留めてきたけれど、もう遅かった。男爵閣下は娘の声を掻き消すくらいの大笑いを続けながら、俺の肩を押して屋敷の外まで追い出した。俺もべつに抵抗しなかった。

 ヤコブさんが気を利かせて馬車を準備させてくれていたので、「門」までの帰り道も困らなかった。


「とはいえ、日曜の案内も頼めそうにないし……不便になるな」


 馬車の中で揺られている間、これからのことを考えると漏れる溜め息は止めようがなかった。

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