041. イカ漁

 村人たちは、普段、手漕ぎの舟で漁を行う。

 素潜りにしろ、引き網にしろ、入り江の外に出てまで獲物を求めることは稀だ。

 岩礁地帯ともなると、ちょっとした不注意が舟を失う危険に繋がるため、余程の理由が無い限り、その海側まで漕ぎ進むことは無かった。


「四人じゃ、舟の面倒見るので手一杯じゃ!」

「それでいい、イカは俺たちに任せとけ!」


 目標となる大岩に近付くにつれ、イカジンも次々に出現し始める。

 敵の攻勢にカコノたちが慌てるが、今の勇者一行なら、イ人に手間取ることはなかった。

 メイリが舟に取り付いた触手を突き、怯んだところへ雪のロッドが唸りを上げる。


「マジカルコークスクリュー!」


 軟体の腕先が、ミキサーに掛けられたようにミンチになって飛散した。


「大した威力だ。ロッドは単純な打撃じゃないんだな……」

「でも、本体に届かないです」

「それはロウが頑張ってる」


 魔傀儡は、海に飛び込んでは、泳いで帰るを繰り返している。

 盾投げされてイカジンの頭をカチ割ると、がむしゃらに犬掻きで勇者の元へ帰還した。

 仲間を襲う人形を捕らえようと、魔物の触手がうねる。その伸びたゲソは、蒼一のボウガンが撃ち抜いた。


「触手は弾いてやる、慌てず泳げ!」

「後で拭いてクダサイネ……」


 外海からの波が力を増すにつれ、舟は激しく上下に揺れ動き、蒼一たちは膝を付いて戦った。

 周りのイカジンをあらかた片付けた頃、カコノが勇者に叫ぶ。


「これ以上は無理でさあ! 岩にぶつかっちまう」

「ここで待っててくれ。俺が見てくる」


 中腰で縁に足を掛けた蒼一は、思い切って海へ踏み出した。


「水上歩行!」


 彼の体は沈むことなく、揺れる地面となった海上を歩む。


「おお、スラベ様の御加護じゃ!」

「スラベッタ様!」


 村の始祖は、海を歩いてこの土地へやって来たと伝えられる。

 海神の力を体現する蒼一は、カコノたちの目に真のスラベッタとして映った。


「スラベッタはいいけど、これ、歩きにくいぞ……」


 動く波の上でコケてしまうと、それはもう歩行とは言えない。水中に没してしまうのは目に見えていた。

 凍った氷の上を歩くより慎重に、彼は大岩を目指して足を運ぶ。

 岩の裏に回り込むために、入り江の外に踏み出した蒼一は、近付く大波を見て反射的にバックステップで後退した。


「あっ、しまっ――」


 メイリや村人が見守る中、彼の姿が海中に消える。

 皆の息を呑む音に、ロッドを拭いていた雪が海上に目を遣り、また手入れに戻る。

 彼女はポケットに入れていた貝柱を口に含ませ、いつものようにクチャクチャと食べだした。

 再び海上に出現した勇者が、空高く跳ね飛ぶ。


「おおっ、スラベッタ様の再誕じゃ!」


 海葬された初代スラベッタは、次の日、海中から飛び出して昇天したと言う。

 彼らが何にたとえようが勝手だが、水没を脱したのは、跳躍スキルのおかげだった。


「海中でも使えて、助かったぜ」


 “跳ねる”は水中で使用すると、急速浮上と同じ効果を発揮する。

 ずぶ濡れになるのさえ我慢すれば、溺れる心配は無さそうだ。

 気を取り直し、歩行を止めないように注意して大岩に接近する蒼一。岩陰を覗き込んだ彼は、思わず悲鳴を上げそうになる。


「うへえっ、気色わるっ!」


 岩肌にビッチリと張り付いた、大量の透明な玉。

 イカジンの卵だ。

 黒い目玉だけが卵殻から透けて見え、キョロキョロと動くのが余計に気持ち悪い。


「これが元凶なのは、間違いねえ」


 鞘で叩いても一掃できるだろうが、あまり近付きたい造形ではないため、彼は遠距離攻撃を選択した。


「鎌鼠っ」


 実体の無い鼠たちは、溺れもせず、波間を滑って群れ走る。

 卵に到達すると、好物を見つけたように、一斉にガジガジと噛み付き出した。


 忙しなく歩き続ける蒼一の前に、浮かび上がる白く大きな塊。

 これこそがボス――波から突き出た上半身だけで、通常の個体サイズの倍はありそうなイカジンだった。


「母親か。デカ過ぎてイカジンと言うよりデカジンだな」


 胴が巨大なら、当然脚も長い。彼のいる岩の前は、既にデカジンの攻撃範囲だ。

 背後から回りこんで迫る触手に気付かず、蒼一は魔物の脚に絡め取られてしまう。


「クソッ、気つけっ!」


 普通サイズなら、ショックを与えるくらいは出来る電撃も、デカジンには全く効果が無い。

 魔物たちの母は、蒼一を軽々と持ち上げると、岩に叩き付けるべく振り下ろした。


「硬化!」


 砕けたのは、波に洗われる岩の方だ。彼は石化したまま、ズルズルと海の底へ沈んで行く。

 この戦闘は、産卵地の大岩の裏で行われており、舟からは見ることが出来なかった。

 響く衝突音だけが、激しい戦いが始まったことを仲間に伝える。


「大丈夫かな……」

「今さらイカジン如きに、勇者が遅れは取らないと思いますよ」


 不安そうなメイリに対し、雪は泰然と答えた。

 可能なら、無傷のゲソが何本か欲しい。自分の希望を伝え忘れたことだけが、彼女の心残りだった。





「勇者サマ、大丈夫デスカ?」


 石の左手に固定されてしまったロウが、蒼一の硬化に戸惑う。


「勇者サマ? ……返事シテ?」


 硬化については、ロウへ説明していなかった。何か言ってやりたくても、発動中は待つだけだ。


 ――解除されたら跳躍して、あの野郎をギッタンギッタンに……。あ、マズい。


 浮上してこない獲物を確認するため、デカジンは海底に降りて来た。

 蒼一を見付けた魔物は、その石の体に数本の脚をグルグル巻き付ける。


 ダイヤモンドクラスの硬度を誇る彼を、いくら締め付けてもダメージは与えられない。

 しかし、硬化が解除されれば溺れてしまう以上、このままでは手詰まりだ。

 触手はロウごと巻いており、魔傀儡は彼を何とか起こそうと喋り続けている。


 ――気つけが駄目なら、炊事、鎌鼠……いや、待てよ。


 彼にはまだ、新技があった。


 ――震音盤っ!


 盾全体が高速震動して、高周波を産み出す。

 ソニックシールド、音波で攻撃する対液状物用のスキルだ。

 用途が極端に限定される技だが、低威力で発動すれば、肩凝りにも効く。


 石像となった蒼一ごと盾は細かく震動し、触手表面から内部へ、更には本体の内臓にまで波動を送り込んだ。

 撹拌される海水に混じり、ロウの声が激しく震える。


「アッワッワッワッワッ!」


 デカジンは生涯で初めての、船酔いを経験するところだ。

 平衡感覚を失い、触手がダラリと緩む。


 ――跳ねるっ!


 硬化解除と同時に、蒼一は急浮上して海面へ逃れ出た。


「水上歩行っ」

「勇者サマッ! もうダメカト……」

「これくらいでビビッてたら、十八番目の相方は務まらねえぞ」


 雪なら調理法の指示が飛んで来るところだ。ゲソは傷付けるな、だとか。

 水中に身体を維持できなくなったイカジンマザーが、だらし無く巨体を浮かばせる。

 激しく脚を振り回すが、勇者を狙ったなら、てんで見当違いだった。


「行け、鎌鼠っ!」


 チューチューと鳴く幻獣たちが、デカジンの脚に、目玉に、白い胴に群がる。

 無数の小さな口に蚕食さんしょくされ、雪の巨イカ料理の野望は潰えた。

 やがて魔物は動きを弱め、水死体となって、波に合わせて漂う。


「よっしゃ、帰ろうぜ、ロウ」

「何だかコリが解れて、体が軽いデス」

「盾に凝るような所があったか?」


 やたら人間染みた相方にいぶかしい視線を送りつつ、彼は仲間の待つ舟へ歩いて行った。





 戦利品が無いことに雪は御不満なようだったが、イカの巣を潰したと聞き、カコノたちは大喜びだ。

 朗報を持って村へ帰ろうとする彼らに、蒼一は祠へ寄るように頼んだ。


「ちょっと調べさせてくれ。構わんよな?」

「へえ、スラベッタ様なら問題ねえです」


 デカジン退治から帰ると、誰も彼を勇者と呼ばず、スラベッタで統一されていた。

 海の上を歩いたのは、かなりのインパクトだったらしい。


 波の静かな入り江の中を、舟は小島まで漕ぎ進む。

 蒼一は今までの経験から、スラベ像をつい祠と呼称してしまうものの、見た目は単なる立像だ。

 銘も無い小さな石柱を、粗末な木の柵が囲い、屋根は存在しない。

 村長が祠と聞かれて、この場所を想起しなかったのも当然だった。


「台座と石碑みたいなのは、他とよく似てるんだよな」

「ハルキサムなんかは、この石に被せるように、社が作ってましたね」


 やしろで囲ってしまうと、石柱の裏などはよく見えない。この剥き出しのスラベ像は、詳細を調べるには良い機会だ。

 しかし、風化して一部に苔の生えたこの石柱に、由来や意味を知る手掛かりは見当たらない。


「単なる石っころにしか見えん。でもさ……」

「何ですか?」


 蒼一は社を見る度に感じた違和感の正体を、ここではっきりと認識した。


「こっちが本来の姿だろ。街の社なんかは、後付けだ」

「確かに、古さが違う気がしますね。社の外枠の石は綺麗でした」

「どれも俺たちの認識が逆だったんじゃないかな」


 石柱が先に在り、そこに社を作って、祠とした。下手をしたら、勇者を祀るってのも後から付けたものではないか。

 とすると――。


「祠が先で、ダンジョンが後だ。今回は宝具部屋は諦めたほうがいい」

「え、どういうことです?」

「祠は何かの目印じゃない。こっちに合わせて、迷宮や遺跡を作ったんじゃ?」


 根拠らしきものは有る。あの目玉巨人の洞窟だ。

 祠と意味の無い転移陣、あれは作りかけで放置されたダンジョン予定地では?


「次の疑問は、じゃあ何のためか、か。他人の手の平で踊ってるみたいで気に食わない」

「私もそういうのは気分が悪いです」

「メイリも嫌いだよ」

「ワタシも不愉快デス」


 ――ロウまで言うか。よく出来た魔人形だ。


「だからって、宝があるなら行くけどな」

「食材もありますしね」

「メイリも行くよ」

「ワタシはそこの出身デス」


 三・五人の意志統一が成されたところで、彼らは村へ舟で戻った。

 皆の祝福を浴びて、二夜連続の宴が準備される。


「スラベッタ様は、明日帰られるんかのう?」

「お前もスラベッタだろ」

「勇者様こそ、その名が相応しいじゃろうて。ワシの名前は、新しく皆が考えてくれとる」


 精々、珍妙な名前にしてやれと、蒼一は思う。


「ダッハに行く前に、俺も漁を手伝いたいんだが。シェラ貝が欲しい」

「魔物に食われて、もう残っとらんのじゃないかのお」

「いっぱいいたぞ。岬の辺りに」

「なんと!」


 シェラ貝は岩と同質化した殻が発見しにくく、これも貴重品となっている理由だ。

 棲息地も深く、加工も保存も難しいとなれば、高級食材だと言うのも頷ける。

 王国外の僻地の村でも、交易による収入は重要で、夜光石や薬、武器に衣服など、金の使い先はいくらでも有る。

 蒼一の申し出は、村としても願ったり叶ったりだった。


「明日は貝漁だ。雪たちはどうする?」

「村の人とやりたいことがあります。メイリも手伝ってね」

「うん」


 未明からの仕事に備え、三人は宴会を中座し、早々に寝床に就く。

 懸案が晴れた村人たちの歓談と歌の声は、彼らが寝てからも、夜遅くまで盛り上がっていた。

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