075. 月の使者

 翌日の昼前に、蒼一たちは王城へと出発した。

 終焉の平原からの兵は、まだ到着しておらず、マルーズとメイリは暇な留守番役となる。


 途中、ダリアの店に寄ってお守り制作の進捗を覗いた後は、半日の馬車行だ。蒼一が店にいたハナと喋り込むのを見ていた雪は、会話の内容について尋ねた。


「見分け方について相談したんだ」

「ん? ああ、簡単なんですか?」

「物凄く簡単な方法があったよ。あと、こいつもな」


 彼は小さな石盤を見せる。

 絆のタブラ――エマが作った物を参考に、ハナが作った簡易版だった。

 二百歳の魔術師の実力は大した物で、石盤の魔法陣をコピーするのに大した手間は掛からなかったらしい。

 お守りの作成は簡単ではないが、彼女は持ち前の膨大な魔力を使って強引に成功させたと言う。

 さすが大賢者だと、真・老婆は感心しきりだった。


 蒼一たちを乗せた馬車は、夕方には王都の中心部に入る。

 城まで歩いて半刻くらいのところで速度を落とし、ラバルは適当な待機場所を探した。

 大きな停車場を備えた宿を見つけると、そこに一泊分の前払いを済ます。

 実際に泊まる気は無く、蒼一と雪は馬車内に留まったままだ。


 手続きと警戒をラバルに任せ、蒼一は日没を待った。

 フードを被っても、勇者と女神は目立ち過ぎる。せめて人通りが少なくなってから、行動を起こしたかった。

 ジリジリと待つこと一時間、ようやく陽の光がかげり始める。


「退屈ですねえ」

「さすがにな。隠密スキル、欲しいよなあ」


 透明化などという最適な能力は、誰かがとっくに取得済みだ。彼らに出来るのは、闇に乗じるくらいしかない。

 夜が訪れ、夜光石の明かりが目に付く頃、二人は馬車の外へと出た。


「ラバルはもう戻ってくれ。帰りは転移する」

「分かりました。御武運を」

「戦闘が無い方が、好ましいけどな」


 建物の陰を利用し、蒼一たちは人目を避けて城を目指す。


「二人きりなんて、久々ですね」

「デートみたいか?」

「バカじゃないですかー。でも、なんか懐かしいです」


 召喚後の冒険の記憶は、既に思い出となろうとしている。地球よりよほど懐かしい、そんな感覚に、蒼一は複雑な思いを抱いた。


 誰に呼び止められることもなく、慎重に裏道を進んだ先に、王城の尖塔群が現れる。

 堀も防壁も存在しない、ただ王都の中心であることだけを主張する石の城。


 真ん中の本城を取り囲むように、多数の用途不明の箱型施設が設けられ、それぞれが複雑に石壁で繋がっている。

 窓が多く、彫像や屋根飾りの豊富な造りに、蒼一は非戦闘用だという印象を強めた。


「正面の出入り口は三箇所……」

「どこも衛兵がいますね」


 どうせ正式名は警備隊員だろうが、見た目は槍を携えた軽鎧の兵士だ。

 警笛を鳴らされずに済ますには、彼らには近寄りたくない。


 正式な門以外の場所は、背の高い二重の鉄柵が進入者を妨げていた。太い柵の向こうに、城の前庭が見える。


「横手から跳躍で入ろう。俺からあまり離れるなよ」

「分かってます。五メートルくらいでしたっけ」


 雪はお守りの効果範囲を確認した。各自の目玉のアミュレットが揃うまで、単独行動は禁物だ。

 門から遠ざかり、コソコソと城の周囲を回って行くと、植え込みの茂る庭の前に出る。

 刈り揃えられた低木と花壇は、身を隠すのに使えそうだ。


「ここから飛び込むか。音さえ静かならなあ……」

「しょうがありませんよ。ビヨンは蒼一さんの代名詞ですもの」

「嫌な二つ名だな」


 鉄柵を過信しているのか、近くに衛兵の姿は見えない。蒼一は相方の腹に手を回す。


「……跳ねる」


 ビヨーン。


 小声でスキルを呟いても、その後の効果音で台無しだ。

 二重柵を一気に飛び越え、ツツジのような園芸樹の中に着地した二人は、身体を縮めて様子を窺う。


 笛も足音も聞こえない。

 彼らは腰を屈めたまま、庭園を踏み荒らし、城の正面へと移動する。

 目的地は、本城入り口前の広場、“英雄の道”。

 蒼一たちにとって、三度目の訪問だった。


「広場に出てしまうと、監視塔から見つかる。ここから確認しよう」


 植え込みのギリギリ端まで進み、少し離れた“英雄の道”へ目を凝らす。

 雪から紙のタブラを受け取ると、彼は同種族探知を発動させた。


「……大当りだ」

「ハナさん、嬉しくて鼻血出すんじゃないですかね」


 城に来た目的の八割は、これで達成だ。

 タブラに映る緑点の数を、二人は指を折って数え始めた。





 蒼一がエマの執務室に現れた時、女神の巻物を手元に広げる理由を、彼女はこう説明した。


「魔竜にあなたが倒されたら、スキルが選択可能に戻るから分かるわ」


 死んだ勇者の獲得していた能力は、再び未取得スキルとしてリストに載る。

 同時に二人以上が、同じスキルを取ることは出来ない。それが勇者のスキルの仕組みだった。

 十五代の勇者が老衰で亡くなった時、エマの女神の巻物に彼の能力が未取得として復活する。そのことから、彼女はこのスキルシステムの法則を考察したのだった。


 聞けば単純なルールだが、その意味することは重大だ。


「あんた、知ってたのか。生き残ってる勇者は、まだまだいるんだな?」


 その彼の問いを、ギルド本部長は肯定する。

 大量の取得済みスキルは、トムスとメイリだけでは説明が付かない。その他の勇者の所在を、エマは終焉の平原と予想した。


 しかし、石化した者を救出しても、勇者や女神は見当たらず、蒼一は更に推理を進めることになる。

 従者は平原にいても、その主人である勇者は消えた。

 どこへ?


 石となった人、そんな姿に、彼は見覚えがあることに気付く。

 勇者の石像、蒼一たちは王城の前で、石化勇者を既に目撃していた。

 王国の部隊は、魔竜の隙を窺って、平原の歴代勇者だけは回収してきたのだった。


 “英雄の道”にある十七体の彫像の内、七体に同種族探知が反応する。


「ここにも緑点がありますよ」

「本城の裏側か……点は七個」

「一つは動いてますね」


 点の配置から考えて、似た構造の裏庭があると思われた。動く点は、おそらくメイリの相棒か。


「裏のは女神っぽいが、見に行くのは難しいな。城内には入りたくないし」

「それじゃあ、絆の石盤を設置して、帰りましょう」

「オーケー」


 弱いながらも、ハナは石像のトムスとリンクしていた。絆が機能すると期待していいだろう。


「ハナがいて助かった。婚約指輪をオッサンに嵌めなくて済んだ」


 石盤には、ペンダントのような紐が付いている。こいつを首に掛ければ、ミッション終了だが……。


 勇者像までの広い舗装路には隠れる場所がなく、蒼一はスピード勝負に出た。

 茂みから一歩踏み出し、さあ走ろうと構えた瞬間、警笛音が闇を切り裂く。


「くそっ、真面目に仕事し過ぎだろ!」

「兵が来ます、転移しますか?」

「いや……」


 ここ一帯の建物は、城詰めの部隊のための兵舎だ。城の正面、そして“勇者の道”の左右から、守備部隊がワラワラと出動してくる。

 隠密に済まそうという蒼一の作戦は、呆気なく瓦解した。


「霊鎖はいつだって出来る。跳ぶぞ!」

「は、はいっ」

「粘着っ」


 彼が放った粘着は、雪の背中に命中する。その背に自分の左手をくっつけると、蒼一は城の屋根に向かって跳び上がった。


「跳ねるっ!」

「あわわ」


 仲間を抱えた跳躍する際は配慮していた、そんな蒼一の気遣いに雪はここで気付く。今回は遠慮が感じられない。

 空中での急制動に、着地直後の連続ジャンプ。目まぐるしく軌道を変え、勇者は屋根から屋根へと、飛び移った。

 二人の黒い影が、月をバックに浮かび上がる。


「ははっ、ついてこれる奴はいねえな」

「ど、どこに向かってるんです?」

「裏庭だよ、せっかくだからな。粘着っ」


 警笛の数は増え続け、兵の喧騒は四方から聞こえた。

 本城の頂点まで辿り着いた蒼一は、雪の接着を重ねつつ、そこから裏庭まで一息で下降する。


「ひいぃっ!」

「結構、楽しいだろ、これ!」


 降下ポイントは、タブラで見た光点だ。

 予想に違わず、女神像が立ち並ぶ“祝福の道”が眼下に迫る。

 像に混じり、一人の少女がこちらを見上げていた。

 彼は落下場所を微修正しながら、その娘の目の前にフワリと着地する。


 メイリと同年代、十代らしき幼さの残る顔。

 キメの細かいドレスは、月明かりを反射して輝いており、暗くても高級なものと見て取れる。


「……大事にはされてるようだな。大賢者に話は聞いてる」

「勇者様」

「そうだ。頼みがあるんだが――」

「月の勇者様!」

「ん?」


 空から降り立った黒髪の勇者。彼女が夢見たより地味な顔だが、それは構わない。


「お待ちしてました。助けて下さるのですね?」

「あー、まあ、そうなるかな」

「大賢者様は、いつか勇者が迎えに来ると仰っしゃてました。囚われの女神を、勇者様が救う……」


 少女は両手を胸の前で組み、月を見上げ、また蒼一に熱い視線を戻す。

 不機嫌な声が、二人の会話へ割り込んだ。


「蒼一さん、いい加減解放してください」

「粘着が解けるのを待ってくれ」


 手荷物のように背中を彼の左手に固定され、雪は四つん這いになっている。彼女も少女の顔が見たかったが、これでは前を向くのも一苦労だ。


「あの……これ持ってて」


 絆の石盤を彼女に手渡そうとすると、少女は蒼一の手ごと両手で包み込む。


「これは、証ですね。二人の運命の証」

「もう何でもいいから、コソっと持っとくんだぞ。また来るから」

「えっ、帰られるの!?」

「うん、帰られるの。ちゃんと助けに来るから、心配すんな」


 謎の侵入者を探して、守備隊員たちが城の裏口にもやって来た。


「いたぞ、あそこだ!」


 石盤が取り上げられなければ、これで城に転移も可能である。夢に生きる少女の相手は、石像たちに任せよう。


「ペンダントは身に付けろよ。頼んだぞ、本当に」

「誰にも渡しません」


 月からの使者は、彼女の名前を呟いて消え失せる。


「やっぱり……私の勇者様……」


 駆け寄った隊員たちは、庭園に散って不届き者を探すが、もうその痕跡すら無い。


「レイサ様、お怪我は?」

「大丈夫です。何もされてません」


 十七番目の女神、レイサ・クールスは、再び月に祈りを捧げる。

 その同時刻、蒼一たちは、ナグサに無事転移を成功させていた。ようやく粘着効果が切れ、ドサリと雪が地面に崩れ落ちる。


「イタッ! もうちょっと優しく……蒼一さん?」


 幽霊でも見たような彼の顔を、彼女は不思議そうに見上げた。


「あれはアカン。マルーズがイノジンなら、あいつは魔竜クラスだ」

「あー、ドリーミーな感じでしたもんね。バジリスクの女神」


 蒼一の苦手な人物トップの地位は、この夜、エマから十七代女神に交替したのだった。

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