070. 魔竜
今は無機物となった犠牲者を除けば、平原には生物らしき姿が無い。
植物も、土と同色の渇いた苔類が目立つくらいで、死の世界という表現が最も相応しかった。
「ここの魔物は、何を食ってるんだ」
「苔ですかねえ」
「お前は試食するなよ」
地面にしゃがんで手を伸ばした雪を、蒼一が見咎めた。
「モズクみたいです。パリパリの」
「パリパリの時点で、モズクには似てない。さっさと捨てろ、毒持ちだ、それ」
苔による僅かなダメージ反応が、皮膚に触れることも危険だと勇者に教える。
毒を摂取する魔物というのも充分有り得る話ではあるが、それでも苔の量自体が少ない。
魔物の食生活が判明するのは、もう少し先だった。
石の冒険者たちの中を通り抜け、緩やかな黒い丘の上に登ると、眼下に小さな池が
池の周りに、ようやく発見する生き物たち。人と変わらない大きさのトカゲが数十匹、これが魔竜の眷属だ。
「石トカゲよ、気をつけて」
「ブレスは吐かないんだろ、何で“石”トカゲ――」
ハナに教えられた名前の由来は、すぐに蒼一も理解した。トカゲは岩に齧り付き、土に歯を立て夢中で咀嚼中だ。
「こいつら、石を食ってやがる」
「私がチラッと見た限りでは、魔竜は石トカゲの変異体だと思う」
「大きさは?」
「デスタ洞窟の亀より大きい」
――まあ、尋常で無い魔物なのは予想してたさ。親玉の前に、雑魚退治と行こう。
「小細工はいらんよな。みんなで撲殺だ」
「撲殺は十八代コンビだけでしょ」
殴り合いに付き合うつもりが無いハナは、両手に魔石を握った。
マルーズはロッド、ラバルは魔剣、メイリも“ほうく”を持って勇者の合図を待つ。
「よっしゃ、散れ! 殲滅戦だ」
蒼一たちは丘を駆け降り、扇型に広がって魔物に急迫する。
騒々しい彼らの足音に、トカゲたちは一斉に首をもたげ、敵に顔を向けた。
「クピーッ!」
葉竜の遠慮の無い大きな叫びが、平原一帯に響き渡る。
一番乗りは、全力なら馬より速いマーくんだった。
ジャンプでトカゲの群れの中に突っ込んだ葉竜は、手近な獲物を脚の爪で貫き押さえる。
ミミズをついばむ鶏のように、トカゲの首を噛みちぎると、また次の標的へと跳んだ。
石トカゲも、決してのろまな魔物ではない。だが、久々に張り切るマーくんの動きに、ついて行くのは難しい。
蒼一たちが池の辺に追いついた時には、キノコの竜はさらに奥へと進攻していた。
「おい、一人で突っ込み過ぎんなよ!」
「クピクピーッ!」
「駄竜は調子に乗り過ぎデス」
小さな翼をパタパタと振るのは、蒼一への返事のつもりだろうか。
葉竜は一直線に進んで、食い散らかしたため、そのままでは数の多いトカゲに囲まれてしまう。
仕方なく、竜を援護するために、蒼一と雪も前に突っ込んだ。取りこぼした石トカゲは、他の四人でも充分対応できる。
「鞘突きっ」
「マジカル雪っ!」
「……ちょっと待てや」
蒼一の横で、相方がマジカルな自己紹介を繰り返す。雪は力強くロッドを振るが、特に効果は発動しない。
「敵にも試してみたいんですよ」
「実戦でやるか?」
「うーん、攻撃じゃないのかなあ……」
二人の会話中にも、怒り狂う石トカゲが次々に寄って来る。
「こいつらに噛まれない程度にしとけよ。俺が痛い」
「はーい」
ロッドを左手に持ち替えた彼女は、右手で拳を作り、這い寄る爬虫類を睨んだ。
「……マジカル雪パーンチッ!」
「ギュエッ!」
「ぎゅえーっ!」
トカゲと蒼一の声が、見事に重なる。
女神による素手の魔力パンチは、魔物の顔面を破壊したが、本来なら手も無傷では済まないはずだ。
その衝撃は、勇者が肩代わりした。
「これ、これですよ、蒼一さん!」
「違う、やめろ……」
「マジカル雪ダブルパンチッ!」
「ぐおっ!」
回復歩行だけでは間に合いそうもなく、彼は毒反転を掛けて地面の苔を腕に擦り付ける。
「ダブルで痛いわっ!」
「でも、雪の女神だから……」
「“雪”はパンチに関係ねえっ」
叱られた彼女は、通常のロッド攻撃に戻して、攻撃を再開した。
マジカル雪ストライク、マジカル雪コークスクリュー。とりあえず技名に雪と入れ、様子を見るつもりらしい。
彼らの後方では、火炎が逆巻き、水流がトカゲを押し流す。
今まで様々な魔竜討伐隊が組織され、最大で百人単位の人員が派遣されたこともある。もちろん、トムスを始めとする勇者や女神も、何度もこの地を踏んだ。
そんな歴代の部隊と比べても、蒼一たちの戦力は遜色無い。
雑魚トカゲの一掃は、半刻も経たずに完遂した。
華々しい初戦の成果にも、蒼一たちは驕らず、油断もしない。
最も大きな岩を見繕い、そこに基点を設定する。ラバルには馬車を取りに戻ってもらい、野営のための備品を運んだ。
焚火を起こし、長期戦に備えて、寝場所や食事の準備も行う。食料と回復薬に不足は無く、数日はここに留まって戦えるだろう。
皆にはベースに待機してもらい、ハナに聞いた霊力溜まりへと蒼一は出発する。
過去、短期決戦が多かった魔竜にとって、今までで最も厄介な相手との戦いが始まろうとしていた。
◇
荒野を行く勇者の前方が、坂を成して迫り上がる。
ベースから二十分ほど、途中、チョロチョロちょっかいを出してくる石トカゲを殴りつつ、彼は目的地へ到着した。
ここは古い火山の痕跡。蒼一の登る斜面はカルデラの円環の一部で、坂を越えた向こうが火口に当たる。
その火口跡こそが、魔竜の巣穴であり、ハナが探索を求めた場所だった。
カルデラ外縁は、精々丘と呼べる程度の高さしかなく、火口自体も直径約一キロの小さな火山だ。
魔竜にしてみれば丁度良いサイズで、四方を壁で囲まれた家として使われていた。
石竜バジリスク、グレーと黒のツートンカラーの巨大トカゲを、勇者が見下ろす。
「竜ねえ……羽根も無いし、ただのシマシマのトカゲじゃん」
敵は隠れることもせず、火口のど真ん中で、身体を丸めて眠っていた。
蒼一個人に怨みは無いが、ハナは竜の討伐を強く願った。本体の死亡が、石化の呪いを解く必要条件かもしれないからだ。
いずれにせよ、この火口を黙って探索させるほど、バジリスクは温厚な魔物ではない。
「さて、何から行くか。やっぱり鞘で一発かな……」
遮蔽物の無い地形では、隠密行動など無効と、彼も堂々と竜へ歩み寄る。
とぐろを巻く石竜まで四百メートル、魔物は動かない。
二百メートル、僅かに尻尾の先が揺れただろうか。
残り百メートル、短い脚に力を込め、バジリスクはのっそりと胴体を地面から浮かせた。
「グルルゥゥ……」
「威嚇のつもりか? 殴りやすいように、そのままじっとしとけ」
鞘に手を掛け、小走りを始めた蒼一は、竜の腹下の光に気付く。
この地点は、強烈な霊力溜まり。石竜はその霊力を常に浴び、数百年を生きる力の根源としていた。
「……そっちから潰そう。腹減って泣くなよ」
「グルァッ!」
走り出した彼を迎撃すべく、竜の長い尻尾が巻きを解く。
バジリスクがその場で回転すると、鞭のようにしなった尾が空気を切り裂いた。
「跳ねるっ」
地面と水平に襲い掛かる竜尾を、蒼一は跳躍で回避する。
上空から接近すると、竜の背中がよく見える。
規則正しく二列に並んだ、フジツボのような突起。尾の付け根から首元まで、二十個近くあるその孔は、安易に近づくには余りに禍々しかった。
石竜の斜め前に着地した彼は、直ぐさま二度目の跳躍で魔物の足元に向かう。
バジリスクは首を
「脈破っ、跳ねる!」
地面に降り立つと同時に、霊脈の破壊、そして回避。青い魔光が、両者を消し飛ばす勢いで大地から噴き出す。
物理的な圧力は無いが、霊力の奔流は魔竜ですら怯ませた。
噛み付き攻撃を諦めた竜は、背中をアーチ状に曲げて身体を震わせる。石竜が何をするつもりかは、初見の蒼一でも容易に推測できた。
「木枯らしっ! 風塵脚!」
竜巻の斬撃と蹴り。大気に溢れる霊力のおかげで、風は暴風となって彼の前方領域を尽く吹き飛ばした。
「オマケだ、空圧盤っ」
「吹き飛びやがれデス!」
バジリスクの背中の噴射孔から出た光の粉が、巻き上がった黒土と共に宙を舞う。
「やっぱりそこが攻撃口なんだな。ブレスって言うから、口から吐くのかと……」
「空圧盤が一番威力がアリマシタネ」
「お前も負けず嫌いか」
石化光は、風の影響を確かに受けた。
竜巻に押された赤い光は、一度は吹き飛ばされ、蒼一から遠ざかる。
しかし、数十メートル流されたところで、光はまたUターンし、何本もの筋を作って戻って来た。
「ホーミングかよ! 霊鎖!」
無理をする必要は無いだろう。初回の戦闘は、直下の霊脈を破壊したことで良しとするべきだ。
蒼一は煙のように火口から退出する。
石化した獲物がいるべき空間を、バジリスクは暫く睨み続けた。逃げられた、それを魔物も理解する。
「グルルルァァーッ!」
まだまだ沸き上がる霊力に包まれ、魔竜は怒りの咆哮を轟かせたのだった。
◇
「どうでした。強かったですか?」
「ああ、普通は避けられんわ、あんな石化」
ベースキャンプに帰還した蒼一は、バジリスクの様子を仲間に説明した。
ブレスという表現は間違っている。あの攻撃は――
「魔法だな。呪術かもしれん」
「魔法防御、確か持ってたわね?」
ハナが言うのは、“百花繚乱”だ。
「純粋魔法なら、それも有効だろうけど……風で飛んでたしなあ」
「複合型なのね」
「一応、次は試してみるよ」
魔竜によって石となったものは、敵対した生物に限られている。
自身も硬化すれば石化を防げるかと、彼は最初考えたが、それも怪しい。
「服や武器も石になってる。なってないのは、地面や装備品の端っこだ」
「つまり、どういうこと?」
一緒に犠牲者を調べたメイリが、首を捻った。
「女神の能力やスキル並の高度魔法だからだよ。対象を設定した上で発動してるんだ」
「それって、物理攻撃以上に厳しいんじゃ……」
「そんなこたあ無い。霊脈を破壊し尽くせば、あんな強力魔法、そうそう連発はできんだろ」
高度で複雑な魔法ほど魔力を消費するのは、蒼一自身もスキルで実感している。
石化攻撃は量もホーミング性能も、単なる火炎や水流の域を超えるものだ。
ハナは蒼一の意図を察して、その発想に呆れ返った。
「魔竜相手に、魔力量で勝負するつもり?」
「そうだよ。うちの女神も、魔力は異常な量らしいしな」
皆の視線が、雪に集まる。
大抵は動じない彼女も、これには居心地の悪さを感じた。
「私の魔力って竜に勝てますかね……」
「食え」
「え?」
「食いつくせ。苔も少しくらいなら食べていい」
手持ちの食べ物だけでは、足りない可能性も有る。
勇者は雪以外の仲間に、食糧集めを命じた。
「さっき倒した雑魚トカゲ、あれ拾って焼けば食えるだろ」
「分かった。まだ今なら新鮮よね」
「手分けしましょう」
ハナとマルーズが、早速動き出す。
暴食許可が下りた雪は、微妙な表情で固まったままだ。
「食えって言われると、なんか食欲を無くすって言うか……」
「心配すんな。スキル使いまくるから、すぐ食神化するさ」
魔竜は女神の胃袋で倒す。
作戦が決まったのを受け、蒼一は二度目のバジリスク戦へと、火口へ向かって歩き始めた。
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