060. ナタンド
森が動く、そのメイリの表現は的確だ。
ワサワサと葉を揺らし、樹林が輪を狭めるように城前の焼け跡へ押し寄せている。
蜘蛛が巣を張っていた以上、そこに獲物がいたのは当然で、宿敵が追い払われた今、その魔物は活動を開始した。
霊力で魔物化した木々に知性は無く、縄張りを広げる本能から、空いた空間へ移動するだけだ。
夜行性の彼らは、蜘蛛の餌として毎夜消費されてきた。しかし、もうその天敵は存在しなかった。
「植物系の魔物か。焼いてもいいけど……」
「逃げた方が早いですね」
旧城には、まだ何か手掛かりがあると思われても、山積みの瓦礫からそれを探すのは至難の業だ。
城跡を振り返り、未練がましく視線を送っていた蒼一だったが、目の前の危険を回避することに決める。
「みんな集まれ。逃げよう」
「クピーッ」
葉竜に雪たちがくっついたのを見て、彼は逃走スキルを発動した。
「全力遁走!」
光速移動で、彼らは一気に魔物の包囲を走り抜ける。
再び通常の視界を取り戻した時には、静かな樹林帯の風景が復活した。
樹木の魔物が集う旧城は、やがて他と混じり合って、密林の中に埋もれてしまうだろう。
少し残念そうに、メイリが城の記録室を思い返す。
「残念だったね。なんとか記録を書き写しとけばよかった」
「全くの無駄ってわけじゃない。ほら」
蒼一が胸から出したのは、勇者の書だ。
中のページを開けて、彼は少女に増えた記述を見せた。
「これ、あの記録室のやつ?」
「多分、そうかな。量は少ないし、読めないけどな」
楔型の記述は、いずれ誰かに解読を依頼すればいい。ギルド辺りに頼めば、何とかしてくれそうだと、蒼一は期待した。
しばらく森の中をうろつき、手頃な木陰を見つけると、そこを今晩の寝床と定める。
この場所を選んだのは、樹上に成る果実に気付いた雪だ。
赤黒いイチジクに似た柔らかい実を、雪は発見と同時に口に入れた。
「だから、何でも即食べるのやめろって」
「お腹痛いですか?」
「いいや、痛く無いけどさ。食品探知をまず使えよ」
毒味役を強制させられるのは堪らないが、おかげで夕食に果物を加えることはできた。
甘酸っぱいフルーツで腹を膨らませ、樹の根を枕に目を閉じる。
魔物がまだ近くにいる可能性も考えて、蒼一は仕方なく“警戒睡眠”を再取得した。
メイリは葉竜に足を乗せて寝る日だったらしく、彼の睡眠は邪魔されずに済んだのだった。
◇
翌朝は、タブラを前に三人が進路を検討することから始まった。
大陸の地図と、食品探知を発動させたタブラ。
太陽の位置で、東は分かる。
「この食品の反応が無い一帯、これが焼けた旧城じゃないか?」
「そうだとすると、北に走ったことになりますね」
「ナタンドの街に行くには、東北東ってとこか」
陽炎を使うと、黒剣は北東を指す。
「この向きに飛ぼう。準備してくれ」
全力遁走と同じく、葉竜に皆がくっつく。
マーくんも、もう慣れたもので、次に何が起こるか分かっているようだ。
「クピクピ」
「成長が早いって聞かされたけど、大きくなってないよな」
蒼一の身長ほどの体高は、トルでキノコ化した時より少しは成長したのか。
「日光だけで育ってますからね。遅いんじゃ?」
「これなら、街でも大騒ぎしないでくれるかなあ」
荷物持ちを大人しく務める竜の背を、蒼一はポンポンと叩く。
「行こう、脈応っ」
ここまでの道中と変わらず、脈応、脈破と繰り返すことで、彼らは着実に東へ歩を進めた。
メイリのタブラ記憶に頼って、しばらくは方向調整をしたが、正午頃にはその必要もなくなる。
食品探知に、密集する大量の光点が現れたからだ。
「どう考えても、これが街だ」
「でも、同種族探知は無反応ですね」
「そうなんだよ。その同種族探知ってのさ、範囲が狭いんじゃないか?」
他の探知スキルと違い、同種族探知は反応点が常に少ない。
「範囲じゃなくて、魔力量が探知対象とか?」
「あっ、なるほどな……」
魔力の強い者に強く反応するなら、単なる人探しより有効に使える場面が有る。大賢者の追跡だ。
デスタ洞窟での追い掛けっこでは、実際にこの探知が役に立った。
ともかくも、街の方角が判明すれば、後は単純作業に近い。
ひたすらその向きに脈応を続けた結果、一時間程度で、街のシルエットが地平線に見えて来る。
ラズレ中央地方で最も大きな都市、ナタンド。
王国と違い、この街には防衛任務に就く兵が存在した。街の周りは背の低い城壁で囲まれ、進入門を重装備の兵が監視している。
街道を歩いて近付いた勇者一行は、当然、その監視兵に呼び止められた。
「ナマヤナ、カナス!」
「やっぱりここも、ナマステ語か。どうしたもんかねえ」
蒼一の言葉を聞いた兵は、その場に留まるようにジェスチャーで伝える。
しばらく待たされた後、息せき切って現れたのが、ナタンドのギルド職員だった。彼は小さなペンダントのような物を、蒼一に手渡す。
「なに? 首に懸ければいいの?」
チェーン部分をぶらぶらさせる彼に、職員はそうではないと、手で握る仕草をする。
ペンダントトップは、よく見れば馴染みのある形をしていた。
魔法陣の石盤、そのミニチュア。彼が握り込むことで、小さな石版に青い光が走った。
「私の言葉が分かりますか?」
「おっ、分かる分かる。ナマステー」
「ナマステ?」
職員が彼に寄越したのは、念話の魔法陣だ。
通常の会話を、魔言語に翻訳、またはその逆を行う魔法が発動すると言う。
「魔言語?」
「今の王国の言葉ですよ。言語体系に拠らずに会話されてるでしょ」
魔法を日常の意志疎通に援用したものが魔言語で、魔力に優れた王国人だからこそ使えるのだと、職員は説明した。
「魔力の大きさを感じ取るくらいなら、我々でも出来ますが……あなたは勇者様ですか?」
「そうらしい」
「では、勇者の書をお持ちですね?」
マニュアルを取り出して中を開こうとすると、職員は手で制した。
「外見だけで分かります。魔力の塊ですから。どうせ中は見ても分かりませんよ」
勇者の確認が済めば、次の関心事は、兵が仰天した連れのマーくんだ。
「その生き物は、竜では?」
「いや、キノコだよ。ほら、生えてるだろ」
「キノコ以外の部分の方が大きいんですが……」
大人しく、勇者のお供と言うことで、入壁許可は出してもらえる。
しかし、街を自由に歩かれても混乱の元なので、ギルド管理の厩舎で預かってもらうことになった。
「餌は日光だ。水は飲むよ」
「……まさか本当にキノコなんですか?」
盛大に首を捻る職員を、蒼一がせっついた。
「続きは街の中でやろうぜ。ギルドに案内して欲しい」
「それはこちらも助かります。是非、施設長に挨拶させてください」
「それと、このペンダントだけどさ。もう二つ貸して貰えないか?」
「承知しました」
雪とメイリも、横で二人の会話を聞いていたものの、理解できたのは蒼一の言葉だけだった。
念話の仕組みを教えられ、彼女たちもギルドに早く行きたがる。
職員が手続きを終えるのを待って、彼らは街の中へ向かった。
「では、参りましょう。まず厩舎へ」
「助かる」
葉竜を連れての登場は、街の人々に強烈なインパクトを与えたようだ。
中には怯える者も見受けられたが、大半は畏敬の面持ちで勇者の姿を見守っていた。
厩舎の担当者も、相当な驚きようだったが、世話が簡単と聞いて胸を撫で下ろす。毎日、日光浴させることだけ注意して、皆は大陸ギルドの支部に向かった。
厩舎から五分ほどで建物に到着し、中にいた施設長が彼らを出迎える。
「施設長、勇者様たちをお連れしました」
「街門から連絡が有り、もしやと思いましたが……やはり勇者様でしたか」
「この施設は、どこもそう変わらないな。よろしく頼むよ」
地球の役所に似た内装には、多少の郷愁すら感じる。
――まさか役所や銀行の雰囲気に、気が休まるとはな。
蒼一は自身の気持ちに苦笑いするしかなかった。
◇
ナタンドの施設長マイゼルは、この世界では初めて見る眼鏡の壮年男性だった。
中肉中背で蒼一より背が低く、気の良い商人といった風体である。
久しく見ていなかったため、丸眼鏡が懐かしく、蒼一と雪はジックリ彼の顔を観察してしまう。
「……やはり、この魔具が気になりますか」
「いや、まあ」
「本部長直々に作って下さった逸品です。メガネと言いまして、物がよく見える効果があるのです」
「だろうね。いいって、そんなポーズ取らなくても」
斜め四十五度で決め顔をし始めたマイゼルを、蒼一は本題に連れ戻した。
「大賢者の行方なんだけど、どうなってる?」
「昨日、西の街で目撃されていますね。ここから二日ほどの距離です」
脈応で飛ばしてしまった街の名を告げられ、彼は大賢者を追い越したことを知る。
このまま首都まで先回りしてもいいが――。
「このナタンドを大賢者が通る可能性は、どれくらいだ?」
「ラズレーズに向かうなら、素直にここを通るでしょう。迂回すると、かなりの時間が掛かりますよ」
ナタンドの先は、険しい山峡だ。
南北どちらに遠回りしても、整備した道は無く、主街道は全てこの街に集中していた。それがナタンドが発展した理由でもある。
情報からして、大賢者が来るとすれば、そう遠い話ではない。直進コースなら、明日にでも到着する。
どうせ転移で先に進めるなら、ここで少しくらい待っても、大した時間のロスにはならない。
蒼一は考えをまとめると、眼鏡の施設長に、待ち伏せを提案する。
「大賢者が来たら、街の検問で足止めしてくれないか?」
「それは可能ですが……街中で捕まえるおつもりで?」
「一般市民じゃ相手にならないんだろ? なら、俺の出番だ」
賢者というだけあり、各種魔法を駆使するため、対抗手段を持つ者が捕獲にあたるべきだ。
兵で囲んだ上で勇者と女神が確保する、それがベストだろう。
「街門近くに泊まりたいな」
「分かりました。兵も緊急出動できるように、手配しておきます」
ギルドには他にも用事はあるが、大賢者の出現が近いと予測される今は、その準備を最優先にした。
街兵への協力要請や、作戦の詳細、ギルド傘下の魔術師への連絡など、勇者を交えた諸々の作業でこの日は潰れる。
蒼一の分だけでなく、雪とメイリのための念話盤もギルドから無償でプレゼントされた。
「これこれ、やっと話が聞き取れます」
「ソウイチの話だけじゃ、つまんないよね」
「俺がつまらないっていう意味じゃないよな?」
ペンダント型なのは、肌に直接触れる必要があるからで、弱い魔力でも自動発動してくれる優れ物だった。
これも本部長の考案物らしい。
勇者一行は早めに投宿し、彼ら自身も捕獲について手順を確認する。
マイゼルが推薦した宿は、街門から数十メートルという近さで、作戦にはうってつけだ。
多数の人員が門周辺に配置され、連絡が有るまで蒼一たちは宿で待機する。
大賢者到来の一報が届いたのは、勇者の予想よりずっと早く、翌日の早朝のことだった。
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