042. 貝は燃えているか

 まだ暗いうちから船出の支度を始めた蒼一に、雪が目を擦りながら声を掛ける。


「早起きですねえ。蒼一さんが、貝にそこまで熱心とは意外です」

「邪魔なのは分かるが、メイリの顔に手をつくのは止めてやれ」


 昨夜、少女の枕にされたのは彼女の方だった。


「あの貝、むちゃくちゃ美味いからな。それに……」


 自分の寝床を片付けながら、雪は黙って言葉の続きを待つ。


「色々やってみたら、何か思い出すかもしれないだろ」

「そうですね」


 食に拘る彼女と違い、蒼一にはピンと来る自分の得手不得手が無い。体が覚えている技術、そんなものに多少期待していた。

 メイリの残念な顔を寝起きのコーヒー代わりにして、彼は浜に出る。

既にヤンノやヤローら若者たちが、舟の横で勇者を待っていた。


「まだ薄暗いけど、もう漁に出るのか?」

「これくらいなら、大丈夫でさ」


 今日の漕ぎ手も四人。タブラを片手に、蒼一も舟に乗り込む。


「舟さ、今日もよろしく頼むべ」


 手を合わせる四人を見て、彼も真似をする。


「昨日はやってなかったよな、これ」

「舟が喋るように、皆で考えたんじゃ」


 ――新慣習か。道具に感謝するのは、悪いことじゃないよな、うん。


 ヤンノが目的地を確認する。


「岬でええんじゃろ?」

「ああ、それでいい。シェラ貝は、どうやって採るんだ?」

「岩に張り付いとる。ナイフでこじ剥がすんじゃども……」


 一枚貝のシェラ貝は、接着力が強く、引き剥がすのは一苦労だと言う。


「クラーケンの吸盤と一緒じゃ。無理矢理やると、身を傷つけちまうだ」

「イカと一緒ねえ……こりゃひょっとして、またロウの出番か」


 彼は貝漁を一人で担当することにして、村人には船上で待機するよう指示した。


「ちょっと試したいことがある。岬の近くで降ろしてくれ」

「あいよ」


 籠を用意する若者たちを残し、蒼一は水上歩行で食品ポイントへ近付く。


「この辺りだろう。ロウ、頼んだぞ」

「任セテ」


 後はデカジン戦の手順を繰り返すだけだ。

 硬化して急速潜水。

 下方に構えておいたロウで、震音盤。

 硬化解除後の跳躍で浮上。

 海上を歩く蒼一は、盾を振り回して叫ぶ。


「見たかロウ! 貝がポロポロ落ちたぞ!」

「ポロポロ落ちたデス!」


 舟に振り返り、勇者は号令を出した。


「下は大漁だ、回収してくれ!」

「あいやさ、みんな潜るべ!」

「おうっ!」


 舟に戻った彼は、若者たちが浮上してくるまで、ロウを拭いて待つ。

 二分くらい経った頃だろうか、ヤンノが海面に顔を出し、泡を食ったようにわめいた。


「すんげえんじゃ! 貝だらけじゃあ!」


 その後も海底の様子に驚く声が、ギャアギャアと言い交わされた。


「こんな籠じゃ足らん!」

「網で一気に行くべ!」

「村長、腰抜かしよっと!」


 舟から目の細かい網を持ち出し、二人がまた海中へ潜り、二人は上で網の端を掴む。

 引き揚げられた網の中は、シェラ貝を始めとする食用貝で埋まっていた。


「こんなに採れたんは初めてじゃ。村に帰るべ」

「何でよ?」

「ナンデ?」


 ロウまでが思わず聞き返した。


「これ以上採っても、食べきれんし……」

「干すか冷凍するか、フリーズドライでいいじゃん」

「ふりい……?」


 蒼一も、この入り江の貝類を絶滅させようとまでは考えていない。ちょっとは考えた。

 しかし、タブラの点はまだいくらも減っておらず、あと数回は収獲しても問題無さそうだ。


「後処理は、女神もいるから万全だ。気にせず、もうちょっと行くぞ」

「へ、へえ」


 その後、二回、震動漁を行い、魚まで浮かび出したところで、勇者は仕事を切り上げる。


「舟が傾きそうだな。帰るか」


 まだ街なら朝で通用する時間だ。

 効率良く漁を終え、彼らは満載の貝と一緒に、村へ漕ぎ出した。





 ヤンノたちに引き摺られる網を見て、村の衆は目を丸くする。

 これだけの貝が入り江にいたことすら、彼らには信じ難い。


「す、すごいですじゃ。貝神様の御加護じゃあ!」

「ランクダウンしてるじゃねえか」


 名無しの村長を邪魔だと追い払い、蒼一は雪と調理の相談を始めた。


「どう乾燥させるといいんだ?」

「熱風乾燥、凍結乾燥。一夜干しみたいなのは水分が多く残るんで、保存に難有りです。ただの冷凍も味が落ちますよ」

「要は水気だけ飛ばせばいいんだろ?」

「そう、だから凍結乾燥がベスト」


 乾燥そのものを、直接スキルで実行するのは無理だ。

 できる調理法を順番に試してみようと、蒼一は思案する。

 炊事は焼ける、氷室は凍る。では、同時に発動したらどうなるか。


「地球じゃ冷凍機能付き電子レンジなんて、売ってないからな。勇者じゃなきゃ出来ん」

「勇者は凄いです。一家に一台ですう」


 雪は適当に相槌を打ちつつ、身を取り出しワタを取ったヤメタホウ貝を皿の上に並べる。


「これで練習してみましょう。最初は高温乾燥で」

「オーケー。メイリはロウの手入れをしてくれないか」

「うん、拭くんだよね?」

「オネガイシマス」


 盾をメイリに渡し、蒼一は両手を皿に向けて掲げる。

 まず、炊事を発動し、対象の温度上昇を氷室で押さえてみた。


「ん……焼けてる?」

「ダメです、めっちゃいい匂い!」


 やり直しだ、やはり二つのスキルの匙加減が難しい。

 氷室を強化させ、再挑戦。


「これでどうだ……」

「もうもんも、もうもう」

「食ってから喋れ。いや、焼けた貝を片っ端から食うな」

「焼き立てが美味しいんですっ」


 今度は少し温かくなる程度で、水分を飛ばすことに成功する。


「完全乾燥とは行かないな」

「一晩掛けてやれば、旨味成分が増しますよ。キノコ向けかな」


 魅力的な提案だが、勇者は暇ではない。

 引き続き、女神の乾燥講習は続く。氷室で凍結、炊事で解凍を繰り返す凍干し。


「寒天とか、棒鱈ぼうだらの作り方ですね」

「面倒過ぎる」


 一度煮て乾燥させれば煮干し、焼いて乾燥すれば焼干し。


「焼いたやつ、食わずに干せば良かったんじゃないか!」

「ふふ」


 中国三大珍味の一つと呼ばれる乾鮑カンパオは、アワビを三ヶ月掛けて乾燥させたものである。

 熟成三年、調理に一週間を要することもあり、それだけの値打ちのある高級食材だ。

 フカヒレなどと共に、江戸時代には清との貿易決済にも使われたほどで、日本産の人気は高い。


 蒼一が漁に出ている間に、雪は各種乾物の作り方を、村の女たちに教えていた。

 乾鮑並に長期天日干ししたシェラ貝を、村人に作ってもらおう。それが彼女の計画だ。

 他の海産物の一夜干しや凍干しも合わせ、村の特産干物の種類は、この日その数を猛烈に増やした。

 もっとも、今回は美味さより短期作成、長期保存が目標である。


「ではやりましょう、凍結乾燥」

「おうよ」


 氷室で貝を凍らせた後、蒼一は無気を目の前に発動する。真空作成スキル“無気”は、今朝このために雪に取らされた。

 攻撃で使うとすれば、接近して相手の顔面に放つか、気体系の魔物用だろうか。

 凍結した物体に使用すると、水分が一瞬で昇華される。

 凍結乾燥、フリーズドライだ。


「おっ、大成功?」

「ですね。蒼一さん、インスタント食品も作れそう」

「氷室の効果がもうちょっと強いとなあ。これで凍らせるの、時間がかかるんだよ」


 乾燥ヤメタホウ貝の次は、本番のシェラ貝の加工に取り掛かる。

 身を剥がすのは村人がしてくれるので、蒼一はひたすらスキルの発動を繰り返した。

 昼を過ぎに全ての処理を済ませると、まだ彼には一仕事あると雪が言う。


「貝も魚も、もう無いぞ?」

「こっちです。浜の向こう」


 村を発つのは、どうせ明日だ。他に用事も無いと、彼は大人しく女神の要請に従った。





 蒼一が連れて行かれたのは、塩田だった。

 四角く区分けられた塩の精製場が、延々と浜の遠くまで広がるのを見渡せる。


「まさか、これ全部、俺がやれとか……」

「手前の一つで充分です。みんな待ってますよ」


 村人の大半が集まっているのは、彼もとっくに気付いていた。

 皆、桶や大きな杓を手にして、やって来た蒼一たちに掲げて見せる。


「女神様、言われた通り準備でけました!」


 雪が村でしたかったのは、干物講習とこれのようだ。


「みんなが海水を運ぶので、ジャンジャン乾燥させてください」

「塩ってそんなに要るの?」

「何言ってるんですか。結構な貴重品なんですよ」

「たまに撒いてなかったっけ」


 塩不足は、いつも彼女の頭を悩ませていた。残り少なくなった基本調味料は、ここで補充しておきたい。

 塩分好きな蒼一も、その意見には賛成だ。


 村人たちは海水を汲み出し、塩田に続々とぶちまける。

 水分を蒸発させるため、彼は炊事で煮沸作業を開始した。

 半刻も経たないうちに、蒼一はその仕事に音を上げる。


「暑過ぎるわっ! 俺が干物になっちまう」


 彼は氷室と無気の組み合わせに切り替える。

 進捗は遅くなるものの、熱くなった空気が冷やされ快適だ。


「スラベッタ様、そのすげえ技は何です?」


 昇華現象に、ヤンノも興味津々に尋ねる。


「これがフリーズドライだ。お前たちも練習すれば出来る。多分」


 科学知識の無い村人に、凍結乾燥を説明するのは面倒だった。

 またしても蒼一は適当にはぐらかす。

 ある程度、塩が溜まると、塩運搬班と海水補充班に分かれ作業が続けられた。


「もう、保管場所がねえです!」

「にがりが勿体ないけれど、ここじゃ使い途なさそうねえ」


 雪は名残り惜しそうに茶色の残滓を眺めていたものの、豆腐を作るには色々と足りない。

 夕方、運搬班の報告をもって、塩の精製は終了する。

 海鮮素材に干物と塩、魔物から回収した砂糖。

 三晩目の宴会は、女神の腕が存分に振るわれた。


 午後丸々、雪の実習を受けた女たちは、初めて作る料理群と格闘する。

 ナンジャ魚の甘露煮、ヤメタホウ貝の果実添え。

 カツオのタタキに似た焼き魚や、魚卵の貝肝ソース和えなどという珍味もある。

 メインはもちろん、シェラ貝のステーキだ。


「こんなうめえ料理は食ったことねえ!」

「んだ! うちの女房のが残飯みてえだ」

「アンタ、明日から本当に残飯な」


 村人も絶賛する中、村長が感謝を伝えに、蒼一たちの前に膝を突く。


「もう、何とお礼を、ングッ、言ったら、ンモンモッ」

「お前も食いながら喋るのか。餅みたいのが口から出ても知らんぞ」


 行儀は悪くとも、彼が本気で感謝しているのは間違いなく、涙を流さんばかりに頭を擦り付けた。

 村人も代わる代わる、礼を言うために現れる。


「そこまでしなくていいって。貝も貰ったし」

「このことは子々孫々、必ず伝えて――」

「それよりさ、爺さんの名前、決まったのか?」


 長引きそうな年寄りの話を、蒼一は強引に切り替えた。


「ライでごじゃいます」

「なんでえ、ズルいじゃん。ベラズッタとかダラベッタとかじゃないのか」

「ヤンノの案ですじゃ」


 村人たちなら、もっと即物的な名前を付けそうなのにと、彼も少し落胆する。


「それ、フルネームはあるの? ライ・クカムとか」

「フリイズ」

「ん?」

「フリイズ・ド・ライですじゃ」

「ヤンノに褒美渡しとけ」


 漁村への寄り道も、これで終わり。

 蒼一たちは、星天の下、海の料理を心行くまで味わったのだった。

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