056. 東へ
守備隊が無力化している内に防壁を抜けようと、ラバルは隠した馬車を取りに行く。
彼は当然、この後もずっと勇者に同行するものだと思っていたのだが、蒼一の考えは違った。
戻ってきた馬車の御者席から、剣士が皆の乗車を急かす。
「行きましょう、乗ってください!」
防壁を抜け、野宿場所を求めて、馬は夜の街道をひた走る。
壁が後方に小さく霞んだ辺りで、蒼一は御者に停止を命じた。
「野宿には、もう少し壁から離れた方がいいのでは?」
「いや、お前たちとは、ここで別れる」
勇者の言葉に、ラバル以上に、横に座るマルーズが色めき立つ。
「どうしてです!? 私たちは必要無いと?」
「逆だ、マルーズが要るんだよ」
蒼一たち三人は、ここから東のラズレーズに向かう。マルーズは霊鎖の目標地点として、このまま壁の近くに留まる。
これが彼の計画だった。
「これなら、帰りは一瞬だろ?」
「行きはどうされるんですか? まさか徒歩のつもりですか?」
蒼一らが馬を扱えないことは、マルーズも知っている。
彼女の心配を、勇者は一笑に付した。
「勇者は馬より早いぞ……まあ、運任せだけどさ」
確実な方法があるなら、ここまでで既に使っている。彼はスキルを使い、一気に時間を短縮する賭けに出るつもりだ。
蒼一たちが必要とする荷物を葉竜に移して、ラバルとマルーズだけが馬車に残った。
「俺たちが帰って来るまで、何とか壁外で頑張ってくれ」
「分かりました。どうか、お気をつけて」
重要な役割を得て、気合いを入れ直すダッハの剣士。
魔術師の方は、左手にある指輪を握り、祈るように蒼一へ別れを告げる。
「待っています。必ず帰ってきてください」
「おう」
緑碧の瞳が、雨に濡れる勇者を見つめた。
「ハッ!」
ラバルの掛け声で、馬車が街道を走り出す。
その後ろ姿を見送りながら、雪が蒼一の腕を肘で突く。
「マルーズさん、ちょっと本気が混じってませんか?」
「……うーん、俺はダメだ、そういうの。サッパリ分からん」
首を振る彼に、雪が溜め息をつく。
「いろいろ鈍いです」
「……雨が止むまでは、一緒に居とけばよかったかな」
「ですね。早まりました」
雨露を防ぐ場所を見つけるのに必要なのは、黒剣“十八番”。抜き身の刃にも、
「俺たちも行こう」
その行く先は、勇者の剣だけが知っていた。
蒼一の持つ移動スキルは、目的地が不確定なものばかりだ。最たる能力が“全力遁走”だが、“脈応”も酷い。
しかし、霊脈溜まりの場所を特定できるなら、話は別になる。
「陽炎っ」
黒剣の先が、東の方向へ引っ張られた。
「上出来だ。脈応!」
葉竜にしがみつくように固まった三人は、次の瞬間、見知らぬ草原へ飛ばされる。
「……壁は全く見えないな。この辺りで、泊まれる場所を探そう」
「続きは明日ですね。雨だと方角を間違えますし」
手近にある林に向かって、一行は歩き始める。
街道からは外れた場所らしく、人工物は何も見当たらない。
既に小雨に変わっており、葉陰でも充分凌げそうだ。フリーズドライと炊事で乾燥した寝床を確保し、三人と一匹は身を寄せ合って眠る。
彼らが再び起きた時には、雲間から朝日が覗いていた。
◇
爽快な目覚め。
やる気に溢れ、明るい陽射しが頭の中をスッキリと照らす。
「……爽快過ぎる」
「スラベッタの村より気持ちいいですね」
「雪もそう感じるか」
知らない異世界に来たことが、漠然とした不安や、微かな苛立ちに繋がっているのだと、今まで理解していた。
だが、防壁を出て感じるのは、それら負の感情からの解放だ。
「婆さんの言ってた呪縛っていうやつさ、あれ、王国中に蔓延してるだろ」
デスタやハルサキムでは、宝具が欲しい、
今思い返せば、大賢者に執着したのも馬鹿らしい。
「まあ、それでもボケンジャーはとっちめるけどな」
「それじゃあ、やりましょうか」
太陽が東から登るのは、この世界も地球も同じだ。
剣がその方向を指す時、つまり手近な霊脈溜まりが東に存在する時が、次の転移のタイミングである。
蒼一はタブラに探知を発動して、方角を知る助けに使おうとした。
「特徴的な反応があるのは……」
熱源、食品と順に試す彼に、雪が待ったを掛ける。
巻物を見ながら、彼女はさらに効率のいい方法を検討していた。
「これ、取ってください。脈破」
「まさか霊脈破壊か? 物騒だなあ」
脈応のおかげで、脈は霊脈を意味すると推測できる。
吸脈や知脈はもう取られているが、同じ脈系スキルのグループで“脈破”は未取得のままだ。
昨夜転移したポイントまで戻り、蒼一は掌を地面に付けた。
「脈破!」
彼の掛け声を契機にして、魔の光が大地から噴き出す。この現象は、大賢者の裏庭で見た大魔法陣の崩壊と似ていた。
制御されていない生の魔力――霊力。大量に溜め込められた霊力を、強制的に周囲へ拡散してしまうのが“脈破”だ。
大賢者の家は、この現象に引きずられて崩壊したが、脈破であればもう少し穏健に霊脈溜まりを破壊できる。
それでも、地上には大穴が開き、蒼一は慌ててその場から離れた。
「これで連続して脈応が使えるんじゃないですか?」
「ああ……いいのかな、これ」
まあ、
この大陸も肩の凝りが解れるだろう、と。
この地の霊脈溜まりが消滅したことで、陽炎で剣先が動くことも無くなる。黒剣を持ち、スキルを発動させながら、蒼一たちは東へ歩き出した。
次の反応があるまで、メイリと雪にはタブラを眺めてもらい、食品探知の光点の位置を覚えてもらう。
転移後に記憶と比べ、どこに飛んだかを推定するためだ。
三十分ほど林の中を歩いて行くと、再び剣が目標を指す。
「ちょっと北東寄りかな。飛ぶ準備だ」
「待って、紙に点を書くから」
メイリが木炭ペンを取り出し、大まかにタブラの表示を写して行く。
「出来たよ」
「よし、くっつけ。脈応っ」
景色の急変を経て、メイリのタブラチェックが始まった。
「えーっと、このイノジンの鼻みたいな点がここだから……」
「なるほど、こっちが東ですね」
こと画像に関しては、少女の記憶力は雪を超す優秀さだった。
光点の並びを、馴染みのあるものに置き換え、すぐに自分たちの場所を特定する。地球で星座を作ったのは、メイリのような人間だろう。
「イカジンの頭が北にあるから、タブラの端から端まで飛んだことになるね」
「お前、凄いわ。俺には瀕死のイモジンにしか見えんもの」
「それは、この西の点だよ」
蒼一の背中に担がれたロウが、しょんぼりと謝った。
「お役に立てず、申し訳アリマセン……」
「気にすんな。ロボは記憶力いいかなって思っただけだから」
「クピクピクピ」
「いや、お前も役に立ってないからな」
メイリたちに頼む前、彼は光点記憶をロウに頼んでみたが、結果は惨憺たるものだった。
五百年前のことを覚えているから、さぞや記憶力に優れるのかと思ったものの、そんなことはないらしい。
ここでも脈破で霊力を解放し、丘を吹き飛ばして次へ進む。
正確な距離はともかく、脈応を利用すれば一度に数十キロを稼げるようだ。途中、陽炎の探知先を求めて歩くことを考えても、相当な時間短縮になる。
何回か同様の手順で東へ転移し続けると、タブラ上に密集した光点が現れた。
「えらい量の食品だな。ちょっと回収しに行くか」
「素通りするのも、もったいないです」
食い物には目が無い雪が、すかさず提案に賛同する。
平坦な草原は既に転移で越え、彼らの周りに広がるのはやや起伏のある丘陵地。二十分程、丘を登り降りすると、タブラが何を示していたか判明した。
「果樹園だ」
「葡萄みたいですね。黄色いけど」
規則正しく植えられた樹木は、人の手で管理されているのが瞭然だ。
いきなり手を伸ばす雪を止め、蒼一は管理者を探すことにした。
黄葡萄の間を縫って進むと、サイロのような石の太い塔が見え、その周りに木造の建造物がいくつも現れる。
さらに近づいた彼らは、建物の前で一心不乱に作業する何人かの集団を見つけた。
「メイリは竜と隠れててくれ。いきなり出て叫ばれても困る」
「分かった。マーくん、あっちに行こ」
「クピ」
勇者と女神は、精一杯、害意の無い笑顔で皆に歩み寄った。
「あー、ちょっといいかな」
「ナマタ!? カサハ、ナカナマハラナ!」
「……何語?」
そういや、ここはもう違う国だったと、蒼一は思い知る。ベルステ領、いくつかの都市が合流し、自然発展した連合国に彼らはいた。
「俺ナマタ、カナカマハ勇者」
「すごい! 言葉が分かるんですか?」
「いや、フィーリングで」
雪は呆れ返るが、人々は帽子を取って手を合わせ、丁寧にお辞儀する。
「ほら、気持ちで通じるんだよ。ナマステー」
蒼一も彼らを真似て頭を下げた。
「トッソ、ナマヤハラ?」
「うん、それは無理だ。もっと表情で訴えてくれないと」
とりあえず、敵意は無いと、ナマステたまま彼は話をしてみる。
「オレ、ユウシャ。ブドウ、タベタイ」
「ナマハ?」
「それじゃ通じませんよ。ジェスチャーじゃないと」
人々は家族だろうか。
年齢の違う男女が二組と子供の全部で五人。彼らは果樹の一部を収穫し、房から実を外す仕事の最中だった。
黄色い葡萄の房を拾い上げて、雪は実を指で差す。
「ブドウ、タベル。コレ、コウヤッテ」
「ジェスチャーじゃねえだろ、それ。もう食ってるじゃないか!」
果樹園の主の見守る中、彼女はムシャムシャと実を食べ出した。
「ブドウ、ウマイ。ミンナモ、タベル」
「スミマセン、こんなんでも女神なんです」
食べる雪を放置してくれているのを幸いとして、彼は大陸の地図を地面に広げる。
「えーっと、ナハルヤ、トッスルレン、ここはどこ?」
「ナル……ユムチル」
一番年長と思われる男性が、地図の一カ所をトントン叩く。指はベルステ領の中心より、ラズレ公国寄りを示している。
「へえ、もうこんな所か。ベルステを抜けるのも直ぐだな」
「いくらでも食べられますねえ」
「それもう掠奪だぞ。ちゃんとナマステしとけよ」
「はーい。ナマステー」
名残惜しそうな女神を引っ張り、蒼一がここを去ろうとすると、夫婦らしき若い二人が引き止めた。
「ナムナ、サルヤット!」
「ああ、代金か? ちょっと待ってくれ……」
夫婦は出した金貨をナムナム、サルサルと拒絶し、反対に黄葡萄を袋に詰め始める。
「え、くれるの? 君たち本当にナマステだね」
「優しいですねえ。あっ、そっちの熟してるのを入れてください」
お土産までもらった蒼一たちは、感謝の代わりに手を振って彼らに応えた。
立ち去る二人に、果樹園の人々はまた両手を合わせる。
「いい人たちですね」
「勇者が人気あるのは、呪縛のせいじゃないみたいだな」
待っていたメイリも、早速葡萄を食べて大満足だ。
「これ、甘いね! 好きかも」
「そりゃよかった。ところでさ……」
「なに?」
金髪の少女の顔を、蒼一はまじまじと見つめた。
「今さらで悪いんだけど」
「うん?」
「お前、何で言葉が通じるんだろうな」
「…………」
俺の話している言葉は、日本語だろうか。
そんな根本的な疑問が、勇者の頭を悩ませたのだった。
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