046. 勇者感
売り子と客のやり取りで、夜の市場は活気に溢れる。
露店が敷いた色とりどりのゴザや籠が、
海産物を扱うスーダの店は、市場の北に数軒分の敷地を占めている。
ダッハは沿岸から持ち込まれる産品の集積地でもあり、ハルサキムなどの都市から買い付けに来た商人も見受けられた。
「らっしゃい! おお、勇者様でしたか」
「主人はいるかい? 買い取って欲しい物があるんだ」
「へいっ、ちょっとお待ちを」
売り子は露店の奥、土壁の建物の中に消える。そこがスーダのいる店の倉庫兼事務所だ。
替わって現れた小太りの男が、にこやかに挨拶した。
「いらっしゃいませ。今日は何用で?」
「ああ、まずこれを見てくれ」
蒼一の取り出した干しシェラ貝を、スーダは舐めるように品定めする。
「これは……上物ですな。銀貨八十枚といったところでしょうか」
「多少、足元見ても構わんぞ。その買い取り値だと、店の資金が吹き飛ぶ」
勇者の言い様に、主人は気色ばんだ。
「いくら勇者様でも、それは失礼と言うものですぞ。金貨が数十枚でも、店の金が無くなるなどと――」
「三百個」
「え?」
「それ、三百個あるんだ」
事態を飲み込み切れず、スーダは黙って蒼一と貝を交互に見る。
本当に三百のシェラ貝を買うとして、その総額を計算した彼は、今一度、干し貝を値踏みした。
貝を蒼一に返し、スーダが勇者に問う。
「え?」
「思考停止してんじゃねえよ。三百だ。二百九十九の次。無理なら他を当たるから」
「ダメ!」
「おう?」
勇者が最初にこの店に来たのは、スーダにとって僥倖以外の何物でもない。
市場には他にも海産問屋はあるが、他に渡してしまうには、余りに惜しい乾貨だった。
「八十枚……むう……何で八十枚と言ってしまうかなあ」
「いやだから、もうちょっと安くても、怒らんよ?」
「ホントに?」
後から値引き交渉をするのは、本来、スーダの沽券に関わる話だ。しかし、彼はこの干し貝の難点に気付いた。
「このシェラ貝、貝は立派ですが、天日干しではないですね?」
「あー、バレたか。ちょっと試食してみるか?」
「それは助かります。こちらとしても、安心して査定できる」
陶製の皿を二つ用意してもらい、蒼一はスライスした貝をそれぞれに置く。
片方は塩だけで、もう片方は雪のスープ粉をまぶして味付けた。
スープは貝肝由来の、濃厚なタイプで、水を加えれば直ぐに溶ける。
「炊事で加熱するから、タイミングを計ってくれ」
温度や調理時間の指示は雪の出番で、もう二人で何度も繰り返した作業だった。
「大して言うことは無いですよ。強火で手早く行きましょう」
「オーケー」
料理はメイリも好きらしく、楽しそうに二人の横で皿を眺めている。
「これ、美味しいよね」
「メイリの分も作るか?」
雪スープの匂いのせいで、あっという間に出来る貝料理を店の売り子たちもチラチラと気にする。
「さあて、どんなものですかね。私は味にはうるさいですよ……」
まずは塩のみの一切れを、スーダが口に入れた。
「うん……これは……ああっ! これは!」
「美味いんだな?」
「何ですかこれは、臭みが全然無い!」
旨味成分は増量してなくても、フリーズドライに鮮度の悪さから来る劣化は少ない。
始めての調理法を体験し、スーダは新鮮な驚きに襲われていた。
「この貝、すぐに臭くなるんだってな。これは大丈夫。勇者感あるだろ」
「ええ……」
特に感想も言わず、主人は雪味の一片にも手を出す。
「ああっ……ウンマーッ! ウマッ! ウンマッ!」
「なっ、問題はねえだろうよ」
「ぐぬぬぬ……これが勇者の力……」
販売中は食べられない売り子から、文句代わりの野次が飛んだ。
「スーダさん、俺たちの分も残しといてくだせえ! 匂いだけは殺生だ」
「バカモン、これは仕事だ!」
試食も終わり、蒼一は商談をまとめに掛かる。
「買うんなら、対策本部に取りに来てくれ」
「いいでしょう、店を傾けてでも買い付けます。明日からうちはシェラ貝専門店だ」
スーダは他人に抜け駆けされるのを恐れ、すぐに荷車を用意して本部に向かった。付き添う従業員二人が、運搬係だ。
店に残された面々は、捌き切れなくなった客の対応に汲々としていた。
「シェラ貝は、よく売れるのか?」
「高級料理用ですから、大きい街から買いに来ますね。ハルサキムとか」
「こんだけあったら、しばらくは庶民も口にできるかもな。よかったら、シェラ貝以外も見て欲しいんだ」
貝に運転資金を注ぎ込んでも、一週間もあれば、なんとか通常の品揃えに戻せるとスーダは算段した。
だが、加えて他にも購入するとなると、余力を残せるか怪しい。
一体何を見せられるのかと訝しがりつつ、店主たちは蒼一の泊まるテントに到着する。
「この中に置いてある。手前のが貝だ」
「では、失礼します」
従業員たちはシェラ貝の入った袋を開け、その個数を数え始めた。
その間に、主人は他の食材をチェックする。
「なんと! これは……」
カツオに似た魚は、ヘリンという名だ。完全乾燥させると、イシジン並に硬くなり、カツオ節と同様の使い方が出来る。
出汁を取るために、雪に作らされた物で、各種女神スープの基礎調味料になっていた。
そのスープも、先程一端を味わったスーダには、気になって仕方がない品物だ。
魚や貝を調べながらも、粉末の入った瓶群に彼は視線を送る。
見かねた蒼一は、スーダの好奇心を満足させるように提案した。
「女神のスープも試食したいのか?」
「是非!」
彼はメイリにカップの調達を頼むと、雪の許可を求める。
「食べさせてもいいよな?」
「少しだけですよ」
スラベッタの村以降、彼女の食材探求は加速中だ。
暇を見付けては調理をして、各種スープに魚醤のような調味料まで作っている。
濃縮し、凍結乾燥されたそれらを、蒼一は水と炊事で戻して行く。
一杯目の時点で、スーダの目は見開かれた。
「これは貝、いや……」
「ヤメタホウ貝の貝柱のスープだ」
「この濃厚な味わいは、確かにヤメタホウ貝。しかし、貝自体は入っていない」
「入ってるよ。死ぬほど細かいだけだ」
生のヤメタホウ貝を鞘打ちと墜撃で叩き潰し、研磨で滑らかにしたペーストが、そのベースに使用されている。
勇者の打撃は、貝柱の繊維を砕き、芳醇なエキスを産み出す。
二杯目。
「こんな甘さは初めてだ。このプルプルとした食感は……?」
「海藻とクラゲみたいなやつを混ぜたんだ」
海藻と偽クラゲを擦り潰し、氷室と炊事を繰り返して、寒天状に固めたキューブが具材だ。
甘味付けには、水晶体が活躍している。
勇者の冷熱魔法によって、神秘の食感が誕生した。
三杯目。
「これはさっきのヘリン……だが何という薄さ」
「薄い方が旨いからな」
盾の一閃が、鰹節を極限の薄さで削り取る。
勇者の斬撃は、便利だ。
「こ、これも買わせて下さい! お願いします!」
「えー、自分用ですよー」
「そう言ってやるな。オッサン、泣いてるじゃん」
ある程度は、ダッハで入手できる食材でも再現できる。
死ぬまでに一度、子供に食わせてやりたいとまで言い出したスーダを鬱陶しく思い、蒼一は売ることにした。
「全部売らないし、そうムクれるなよ。大体、こんなの持って移動できんぞ」
「また作るの手伝ってくださいよ」
試食品はメイリの分も余分に作ったので、スーダと一緒に食べ比べに参加している。
ニコニコ寒天を頬張る少女は、ふくれる女神とは対照的だった。
「カンテン美味しぃー」
「それ、目玉味だけどいいのか?」
鰹節やスープも買うとなると、主人が持ってきた代金だけでは足りない。彼は借金してでも、明日には金を用意すると言う。
「これは勇者製だから貴重品なんだけどな。製法自体はスラベッタの村に伝えたんだ」
「スラベッタ? ああ、国境の外の漁村ですね。たまに行商が行ってます」
「定期的に仕入れてやってくれないか。日持ちのする食材が手に入るぞ」
店としても悪い話ではないため、スーダはそれを快諾する。
翌日以降の後払いの代金の回収は、ギルドに任せることにし、蒼一は一応念を押した。
「踏み倒すなよ。物は先に持って行って構わないから」
「もちろんです、ちゃんとお金は払います!」
「払わなかったら、マジカル放火されるからな、お前の店」
意味は分からないが、スーダにもその恐ろしさは伝わる。証文まで書き残し、彼らは食材を積んで、店に帰って行った。
後には、シェラ貝分の金貨が詰まった壺が残る。
「これはこれで重いですよ。何に使うんです?」
「最初は、武器を買うつもりだったんだ。でもさ……」
魔剣も欲しい。しかし自分の攻撃力を上げるだけでは、根本的な解決にならないとも思う。
蒼一は、もう少し有意義な大金の使い途を考えた。
「ギルドに持って行こう。金の管理も得意だろう」
金壺を台車に載せ、蒼一たちは今夜もサントマーレの元へ向かったのだった。
◇
「またまた来たよ」
今日は施設長もカウンター内におり、待たずに相談が始まる。
「その壺は……?」
「金貨だな」
中身を覗いた彼女は、蒼一たちを慌てて奥へ案内した。
「会計室で金額を計算します。これを預けに来られたのですか?」
「いや、それなんだけどね……」
量りと算盤が並ぶ会計室に壺を運び込み、職員の作業を見ながら、蒼一は話を切り出す。
「この金でやりたいことは二つ。一つは、報償金だ」
「何への?」
「大賢者を確保した者へ、謝礼を出す」
条件は、怪我をさせないこと。
正確に言うと、あまり怪我をさせないことだ。
「ギルドの捜索隊でも、捕らえられない相手です。一般市民による逮捕は難しいと思いますが?」
「いいんだよ、行動は大幅に制限できるだろ」
ボケが進行すれば、案外捕まえられるかもしれないとも期待した。
額は大きいが、捜索に懸賞金が付くことはまま有る。勇者が依頼者というだけで、ギルドのシステム的には、問題無い申し出だった。
「もう一つ、お考えがあるのでしたね」
「そう、余った金で、あれに投資したい」
蒼一は壁の向こうにあるだろう、ロビーの掲示板に向けて人差し指を立てる。
「“あれ”? 依頼の掲示板ですか?」
「違う、オークションだ」
彼はサントマーレの始めた競りを、強化したいと言う。
「あの仕組みを、ギルド全部に広めて欲しい」
「勇者のご提案ですし、実現自体は簡単です。資金もそれほど必要ないでしょう……」
そう答えながらも、彼女の顔は納得していない。なぜ勇者像の競りを、大陸規模にしようと言うのか。
「まさか人形オークションを考えてるんじゃないだろうな。あんなの集めても、十年後に絶対後悔するぞ」
「では、何を競ると?」
掲示板を利用したオークションは、充分将来性のある仕組みだ。流通手段が整えば、大きなビジネスに成り得る。
逆に言えば、物流が滞り易いこの世界では、広範囲のオークションはまだ時期尚早だろう。
しかし、その足枷から、一つだけ外れた存在がある。
「情報を競るんだ。ギルドに集まる情報の流れを、反転させるんだよ」
「反転、とは?」
「依頼者が人捜しを頼む。これは情報をくれという依頼だ。競りだと、その関係が逆転する」
「情報が先に集まり、それを購入したい者が競り落とす。こうですか?」
「飲み込みがいいね」
薬草の採取場所、鉱石の在りか、道具の作り方に、料理のレシピ。
魔物の出現報告に、街のゴシップ、未知のダンジョンの発見情報。
金になりそうなネタはいくらでも転がっている。
「いくつかギルド自身が競り落とすために、資金を使ってくれ。欲しい情報を持ってこさせる呼び水にする」
ここまで言われれば、サントマーレにも彼の目的は察知できた。
「優先する情報は何ですか?」
「宝具……いや、魔物の出現情報かな。竜を最優先で」
オークションに掛けられた情報は、基本的には秘匿するべき物だ。
但し、勇者は例外扱い、蒼一だけは全てにアクセス出来るように取り決めればいい。
「これは腕が鳴りますね。宣伝方法も考えないと、ふふ」
「アンタ向けだろ、この仕事? へへっ」
施設長と勇者は、お互いの顔を見てニヤリと笑い合う。
二人の様子に、メイリが小声で雪に耳打ちした。
「なんかワルモノの密談みたい」
「みたいじゃなくて、実際そうですよ。勇者感ゼロ」
計画の細部を詰めるため、蒼一とサントマーレの相談は夜遅くまで続く。
退屈した雪たちは、途中で抜け、街の屋台へと繰り出したのだった。
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