061. チェイス
朝一で起きて、固いパンを食堂で
まだ陽が頭を出したばかり、メイリは回転睡眠の真っ只中だ。
「蒼一さん、早いですね」
「なんだ、雪も起こされたのか? メイリキックに」
「パンチです」
彼の早起きに、具体的な理由は無い。ただ、大賢者は日中を避け、夜や早朝に来るのではないか、そう考えた。
どこに自分を狙う市民がいるか分からない以上、人目につきたくないだろう。
雪は彼の正面に座ると、改めて昨日からの疑問を口にする。
「いつから知ってたんです?」
「……デスタだ。食堂で会った」
昨日の対策会議で、蒼一は大賢者の風貌をマイゼルに伝えていた。
目深にフードを被った狩人装束。それだけなら雪やメイリでも教えられたが、彼は更に情報を付け加える。
腰に竜鱗の短剣を携えた、ブラウンの目の若い少女。
「この前、大賢者の家でメイリの名前が見つかっただろ。あいつ、メイリを知ってるんだ」
「そう言えば、チラチラ見てましたね。でも、それで分かったわけじゃないでしょ?」
勇者の書を懐から出し、彼は決め手のページを探した。
目当ての一節を見つけると、彼女に向けて開けてみせる。
「ここだ、“火の街で大賢者と会う”。食堂の後、記述が増えてたんだ」
「……私には見えませんよ?」
「え?」
「蒼一さんが女神の巻物を読めないのと一緒です」
雪が勇者の書を読むところは、確かに今まで見ていない。
しかし、彼女に読めないのであれば、理屈に合わないことが有る。
「じゃあ――」
「勇者様、現れました!」
食堂に駆け込んで来たのは、ナタンドのギルド職員だ。
蒼一の描写した通りの少女が現れ、魔力チェックで異常値を検出したと言う。
「本人は、王国の魔術師だと自称しています。検問室で取り調べていますが……」
「適当に時間を稼いでくれ。すぐ行く」
「はっ」
食べかけの朝食をテーブルに残し、彼は席を立つ。
「雪はメイリを起こしてやれ。先に行っとくぞ」
「はい。高速で食べます!」
――ブレねえなあ、こいつ。
本当にハムスターのように細長いパンを咀嚼し出した彼女を見て、蒼一は頭を振りながら検問室へ急いだ。
走れば五分と掛からず、街門に到着する。
土壁のシンプルな検問小屋に近づいた蒼一が、扉に手を伸ばした時、逆に内側から戸が撥ね開けられた。
「うおっ!」
鼻先を
中から駆け出て来たローブの少女と、ほんの一瞬、視線が絡んだ。
「やっぱりテメエか!」
「勇者!?」
少女はフードを掴まれ、その顔をハッキリと蒼一に晒す。
茶色の瞳と髪は、デスタで見た時と同じ。ただ、歳は彼の最初の印象よりずっと若く、メイリよりも年下に見える。
彼女は引っ張られたローブをスルリと脱ぎ捨て、蒼一の手から逃れると、街中に向かって走り出した。
「待てよっ!」
追い掛ける彼の後を、検問小屋から出た街兵も追随する。
ギルド職員は、全域に対象の逃亡を告げる笛を吹いた。耳をつんざく警告音の中、兵が勇者の後ろから謝罪を叫ぶ。
「すみません! いきなり飛び出されて……」
「いいから、街を閉鎖しろ!」
少女にしては足が早く、蒼一の全力でも距離を縮めるのが難しい。
逃亡者が宿屋の前に差し掛かる頃、雪がのんびりパンを
「捕まえろ、そいつだ!」
「マジカルブレッドォーッ!」
マイペース女神だが、反射神経はいい。
口の固パンを右手に持ち替え、迫り来る大賢者の横腹に
「ぐぼあぁっ!」
街路の反対側へ、小さな少女が身体を曲げて吹き飛ぶ。
「でかした! 粘着っ!」
土
これで人騒がせな大賢者もジ・エンド、そう蒼一たちが考えた時、少女を緑の光が包む。
「解術っ」
「なっ、外しやがった」
粘着を解消して素早く立つ彼女に、ダメージの影響は見られない。
少女はまた、全力で逃走を開始する。
「粘着っ、粘着!」
「解術!」
スキルによる固着は無効、そう彼は思い知る。どの粘着も、確実に大賢者にヒットしたが、直ぐさま解除された。
瞬時の硬直くらいでは、いくらも距離を詰められない。
細い路地に曲がり込み、少女はさらに走るスピードを加速する。
「なんちゅう速さだ……雪っ、タブラを!」
「私の朝食を受けても平気とは、さすがですねえ」
やや恨みの篭った目で、女神は少女の逃げ先を見る。
「逃がしやしないさ。街にいる限り、袋の鼠だ」
蒼一は受け取ったタブラ上に、同種族探知を発動する。
自分たちのいる場所に二つの光点。離れて行く大賢者の点。二人に近寄って来る点は、ようやく支度を整えたメイリだ。
「ゴメン、寝坊しちゃった……」
「ボケ賢者が早起きし過ぎなんだ。気にすんな」
指示を仰ぐため、彼らの元にギルド職員も集まってくる。
蒼一はタブラを見せ、大賢者を捕まえる包囲陣の形成を要請した。
「点は街の中心に向かってますね。外縁には兵が配備されているので、こちら側から追い込んで行きましょう」
「網を破られないように、攻撃許可を出しとけ」
「はいっ。勇者様はどうされますか?」
ロッドと槍を手に持つ仲間に振り返り、彼は不敵に口を歪ませる。
「そんなもの決まってる。大賢者を直接叩く」
「二発の予定でしたから、もう一発です」
包囲の連絡と指揮は街の人間に任せ、蒼一たちは光点を追って、街の中心部へと向かって行った。
◇
ナタンドは大きな街だが、ハルサキムのような近代的な建物は少ない。背の低い民家や商店が所狭しと並び、細い路地が縦横に入り組んでいる。
路上で遊ぶ子供たちや、通りを横切って干される洗濯物が目立ち、王国には無い生活感が溢れていた。
「汚ねえ街だが、俺は好みだな」
「言われてみれば、王国の街は綺麗過ぎましたね」
タブラに映る点は、その細い路地を右に左にと曲がり、着実に街の東へ向かう。
追っ手を撒いたと判断したのか、速度こそ落ちたが、点の移動に迷いは見られない。
「この街を知ってやがるな……先回りは無理か」
このままでは、大賢者が街の東門に着く方が先だ。
それでも愚直に追うしかなく、蒼一は街兵の足止めに期待した。
三人はひたすら走り続け、街の中央を過ぎた頃、点の動きが止まる。もうすぐ東壁というところで、大賢者は進路を決めかねたらしい。
速度を落とした蒼一の横に、息を荒らしたメイリが追い付いた。
「はあっ、あっ、戻ってくるよ」
タブラを横から覗き込んでいた少女は、急ターンした光点の動きに声を上げる。
――どこに向かう気だ?
点を迎える位置に走り出しつつ、蒼一は大賢者の目的地に考えを巡らせた。
やや南寄りに進む点の行き先は――。
「あれか。塔だ」
ナタンド唯一の高層建築物、ナーム塔。かつては宗教施設として建てられた、地上四十メートルの円筒形の尖塔だ。
今も最上階には、地神ナームの像が飾ってあるが、専ら内陸灯台として実用目的に使われている。
目標に見当が付けば、追跡も多少楽になり、彼は再び足を速めた。
四つの点は徐々に一カ所に集まり、やがて塔の少し手前で、目視できる範囲に収まる。
「どこだ!」
「あそこです、肉屋の前!」
距離にして数十メートルほど。
裏路地を抜け、塔前の広場に抜けようとする大賢者に向かって蒼一は右手を掲げた。
「粘着っ」
「解術!」
「だろうよ、砂地獄!」
路地の出口を塞ぐように、ベコリと地面が凹む。
広場に飛び出そうとしていた大賢者は、勢い余って円錐形の罠に足を滑らせた。
「きゃぁっ!」
穴に落下した少女の姿は消え、悲鳴が作戦の成功を伝える。
「何の用があるのか知らんが、塔に行けると思うなよ。砂地獄地獄にしてやる」
雪たちを後ろに下がらせ、彼は両手でスキルを連発した。
「砂地獄、砂地獄っ、砂地獄っ!」
大賢者から蒼一までの広場一帯は、あっという間にボコボコに穴を穿たれる。
落ちた賢者が這い出て来る気配は無い。
突然出現した穴へ、嬉々として子供たちが飛び込んだ。
滑り台代わりに遊び出す彼らを、周囲の大人たちが必死で連れ戻そうと説得する。
「お前ら、危ないから遊ぶな! メイリ、どうにかしてくれ」
「う、うん!」
子供の相手は彼女に任せ、蒼一は穴の縁を辿って慎重に大賢者へ近付く。
静まる穴は、不審極まりない。彼は黒剣を抜き、不意打ちに備えた。
「おーい、観念しろ。やり合っても、怪我するだけだぞ」
「ロッドでマジカルは痛いですよお」
雪もロッドを片手に蒼一に続く。
一歩、また一歩と足を進め、彼が穴を覗き込んだ瞬間、爆煙が噴き上がった。
「ぐっ、木枯らし!」
竜巻が煙を払うと同時に、蒼一の額に衝撃が走る。
「
煙玉を顔面にぶち当てられ、まともに吸い込んでしまった彼は、目を閉じ猛烈に咳き込んだ。
「虫除けです、この煙」
「勇者を虫扱いか、この野郎!」
闇雲に放つ木枯らしで煙を吹き飛ばすものの、この隙に大賢者は穴を脱する。
雪にもキッチリ煙玉を当て二人を
しかし、塔の入り口までには、もう一人立ちはだかる者がいる。
「メイリ、構わん、足を刺せ!」
「まじかる槍っ!」
子供を脅しつけ終わったメイリは、砂地獄地帯に戻って来ていた。
威力は弱くても、彼女の槍の扱いは相当優秀だ。ふくらはぎを狙った槍先は、迫る大賢者を見事に捉えた。
「ぐっ!」
「動かないで!」
バランスを崩し、また穴に逆戻りした逃亡者へ、メイリは武器を突き付ける。降伏するように両手を挙げる大賢者。
その手には、魔石が握り込まれていた。
「
メイリよりも幼い手が、火焔の魔石に魔力を注入すると、大賢者を中心に炎の渦が巻き起こる。
業火の熱気から逃れるために、メイリは後ろに跳び退くしかなかった。
「大丈夫ですか!」
「うん、ちょっと火傷しただけ……」
雪が少女に駆け寄り、回復薬を手に掛ける。
この隙に、大賢者は炎を
「無茶苦茶だ、あいつ」
「私たちも塔に入りますか?」
偵察でもするのかと思いきや、この状況で塔内に突入するとは。
「ここで様子を見よう。焼き賢者じゃ、近付けない」
「どうやって逃げる気でしょうね」
その逃亡方法は、大賢者が塔を登り切った数分後に判明したのだった。
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