072. 殴り合い

 精一杯、石竜の側面に移動し、裏をかいたつもりだったが、魔物は首を曲げただけで蒼一を視野に入れる。

 石化ブレスの後、火口の中央に戻ったバジリスクは、全神経を集中させて彼を待っていた。

 カルデラの縁から降り始めた段階で、近付く勇者は丸見えだ。


「コソコソしても無駄だな。警戒走行!」


 鞘を抜き、全力疾走を開始する蒼一。石竜にブレスを吐く気配はなく、彼に付き合うように地を駆け出した。

 巨大な身体に、砂地獄は効き目が薄い。では、定番の粘着は?


 間近に迫った太い足を目掛け、彼はフルパワーの粘着を連射した。

 ほんの刹那、魔竜は躓いたように動きを止める。

 足元を拘束されたことに重低音で唸ると、バジリスクは力任せに前脚を持ち上げた。


 粘着で固められた黒土の塊が大地から強引に引き剥がされ、地面は深くえぐられる。

 足先には、窪みと同等の大きさの土の小山がくっついていた。


「無理やりなら動けるか……おかげで効果範囲の限界がやっと分かったわ」


 足を封じることは出来なかったものの、大量の土を接着したままでは、魔竜も行動しづらい。

 粘着した土塊を砕こうと、竜が足を地に打ち付けている間に、蒼一は跳躍で移動する。

 バジリスクの斜め前から、顔の横へ。

 さらに接近して腹の右側にまで跳んだ彼は、最後の目標地点を見上げた。


「背中は噴出孔があるからな。狙うなら――」


 バネ音が勇者を打ち上げ、蒼一は真上から魔竜へ降下する。


「――ここならどうだ!」


 竜の首の付け根、蛇のような細かな鱗が密集する部位に着地すると、彼は自らの足を粘着させた。

 蒼一を振り払おうと、バジリスクは首を左右に振るが、それくらいならスキル無しでも耐え得るレベルだ。


「いくぜ、鞘突きっ!」

「グガァッ!」


 鞘が鱗を砕き、小さいながらも確実に表皮に傷を付ける。何層にも重ね作られた竜の鱗皮へ、彼は一点集中の打撃を繰り返した。


「盾撃っ、鞘打ち!」


 少しずつ、蜘蛛の巣状の亀裂が広がる。

 振り落とせないなら、直接叩けばいい。魔竜は体を揺らすのを止め、長い尻尾を大きく海老反らせた。

 尻尾を器用に薙ぎ払い、首裏に張り付いた蒼一を狙う。


 ボグンッ!


「ぐうぉっ!」


 粘着効果が切れていたおかげで、彼は空中に弾き出される。辛うじて致命傷は食らわずに済んだが、肋骨と右腕からは嫌な音が確かに聞こえた。

 飛ばされながらも、彼はスキルによる脱出を図る。


「脈応!」


 霊鎖で戻るのは、もう少し殴ってからだ。霊脈ポイントへの転移を発動し、有利な再出現場所に期待する。

 激痛に喘ぐ蒼一が現れたのは、火山の南方、カルデラの外だった。


「つっ……毒反転……」


 無事な左手で、残り少ない猛毒をあおり飲みつつ、彼は魔竜の様子を眺める。

 バジリスクは消えた敵の行方を探して、首をもたげて見回していた。

 尾の先端ギリギリでの打撃は、骨にヒビを入れたものの、回復作業に支障は無い。尻尾の先を前もって切り落としていなければ、更に厳しい直撃にもなり得た。


「首は安全地帯だと思ったんだがな……」


 魔竜が火口から動こうとしないのは、魔力を回復したいからだろう。あんまりグズグズしていると、せっかく破壊した霊脈が復活しかねない。


「あれ、使うか……」

「アレ?」

「お前、数を数えてくれ。等間隔で、正確にな」


 ロウに戦闘手順を説明し、再び彼は立ち上がる。


「首に穴を開けてやる」


 毒反転の優秀な効果で完治した蒼一は、またバジリスクに向けて走り出した。


「グルォォォーッ!」


 早いライバルの再登場に、竜は雄叫びを上げて歓迎する。


「警戒跳躍、跳ねるっ!」


 警戒スキルで敵の動きを把握しつつ、竜の隙を窺う勇者。時折、粘着を挟み、バジリスクの攻撃リズムを狂わせる。

 着地際を狙った尻尾の薙ぎ払いを連続ジャンプで躱し、彼はもう一度首への登頂を試みた。


「行けるか!?」


 魔竜の噛み付きを紙一重で避け、勇者は上空へ舞い上がる。

 降下ポイントは狙いの通り。彼は見事に首への着地を成功させた。


「粘着っ、数えろ、ロウ!」

「ハイデス! 六十……五十九……」

「被害遅延!」


 背中の盾がカウントダウンを開始すると同時に、蒼一はボウガンと鞘を両手に構える。


「鞘突き! 墜撃っ!」

「グルァッ!」


 すかさず尾の振り払いが襲い掛かるが、ガツンと音はすれど勇者は剥がれない。

 ゴンゴンと響く蒼一の打撃と、魔竜の尻尾による衝撃音が、交互に繰り返された。


「乱れ鞘打ちっ、割れろこの野郎!」


 “被害遅延”の効果は、スキル振り直しの際に試している。

 約一分、ダメージを無効化した後、蓄積した被害が一気に解放される能力だ。

 反動は強烈とは言え、一分の無敵時間を生むこの効果は、リストに残る中では最強のスキルだった。


 蒼一の打撃は鱗を割り飛ばし、より深く竜の首をえぐって行く。

 それはもう打撃ではなく、掘削作業だ。


「三十二……三十一……」

「重撃、鞘突きっ!」

「グオォォォーッ!」


 遂に耐え切れ無い痛みを感じ始めたバジリスクは、その場を狂ったように跳ね回り出す。

 尻尾が蒼一へ向かって、何度も振り回された。


 鞘が鱗の下、厚い皮を破り、脂肪を殴る。

 血と脂が跳ね散り、蒼一の装備を赤黒い斑点が汚した。


「十五……十四……」

「届いたぞ! ロウ、数はもういい!」


 鞘とボウガンを腰に戻し、盾を左手へ。

 グチャグチャに掘られた穴は、脂肪を越え、硬く黄ばんだ底に到達していた。

 首裏に動脈は無いが、この急所、頚椎がある。


「研磨あーっ!」

「グルアッ!」


 深い傷穴に右手を突っ込み、スキルを使って穴を拡張する。

 尻尾による懸命の反撃が、これでもかと首裏の敵を打ち据えたが、無敵化した勇者にはそよ風に等しい。

 骨に刻まれた割れ目に、血溜まりが吸い込まれて行く。

 亀裂を広げるための、あと一撃を。


「震音盤っ!」


 高速震動が、脊髄を激しく揺する。

 ピキピキという乾いた音と共に、割れた骨がズレ動いた。


「ガアアァァァーッ!」


 猛烈な痛みが竜の全身を蝕む。

 支え切れなくなったバジリスクの頭が、力を失って地面に落ち込んだ。


「霊鎖っ」


 大ダメージを確認すると、急いで蒼一は転移する。

 ハナの目の前に出現した彼は、張り裂けんばかりに叫んだ。


「回復を! 全力でやれ!」

「わ、分かった!」


 痛みに身構え、しゃがみ込んだ蒼一に向け、癒しの女神のフルパワーが注がれる。

 回復の魔光に包まれるのと、被害遅延の時間切れは、ほぼ同時だった。


 ――い、いてえぇっ! ぐああああーっ!


 勇者は黙って、ひたすら全身がバラバラになるような衝撃に耐える。

 “被害遅延”の無敵化には、時間差のダメージ以外にもデメリットが存在した。

 効果が切れた瞬間から、一分間は身じろぎすら出来ず、ただ無防備に静止しなくてはいけない。

 激痛に声を上げることもなく、精神力の限界に挑戦するだけの時間。


 永遠にも思える長い一分が過ぎると、既に気を失っていた蒼一はグニャリと地に崩れ伏せた。


「ソウイチッ!」


 メイリたち仲間が駆け寄るが、ハナによる回復はまだまだ必要だ。

 魔法の邪魔にならないように、皆は少し離れて、激闘を終えた勇者を見守る。


 その姿は、頚椎を破壊されたバジリスクによく似ていた。





「し、死ぬかと思った……」

「失礼ね、癒しの女神をナメないで」

「めちゃくちゃ痛いんだって。もう一回って言われても、遠慮したいね」


 ねぎらいのつもりか、雪がトカゲの毒苔焼きを彼に差し出す。


「これどうぞ。美味しいですよー」

「そうなんだろうけど、毒だからな、それ」


 毒反転を掛ける蒼一へ、皆が戦闘結果の報告をせがむ。


「ん……次でラストだと思う。これ腹立つくらい美味いな」

「死んではいないのね?」


 ハナはまだ不安そうだ。

 そんな彼女の頭を、グリグリと蒼一は撫でた。


「大丈夫だ、もうまともに動けないよ。後はトドメだけだ」

「ちょっとぉ、子供扱いしないで!」


 彼がトカゲを五切れほど平らげる間に、メイリとマルーズが、装備の手入れをしてくれる。

 鞘や盾の汚れは拭き取れたものの、蒼一の服の血痕までは無理だ。


「どうせまた汚れる。終わったら池で洗うさ」

「もう行くんですか?」

「ああ。雪もラストスパートだな」

「はい、全部食べ尽くせそうです」


 一体、何匹のトカゲを食ったんだろうか。残滓からして、三十は越えてそうだが。

 時間は深夜、霊脈の明かりも消えたため、ランプを光らせて蒼一は出発する。

 火口へ向かう途中、ロウが珍しく自分から話し掛けて来た。


「さっきは石化攻撃をしてきませんデシタネ」

「魔力切れだろう。回復してないといいけど」

「注意してクダサイ」


 これだけ優勢でも、相手には一発逆転が有る。油断を戒める、戦闘経験の豊富なロウからのアドバイスだった。

 気を引き締め直し、火口縁に着いた彼は、未だ同じ場所にうずくまる魔竜を見下ろした。


「やっぱり動いてない……警戒走行っ」


 ややスローペースの駆け足で、蒼一は竜に近付いて行く。

 敵の尻尾と目が動いたのを契機に、黒剣が抜かれた。


「百花繚乱!」


 虹の魔光は照明の代わりも務めてくれ、対峙する両者を淡く浮かび上がらせる。

 明らかに弱った魔竜は、尾を振り上げるのが精一杯で、頭は微動だにしない。


「悪く思うなよ。尻尾の攻撃範囲に入る気はねえ」


 そのまま正面から接近し、蒼一は唸り声を上げるバジリスクの鼻先にロウを掲げた。


「盾撃っ」


 グオグオと咆哮して牙を剥く魔竜だったが、動けなければ単なる的だ。


「鞘打ちっ、盾斬り!」

「グギッ!」


 勇者は竜の頭部を乱れ打ちして、決着を付けようとする。

 なまじ丈夫な体が、バジリスクを延命させるものの、それも長くは保たない。


「これで終わりだ、乱れ鞘打ちぃっ!」

「グルッ、ガアァッ!」


 目を閉じ、薄れる意識に死を覚悟する竜。

 終焉の平原の主は、遂にその生涯を終えようとしている。しかし、大人しく敵の好きにさせるつもりはなかった。

 背中の噴出孔に、赤い魔光が点る。最期にかき集めた魔力が、忌ま忌ましい勇者に向かって放たれた。


「それがラストか」


 空圧盤に風陣脚、風が赤粉を押し戻す。口からのブレスほどの勢いは無く、このまま防ぎ切れるかと蒼一は期待した。

 ところが、死を受け入れた魔竜の石化光は、予想以上に長く続く。体内に残る魔力を、バジリスクは全て放出したのだ。


「グルァー……」


 火口に響く、弱く長い竜の断末魔。

 石化の王は、看取られることを望まない。石になりたくないのなら、ここから立ち去るがよい。


 赤い光は、死に行く魔竜の矜持だった。

 魔光の蛍はホーミングもせずに漂い、ただゆっくりと火口を満たす。黒土を赤く染める光の他、火口には老いたバシリスクと勇者がいるだけだ。

 血みどろの最終決戦の予想を裏切られ、蒼一は戦意を失くしてスキルの発動を止めた。


「危ないデスヨ、空圧盤ヲ!」

「もういいよ、好きにさせてやろう」


 再び薄く開けられた魔竜の目の奥を、彼は覗きこむ。

 そんな勇者を急き立てるような、短い咆哮。


「……霊鎖っ」


 ここまで来れば、後は待つだけだろう。

 火口を満たして行く石化の光から、彼は転移で脱出した。


 長年に亘る魔竜と勇者の因縁は、ここに幕を下ろしたのだった。

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