050. 王国の使者
本部テントにいたのは、責任者のタムレイとギルド施設長のサントマーレ、そして見知らぬ顔が一人。
この蒼一の記憶に無い人物が、王国から派遣された北部第一神官ドスランゼルだった。
顎髭を蓄えたその容姿は、王都で最初に会った神官長ライルに似ている。
勇者を心待ちにしていた彼は、両手を挙げて、歓迎の意を表した。
「お待ちしておりました、勇者様! どうぞこちらへお掛け下さい」
「お前の家じゃねえだろ。ヒゲ度高いヤツは、どうも印象がなあ……」
勇者の悪態に、王国の使者が怯む素振りはない。
「実は、御相談がございましてな」
「魔法陣の話だろ?」
「さすがは勇者様、ご明察の通りです」
愛想の良いドスランゼルと比べ、タムレイの顔は渋い。サントマーレに至っては、砂虫でも見つけたような表情だ。
「既に破壊された分は仕方ないのですが、他はそのまま保全して欲しいのです」
「魔物が出るのにか?」
「いえいえ、発動させなければ問題ありません。あれは古代の遺産、まず調査しておきたい」
蒼一に腹の探り合いは向いていないし、する気も無い。
神官のヒゲを見据え、彼は疑問の要諦をぶつける。
「あの魔法陣、王国が作った物だよな。何のためだ?」
「まさか! 我々としましても、その来歴を――」
「城に在った勇者の召喚陣、あれは誰が作ったんだ。そっくりじゃねえか」
しかし、その返答の遅さが、正解を教えているようなものだった。
浄化って自白剤代わりに使えるかな――そう蒼一が思案し始めると同時に、ヒゲは椅子を引いて立ち上がる。
「詳しい説明は城で致します。明日迎えに来ますので、是非ご同行願いたい」
「ああ、そう」
テントを出る神官の背に、雪がマジカルストライクを空撃ちした。
「胡散臭さは、本家のヒゲと変わりませんねえ」
城のライルのことだ。
「本部やギルドには、何て言ってたんだ?」
蒼一の質問に、まずタムレイが答える。
「砂漠の魔法陣は、破壊活動を中止して、立入禁止にするようにと」
「防衛隊以外に、そうそう近寄らないだろ」
「いえ、その防衛隊も一度撤収を要請されました。王国の調査隊が、交替に来る予定です」
彼の顔は、その通達に納得しているそれではない。
引き続いて、サントマーレが王国への不満を口にした。
「一体、何を考えているのやら。魔法陣の調査の全面停止を要求されました」
「勇者の希望なのにか?」
「ええ。応じない場合は、王国内の施設も閉鎖を検討するそうです」
「脅迫かよ」
これでは、彼女が苛立つのも分かる。
蒼一たちは王国の内情に今まで
「要求を受け入れるのか?」
「本部に対応を仰ぎます。おそらく、表面上は受け入れざるを得ないでしょう」
「俺の指示を取り消してもいいが……」
「その必要はありません。あくまで、形だけです。魔物召喚を放置するなんて、馬鹿げてます」
ドスランゼルは、発動しなければ平気だなどと言っていたものの、魔法陣は現に各地で活性化している。被害を被るのは、市井の人々だ。
神官たちよりも、よほど大陸ギルドの方が、王国の安寧に真剣だった。
「俺もイマイチ王国に協力する気になれん。隠し事はやましい奴のすることだ」
「さっきの人、どういう役職なんですか?」
雪だけでなく、蒼一もそれを聞こうとしていたところだ。
王国の政務と内情について、勇者と女神はサントマーレから講習を受ける。
「今回はユキさんに負けないんだから」
途中からメモを書き出したメイリは、蒼一チェックでの雪辱を果たすつもりだ。
話が終了し、本部テントを出ると、彼女は口頭テストを要求する。
しかし、結局、今回も雪は満点だ。
負けたメイリは、ただガックリと肩を落としていた。
◇
蒼一たちは彼のテントに集合し、ロウを交えて、得た知識を整理し合った。
「この国の王族は単なる飾りで、実権を握ってるのは、ライルを頂点とする神統会だ」
「宗教政権ですね」
「そうなんだが、あんまり宗教色は強くないな」
神統会が敬うのは神、そして神が遣わした勇者と女神である。
その理念の下に法を整備し、警邏組織や国境防衛隊が置かれていた。
各街への縛りは緩く、大規模な軍隊は存在しない。ただ、王都では神統会直轄の守備隊が、実質的な軍の役割を務める。
「この守備隊は、剣士や魔術師を抱えていて、かなり強力らしいぞ」
「ラバルとマルーズがいっぱいいるみたいな感じだね」
メモを見ながら、メイリが習ったことを復習する。
「あのドスランゼルって人は北部の責任者、神官長の下の地位……」
「そうだ。王国は五管区に分かれてて、あいつは北のトップだ」
各管区の統括地は、人口の多い都市とは別に造成されていた。神統会のための施設が中心の、政務都市である。
北部統括地はダッハより北に在り、ドスランゼルは北部司令官と言ったところか。
「五百年前には、神統会は存在してマセン。王国の長は、王サマでしたヨ」
「今も一応、そうだけどな。宗教はあったのか?」
「精霊祭に参加したことがアリマス。各地で、独自のお祭りを見まシタ」
ロウの記憶によれば、神統会はその後に出来た宗教だ。精霊系の信仰は、取って替わられ消えたことになる。
王国の使者の顔を思い返しつつ、蒼一は皆に明日の指針を伝えた。
「王都で気にそぐわない依頼を受けるのも面倒だ。ヒゲを上手く言いくるめて、東へ向かおう」
「そうですね。好きにさせてもらいましょう」
「私もそれでいい。ソウイチのやってることは、間違ってないもの」
ヒゲの人気は最低だ。裏のある態度は、メイリにも信用されてない。
遠征に必要なのは、何より馬車。可能なら、付き合ってくれる御者もいるとありがたい。
翌朝、ラバルたちと相談して街を出ようと考えていた蒼一だが、夜明け後すぐ、ドスランゼルに先を越される。
彼を起こしたのは、対策本部に響き渡るラッパの音色だった。
◇
まだ寝ぼけ
「ソウイチ様っ、大変です!」
背伸びをしながら出て来た彼は、けたたましいラッパに渋い顔をした。
「朝からパラパラうるせえな。“勇者の寝起き”か?」
「“勇者の危機”です」
「……雪たちも起こして来てくれ」
ただ事でないのは、魔術師の慌てぶりで分かる。
彼も急いで装備を
「ドスランゼルが、警邏官を集めています。ソウイチ様を拘束する気です」
「穏やかじゃねえな。やり合う気かよ」
既に気を効かせて、出立用の馬車を用意してくれていると言う。
皆が荷物をまとめたところで、ギルド所有の馬車が、テント前に到着した。操っていたのは、騎馬も得意なラバルだ。
「さっさと出よう。竜は勝手に追いかけて来るだろう」
「私たちも御一緒します。馬の操縦は任せてください」
ラバルが御者席に、マルーズは蒼一たちと一緒に、二頭立ての馬車に乗り込む。
街の南側を通り、ドスランゼルを避けて東口に向かう予定だったが、ほんの一手遅かった。
対策本部を出たところで、馬車は警邏官たちに囲まれ、停車を余儀なくされる。
仕方なく降りた蒼一へ、ヒゲの使者が嘘臭い笑みを浮かべて近付いた。
「王都へ向かうのでしたら、我々が先導します、勇者様」
街の警邏官は、王国の指令に背くことはしない。
それでも、武器を向けるのは不本意らしく、中途半端な包囲姿勢で遠巻きに勇者を見る。
やる気があるのは、ドスランゼルに随行して来た王国直属の部隊員だ。
十名程の北部統括地の隊員が、臆することなく、蒼一へ剣先を突き付けていた。
「あのさ、勇者に勝てる気でいるなら、ちょっとナメ過ぎじゃない?」
「勇者様こそ、御存じないのですか? 勇者の御力は、人を傷つけるためには使用出来ませんぞ」
「ふーん、そうなんだ」
人を殺そうなどとしたことのない蒼一に、彼の言葉の真偽は分からない。
確かめるには、試すだけ。
「鞘打ちっ!」
ドスランゼルの膝下辺りを狙い、彼は手加減した水平打撃を繰り出した。
ボグッ。
「イタッ、痛いっ! 何をされるか!」
「殴れるじゃん」
「あ、当たり前でしょ! 能力が発動しないだけでしょうよ!」
――それも違うんじゃないかなあ。
確かにヒゲの言う通り、鞘打ちは発動せず、ただ殴り付ける結果に終わった。
老人ならともかく、槍や魔杖を持つ部隊員は、それで怯む相手ではない。逆に間合いを狭める隊員たちへ、蒼一は左手を掲げた。
「攻撃スキルじゃなきゃ有効なのは、一般市民で実験済みだ。粘着っ、粘着ぅっ!」
「うおっ!」
足を貼付けられたことに対する反射なのか、いくつかの槍が勇者に向けて突き出される。
「ビヨン! いや、違う。跳ねる!」
槍を避け、空中に跳ね上がった彼は、落下と同時に追撃を放った。
「浄化、浄化、粘着っ、浄化っ!」
槍隊員が白光して呆けると、残りは後衛の魔術師だけになる。
ヒゲは粘着で地面にくっつけておいた。
魔術師の一人が魔法障壁を張り、残りの術師の杖先が赤く光る。
「雪、メイリ! 竜にくっつけ!」
「はーい」
「うんっ!」
マーくんを挟むように、雪たちが並び立つと、蒼一も後退して皆に混じった。
魔術師の詠唱が、多重音声で攻撃を告げる。
「火焔よ、熱鎖で縛れ!」
勇者は仲間を両腕で抱え込み、迫る火の縄に対抗した。
「全力っ! 遁走!」
炎の渦を断ち切って、高速移動を開始する勇者の一団。
魔力化し、実体を無くした彼らは光の速さで遠ざかり、その姿を目で追えた者はいなかった。
「消えた? 転移障壁はどうした!」
「転移ではありません、走り去った模様です!」
得体の知れない十八代勇者の能力に、ドスランゼルは絶句する。
「このような力、王国の記録にはどこにも……」
当たり前だ。こんなスキル、今まで誰も取らなかった。
落胆と、粘着の効果で動けない彼らを尻目に、ラバルとマルーズは馬車を移動させる。
勇者の機嫌を損ねるという無益な結果だけを残し、王国の勇者連行は失敗に終わった。
ダッハの街では、新しく“勇者の全力遁走”のフィギュアが激レア品として売り出されたと言う。
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