036. 勇者の結婚
ネルハイムが意識を取り戻すと、ローゼと蒼一に全てが狂言だったとバラされる。
「そういうこと、でしたか……」
心の平穏を取り戻した魔術師だったが、一日掛けて受けたショックは大きく、意気消沈したまま帰路についた。
本来この日は、ユレイカル家で義理の家族と晩餐の予定だったのだ。
正式な婚約予定が流れたことに、蒼一も多少、気の毒には感じていた。
ネルハイムの婚礼は、彼の気力が髪の毛と共に復活するまで待つしかない。
街中の悪霊がいなくなると、ワイギスの蓄魔器屋もようやく営業を再開する。
浄化パレードの翌朝、蒼一たちは開店直後の店を訪れた。
「いらっしゃいませ、ああっ、勇者様!」
店に立つのは、後頭部に布を当てた父親のカイルだ。
「頭は大丈夫なのか?」
「はい、もう痛みはありません」
「いや、中身の方なんだけど……正気みたいだな」
彼の来店を聞き付けたサナが、奥から顔を出す。彼女は赤いバンダナを頭に巻き、工作用の作業服を着ている。
親子は二人揃って、勇者へ改めて礼を述べた。
「そんな何度も頭を下げなくていいよ。今日は客で来たんだ」
「何なりとお申しつけ下さい」
蒼一はメイリについて簡単に説明し、魔力の放出を抑えられるかを尋ねる。
「蓄魔器を利用すれば可能ですが、その人に合った物を使わなければ、意味がありません」
「眼鏡みたいなもんだな。どうすればいい?」
「奥に魔力の計測室があります。そちらへどうぞ」
蓄魔器は魔力を溜め込み、一時的な力の増強に使用される魔具だ。何度も再利用できるので、魔力の弱い者の補助具として求められることが多い。
蒼一たちは計測室に通され、やや緊張するメイリの測定を見守る。
床に塗られた足型の印の上に立ち、少女は壁に吊された検査表を見るように指示された。
「……これ、視力検査じゃないよな?」
「表が輪っかなのが、余計に眼医者さんみたいです」
雪の言うように、検査表にはランドルト環、アルファベットのCに似た記号が向きを変えて並んでいる。
「上から順番に読み上げてください」
「えーっと?」
戸惑うメイリに、雪がアドバイスした。
「空いた所の向きを言えばいいんです。上とか、右とか」
「あっ、はい……上、下、こっち、右、あっち……」
斜めは言い辛いらしく、少女は指で方向を指し示す。
「……こういうとこが、子供っぽいよな」
「蒼一さんは、下まで見えますか?」
「おう、一番下は右斜め下だろ」
メイリも最後まで問題無く読み切った。
この結果にカイルは何やら納得が行かないらしく、難しい顔をする。
「どうした、オヤジ? 全問正解だろ。ちょっと簡単過ぎたな」
「いや、勇者様はそれでいいのです。これは魔力適性が高いほど、表の下まで読める仕組みです」
記号は魔力を帯びた特殊なインクで書かれており、普通は上の数段しか見えないらしい。
メイリが下まで読んだということは、彼女は勇者並みの魔力反応力を持っていることになる。
「こういうのは、珍しいのか?」
「珍しいどころか、この国に何人いるかという話で……」
「ほう」
「ここまで適性が高いのは、大賢者様や勇者様、後は魔物くらいしか……」
「いらんこと言うと、黒霊にもう一回取り憑かせるぞ」
蒼一の
「そ、それくらい稀だと言うことです。次は魔力保有量を調べてみましょう」
サナが注射器状の器具を、陶器の皿に載せて運んで来る。
メイリの顔色が、みるみる青くなった。
「な、何をされるの?」
「採血じゃね?」
魔物相手に槍を振るう癖に、注射器が怖いってのも妙な話だ。
蒼一はメイリに落ち着くよう諭す。
「チクッとするだけだ。大したことない」
「でも、笑ってるよ!」
「そりゃ、怒り狂って注射はしねえよ」
彼女が怯えたのは、丸坊主のサナが満面の笑みで注射器を構えたからだ。
バンダナを外し、白い前掛けをした彼女は、狂気の看護婦にも見える。
だが、それを指摘するのはマズい。
坊主は笑うななどと言えば、また面倒臭いことになるのは、蒼一もメイリも分かっていた。
「これは痛くないですよ。魔法で体内の血液を吸い込む器具です。ふふふっ」
「あっ、その頭で笑うと、めちゃくちゃ怖いですよお。バンダナしときましょうよ」
故意なのかは知らないが、雪はたまに直球で暴言を吐く。
今度はサナの顔が凍りついた。
「恐くないよっ! 抜いて、血、ドバっと!」
「そうだ、恐いどころか、愛らしい。丸みが。行け、ドバっと抜け!」
メイリの差し出した右腕に器具が当てられる。
なんとか持ち直したサナは、血液を吸引し、ボウル型の容器に移した。
「ホントに痛く……あれっ?」
血を抜かれたメイリは、フラフラと床に座り込む。
「貧血か? 本気で大量に抜く奴があるか。ドバっと構えて、チョロッと抜け」
「そんな……! ちゃんとチョロッとにしたのに」
実際のところ、多少、いつもより大量に採血した感はあった。サナは謝りつつ、父と血液検査に取り掛かる。
部屋の隅にあった長椅子にメイリを休ませて、蒼一たちは検査の結果を待った。
「メイリはよく倒れるよな。気も失うし」
「最初に会った時も、倒れてましたね」
「体が弱いのかな……」
横になって弱音を吐く少女に、血を調べ終わったカイルが報告に来る。
「体調の問題じゃないね。魔力が少な過ぎるんだ。スッカラカンじゃないか」
「それも珍しいのか?」
「普通は周囲から自然に補充するんだ。この娘さんは、その量以上に放出しとるんだろう」
体から出る魔力を吸う蓄魔器は、すぐに店の在庫から用意してくれた。
若い女性にということで、ペンダント型のアクセサリーに加工した人気商品だ。
「助かるよ。いくらだ?」
「代金は要りません。お礼です」
「すまないな。遠慮無く頂くとするよ」
早速、メイリは首を出し、雪にペンダントを付けてもらう。
「放出分は、それで吸収できます。しかし、魔力を補充しなければ、健全な状態とは言えませんよ」
「霊酒でも飲ませるかな……」
そんな物を持ってるのかと、カイルは驚くが、治療法としてはいただけないらしい。
「一時的な方法ではなく、常に補充する必要があるでしょう」
「いい解決策があるのか?」
「有るには有るのですが……」
「なんだ、ハッキリしねえな。とりあえず言ってみろよ」
サナに頼み、父親は紙とペンを用意させた。
手紙と地図を書き、蒼一に訪ねるべき店を教える。
「ここで相談してみてください。私の紹介文を見せれば、通じます」
「何の店だ、ここ?」
「婚礼用品店です」
――誰が結婚するの? 俺? マジカル?
疑問を撒き散らしながら、蒼一は言われた店に向かった。
◇
ワイギスの店から歩いて十五分ほどで、そのカラリヤ婚礼用品店に着く。
勇者一行を見て、若い店員と女店主のカラリヤ本人が飛び出て来た。
「勇者様! どちらとご結婚されるので? やはり女神様と?」
「違う、手紙を読んでくれ」
ややこしくなりそうな雰囲気に、蒼一は身構える。大体、店のファンシーで幸せそうな装飾は、彼の神経を無闇に逆撫でた。
反対に雪とメイリは、婚礼ドレスを興味深そうに見物している。
この地方の婚礼衣装はカラフルで飾りが多い。
高級品には宝石まであしらってあり、女性の目を惹くには十分だった。
「失礼しました。早とちり致しまして」
カラリヤが丁寧に謝罪する。
「分かればいいんだ」
「ご婚約相手は、あちらの娘さんの方でしたか」
「何でそうなる」
カイルの書状には、勇者と少女のために指輪を用意しろと記してあった。
「オヤジ、ちゃんと理由も書いとけよ!」
店主は勇者に相応しい指輪を出すと言って、ろくに話も聞かず、店の奥に引っ込んでしまう。
カラリヤが帰ってくるまで待つしか無く、その間、雪はドレスの試着を始める始末だった。
蒼一が若い店員を捕まえ、指輪について説明させた。
「指輪には色々な種類がございまして、やはり貴重な宝石のものが人気です」
「そうじゃない。メイリの魔力を補充したいんだ」
少し首を捻った後、店員は勇者の希望する指輪に思い当たる。
「絆の指輪ですね! 魔力を共有する婚約指輪があるんです」
お互いの魔力や体力をリンクさせる共有の魔法。発動条件が厳しいそうだが、それを使えば蒼一の魔力をメイリに流せるらしい。
蒼一というより、渡すのは雪の魔力とも考えられるが。
「メイリ! 雪の着付けはいいから、こっち来い」
「はいっ」
彼はその絆の指輪を店員に出させ、効果を確かめることにした。
「安いのでいい。機能重視で」
「はあ。では、この辺りでしょうか。装着者がお互い同質であるほど、効果が高くなります」
「同質?」
「信頼しあってるとか、目的が同じとか、まあ、婚約者ですから」
ペアのリングはサイズ調整もしてないが、標準的な男女に合わせて作ってある。
婚約? 誰が? と疑問符を飛ばすメイリに、蒼一は無理やり指輪を嵌めた。
「メイリは指が細いから、薬指だとブカブカだな。中指にしよう」
魔法陣のように細かな文様が刻まれた指輪は、二人の指に納まると同時に淡く発光する。
「おめでとうございます! 御婚約の成立です」
「えっ、ええっ?」
挙動不審なメイリは置いといて、蒼一は木箱に並ぶ指輪に目を向けた。
「その黒いのも婚約指輪か? 随分と禍々しいな」
「これは破棄の指輪です。契約を無効にし、相手に与えた力を取り返します」
「それもくれ」
今度は店員の顎が落ちる。
「えっ! もう破棄されるので?」
「契約と破棄を繰り返すつもりだ。気分で」
いや、待てよ、と蒼一は魔力の移動経路を考察する。メイリが吸った魔力は、無駄になるどころか、そのままではまた溢れてしまう。
雪から蒼一へ、そして蒼一からメイリへ。
それだけでは不十分だ。
「メイリ、お前、雪とも婚約しろ」
「ええぇっ!?」
理解を超える勇者の言動に、最早、店員は質問をする気も失せる。
絆の指輪をもう一組用意させ、蒼一たちはドレス姿の雪の前に立った。
「ちょうど婚礼衣装だ、雪、婚約してやってくれ」
「誰とです?」
「メイリ」
「はーい」
このマイペース女神は、何の加減か、時に猛烈に空気を読む。今回は読むターンだ。
自分もドレスとごねるメイリを宥めすかし、彼女たちも指輪を嵌めた。
こちらの絆も、発動に支障は無い。
「よし、これでいい。適当に婚約破棄しながら、様子を見ようぜ」
「私と蒼一さんは指輪しなくていいんですか?」
「もうしてるだろ、実質」
勇者の女神の会話に、店員は口をパクパクさせた。
今頃になって指輪を抱えて出て来たカラリヤも、店員に経緯を聞き、唖然とするばかりだ。
雪が着替える間に、蒼一は会計を済ます。
店主はお決まりの祝福を告げつつも、彼に聞かずにはいられなかった。
「結局、どちらと御結婚されるのですか?」
「いや、だから、違うんだって。今回は――」
彼はそこで言葉を切る。
そういや、ショボくれた男がいたなあ、と。
「……世は空前の婚約時代」
「は?」
「今、そう今週、結婚した者には、漏れなく女神の祝福が付いて来る」
「はあ」
「気の無い返事だなあ、稼ぎ時じゃないか。今を逃すと、次は三年後だぞ。知らんけど」
「え?」
「女神が言うんだから間違いない。な、雪?」
雪は目をつむり、波動を感じるように両手を掲げた。
「この星の配置……今こそが、その時です」
「だそうだ。分かったら、宣伝してこい。丸坊主の奴とかが狙い目だ」
「は、はいっ!」
勇者の言説は、蒼一が思う以上に影響力がある。
その理由を知るのは、まだ少し先だが、婚約ブームを起こすのには無事成功した。
メイリの呪いも鎮静化させ、ハルサキムでの仕事は一段落する。
三人は店を出るとその足でギルドへ赴き、街からの移動手段を手配した。
砂漠の街ダッハ、それが次の目的地だった。
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