059. 蜘蛛巣城
時刻は夕方に差し掛かり、まだ燃える炎と相まって、辺りは徐々に赤く染まり始める。
城内の様子次第なものの、今夜はここに泊まることになりそうだ。
ロウと蒼一は、城の入り口にへばり付く蜘蛛の巣を払いのけ、進入路を確保する。
雪とメイリ、それに葉竜の三者は、その作業を少し離れて見守っていた。
「……手伝うには、ちょっと臭いです」
「水浴びしないと、近寄れないよね」
「グピィ……」
仲間の冷たい視線に晒されながらも、蒼一は広い玄関ホールに足を踏み入れる。
外観は保っていても、五百年の月日の経過は隠しようもない。内壁の一部は崩れ、どこから侵入したのか、土が薄く積もっていた。
草や苔が、あちこちに生えており、長く放置されて来たことが分かる。
「大階段は崩落してるな。記録室は上か?」
「コノ正面階段の裏手にアリマス」
ロウは階段横の通路から、奥へと皆を案内した。
物品は全て持ち出されたらしく、壁にも床にも何も見当たらない。実のところ、危険を顧みない冒険者たちによって、早い段階で調度品などは盗まれていた。
「
「もっと臭い物があるからね」
「悪臭を以って悪臭を制す、です」
これは本格的にマズいと、雪たちの会話を聞いた蒼一は焦る。どこかで体を洗わなければ。
記録室の次は入浴にしようと、彼は次の目的を決めた。
蜘蛛の巣城と不吉な名を勇者に付けられた城は、それほど大きな建築物ではない。
中央部を囲む回廊を進むと、すぐに庭園に通じる裏口へ到着する。
その城の裏口から内部へ向けば、ちょうど真正面が記録室だ。
木製の扉はとうに朽ち果て、中に入室するのは簡単だった。
光の無い部屋は暗く、蒼一は携帯ランプを掲げる。
約十メートル四方の室内に並ぶ、六個の分厚い石の板。石に光を近付けると、確かに細かな文字がビッシリと刻まれていた。
「五百年経っても、残るもんだな」
「屋内ですしね」
三人と一体と一匹が、石碑に顔を寄せる。
「クピ?」
「お前には読めないだろうよ」
「ソウイチは読めるの?」
「……読めん」
こんな字を見るのは初めてだ。複雑な楔型の記号は、意味を類推することも難しい。
予想外の発見物に、彼はロウに助けを求めた。
「読んでくれ。俺たちの知らない文字だ」
「……読メナイ」
「えっ、故障か?」
往時を知る
ロウが初めてここに来たのは自身が作られた直後で、その時は碑文まで見ていない。
「“お前のための記述も三行加える”そう教えられたのデスガ……」
「三代目も案外、ケチ臭いよな。俺なら五行は書いてやる」
自分の記述なのに……と、どうにもロウには納得できない。
一通りの石碑を皆で調べてみるが、どれも同様に読むことは不可能で、解読は諦めざるを得なかった。
蜘蛛退治までして、何の成果も無いのは寂しい。
他の部屋も調べてみよう、そう蒼一は提案する。
「賛成ですが、まずその前に――」
「
城内探索は後回しにして、彼らは裏庭へと足を運んだ。
◇
かつては色鮮やかな花々が咲き誇った城の園芸庭園も、今では区間の痕跡が判別できるだけだ。
それでも、香りのきつい野花が群生する一帯があり、先人が育てた名残だと思われた。
「庭園なら、当然、水場はあるよな……」
耳を澄ました蒼一は、微かな水音を聞き付ける。
「川だ、あっちか」
庭を抜け、さらに少し進んだ先に、前を横切る小川があった。
小さな流れでも、今この時はありがたい。背負う荷物を置くと、他の装備は付けたまま、彼は勢いよく川に飛び込む。
「外套くらい脱いだらどうですか?」
「その装備一式が臭いんだよ。俺本体じゃない」
バシャバシャと水を跳ねさせ、盾を乱暴に
川の最深部は腰まであり、見た目よりは深い。
風呂に入るように、川底に腰を下ろした蒼一は、その場で周囲を見回した。
雪とメイリは手足を洗っており、人型になったロウは犬掻きを始める。
そろそろ夜になるため、あまりノンビリするのも考え物だろう。
川から出ようとした彼は、何の気無しに水の流れを目で追い、その行き先に眉をひそめた。
庭園を大きく迂回して流れる小川は、途中でUを描いて、また城の側面へ向かう。そこで流れは消えていた。
奇妙な川下の光景は、彼の興味を引く。
調べに行きたいが、その前に装備の乾燥だ。
「自分に炊事……
すかさず冷却。
「自分に氷室……
さらに真空化。
「自分に無気……
自分自身をフリーズドライするのは、少し無茶だ。
「自分に回復弾!」
これでアカギレも凍傷も綺麗に消える。
「“乾燥”があったら、楽だったんですけどねえ」
「乾燥機だけ売り切れなのは、嫌がらせに近いな」
「ワタシもお願いシマス」
ロウは人体より熱に強いので、炊事だけで乾燥できた。
盾だけでなく、蒼一は他の装備も念入りに乾かしておく。
どの装備も基本的には耐水性に優れたものばかりで、勇者の書も例外ではない。
何で出来ているのかは知らないが、水に浸けてもふやけたり破れたりはせず、パラパラ中を見る限り、記述された文字が滲む心配も無用だった。
「ん……へえ……」
「どうかしました?」
「いや、まだちょっと臭う。花があったな、さっき」
未だ少し漂う悪臭を打ち消すために、バラに似た野花を利用する。
庭園まで戻って花の群生地に分け入り、体を擦りつけるように歩き回れば、天然の芳香剤が蜘蛛臭に取って代わった。
「よし、やっと解放された。空気清浄機の機能も無いな、俺」
「では、城に帰りましょうか」
「先に川の
小川に沿って歩いて行くと、蒼一が奇妙に感じた川の消失点までは直ぐだった。
トンネル型に開いた地下への口に、水が流れ込んで行く。
自然に生まれた地形ではなく、人工の取水口であるのは、大きさの揃った石のブロックで造られていることから明らかだ。
川の流れに身を任せれば、その行き先も簡単に分かるだろうが、この地下水路に飛び込むのは躊躇われた。
「この方向のまま流れて行くなら、城の地下に向かうな」
「洗濯場でもあるんですかねえ。気になります?」
「ああ……」
日は遂に地平線下に沈み、燃える城前の広場が赤く目立つ。
樹林に延焼はしておらず、蜘蛛の巣を焼き尽くせば鎮火しそうだった。
蜘蛛の巣城に戻った彼らは、地下への階段を探す。
一階を一回りした結果、正面の大階段以外に、上下階段を二つずつ城の左右に発見した。
より小川に近い右の下階段を選び、蒼一たちは地下へと進むが、これは左下階段を選んでいても結果は同じで、どちらも中央地下の施設に向かうものだった。
地上では気づかなかった何かの作動音が、地下階に響いており、その発生源を皆は探す。
より音の大きくなる方向へ、通路を二度、三度と曲がると、探し物に行き着いた。
「こいつの動く音がしてたんだな」
「水車? 大きいですね」
人の二倍はある石の車輪。黒い光沢は、単なる石でなく、魔石製であるためだ。
車輪外周には桶水のような受け皿が取り付けられており、そこに地下水路から水が注ぎ込む。
水の溜まりに合わせて、非常にゆっくりと水車は回転していた。
僅かに車輪が動く度に、軋むような振動が音となって伝わる。
水車に目を奪われがちだが、その前にも動く物があった。
魔法陣の刻まれた石盤が三つ。
各地で見た転移石盤に似たそれが、やはり緩やかなスピードで回る。
「少し光っている。魔法陣は作動中だ」
「潰すんですか?」
「うーん、流石にこれはなあ……」
とりあえず壊す、それが十八番目の勇者の指針ではあったものの、この地下機構は得体が知れない。
「メイリ、この紋様は転移と同じか?」
「全然違うよ。こんなの見たことない」
転移や召喚とは異なる目的の魔法陣。
彼が思い返すのは、ロウとの会話だ。
「こいつが霊力の吸収機なら、潰した方がいい。魔物の素になるしな」
「吸収機じゃなかったら?」
雪の疑問に答えるには、手掛かりが少な過ぎる。
ロウに尋ねても、彼も城の地下は初めてで、ヒントは貰えなかった。
「……壊した方がいいと思う人?」
誰の手も挙がらない。
「そのままにした方がいいと思う人?」
皆は黙ったままだ。
「……ロウを転がして決めよう」
「ナ、ナンデ!?」
蒼一は盾の床に垂直に立て、コイン回しよろしく、その外縁を思い切り弾いた。
盾の一端を頂点にして、ロウは高速で回転する。
「アワワワワ……!」
「表が出たら潰す、裏なら放置」
「了解です」
「ソウイチ、回すの上手いね。後で私にもやらせて」
やがて回転速度が落ちると、けたたましい反響音を立てて盾は倒れた。
金属が石床に当たる音より、回りながら喋り続けたロウの方が煩い。
「――なにもワタシを使わなくテモモモ」
「表だな」
「潰しましょうか」
回転中の石盤に対面し、鞘を構える蒼一。
動く対象には、研磨より叩き割った方が早い。
「鞘打ちっ」
難無く砕けた石盤の破片が、部屋の中に飛び散る。
これを三回繰り返し、彼らは一階への階段に向かった。
「潰した結果は、分からんよなあ。急な変化は無いだろうし」
「……何か音がしない?」
メイリが顔の横に手を当て、聞き耳を立てる。
「水車の音じゃないのか?」
「違う、もっとこう、ゴーって」
階段を上がり切った時には、蒼一たちにも音は聞き取れた。
城内を震わせる地鳴り。
天井からパラパラと土が落ちて来るのを見て、蒼一は叫ぶ。
「アカン! 崩れるぞ!」
入り口を目指して、彼らは弾かれたように駆け出した。
振動は少しずつ大きくなり、土
玄関ホールにまで来た時、轟音を立て石材が崩れ始めた。
「危ない!」
「鞘合わせっ」
雪に当たりそうになった石塊を、鞘で打ち返して軌道を逸らす。
中段まで残っていた正面階段は石材の直撃を受け、完全に破壊されようとしていた。
メイリと葉竜、次に雪が玄関から駆け出て、最後に蒼一が頭から外へ飛ぶ。
城が内側へ握り潰されるように崩れたのは、彼らが脱出したのと同時だった。
「あ、あの石盤、まさか維持装置か?」
「ゲホッ、そう、みたい……です」
五百年を生き延びさせた王城の管理機構は、勇者によって破壊された。
旧城に残されたのは、残骸となった石材の山。
「何でも壊しちゃ駄目なのか……反省はしないけど」
「決めたのはロウですし」
「エエッ、そうナノ!?」
天井付きの野宿は、諦めるしかない。だが、蜘蛛の巣跡で寝るのも不安だ。
場所を移動しようと、蒼一たちが動き出した時、メイリがまた異変に気付いた。
「森が動いてる!」
「……信じるよ。何でもアリだからな、この世界は」
夜の休息には、まだ少々やるべき仕事が残っていたのだった。
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