057. ラズレ樹林帯

 この日のうちにラズレまで辿り着こうと、脈応による転移は夜になるまで繰り返された。

 回復弾と毒のおかげで、通常の薬はメイリ専用で使える。

 疲労回復に薬を使うという贅沢をすることで、少女も蒼一たちの無休憩転移に追随できた。


「薬は遠慮するなよ。俺達は疲れないんだから」

「うん、ありがと。英語だとサンキューだね」

「お前の謎具合は、また加速したな」


 記憶が無い彼女に、何語を喋っているのか尋ねても無駄だ。

 試しに蒼一の知ってる限りの外国語を並べても、それは知らないと言う。

 おそらく自分たちは日本語を使っているのだろう、それが三人の達した結論だった。


「ただそうなると、王国人は日本語を喋ってることになって、それもおかしい」

「顔が濃いですもんねえ」


 言葉の問題より、東へ向かうことが先決だ。

 また人を見つけたら、地図を確認してもらおう。その心積もりでいたが、蒼一たちは誰に会うこともなく、この日の移動を終えた。


 マルーズたちの話では、ベルステは北部沿岸に大都市があるらしい。

 内陸は過疎地だとしても、国を横断して、会ったのが二家族というのは少な過ぎる気もする。


「そろそろラズレだ。一度、街に寄りたいな」

「ギルドもあるでしょうし」


 各ギルド施設の通信部屋には、大陸各地の支部の場所が記載された地図があった。

 主要なものは蒼一たちの地図にも写してあるが、ギルドのある都市はまだ少し遠い。

 最も近いのが、公国の中程に位置する交易都市ナタンドであり、そこを次の目標に定めた。


 実のところ、彼らは既にラズレ領に進入している。

 王国と違い、分かりやすい国境線は築かれていないため、転移で飛び越した彼らに知る由も無かった。


 翌日も脈応の連続ジャンプは続き、やや南東方向に進むと、次第に森が深くなっていく。

 街道どころか、ジャングル化する風景に、蒼一たちは戸惑った。


「合ってるんだよな、こっちで」

「少し南に寄り過ぎましたかねえ」


 この鬱蒼とした木々は転移で抜けるのが一番と、脈応に期待するが、そう簡単には行かなかった。


「……ここは、さっきの近くだよ。あんまり飛べてない」

「霊脈を潰して、しばらく歩こう」


 陽炎の反応は強く、あちこちへ剣先を向ける。

 数十メートル置きに霊力溜まりが点在し、脈応を使用するには、効率が悪かった。


 枝を払い、深い森を歩む彼らの前に、トーテムポール状の石柱が出現する。

 頭部はノッペリと平らで、胴体部分に刻まれた模様から、一応人を模したものだと見てとれる。


「この辺りに、何かあるのかな」

「勇者サマ、ここには覚えがアリマス」


 ロウは降ろしてくれと、勇者に頼んだ。

 魔傀儡まくぐつの形に戻った彼は石柱を調べて、自分の記憶を確信する。


「間違いありマセン。コチラへ来てクダサイ」


 蒼一たちを先導し、ロウは迷わず何かを目指して歩き出した。

 その道筋には、似たトーテムポールが間隔を空けて立ち、道標の役割を果たしているようだ。

 十本以上の石柱を数えた頃、終点に到着する。


 苔生した正方形の建物が、ブロックのように組み合わされて並ぶ。剥き出しの樹の根で覆われた立方体もあれば、崩れて壁の一部だけが残るものもあった。

 多くは半分ほどしか地表に出ておらず、長い年月がここ一帯を土中に埋めてしまっている。


「ハルサキムにあった遺跡か……」

「ワタシの生まれた遺跡デス」

「お前、王国製じゃないんだ」


 魔傀儡は勇者に振り返り、厳かに宣言した。


「ココが旧王国の首都デス。魔物に破壊サレ、遷都する前ノ」

「……そういう話は、もうちょっと早く教えろ。ラズレに王国があったのかよ」


 王国遷都は二代目勇者の時代のことであり、ロウが誕生する前の話だ。

 彼にしても伝聞でしかないが、遺跡を前にして、蒼一たちは暫しその話に聴き入った。





「当時の王国は、この辺りまでを領土とする大きなものデシタ。ワタシが生まれたのは、遷都直後デス。作られてすぐ新都に戻りマシタ」

「んー、旧都の場所が具体的に分かっただけで、そう新しい情報は無いか」

「何分、古い話デスノデ」


 ロウが古いと言うと、妙に説得力がある。


「二代目の女神だったよな。お前を作るために、わざわざ旧都に戻ったのか?」

「魔傀儡の製作所があったからデショウ。ハルサキムの地下工場は、後年ここの一部を移設したものデス」


 辻妻は合うが、気になるのはその二代目の女神だ。やはりその女神だけ、持てる技術が突出している。


「二代目は突然変異か? 十八代目なんて食べるしか能が……ぐえっ!」


 ロッドが蒼一の腹にめり込んだ。


「手加減しろよ……ここらに霊脈が集中してるのは、関係あるのか?」

「吸収機が、マダ動いているのかもシレマセンネ」


 霊脈から霊力を吸い出して利用する吸収機。使われない力が、地中にあちこちに溜まっているということか。


「あんまり好ましい状態じゃねえよな。確か、スラベッタの近郊じゃ、霊力が影響して――」

「クピクピ。クピッ!」

「イテッ、お前までつつくなよ。どうした?」


 葉竜は樹林をにらみ、警戒心を剥き出しにしている。

 敵を見つけたと考えて、間違いない。


「何か来るぞ。みんな武器を構えろ」

「魔物!?」


 メイリが急いで槍を拾い、竜の横に立つ。

 盾に戻ったロウを左手に持ち、蒼一も茂る樹木の奥に目を凝らした。


 ガサガサと葉を揺らす音が次第に大きくなり、接近者の存在を告げる。

 その音が静まって一拍後、キューブ型の建物の陰から、黒い姿が現れた。蒼一たちを品定めする、八つの目。


「……目が多いぞ。雪向けだ」

「多いのも嫌いです」


 雪の嫌悪の対象は、八脚を器用に動かし、建物の上部を渡り歩く。


「ソウイチ、あれは何?」


 地球での嫌われ者は、メイリにも大不評だ。

 生理的な不快感を呼ぶらしく、少女も口を歪めて後退あとずさった。


「蜘蛛だな。珍しく地球のとソックリだ」

「そう見えるなら、この世界に毒され過ぎです。地球のは馬並みの大きさじゃありません」


 蜘蛛は巨体を回転させ、尻を彼らの方へ向ける。逃げるつもりでないなら、これが魔物の攻撃姿勢だ。


「げえぇっ、後ろにも目があります!」


 地球産に似ていたのは前面だけで、膨らんだ腹にも四つの目が開き、全方位を視界に収めていた。

 その目のうちの一つを、蒼一はボウガンで狙う。


「くらえっ!」


 魔力で加速する矢が多脚の魔物に当たる寸前、白い網が尻から噴き出した。

 蜘蛛の糸が、彼の攻撃を包み込み、地面に吐き捨てるように落とす。


「おいおい、魔物のくせに勇者の真似か?」

「ツッコミませんよ。蜘蛛嫌いなんで」


 この射撃を契機に、魔物も本格的に戦闘を開始した。

 建物から降り、不規則に左右へ移動を繰り返しながら、蜘蛛は粘糸の塊を乱射する。


「あっ、足が!」

「ユキさんがくっついた!」

「くそっ、粘着! 粘着っ!」


 足を貼付けられた女神を、メイリと葉竜が引き剥がしにかかった。

 魔物を足止めするために、蒼一も粘着を撃ちまくったせいで、そこら中に粘糸が広がる。

 密林の大地は、雪が積もったように白い膜に覆われた。

 敵味方、お互いの動きが悪くなる中で、勇者の遠距離魔法が放たれる。


「鎌鼠!」


 齧歯げっし類たちが固着された魔物の脚に群がる。

 おぞましさが倍増し、うっかり攻撃の瞬間を見たメイリが、小さく悲鳴を上げた。


 蜘蛛に取り付いた鼠が脚先をかじり、ちぎり落とす。

 魔物は貼り付けられていた二本の足を失い、六脚となったことで、勇者の粘着から脱出することが出来た。


「あっ、待てよ、粘着っ!」


 不利を悟ったのか、大蜘蛛は樹上に素早く退避して、森の奥へ去ろうとする。

 後を追おうと走り出す蒼一を、まだ糸塊と格闘中の雪が呼び止めた。

 マーくんの口も、粘性の液でネチャネチャだ。


「蒼一さん、追っかけないで、剥がすの手伝って!」

「いや、まだ粘着勝負の決着が……」

「そんなことに執着しないでください!」


 二人が一悶着起こす間に、魔物は着々と逃げおおせる。


「ロウ、お前も手伝え。何でか知らんが、メイリが酷いことになってる」

「ハイ、勇者サマ」

「んー、むんーんー!」


 少女が粘膜に顔面ダイブしているのは、新顔芸ではない。

 雪を剥がすために糸を引っ張った際、伸び切ってちぎれた勢いで、粘着地面に転がったためだ。


 顔の半分が接着しているために、口を自由に開けず、メイリはむーむーと唸るしかない。

 既に糸から離脱した雪が、少女の頭を持つ。

 ロウが右足、蒼一が左足。

 どこまで言葉が通じているのか分からない葉竜は、横で応援しておくように指示する。


「メイリ、痛かったら“痛い”って言えよ」

「んー、んんー!」

「雪は頭を押してくれ。俺たちで引っ張る」

「はーい」

「んんっ!?」


 蒼一の掛け声に合わせて、少女の体がズリズリ動いた。


「そーれっ!」

「コノッ!」

「んむんむっ!? んーっ!」

「あはははっ!」


 不謹慎な笑い声は、雪が発生源だ。

 餅のように引っ張っられたメイリの顔に、我慢できず吹き出したのだった。


「おい、雪。面白いからって、わざわざ顔を覗き込むなよ」

「だって、久々で……イノジン……あははっ」

「ん! ん! んーっ!」


 同じ粘着攻撃でも、勇者と大蜘蛛では、その性質が大きく異なっていた。

 魔物の粘糸は、スキルより弱い接着力しか無いが、やたらと伸びる特性が厄介だ。地球の物質で言えば、蜘蛛糸より水飴の方が近い。


「クピーッ!」

「んごぉっ!」


 トドメは葉竜が刺した。横腹に体当たりされたメイリは、遂に糸を振り切って、下草の中をゴロゴロ転がって行く。

 ついでに巻き込まれたロウも、少女と一緒に吹っ飛んだ。


「何をしやがりマスカ、このキノコ!」

「んー……」

「クピクピ」


 拘束は解けても、メイリの顔面の糸は残ったままだ。

 蒼一たちが駆け寄った時もまだ、涙目でんーんー呻くだけだった。目が開くようになっただけ、まだマシか。


「さて、どうしよう」

「髪の毛まで付いてますね」

「ハルサキムの顔飴が、こんなんだったな」


 流石にこのままでは可哀相なので、彼はスキルでの剥離を試みることにした。

 接着剤の剥がし方は、熱するか冷やすか。蜘蛛糸の性質次第なため、まずは炊事から。


「熱かったら“熱い”って言えよ」

「んー!? んっ、んー!」


 雪とロウが少女を押さえ込む。


「一応、回復薬を用意しとこう。念のため」

「んん!」


 少女のポケットから薬を取り出し、雪が左手に持つ。右手はメイリの肩を掴んだままだ。

 いくら大雑把な蒼一でも、顔に直接、炊事を発動はしない。


「水煙華!」


 生まれた霧に、続けて炊事の熱を加える。


「炊事っ……どうだ?」

「んん!」

「変化は無いですねえ。ツヤが出ただけ」


 では、冷却だ。


「氷室っ!」


 冷やされた大気が水滴となり、少女の顔を伝った。


「冷た過ぎたら、“冷たい”って――」

「ん!」

「――言わなくていい。死にはしないと思う」

「んんんっ!?」


 冷やされるにつれ、糸の白さが増し、粉を吹いたようにポロポロと崩れ始める。


「上手く行きましたね! 無気を使わずに済みました」

「よかったな、メイリ」

「ん……今までで最大のピンチだった……」


 金色の髪も同様に処理して糸を払い落とすと、少女は顔の痛みを消すため回復薬を飲み干した。


「蜘蛛糸の弱点は分かったけど……」

「追いかけるんですか?」


 魔物の逃走先を指差し、蒼一はマーくんと睨み合うロウに尋ねた。


「この先は、何かあるのか?」

「ハイ、そちらは――」


 王国を出てから、魔物討伐の意欲は減っており、積極的に戦闘を仕掛ける気にはなれない。

 しかし、魔傀儡の説明には、蒼一だけでなく雪も興味を示した。


 蜘蛛の再来に警戒しながら、一行は樹林のさらに奥へと進むことにしたのだった。

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