080. 王城地下
勇者の書の一節には、こうあった。
“勇者が授く聖なる杯”
「聖杯を持たされて、召喚される。そういう仕組みなんじゃ」
「でも、あの時、蒼一さんが持ってたのって――」
「坦々麺だ。ああっ、坦々麺だあぁっ!」
それくらいしか、カップ状の物なんて無い。
「麺入りで聖杯準備すんなや! 食うに決まってるだろうがっ」
「美味しかったですもんねえ。聖水風味でしたか」
彼らに心当たりがあると聞き、ハナが
「まあ、良かったじゃない。今からでも使えば?」
「バカか、捨てたわ、そんな燃えないゴミ!」
城を出る時に、洗ったカップを持って来たのは、そういうことだったらしい。分別に困ったんだと思って、ガン無視したが。
当時の記憶を漁った蒼一は、勇者召喚の仕組みにようやく見当が付く。
「召喚直前の記憶が薄いのは、植え付けられたからだ。ロウと一緒だよ」
「あー、辻妻が合うように、後から足したとか、そういう……」
「そう、後付けで坦々麺を持たされたってことじゃないのか?」
靴を履いていたのは、外出中だったから。カップ麺は、勇者とは別に召喚された。
それで理屈が通る。
「ちょっと待てよ、じゃあ、聖剣っていうのは……」
“女神が賜いし聖なる剣”
「聖剣なら、ユキが持ってるじゃない」
「え?」
「あっ、これですかねえ」
雪は愛用の包丁を取り出した。
白いセラミックの和包丁、ウサギからシェラ貝まで一刀両断。旅の間中、こいつが活躍してきたのを蒼一も知っている。
「お前っ! 聖剣で料理してきたのか!」
「知ってるんだと思ってたわ。言ったじゃない、私たちと逆だって」
「逆?」
「私はトムスに全部渡した。アンタはユキに持たせたと思ったのよ」
初っ端から、聖剣は手元にあった。
――包丁型って、そんなの気付くわけねえじゃん……?
「道理でよく切れます。さすが聖剣ですー」
「オーバースペックもいいとこだ。そりゃ大怪鳥も捌けるわ!」
「便利ですねえ」
雪自身、料理が得意ということはあるだろうが、解体上手にこんなカラクリがあったとは。
つまり、聖“剣”と言っても、剣とは限らないってわけだ。メイリのカッターも、忘却効果が発動しなければ聖剣だったと思われる。
包丁のほうが、カッターナイフよりはマシなのかどうか。
しばらく恨みがましく包丁を見つめていた蒼一は、しかしながら、聖剣はもう要らないと言う。
「どうせスキルも無いし。愛鞘でいい」
「打撃、好きですもんね」
「好きとか言うな。やむを得ずだ」
切れ味は異常なレベルであっても、斬撃スキルが無ければ宝の持ち腐れだ。それならいっそ、雪が料理に使った方が――
「――いいわけねえだろ。そいつは切り札だ。大事に仕舞っとけ」
「はーい」
この最終局面で微妙な戦力増強を果たし、蒼一と仲間は地下階段へ足を踏み入れた。
照明の無い階段は暗く、その先は霞むほど深い。
「似た階段に覚えがある」
彼の感想に、雪とメイリも頷く。
地下大遺跡、三人の頭にかつて見た同じ光景が浮かんだ。
飽きるほど階段を踏み降りた底には、予想に違わず、夜光石に照らされた空間が広がる。
遺跡のような古びた劣化は無く、銀色の金属質の床が光を反射して美しい。
ハルサキムを想起させる王城地下施設。但し、その巨大空洞の広さは、ハルサキムの比ではなかった。
◇
列柱の合間から窺えるキューブ型の施設に、奥へ続くゲート。立ち並ぶ魔
圧倒的に違うのは、視界一杯に広がるその構成物の数だった。
「でけえ……」
「門のデザインは一緒ですね」
一行は気温の低下に肌寒さを感じつつ、正面へ直進する。
ハルサキムでは、ゲートの先にロウが安置されていた。“神託の間”があるとすれば、この奥だろう。
今回も迷わず門へ進もうとしたが、王城地下は、彼らを歓迎してはくれなかった。
ゲート前に棒立ちしていた魔傀儡たちが、一斉に蒼一たちに振り向く。
四角い各施設の扉もバタンバタンと開き、その中から同じく傀儡が溢れ出た。
彼らに向かって走り出す人形の群れは、数を増やしながら黒い波となって押し寄せる。
「これじゃ蟻の巣だ、後退するぞ!」
「ダメ、入り口が閉じる!」
しんがりを務めていたメイリが、真っ先に退路の異変に気付く。
魔光を発しながら、彼らを閉じ込めるように再構築される壁。そして、その分厚い土壁の前に佇む、挙動不審の少女が一人。
「まだダンジョンはクリアしてねえぞ。閉まるの早過ぎだろ!」
「……あれ、レイサじゃないですか?」
少女の正体を、雪が指摘した。
蒼一を追いかけて、後から付いて来たはいいものの、彼女は身動きが出来ずに震えている。
只事ではない雰囲気に、身体が
「何考えてんだ、あいつ! メイリ、助けに行ってやれ!」
「うん!」
レイサに向かい、メイリが、そしてマーくんが駆け出す。
地下空洞の中央近くに、七番目と十八番目の勇者女神ペアが残り、傀儡の迎撃に備えた。
剣を抜いたトムスが、声高に宣言する。
「我こそは七代勇者なり、魔人形どもよ、尋常に勝負だ!」
魔傀儡は、皆一様に長剣と盾を持っている。
馬鹿正直に剣戦を挑もうとする七代目に、蒼一は深く溜め息をついた。
「ハナ、二百年分の説教をするなら今だ。反省してないぞ、こいつ」
「トムス、いい加減にして! また二百年待たせる気なの!」
「えっ、いや、そういうつもりでは……」
一対一ならまだしも、傀儡は数百もいる。勝負を重んじるのか、守るべき者を取るのか。
「すまない。君を護るのを優先すべきだった」
「違う、全員で生き残るのを、よ」
彼は自分のすべきことを理解し、剣先を最前列の魔傀儡に向ける。
「雷炎波!」
轟く水に巻き付く、火炎と雷撃。三種の複合魔法が、剣から扇型に放たれた。
もう数メートル先まで来ていた人形たちが、魔力の奔流に押し戻される。
「やれば出来るじゃねえか。こっちも行くぞ、雪」
「はい!」
「鎌鼠っ!」
蒼一は幻獣で牽制しつつ、柱の陰から続々と接近する傀儡を鞘とボウガンで殴り付けた。
トムスのような派手さは無くとも、慣れた戦闘方法に彼の動きは滑らかだ。
打ち漏らした敵は、雪がロッドで叩き伏せる。
「烈円斬っ!」
トムスの剣閃が水平に宙を斬り、群がる人形たちは一挙に腹を両断された。
「おうおう、いい斬れ味だな」
「これが聖剣の力だよ!」
――ああ、こいつの剣は聖剣だったんだ。……羨ましくはないぞ、鞘も強いしな。高かったし。
「鞘突き! 墜撃っ、連環撃!」
「マジカルストライクッ!」
流れるような打撃は、魔傀儡の数を着実に減らす。その戦果は、決して七代目に劣っていない。
このまま勇者たちが押し切るかと思われた矢先に、後方から少女の悲鳴が上がった。
「きゃあぁっ、ソウイチッ!」
「どうした!」
振り返った蒼一は、メイリのさらに後ろに盛り上がる床を見る。
一点を摘んで持ち上げたような、銀色の隆起。少女の背を超え、葉竜をも上回るメタリックな布の塊が出現していた。
布は粘土に、そして人型へと形を変え、表面には細かな凹凸が刻まれる。
「蒼一さん、危ない!」
「うおっ!」
異様な光景に気を取られ、彼は敵から目を離し過ぎた。突き出された傀儡の剣が脇腹に刺さり、血の斑点が床を汚す。
追撃しようとする人形を、雪のロッドが食い止めた。
「マジカルロッドォッ! ……薬を!」
「大丈夫だ、歩きゃ治る」
それよりメイリたちだ――気が
「先に怪我を治せ、私が行く!」
「すまん、頼む!」
もう敵の攻撃に最初の勢いは無い。トムスが抜けても、蒼一と雪、それにハナの魔法があれば充分に食い止められる。
回復歩行で立て直しつつ、蒼一はさっさと残敵を殲滅しようと、さらに前へ出た。
「来いよっ、バラバラにしてやる!」
自らに傀儡を引き寄せ、彼は両手の鈍器で乱れ打つ。
コマのように回転して敵中を走り回り、只ひたすら重い打撃を放つことに集中した。
一撃で倒せなくても、雪とハナが控えている。
床に転ばされた魔傀儡は、立ち上がる隙を与えられることなく、二人の女神が砕き、焼いた。
人形の破片が、
もがれた手、粉砕された頭部、魔光を明滅させる穴の空いた腹。
無数にも思えた機械の防衛兵も、本気の勇者と女神にかかれば
「よしっ、トムスに加勢だ!」
蒼一は反転して、後方へと駆け出す。
メイリやレイサを守り、トムスはよく戦ってくれていた。しかし、彼をもってしても、未だ敵は健在だ。
それどころか、三人と一匹は、敵の攻撃を避けるうちに大空洞の隅へと追いやられる。
苦戦の理由は、銀色の敵の身体を構成する、その素材にあった。
◇
「烈円斬!」
トムスの斬撃で銀の巨人は真っ二つになるが、水平に入った切断痕は、一拍置いて跡形もなく消えた。
聖剣の直撃を受けても、一時的に動きを止める、その程度の効果しかない。
純粋魔法に至っては、火炎も雷撃も表面を波打たせるのが関の山だ。
「轟槍山っ!」
逆手に握った剣を、トムスはその場で垂直に突き下ろす。
少し離れた巨人の足元から、数十の魔光の槍が噴出し、その体を貫いた。
二百年前は、この技でキュバインを一撃で屠ったこともある。だが、半液状の敵は、これをもヌルヌルとすり抜けてしまった。
近づく巨体に、メイリが宝具を向ける。
「フォーク!」
銀の体表を舐める、三筋の炎。
「助力、感謝する! 迅雷っ」
泡立つ銀へ、トムスの高速の突きが急迫する。雷を纏う突貫と、メイリの火炎の複合攻撃だ。
火と電気を体内に
「これでどうだ……け、剣が!?」
敵の背中を突き破り、腹を貫いた聖剣が、勇者の手に戻るのを拒否する。ガッチリと取り込まれた剣は、いくら柄を引こうがビクともしなかった。
「くっ、ぬ、抜けん……ぐわあっ」
横薙ぎに振られた巨人の拳が、七代勇者を数メートル吹き飛ばす。
「トムスさん! フォークッ!」
火に包まれた銀の体から、ガランと大きな音がした。刃の消えた剣の柄だけが、床に転がる。
後ずさるメイリの背に、先に下がっていたレイサが手を添えた。
ここはもう、大空洞の壁だ。
マーくんが、メイリと交替するように一歩前に進み、精一杯の威嚇を試みる。
「クピピピ……クピィッ!」
そんな虚勢をものともせず振り上げられる銀の腕――。
「キノコには荷が重いデス」
「震音盤っ!」
巨人の全身に高速震動が広がり、銀の飛沫が床に飛び散った。
本体は人の形を放棄して溶け崩れる。
「ソウイチッ!」
「これが本来の使い方だ。肩凝り用じゃねえ!」
今度は十八番目の勇者が相手だ。
銀の巨人との、第二回戦が開始された。
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