045. 緑のランナー

 魔法陣を止めるには、何となく中央付近を潰すのが効果的ではないかと、蒼一は真ん中の窪地を選んだ。

 紋様の弧の曲がりがキツいことから見て、中心からほんの少しズレたくらいか。目的には充分適うだろう。

 砂の漏斗を滑り降り、彼は石盤に掌を当てた。


「研磨っ」


 上から覗く遊撃隊コンビが、遂に発動したレアスキルにどよめく。


「あれが、カナン山で魔を討ち果たしたというケンマ……」

「そう、ハルサキムの人心を掴んだというケンマよ!」

「ケンマ!」

「違うわ、ケンマァッ!って感じかしら」

「ケンマァ! こうか?」

「ケンマァッ!よ」

「ケンマァッ!」

「そうそう、ケンマァッ、ケンマァッ!」

「うるせーよっ! しょうもないこと練習すんな!」


 気を散らされて中断した研磨作業を、勇者は再度試みた。

 彼の手から魔光が淡く溢れると同時に、石の表面も青みが増す。


「あれ?」


 おかしい、この石盤の青光は、研磨に因って生じたものとは違う。能力を限界まで強化しながら、彼は皆に警告した。


「召喚が発動する、何か来るぞ!」


 ラバルたちは、即座に自身の武器を蒼一のいる窪地へ向ける。

 反応はいいが、今回はそれだけでは足りない。


「どこに来るか分からん! 全方位を警戒しろ!」

「は、はいっ!」


 上にいる四人は、それぞれ向きを変えて砂漠全域に目を光らせた。

 研磨が間に合えば、勇者の心配も杞憂に終わるところだったが、あと一歩で召喚光が瞬いてしまった。


 砂地獄の円錐群の頂点、剥き出しになった数十の石盤から、召喚の兆しが真上に照射される。

 日中の砂漠では見づらいものの、円盤全体が発光したのは間違いない。


「クッソ、間に合わねえか!」


 石盤の刻みが、蒼一の手で平らに均されたのは、その直後だ。

 陣は急速に力を失い、唯の石の塊となって沈黙する。


「マルーズ! 魔物は出たか?」


 こちらを向いている魔術師に、彼が問い掛ける。


「り、竜!」

「なにっ!? 親玉を呼びやがったか。どこだ!」


 彼女は黙ったまま、蒼一を指差す。


「俺はドラゴンじゃない。落ち着け!」

「違います、そいつが竜です!」


 よく見れば、マルーズの指は蒼一の後方を向いている。

 ゆっくりと振り返った彼は、爬虫類様の縦に潰れた黒目と見詰めあった。

 大きさはシベリアンハスキー程度。緑の体表は樹皮のようにささくれ、長い尻尾と短い羽根が生えている。


「……ピギッ?」

「ああ?」


 新顔の魔物と短い挨拶を交わすと、彼は鞘を抜いた。


「ドラゴンって、こんなチビかよ!」

「ソウイチ様、それは子供です!」


 後ろを振り返り、脱兎の如く駆け出したチビドラゴンだったが、砂地獄がその逃走を阻む。

 小さな羽根をバタつかせ、砂を蹴り、小さな魔物は上へ登ろうと足掻いた。


「悪く思うなよ。鞘う――うわっ!」


 背中を向けたまま、ドラゴンは尻尾で追撃者を薙ぎ払う。

 体は子供でも、その尾は力強く、強靭だ。

 跳ね飛ばされた蒼一は、小瓶の毒薬を飲んで回復を図った。


「毒反転……なんちゅう力だ。えっ、おいおい……」


 優れた脚力を存分に活かして、チビは斜面を駆け上がろうとし、濛々と砂煙りが立つ。

 それだけでは、砂地獄を抜けることは叶わなかっただろう。だが、仔竜には申し訳程度に付いたミニサイズの翼が有った。

 パタパタと動かす羽根の揚力で、僅かずつ竜の体が持ち上がる。


「スキルを力技で抜ける気か。粘ちゃ……ぐあっ!」

「ピギギッ!」


 彼の攻撃態勢に敏感に反応して、ドラゴンが尻尾を振ると、剥がれた鱗が散弾となって蒼一に降り注いだ。

 硬い枯木のような鱗は、彼の手や額を打ち、能力の発動を妨げる。

 また毒薬の出番だ。クラクラする頭で、瓶に口を付ける勇者へ、ラバルが叫ぶ。

 窪地内は砂が大量に舞い、上から様子が見えなくなっていた。


「砂が邪魔です! ソウイチ殿!」

「こっちもだ、木枯らし!」


 突風で視界が少し開ける。

 ロウで前面を防御し、再度、彼が粘着を放とうとした瞬間、竜は高く空中へ跳び上がった。


「この野郎、跳ねる!」


 勇者も負けじとジャンプで応酬するものの、窪地の縁に着地した時には、魔物は遠くへ逃げ出した後だ。

 バタバタとガニ股に脚を跳ねさせて、砂漠を小さなドラゴンが疾走する。


「あいつ、速ええっ」

「逆巻く水の波動よ、魔物を捕らえよ!」


 マルーズが発した太い水の触手が、走る竜を掴まえようと砂の上をスルスル伸びた。

 既にラバルも魔物に向かって駆け出している。


 触手は目標に到達すると、魔術師の狙い通りその身を水で包むが、竜に怯む素振りは無い。

 平然と速度を維持したまま、チビドラゴンは西の地平線へ去っていった。

 脚では敵わないラバルも、途中で追跡を諦める。


「あの不細工なスプリンターが、街を襲った奴か?」


 捕獲に失敗して悄然とうなだれるマルーズに、蒼一が確認した。


「……はい。いえ、あれが成長した竜が、です」

「竜にしては、妙な鱗だったな」

「葉竜、あれは樹木の王と呼ばれています。水の攻撃は、ほとんど無効化されてしまう」

「防水機能付きなんだ。羨ましい」


 魔法陣の停止という目的は達成しても、彼女の顔は曇っている。

 報告も兼ね、一度本部へ帰投した彼らは、新たな問題を討議することとなった。





 葉竜、リーフドラゴンについては、タムレイが詳細を説明してくれた。


「東部の森林地帯で稀に発見されるのが、その葉竜です。ここからは、大陸の端と端なんですが」

「前回も、そこから呼び出されたんだろうな」

「成長が早く、生まれて直ぐに大きくなると言われています。幼体の竜は、大人より珍しい」


 ――あのチビも、あっという間に成体になるのか。逃がしたのは、マズかったかもな。


 蒼一は、葉竜の逃げた先の手掛かりを求めた。森林から砂漠に来て、まず困るのは食糧だろう。


「何を食ってるんだ?」

「肉巻きです」

「雪じゃない。ドラゴンだ」

「植物ですね。大量の樹木を食べるらしいです」


 葉竜は小さい内は草食で、成長すると雑食に変化する。

 前回現れた際には、巨大化した竜は街の食糧や人間を食い散らかして暴れたと言う。


「この辺りで近い森林はどこだ。特に竜が逃げた西側にないか?」

「砂漠を越え、トル山まで行くと森があります」

「ギルドに頼もう。それだけ食うなら、発見報告も入るだろう」


 その森が一番怪しい。砂漠越えの準備をしておこうと、蒼一は考える。

 彼は葉竜について、もう一つ大きな疑問があった。


「その東部じゃ、どうやって竜を倒してる?」

「倒していません。東南のフィロドス地方は、魔物の巣窟です。冒険者以外で、近づく者はおらんでしょう」

「そういうことか」


 賢者の地図でも、大陸南東部にはほとんど記載がない。これは、そこが人の領域ではないことを意味していた。

 転移を発動するために、おそらく魔物の支配地側にも仕掛けがあるはずだ。わざわざそんな場所まで行って、人の敵を引っ張り込むとは。


「あちこち動き過ぎだ。何がしたい?」

「自分では覚えてなくて……寝心地の良い場所を探してるみたい」

「メイリじゃない。魔物だ」


 正確には、魔物を利用している誰か、だ。


「行くしかないですね」

「東にか? まずはチビドラ退治だな。それが済んだら……」

「夜も店は開いています。この肉巻きは当たりでした」

「…………」


 ちゃんと話を聞いてたか、後でテストしようと、蒼一は雪を渋い目を向ける。葉竜の食生とか、生息地とか、頭に入ったのだろうか。


 街中へ出る道すがら、早速、彼は会議の内容について聞き取りチェックを行った。

 雪は満点だったのが、蒼一には何だか腹立たしい。

 六十点のメイリが申し訳無さそうにしていたのが、少しいたたまれなかった。





「いつもはバッチリ聞いてるんだよ。今日はユキさんが気になって」

「話してる内容が、難しかったか?」


 少女を見つめる蒼一の目は、いつになく優しい。


「違うって。肉巻き食べながら、ずっと小声で寸評するんだもん」


 ラバルたちと分かれ、彼らは昨夜と同じく、三人でギルドに向かっていた。

 魔法陣の石盤は、念のため、防衛隊でも破壊を続けるらしい。

 遊撃隊の二人は、その指揮を担当し、今頃また前線に向かっているだろう。


「また来たよ」


 ギルドの中に入った一行は、ロビーで施設長が来るのを待つ。サントマーレは地下室で仕事中だそうだ。

 何の気なく壁の掲示板を眺めに近付いた蒼一は、大量の数字の並びに首を傾げた。依頼票の書式が、他と随分違う。


「これ、依頼じゃないよな?」

「それは競りですわ」


 一階に上がってきた施設長が、彼の疑問に答えた。


「登録番号と自分の出せる金額を、票に書き込んで行くんです。期限時刻に一番多額を出せた人が、その品物を競り落とします」


 オークションである。とすると、他の数字も推測できた。


「この一番上が、品物の管理番号だな。その横は?」

「即決価格ですね」

「結構な高額だな。何を競ってるんだ?」

「勇者像ですよ。職員が出した余りを出品してるんです」


 ――このオバハン、やっぱり職を間違えてる気がする。


 ここのギルドの調度品が妙に高品質なのは、彼女の手腕が発揮された結果だった。


「……それより、追加の依頼をしたい。捜索だよ」

「誰ですか?」

「葉竜だ」


 サントマーレの眉間に、細かく皺が寄る。竜の話題は、ダッハの住民にとって一大事案だ。

 蒼一は今日の砂漠での出来事を話し、目撃者の情報を要求した。


「了解しました。勇者様の依頼でなくても、竜は最優先の懸念事項です」

「よろしくな」


 ギルドからも、勇者に伝えるべき話があった。

 各地の魔法陣の探索が本格的に開始され、街近郊に印があるものは、早速発見の知らせが届いている。

 先程、施設長が地下に呼び出されていたのは、その情報整理のためだ。


「まだ少数ですが、魔法陣は印の通りに存在していました」

「魔物は出現してたか?」

「発見以前に交戦し、退治済みという所が多いですね。起動が確認できない場所もあるとか」


 勇者の出る幕が無いのは、喜ばしい。


「朗報だな。全部処理したんだろ?」

「はい。ただ、隠蔽されたものばかりで……地図が有っても見つけるのは難しいようです」


 ギルドの迅速な仕事ぶりに、蒼一も感心する。勇者をサポートするこの組織に、彼も少し関心を持ち始めていた。

 作ったのは、どんな奴なんだろうな。サントマーレ以上のやり手に違いない。


 この夜、当初から寄る予定だった場所は、ギルドの他にもう一箇所ある。

 ギルドを出ると、三人は街の中央に向かって歩き出した。

 街の中央近くには、屋台と路上売りのひしめき合う食材市場が存在し、夜も賑やかに人が集まる。かつて葉竜は、ここを最初に襲撃した。


「タムレイの教えてくれたのは、市場の北の店だ」

「いくらになるんでしょうね。物々交換でもいいですよ」

「良くない。持って歩けんだろうが」


 乾貨の買い取り業者、それが彼らの目的だった。

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