073. 勇者の夜は遅い
拠点の風景を予期していた蒼一は、霊鎖で飛んだ先の様子に戸惑う。
暗い屋内、ランプだけを光らせて、年老いた婦人が机に向かいペンを走らせていた。
見上げた顔に、彼は自分のいる場所を知る。
「よう、バ……エマ。こんな時間まで仕事か」
「本当にいきなり現れるのね。魔竜は倒したの?」
「ついさっきな」
さして驚かないのは年の功だろう。いきなりの闖入者に、彼女は静かに手を止めた。
ギルド本部長として、すべきことは多い。精力的に取り組むエマでも、深夜の作業はいつものことだった。
山と積まれた書類の横に、蒼一は馴染みのある巻物を見つける。
「それ、あんたの巻物か。気になることでも?」
「十八番目の勇者の安否よ。こうしとけば、すぐ分かるでしょ」
「どういうことだ」
彼女の説明を聞き、蒼一はしばらく黙って思考を巡らせる。
――どうしてそれに、思い至らなかったのか。
無人の火口、バジリスク、それに胡散臭い王都。頭の中で再現されるあちこちの映像を繋げ、意味をなそうと彼は努めた。
時間を遡り、自分の召喚を振り返った時、ようやく一つの推論を導き出す。
「……助かったよ。ハナも喜びそうだ」
「そう? 役に立ったなら良かったわ」
彼の考えが正しければ、またすぐここに来ることになる。
近い再会を約束すると、蒼一はヤキモキして待っているはずの仲間の元へ、戻ることにした。
「ハナの件、先に片付けてくる」
「二百年越しの案件を解決するのね。自慢していいわよ」
「大したことじゃねえよ」
今までの連中が、馬鹿正直過ぎるだけだ。彼は謙遜でなく、本気でそう考えつつ、霊鎖を発動する。
今度こそ、寝ずに火の番をしていたハナの横に転移した。
「どうだった!?」
バッと振り向いた彼女に、蒼一は親指を立てた。
「バッチリだよ。多分な」
「……あ、ありがとう!」
つっかえながら礼を言うハナは、泣いてこそいないが、表情はクシャクシャだ。
何度も繰り返される感謝の言葉は、寝ていたマルーズたちも起こした。
「上手く行ったんですね!」
「ああ、次は石化した犠牲者だけど……治ってないのか」
拠点の近くにも、黒土にまみれた石像は転がっている。闇夜でも、それらが人として復活していないことは見て取れた。
残念そうに見回す彼を、ハナが大丈夫と微笑む。
「石化は解呪しないとダメなのよ。魔竜が生きている間は、それすら無効だった」
「じゃあ、今なら石から戻せるんだな?」
小さな女神が、力強く頷いた。
待ち切れない彼女は、すぐにでも解呪に取り掛かると言う。
「止めても無駄だろう。俺も付き合ってやるよ」
「私も元気なんで行きます。消化運動しないと」
雪も加わり、三人で深夜の平原を探索して回ることに決まった。全員で行っても無意味なので、他のメンバーは、そのまま拠点で待機だ。
朝には戻ると言い残し、蒼一たちは闇の中へ歩き出した。
◇
石化解除の第一号は、拠点に近い兵装の三体。
回復と解呪は系統の違う魔法らしく、癒しの女神の力だけでは解呪できない。
ハナは鞄から小さな石盤を取り出し、右手に握り込んで力を与える。
「この時のために用意してたの。百年前からね」
「気の長さは認めるよ」
魔力を流された石盤は眩しく輝き、彼女の指の隙間から、白い光が漏れた。光は粉となって舞い、石像の上に降り注ぐ。
「清浄なる魔の煌めきよ、呪われし身を染めよ!」
ゆっくりと落ちる光が石の体に積もると、石像自体が白く輝き始めた。
数瞬後、光が収まり、本来の色を取り戻した兵たちが、重力に従って地面に手足を投げ出す。
「成功だな」
「ど、どうなってる……」
上半身を起こし、状況が把握できずに狼狽する三人の男。
「俺は勇者。このチビは女神、後ろのも女神」
「え? あっ……勇者様、随分と地味な顔に変わられて……」
「うっさい、石に戻すぞ」
彼らは十三番目の勇者に率いられて、この地に遠征したということだ。
魔竜には敵わないと、火口から逃げ出したところを、石化ブレスでやられたと思われる。
代が変わっても勇者には素直な三人は、救出されたことに感謝を述べた。
「あそこに焚火が見えるだろ。もう一人、勇者がいるから、そこで待っててくれ」
「承知しました」
「焚火、大きくした方が目印になるな。それも勇者二号に伝えといて」
「はっ」
昼間見渡した限りでは、平原には相当な数の石像があった。
トムスの手掛かりを求めて、ハナは次の犠牲者へ向かう。
無謀な冒険者の五人組。
十六番目の勇者の従者。
ハナの召喚より古い、王国の討伐隊二十余名。
夜明けまで黙々と続いた解呪作業で、総計百人を越す石化者が助けられた。
皆、記憶に少し混濁はあるものの、体調に問題は無い。
自分の故郷へ帰って行った冒険者たち以外は、メイリのいる拠点に集合し、お互いの身の上を話し合って過ごす。
地平線が明るくなる頃には、平原に犠牲者は見当たらなくなり、蒼一たちも一度ベースキャンプに戻った。
「明るくなるのを待ってたのよ。火口に行きましょう」
「ん、ああ……」
ここまででは特にめぼしい情報を得られず、ハナは本命の魔竜の巣に期待を掛ける。
生き返った者の世話はメイリとダッハのペアに任せ、解呪担当の三人は、カルデラの内側へ向かって行った。
◇
火口中央を見下ろす位置まで来ると、ハナは一瞬、息を飲む。
朝日に照らされるバジリスクの遺体は、死して尚、女神の二人を怯ませる巨体を晒していた。
「もう死んでるよ。石化が解除出来たんだからな」
「そ、そうね……」
気を取り直し、火口探索を開始したハナは、暫くして顔を酷く曇らせる。
それを予想していた蒼一は、彼女に自分の考えを静かに告げた。
「この火口には、石像はなかった。そこら中を跳ね回ったから、おそらく見落としも無い」
「そんな……おかしいじゃない! ここが巣なのよ」
今まで討伐に来た人間は、本当にここを対決場所にしたのか。蒼一は火口で戦ったが、石像は外の平原に転がっていた。
「これは推測だけどな。このバジリスク、もう弱ってたんじゃないかな」
勇者に打ちのめされた頭部には、よく見れば他にも無数の細かい疵が見える。何百年と生きてきた魔物だ、表皮にもその歴史が刻まれていた。
竜を観察していた雪は、彼の言いたいことを理解する。
「この魔竜、衰弱してたので火口から出て来なかった。そういうことですか?」
「いくらなんでも、もう歳だったんだろう。こいつは人間で言う爺さん、もしくは――」
「もしくは?」
「ババアだ。どこかの本部長みたいな」
死に際に見せた、この巣への執着。最期の攻撃は、蒼一を遠ざけようとしてのものだ。
若い竜なら、自ら迎撃に出向き、巣へ近づく者を許さなかったのではないだろうか。
「じゃあ、トムスは!? まだ平原のどこかにいるの?」
「いや、それなんだかな……」
蒼一はエマから聞いた話を伝え、自分の考察を聞かせる。
「まさか……いや、でも……」
「蒼一さんって、たまに鋭いですね」
「たまには余計だ」
元々、巣の調査が済めば、次は王城を調べる予定だった。ハナもその行動方針に、ここに来て同意する。
「城に向かいましょう。まずはお守りね」
「お前も覚悟を決めろ。チンタラやってても、決着は付かねえ」
「城を襲うってこと?」
「違う、王国を潰すってことだ。不安は分かるが、一気に攻めないと効果が無い」
勇者システムを潰す、それは賭けだ。何も起こらないかもしれないし、何かを台無しにするかもしれない。
「タイムリミットが無いと、また何百年と無為に過ごすことになるぞ」
「…………」
ハナの逡巡する横顔を、陽の光が暖かく照らした。
トムスは何て答えるかしら――彼女は消えた相方を心に浮かべ、その返事を想像する。
「記憶が万一消えても、またトムスさんと一からやり直せばいいんです。メイリみたいに」
雪の言葉で、ハナも決意を固めた。
「やるわ、全部壊して、もう一度最初から。旧城に再遷都しましょう」
「いや、そこは壊したって」
新たな目標を確認した三人は、魔竜を残し、火口を後にする。
拠点では、蒼一の指示を待つ百十三人の兵が、整列して彼らを待っていた。
◇
大人数を前に演説するのは、カナン登山口以来か。蒼一は演説内容を事前に考えるのは諦めて、即興で語りかける。
「みんな、聞いてくれ。魔竜は倒した」
改めて発せられた討伐宣言に、ウオーッと野太い歓声が上がる。
「勇者の書にはこうある。“十八番目の勇者、魔竜を
これは本当だ。皆には読めなくとも、彼は書を開け、新しく増えた記述を高く掲げた。
「だが、こう続く。“王城に掛かる呪いは未だ解けず。勇者とその百人の仲間に、未来は委ねられり”」
ザワザワと顔を見合わせる兵たち。
「城の呪いって?」「魔物が潜入しているのか?」そんなひそやかな会話が漏れ聞こえる。
「王国の平安は、城を解放して初めて成る。神統会の幹部たちも、呪いで洗脳されてしまった」
「なんてことだ……」
「勇者様、我々はどうすれば!?」
王国領内で最も強い力を持つのは、五百年に及ぶ呪縛。次が勇者の勅令だ。
蒼一たちすら縛る呪いには勝てないが、無人の平原で兵を煽るくらいは朝飯前だった。
「百人の仲間というのは、お前たちのことだろう。城の解放前に、サーラムに集まって欲しい」
「我々が仲間……」
「そうだ。準備を整えたら、王国を救うぞ!」
「お、おおーっ!」
彼らを無策で王都に突入させると、呪縛で寝返られてしまう。いくつか前準備が必要だった。
長年の間、石と化していた者たちも、その直前の記憶は決戦前の高揚した心持ちである。
魔竜の代わりに新たな目標を与えられ、彼らは士気高く上気していった。
蒼一は雪と場所を交替して、締めの言葉を彼女に任せる。
「敵は王城に在り。お行きなさい、女神の子たちよ!」
「うおぉぉーっ!」
百人と少しの勇者部隊は、雪特製の携帯食をお土産に、サーラムへと徒歩で出発した。
彼らが着く前に、蒼一たちは先行させてもらう。
一部始終を後ろで眺めていたハナは、今代勇者の口から出まかせに震撼していた。
「私が悪者になるはずだわ……政治家向きじゃないの、アンタ」
「地球じゃそうだったのかもな。才能?」
「調子に乗っちゃダメですよ、蒼一さん」
――さて、ダリアの首尾はどんなもんかね。
約束の期限にはまだ早いが、抗呪の魔具の完成に期待して、勇者一行も馬車へと乗り込んだ。
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