ピッピィ?
高校生の頃、一羽の小鳥を飼っていました。
名前はアオ。羽の色が青くて綺麗という理由から、母と私が名付けました。そもそもこの小鳥を飼い始めることを提案したのが私たちであり、兄や父はそれに最初は乗り気ではありませんでした。それは当時、一緒に住んでいた祖父も一緒でした。祖父は無口な方なので、口に出して反対はしなかったものの、かなり皺くちゃな顔を一層しわしわにして、アオが我が家にやって来てからも渋い顔を続けていたのです。
◆
しかし、私は祖父が時々アオに構っているのを知っていました。たまたま目撃したのです。頑固で無口な祖父ですが、自らアオの鳥籠に近づいて、
「トシユキだ。言ってみろ」
ピーピッピー
「何でい。お前も男ならはっきり話せ」
ピー
「何だ、お前。インコなのに喋れねえのか」
ピ
アオはマメルリハという種類の小鳥でした。マメルリハは話すことが得意ではありません。オスはなおさら苦手だそうです。
祖父がアオに話しかけるのは、決まってリビングに人がいない時でした。時間帯としては大体夕方17:00頃、キョロキョロと辺りを見回してから、窓から離れた位置に置かれている鳥籠に向かって渋い顔で声をかけるのです。
ある時見かけたのは、こんな感じでした。
「おい、トシユキは無理でも、じいじなら言えるだろ。言え、じいじ、だ」
ピピピピ
「ちげえ、じいじ、だ」
ピピーピピーピ
「じいじ、だ」
ピピピピー
それから数ヶ月ほどでしょうか。祖父とアオは、このやり取りをほぼ毎日繰り返していました。しばらくすると決まって祖父が、
「じいじ、って言ってるだろい……」
とイライラしてきます。そうすると“じいじ”の部分だけが、やたらと力を入れた感じで聞こえるのです。力んでいるというか凄んでいるというか。最終的に、
「なんだ言えねえのか」
と祖父は吐き捨ててタバコを吸いに行ってしまうのですが、それを見計らって私がアオに会いに行くと、
ビビビッ
ビビービビ
ビビビッ!
私はおかしくてつい笑ってしまいました。アオは祖父が凄んでいる様子を真似していたのです。心なしかその様子は得意げに見え、私はアオの頭を指先でかいてやりました。“もっとなでてー!”と言わんばかりに、頭を傾けるのです。
そして私も負けじとアオに話しかけました。
「アオ、元気?」
ピッピィ?
言葉は分からなくても喋ることが出来なくても、アオは音の真似をよくしていました。ヤカンのお湯が沸く音や玄関のチャイムなんかの真似です。それに気づいた私は、アオも少しは話すことが出来るのでは……言い換えれば、簡単な鳴き真似くらいは出来るんじゃないかなと思ったのです。真似がしやすい簡単な言葉として、私が思いついたのが“元気”という言葉でした。
これなら少し音程を変えれば「元気?」「元気!」と会話が成立するかもしれないし、何よりアオにはポジティブな言葉を鳴き真似してほしいと思ったのです。
残念ながら、最後まで発音は“ピッピィ?”のまま。つまり私が尋ねた「元気?」を真似た発音であり「元気!」の発音にはならなかったのですが……。
それでも、他人の体調を気遣える子に育った(?)ということで、私は嬉しく思ったのでした。
◆
夏のある日、私は友達と近所のプールに遊びに行きました。その帰り道でのことです。
友達と別れて、私は自分の家へと向かっていました。降りしきる蝉の声、照りつける太陽、そしてやたら鮮やかな青い空。友人との別れ際にコンビニで買ったスイカ型のアイスバーをシャリシャリと齧りながら、住宅街を歩いていました。
太陽の熱と地面からの照り返しをアイスで誤魔化して歩いていましたが、この年の暑さはそんなもので誤魔化しきれないほどでした。
私は思わず、アイスの最後の一口をかなり大きめに頬張ったのです。
言わずもがな、頭の芯からキーンと痛みが広がりました。そして耳鳴りが。蝉の声をかきけさんばかりの衝撃が私を襲いました。眩暈で体が傾いで、近くの石垣に肩をぶつけました。熱いし、痛いし、最悪な気分でした。
そんな時です。
ビービ、ビービ!!!
ビービ、ビービ!!!
「……アオだ」
聞き間違えようのない、祖父を真似する独特の力んだ鳴き声が繰り返されていて。
私はハッと顔を上げました。
いつの間にか、私は家のすぐ近くまで帰って来ていました。熱い空気に揺られて、家が見えました。しかし、見えたのはそれだけではありません。私より先に家へと向かっている人影が見えたのです。白いタンクトップに、ベージュの短パン。少し猫背。
紛れもなく、祖父でした。アオの鳴き声につられるように、弾んだ足取りで歩いているその様子が少し可笑しくて、私は後ろから声をかけて驚かせようと大きく息を吸ったのです。
しかし、それよりも先に
ビービ、ビービ!!!
ピッピィ、ピッピィ?!
アオの声が響きました。それまでの鳴き声とは違う調子に、私は口をつぐみました。
もちろん、意味するところは分かりました。
じいじ、元気?
祖父の体が不自然に傾いたのは、その時でした。陽炎の中に揺らぐその姿は現実感がなく、私はただ何が起こったのか判断がつきませんでした。
ビービ!!!
「じいちゃん!!」
兄とアオの声が重なり、私はようやく我に返って駆け出しました。
「じいじ!」
◆
今思い返しても、当時のことは不思議でなりません。
祖父が倒れることを予知したようなあの鳴き声は、私の気のせいだったんじゃないかと思うこともあります。
けれど、私はそれでも時折思い出すのです。
この不思議な出来事。
あの夏の暑さ。
鮮やかすぎる空の青。
ぶっきらぼうな、けれど優しい祖父。
小さくて、可愛らしいアオ。
きっといつまでも、思い出すのです。
(完)
ビービ 笹倉 @_ms
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