037. スラベッタ
蒼一はギルドに頼み、北のダッハへ向かう馬車を予約してもらう。
途中、休息地点で泊まりながら、丸二日掛かる予定だ。
直通便は無く、砂漠に入る直前に設けられた交易所で乗り換える必要があるらしい。
「砂漠を同じ馬車で行くと、車軸が痛むんですよ」
「そういうもんか」
砂漠と言っても、砂丘が広がる灼熱の大地ではなく、木々が点々とする荒野だとヤースは説明する。
本格的な砂漠が始まるのはダッハを越えてからで、街は砂漠の縁に位置している。
長い道程に備え、彼は飲料水も大量に準備してくれた。
「馬車はギルド前まで来ます。まだ時間があるので、少し報告をさせてください」
施設長は勇者一行を案内し、建物の奥へ向かう。
首に掛けた鍵を出すと、彼は廊下の突き当たりの扉の前に立った。
「ここを見て頂くように指示がありました。ある意味、これが大陸ギルドの生命線です」
ヤースが開けた扉の先は、地下への階段が続く。
多数のランプに照らされた地下通信室、これが各ギルドの心臓部だった。
入って来る施設長と勇者を見て、仕事をしていた三人の坊主職員が踵を合わせて直立する。
「作業を続けたまえ。勇者様に、ここを見学してもらう」
「はいっ」
広い部屋の床に規則正しく並ぶ、馴染みのある円い石盤。
四行掛ける四列、全部で十六基の石のタブラだ。
「タブラはご存じですね?」
「ああ、俺たちもよく使っている」
「最近は紙製が主流ですが、こうした石板が本来のタブラです」
石の表面が磨かれ、そこに文字が浮かぶのも、地下遺跡などで見た物とそっくりだった。
職員たちは手分けして、その文面を熱心に書き写している。
携帯型の石盤のような物を持つ者もおり、その手の内から軽く光が漏れるところを見ると、何か魔法を使用中らしい。
「部屋の中央に並ぶのが受信用のタブラ。隣の部屋に、送信用の物も二基あります」
「これで施設間の連絡を取ってるわけだ。一般的な技術なのか?」
「とんでもない。ギルド本部で作られた特製品です」
ここまで大規模且つ遠距離を網羅する通信手段は、一般の魔術師では製造できない。
同じ石盤システムは、各国の中枢にも設置されており、それもギルドが製作した物だ。
「大陸各地の国と、ギルドが良好な関係を保っているのは、このタブラの維持を請け負っているからです」
「ギルドに敵対したら、通信手段を失うってことか。なるほどね」
興味深い技術だが、これが本題ではないだろう。蒼一はヤースに報告を促した。
「これはギルドが情報を収集する手段を、紹介したまでです。では、勇者様への連絡事項と移りましょう」
「ああ、頼む」
一つ目は、大賢者の行き先について。
「カナン山以降の足取りは不確かな情報ばかりです。王都にいる形跡が、城の監視員から報告されています」
「城も監視対象か。どっちにしろ、ダッハとは逆方向だな」
次に、そのダッハの現状。
「街の周辺に魔物が出現し続けているようですが、今のところ防衛隊で対処できています」
「俺たちが間に合いそうで、何よりだ」
「ラバルとマルーズという二人組が、魔法を駆使して大活躍しているとか」
――要らない気もするな、俺。
「ここの墓所に魔法陣があったことを考えると、やっぱり×印は魔物の出現場所でいいと思う。ダッハの近郊を調べるように伝えてくれるか?」
「急ぎ連絡しましょう」
賢者宅にあった地図の印を、施設長は自分の地図へと書き写した。
他の街の近くにある×印についても、同様にギルドで調査をしてくれると言う。
そして最後の報告が、デスタのギルド職員、カルネからの連絡だった。
「行方不明だった施設長が発見されたそうです」
「こんな長い間、どこにいたんだ?」
「自宅です」
「単なる出社拒否か、人騒がせな」
カルネに同情しかけた蒼一だったが、そう単純な話ではないらしい。
「勇者様がデスタに到着された日、施設長は何者かに襲われ、魔法で昏睡させられたとのことです」
「一人暮らしなのか?」
「いえ、奥方がおられますが、その、指輪で生きているのは分かるからと……」
「ああ……」
契りの指輪でリンクした場合、魔力の流れでお互いの存在を感じられる。
しかし、いくら生存確認できるからと言って、部屋で仮死状態の夫を放置するとは世知辛い。
「犯人の見当は?」
「半月も生きたまま昏睡させる魔法を使えるのは、相当な魔力の持ち主でしょう。それこそ――」
「俺や、大賢者、か」
「ええ」
――本当に何を考えてるんだ、あのボケ。タイミング的に、俺たちに会わせたくなかった理由があるのか?
「いずれ大賢者はとっ捕まえないとな。その時に、直接事情を聞いてみる」
「ギルドも引き続き、大賢者を追います」
地下の大遺跡については、現状維持を目指すそうだ。
今のところ土砂を埋め直す自動扉は働いておらず、このまま進入路が開いたままであれば、髪の毛などの素材の定期提供も検討されていた。
少なくとも、今回の騒動を記録にしっかり残すことで、新たな尼さんの出現は防止できるだろう。
この時点での、ギルドからの報告は以上。
彼らが地上に戻ると、既に玄関前には馬車が待機中だった。
四頭立ての大型馬車は、高官用の立派な内装が施されている。革張りのシートに腰を下ろし、蒼一たちはヤースに別れを告げた。
「飴が食いたくなったら、また来る」
「お気をつけて!」
時間はまだ正午。
一つ目の休息ポイントを目指し、勇者たちを乗せた馬車がゴトゴトとハルサキムを出発した。
◇
北へ向かう街道は、草原を走る平坦な道だ。
最初は異世界の美しい地平線を眺めていた蒼一たちも、変化の無い同じ光景に飽きが来る。
半刻も経たず、雪はクチャクチャと口を動かし始めた。
「それ、干し肉じゃないな」
「貝柱だよ。北の海で獲れるシェラ貝を干した高級食材」
女神に給餌するメイリが、咀嚼物を解説してくれた。
常に腹を空かせる雪のために、少しでも腹持ちのいいものをと買い求めたのが、この貝柱だ。
「……ちょっと味見させてくれ」
「ちょっとだけですよ」
ジト目の女神を無視して、蒼一は貝柱を切り分けてもらう。
口に貝を放り込み、彼も乾物を噛み締めた。
「ん……これは……」
食感は地球の貝と大差なく、スルメのように弾力に富んでいる。
何度も噛み続ける内に、旨味が口腔に広がった。
「おっ、美味いぞ、これ。うわっ、美味い!」
「高かったもん」
「ダッハは海に近いノデ、海産物が人気デス。五百年前の情報デスガ」
「そりゃいいな」
タコにイカ、サンマにカツオ、そんな地球産に素直に似た生き物がいるはずはなくとも、貝柱の美味さからして期待はできる。
砂漠と聞いて貧相な食事を予期していた彼は、その認識を改めた。
快適さ優先と言い聞かされているのか、馬車の速度は控えめで、彼らが休息用の宿場に着いたのは日没とほぼ同時だった。
宿場は厩舎や宿は立派な建物だが、他にめぼしい施設は見当たらない。
純粋に街道を行く者のために作られた、一時的な宿泊場所だった。
「何もありませんねえ」
「宿場には町が作られたものデスガ、その伝統はなくなったようデスネ」
「晩飯食って、すぐ寝ようぜ」
宿の夕食は保存食ばかりで、貝柱の後では多少寂しいものの、ボリュームは充分だ。
満腹した後は、各部屋に分かれて就寝。
日の出の光で起床、すぐに馬車に乗り出発。
徒歩行に比べると、観光旅行のような順調さだ。
弛緩した馬車内の空気が変わるのは、二日目の出発から一時間後のことだった。
「この道、北向きだよな?」
「うーん、どうでしょう」
蒼一には、馬車が北東方向に曲がったような気がする。
「おーい、これ、ダッハ行きで合ってるな?」
「そうでごじゃります!」
「……?」
「あんなキャラだっけ。“承知致しました!”とか言ってなかったか?」
疑問に思った彼は、質問を変えて御者に尋ねてみた。
「ダッハには夜に着くんだよな?」
「はい、そうでごじゃ……そうで致します!」
蒼一は静かにボウガンを取り出し、矢を装填する。
メイリと違い、雪はピンと来たようだ。
「昨日の御者はさ、何かとスラベッタだったよな?」
雪に向かって、彼は大声で話し掛けた。
「そうそう。“ダッハは遠いスラベッタ! ダッハッハ!”って」
こういう時の彼女は、勘が良くて心強い。
女神の声も、蒼一に負けず劣らず大きかった。
「なに? そのスラ――」
彼女はスラベッタに反応しかけたメイリの口を押さえる。
疑惑の御者へ、勇者の最終確認が行われた。
「次の休憩はいつだ?」
「はい、正午でスラベッタ! もう少しお待ちダッハッハ!」
「そんな語尾があってたまるかっ!」
乗客車の小窓から、蒼一はボウガンの先を出し、御者の首筋に突き付ける。
「馬車を止めろ! 嫌なら殺してから自分で止める」
「ま、待ってくだシャラベッタ!」
馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて街路脇に寄せて停止した。雪とメイリは先に降りて、前に回ると御者に武器を向ける。
「あの女神、怒らせるとマジカルスラベッタで瞬殺されるぞ」
「て、抵抗しましぇんダッハッハ……」
「気に入ったのか、それ?」
馬車を降りた蒼一は、メイリと交代し、偽御者にも降車を命じた。
「勇者を拉致するとか、いい根性してるわ」
「申し訳ありましぇん……スラベッタ……」
「いや、もうスラベッタはいい。飽きてきた」
御者の格好はしているものの、着ているのは随分とショボくれた老人だ。
蒼一の殺気を浴びて脅えているため、肩を丸めた男は余計に貧相に見える。
「何が目的だ?」
「お願えします! 村を御救いくだせえ……」
彼が住むのは、ここから馬車で一日進んだ先の漁村だと言う。
王国の国境線は、沿岸を切り捨てて内陸に引かれており、村はどの国の庇護下にもない飛び地となっていた。
「魔物が我が物顔に住み着いて、もう百年以上になりますじゃ」
「よくそんな所で暮らすな。魔物愛護的なアレか?」
「こちらから手を出さなければ、それでも暮らせたんじゃども……」
しかし、先頃から魔物の様子が変わり、村の漁場を荒らすようになる。
遂には村の敷地にまで侵入し、家を潰された者も出て、村長の彼が勇者を求めてやって来たという次第だ。
勇者の召喚時には、こうやって魔物の動きが活発化するらしいことには、流石に蒼一も気が付き始めていた。
「素直に助けてと頼めばいいだろ。なんで拉致に走る。足りないのは知能か? カルシウムか?」
「ダッハにも魔物が襲来しとると耳にしましてのう。先々代の時は、わしらの村には、勇者様が来て下さらんかったんじゃ」
「十六番目か」
先々代の勇者はダッハでは英雄でも、救えなかった者もいた。勇者一人がカバーするには、この国は広過ぎる。
「前回は助けも無く、村は半壊じゃ。ここまでやっと復興した村を、どうか、どうか勇者様のお力で……」
土下座するように地面に手をついた老人を、蒼一は引っ張り上げる。
「オッサン、名前は?」
「スラベッタ……」
「それはいいって。ナ・マ・エ。お爺ちゃーん、お名前どうぞー」
「じゃから、スラベッタ……」
彼は老人の眼を覗き込み、次に雪へ振り返った。
「こいつスラベッタらしいスラベッタ」
「スラベッタ!」
女神は親指を立てる。理解したという意味らしい。
「……村の名前は?」
「スラベッタ」
「お爺ちゃんじゃなくて。そのジジイに勇者拉致させようとした、色々と足りない村の名前は?」
「じゃから、スラベッタ。スラベッタの村長は、代々スラベッタとしてスラベッタ」
「お前、面倒になって最後適当にまとめただろ」
何が言いたいかは理解できるのが腹立たしい。
「まあ、いい。ダッハはそこまでピンチじゃないみたいだからな。行くよ、村」
「おお、あなたこそ真のスラベッタ!」
「アホか、スラベッタはお前じゃ!」
村の始祖とされる屈強な青年は、海の神スラベの加護を得たと伝えられている。その海神に守られし者がスラベッタ。
固有名詞ではないはずが、いつの間にか村とその長の名となった。
響きはともかく、村では自分たちの来歴を示す由緒ある名だ。
歴代勇者で、この村を訪れるのは蒼一が最初であり、スラベッタの尊称を得た初めての勇者であった。
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