第五章 外の世界
055. 雨中の戦い
国境に長々と伸びる防壁と聞き、蒼一は万里の長城のような建築物を想像していた。しかし、その世界遺産より、東部防壁はずっと幅が狭い。
壁上を哨戒員が歩けば、二人の隊員がすれ違う際に、肩が触れそうな薄い壁だった。
高さだけは立派なもので、数階建てのビル並に
「壁そのものが、魔法陣みたいなもんか。地下遺跡といい、凄まじい技術だな……」
ロウの記憶によれば、五百年前はまだ、壁は建造中だったそうだ。
今現在、ここまでの巨大魔法物を作る技術が、王国に残っているのか?
怪しいもんだと疑問に思いつつ、彼は壁に空いた開放口へ近付いて行った。
夜の雨は鬱陶しくも、足音を消し、蒼一の発見を遅らせる。
さらには勇者の放つ“水煙華”が、空中の水分で霧状のベールを作り、壁門前の視界は極端に悪くなった。
水の煙が間近まで迫った時、ようやく守備隊員たちも異変に顔を向ける。
白色の霧の中から、勇者がぬるりと顔を出した。
「こんばんは。勇者です」
「なっ!?」
「浄化!」
最も近くにいた隊員が、洗脳スキルの犠牲となり、自身の脳内全てを
「ふわあ……」
「勇者様が攻撃してきやがられたぞ!」
「そんな馬鹿な!」
「浄化! 浄化っ!」
呆けた顔を晒す仲間に、隊員たちはパニックを起こした。勇者は自分たちを攻撃できないと、聞かされていたのだ。
「や、槍で囲め! 勇者様の足を狙うんだ!」
「魔術師はどうした? 勇者様を焼け!」
「浄化っ」
――こいつら、敬意が有るのか無いのか。
どちらにせよ、浄化で夢の世界に旅立たせることに変わりはない。
接近戦の危険を認識し、駆け付けた魔術師たちが、遠距離から魔法攻撃を仕掛けた。
「獄炎の赤蛇よ、その者を――」
「てめえらのは、トロいんだよ。硬化!」
石と化した蒼一を猛火が
「誰か石化魔法を唱えたのか?」
「いや、自分から石になられたんだ!」
「どういう勇者様なんだ、この方は!?」
動かなくなった彼に、隊員がジリジリと近寄る。
スキルの効果範囲に踏み入ったところで、蒼一の心中で技の名が叫ばれた。
――浄化、浄化!
また二人、曇る夜空を見上げる者が増える。
「駄目だ、紐を持って来い! 勇者様を引き倒してやる!」
長い荒縄を持ち出して来た隊員は、その先を輪っかに結び、カウボーイよろしく勇者へ投げ付けた。
蒼一は、そんな勇者輪投げに付き合う気はサラサラ無く、そろそろ潮時と考える。
――霊鎖!
今回、目標となるリンク対象は、三人とも別地点に待機中だ。
一発で発動した移動スキルにより、彼は霧に紛れるように掻き消えた。
「勇者様?」
「逃げやがられた……」
この襲撃による守備隊の被害は、十二人。
門に詰める総隊員数は、予想より多い百人強。
雨中の戦いは、まだ始まったばかりだった。
◇
城からの連絡が混乱しても、各地の第一神官にさしたる動揺は無く、東部でも勇者の出現は予期されていた。
蒼一たちが大賢者を追っていることは、既に神統会の知るところだ。
賢者の行き先がラズレーズなのも王国は把握しており、東へ抜ける壁門は要警戒地点だった。
運悪く、警備を増強された壁門に当たった蒼一だが、計画通りに仕事を進める。
「はあっ、硬化も結構長いこと解けないんだよな」
「ソウイチ様、どうぞ」
マルーズから渇いた布を手渡され、彼はガシガシと頭を拭いた。
「問題は無さそうだわ。んじゃ、また行って来る」
「お気をつけて」
マルーズ以外の三人は、木陰で貝の煮付けを食べていた。
「俺の分も残しといてくれよ」
「はーい。いってらっしゃい」
雪たちに手を振られ、蒼一は再び防壁へ向かう。
先と同じく十五分後、水煙が守備隊の目の前に現れた。
「勇者様だ、気をつけろ! 何をされやがるか分からん!」
ビヨォーン。
「ビヨン?」
彼らの頭上から、濡れた勇者が強襲する。
「勇者です、上から今晩は。浄化っ!」
「ひいっ!」
意表を突かれ、再戦に備えていたはずの守備隊員たちの対応が遅れた。
手近な何人かを無力化し、蒼一は電撃と回避を交互に放つ。
「おらっ、気つけっ! 跳ねる!」
「何だ、どうなってる? あひっ!」
雨の中では、気つけが伝わる範囲も広い。何人かが足を取られて転んだのを見て、彼は浄化を狙い撃ちした。
「浄化、浄化! 浄化ぁっ!」
「あ、あのビヨンビヨンを止めろ!」
またもや魔術師がロッドを勇者へ向け、隊員の一人が縄をクルクルと回し出す。
「月影っ! ついでだ、百花繚乱!」
強烈な閃光に、守備隊員たちは思わず目を閉じ、顔を背けた。
百花繚乱は、メイリのたっての希望で再取得させられたものだ。綺麗なだけの無駄スキルでしかなかったが、多少の撹乱効果は期待したい。
「さて、硬化っ」
どうせ火か水流が飛んで来るだろうと、彼は防御スキルで安全を確保した。
七色の光の粉が、蛍火のように周囲を
魔術師からの反撃は、確かに勇者へ放たれたものの、その結果は予想外だった。火炎は爆散し、水流は蒸気へ変わって霧となる。
光の粉が魔法に反応し、蒼一へ届く攻撃を尽く途中で立ち消えさせた。
「魔法障壁です!」
「む、これは勇者様らしい」
――褒められたよ。メイリに感謝だな。
“百花繚乱”は、各種系統の魔力光を撒き、対応する攻撃を消す防御能力である。
残りスキルの中では、まだ強力と言える技で、珍しく名前負けしていない。自分の魔法にも反応するのだけが、玉に疵だった。
これが使えるなら、次はまた別の訪問方法が試せる。既に次回に気持ちを移しつつ、彼は霊鎖を発動した。
「またか!」
「帰られたようです」
「捕縛態勢のまま待機だ! 次は魔法で先制する」
「はっ」
隊長格の守備隊員は、得体の知れない勇者の能力を顧みて、対応を苦慮する。
「勇者は攻撃できないなんて、嘘ばっかりじゃないか」
「……幸せそうではあります」
浄化を受けた者たちは、大人しく控えの部屋に連れられて行った。
皆一様に煩悩から解き放たれ、白く光る顔で仲間に微笑む。
「どういう能力だ、これは。発光の魔法?」
「ハルサキムで流行ってる白地蔵みたいですね」
「なんだそれは」
霧が発生したら、即座に攻撃開始だと命令し、隊長は残る隊員で監視を強化した。
回復歩行の効果で、勇者に休息は必要無い。
三回目の襲撃は、その二十分後のことだった。
◇
水煙も跳躍も、馬鹿でなければもう警戒されているだろう。
ならば、別ルートだ。
防壁から少し離れた地点で、蒼一は匍匐前進に切り替える。
彼の這いずった跡が、草原を行く大蛇のように伸びていた。
「体が冷えるな、これ……」
多少、後悔しつつも、着実に壁門との距離を縮める。
霧ばかりに気をとられていた隊員たちは、彼が目的地に辿り着くのを許してしまった。
「勇者です。下から今晩は」
「うわっ! 土の中からだ!」
泥と一体化した勇者を見ては、地下から来たと思うのも無理はない。
門外に立つ監視員が気付いた時には、もうそこはスキルの届く範囲だった。
「浄化!」
「ふゅー……」
魔術師たちが唱える迎撃の魔法は、やはり勇者の能力の速度には出遅れる。
「百花繚乱!」
魔力光を噴出しながら、彼は門内へと駆け入った。
「もう一丁、百花繚乱! 粘着!」
魔法の牽制と同時に、縄を持つ隊員を拘束する。
「砂地獄っ」
土が相手では効果は激減するものの、地形はキッチリすり鉢状に凹み、隊員たちは走り寄る足を止めた。
動かなければ、固着の餌食だ。
「粘着、粘着、粘着っ!」
「もう、何なんだ、この人は!」
事前に練習した高速移動や防御魔法への対処法は、何の役にも立たなかった。
壁自体が持つ転移阻害の仕掛けも、無用の長物になっている。
転移阻害は壁を越える目標地点の設定を無効にするもので、雪たちへ自動で帰還する霊鎖には意味を成さない。
「浄化、浄化、硬化!」
「ああ、また石になりやがられた!」
範囲内で固着した隊員を浄化し尽くすと、蒼一は悠々とスキルで消え去る。
勇者は時に煙に紛れ、時に空中から飛来した。
地を這って来るかと思いきや、光の粉を撒きつつ堂々と正面から歩いてきたこともあった。
この夜の戦闘は計九回、四時間以上に及び、守備隊員の疲労はピークに達する。未だ浄化されずに動けるのは、残り二十人程度。
壁門近辺は砂地獄による穴だらけで、木造の扉や樽は勇者によって放火されて
十回目の交戦。
多少、ルーチンワークとなっていた蒼一の油断を、隊員たちが突く。魔法による光の矢を、魔術師の一人が見事に襲撃者の左脚に命中させたのだ。
初めて勇者へダメージを与えることに成功し、残存する隊員から歓声が上がった。
「おおっ、今だ、追撃だ!」
「ぐっ、やるじゃねえか」
反撃の
「食らえ!」
食らったのは、勇者自らの腹。
発射された回復弾の衝撃で、一瞬、その身体がピクリと跳ねる。
理解不能な行動に、魔矢を当てた魔術師もドン引きだ。
その隙を逃す蒼一ではなく、魔術師に走り寄って固着しつつ、鞘でその持つ杖を弾き飛ばした。
「お仕置きだ」
「えっ?」
勇者は敵にロウを押し付ける。
「震音盤!」
「あわわわわわわっ! やめててててっ!」
「こんなもんかな。浄化!」
彼が守備隊最後の魔法の使い手だった。
「んじゃ、また後で。こいつも片付けといて」
「あっ、はい」
白魔人にウロウロされると、襲撃がやりづらい。ちゃんと横にどけておくように指示し、勇者は帰還する。
次がラストの十一回目。
グランド・フィナーレには、全員が登場した。
「マジカルストライクッ!」
「まじかる槍!」
突撃陣を守るのは、ダッハ勢の二人だ。
「水の障壁よ、敵を押し潰せ!」
「烈火豪流!」
「おー、みんな頑張れー」
「今日は出番が少ないデス」
勇者とロウは手持ち無沙汰になり、後衛で戦況を見守った。
怪我を負って、うずくまる隊員を、葉竜がクピクピと突く。
「それぐらいにしといてやれ。ほら、回復弾!」
「う、撃たないで! やめて下さりやがれー!」
回復後に、浄化するのも忘れない。
防壁にいた隊員を一掃し、全員が白化すると、関所は無人の門となる。
この戦闘の結果、勇者は大量の二つ名を獲得した。
霧の勇者、土竜勇者。
ビヨンの勇者、自傷勇者。
メイリのお気に入りは、七色の勇者だった。
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