027. 手紙
書棚の反対の壁は板張りされていて、居住者によって連絡ボードのように使われていた。
壁の真ん中に地図が、その周りには小さなメモが所狭しと並ぶ。
ピンで止められた大量のメモの内容は、魔術記号や意味不明の走り書きばかりで、蒼一には理解できない。
「こういうことをする奴は、猟奇殺人犯か、健忘症患者くらいだろう。怪し過ぎる」
唯一参考になりそうな地図を剥がし、彼は丸めて持ち去ることにする。
部屋には厚い天板のテーブルが置かれ、何よりも存在を主張していた。
斜めに引かれた、装飾の無い椅子。
転がる羽根ペンに、大小様々な不揃いの紙片。
インク壺は蓋が開いており、そのままでは固まってしまうだろう。
ここで書き物をしていた人物は、粗忽な性格なのか、或は余程急いでいたのか。
蒼一とメイリは、机の上や引き出しを引っ掻き回し、何か重要な手掛かりがないかと探した。
「どれもガラクタにしか見えないね……」
さしたる物が遺されていない部屋に、少女は諦めを滲ませる。
目に付くのは、白紙のタブラの束に、小さな空き瓶、それに王国文書指導院からの書簡といったところだ。
家捜しを切り上げようとする二人に、扉口から雪が声を掛けた。
「キッチンのテーブルに、勇者宛ての手紙がありましたよ……」
少しは回復したようで、彼女の顔色も持ち直している。
三人はダイニングに戻って椅子に座ると、ランプの明かりの下、大賢者からの手紙を広げた。
彼女が発見したこの手紙は、キッチンテーブルの上に二つ折りで置かれていたものだ。
“勇者へ”と記されたメモと一緒に、銀の文鎮で重ねられていた。
細かい字を追うのが辛いらしく、内容を知りたい雪がメイリに泣きつく。
「ううっ、頭痛が……読んでぇ」
「分かった。私が読み上げる」
手紙を手に、メイリが蒼一を見据えて咳払いを一つ。
「エヘンッ……ようこそ、勇者殿。私がメイリである」
「知ってる。無理に面白いこと言おうとするな」
「雰囲気良くしようと思って……」
「ネタ無しで普通に読め」
叱られた少女は、恥ずかしそうに手紙の冒頭を読み始めた。
「“これを読む時には、私はもういないだろう。書き終われば、すぐに出発するつもりだ”」
「分かってて逃げやがったな」
予想はしていたが、こちらの動きを先読みされているようで、蒼一は面白くない。
「“出発前に、やることが残っている。間に合わなければ、私はいるのだろうか。いや、いない。
いるとすれば、気が変わった時だ。しかし、それも考えにくいので、やはり私はいない”」
「しつこいわっ! いねえのは分かったから、話を進めろよ」
「……でも、これ一枚目はずっとこの調子だよ」
大賢者は自分の所在について、紙一枚を費やして考察していた。
これを書いている間に、急げば取っ捕まえられたかと思うと、彼は一層イライラする。
メイリは二枚目に移った。
「“――結論としては、私はいないということで、よろしいか?”」
「よろしいよ! 早よ本題に行け」
「“この手紙を見つけたのは、おそらく勇者だと思う。魔物を退け、よくここまで辿り着いた。
ゴーレムは近寄らなければ無害なので、そっとしておいて欲しい”」
「はっ、言うのが遅い。お前の酒は女神が吐き散らしたぞ!」
賢者の秘蔵品を台なしにしたことで、蒼一は少し溜飲を下げた。
「“読んでいるのが勇者でなければ、誰だろう? 女神の可能性もある。
勇者と女神は一緒に行動しているわけだから、これは勇者が読んでいると考えるべきか”」
「……おい、その読者考察、どれくらい続く?」
「二枚目全部だよ」
「やっぱりバカだろ、こいつ! 真面目系バカだ」
蒼一に促され、メイリは途中を飛ばし、三枚目に進む。
「“――結論として、読んでいるのは勇者ということで、よろしいか?”」
「よろし過ぎるわっ! 年寄りの長話も大概にしろよ」
「うう……話がクドくて、頭の頭痛が痛い……」
雪の様子がまた悪化したので、警邏官に水を頼む。
水分を摂ることで悪酔いの気持ち悪さが治まるのは、霊酒でも同じだ。
水筒を用意してくれたタルムが、家宅捜査の報告をしてくれた。
「家の中からは、特に怪しい物は見つかっていません」
「書斎も一応、調べ直してくれ。見落としがあるかも」
「はっ。裏庭の魔法陣はどうされますか?」
魔物を召喚する仕掛けを、放置する謂われはない。
「潰しとこう。陣の刻みを叩き削ればいい」
「了解しました」
警邏官が屋内外に散ると、ダイニングは蒼一たち三人だけになった。
雪が落ち着くのを待って、メイリは音読を再開する。
「“私は還る方法を知っている”」
「ほう、今度はいきなり直球か」
ここに来た最大の目的の登場に、蒼一の口許は固く結ばれた。
◇
家の外には魔術師たちが合流し、ネルハイムの声も聞こえる。裏の魔法陣の処理は、彼が指揮するようだ。
屋内の家捜しの音と合わせ、やや騒がしくなった食卓で、メイリは手紙の内容を語った。
「“帰還方法を知っていても、実現する術が無い。勇者の召喚も帰還も、扱える者が絶えて久しい秘術中の秘術である”」
だが、現に蒼一たちは呼び出された。賢者の言は矛盾しているようにも思える。蒼一は黙って、続きに耳を傾けた。
「“私が秘術を調べるのに、もう少し時間が欲しい。解明した暁には、必ず知らせると約束しよう”」
「結局、待てってことですね……」
雪が頭を押さえながら呻く。
「“勇者は邪悪なる者を討つのが使命。本分を果たすことも、帰還への道と知るべし”」
「ボケンジャーの割に、小難しい言い方しやがる。要はいらんこと考えずに、仕事しろってことだろ」
「あっ、これはヒドい」
「何がだ?」
先に続きを読んだメイリが、苦い顔をしている。
「“使命の助けとして、ここに魔物を集めておく。礼には及ばない”」
「ああ、そうかよ。魔物テロじゃねーか。ギルドもそりゃ怒るわ」
各地に魔物の召還陣が設置されており、その起動のために体液や霊酒が準備されたという彼の予想は、この大賢者の言葉で裏付けられた。
魔物の混合発生は、人為的なものだと決定付けていい。
やれやれと足を投げ出した蒼一は、玄関の開く音に振り返る。
入ってきたのは、裏の魔法陣を破壊したネルハイムだ。
「召喚陣の処理は終わりました。さすがは大賢者様ですね、あんな大きい陣は初めてです」
「褒めることじゃねえ。俺達を襲わせる気だったんだぞ」
手紙はまだ終わってはいない。
メイリの読んだ最後の段落で、蒼一の弛緩した雰囲気は吹き飛んだ。
「“魔物召喚に使った魔法陣には、触れないように。うっかり破壊すると、埋設した人造霊脈が暴走する。
それでは、勇者の幸運を祈る”」
「このボケッ、最初に言え!」
椅子を跳ね倒し、蒼一は仲間に外へ出るように声を張り上げる。
ネルハイムも屋内捜査中の警邏官に知らせると、すぐに裏手に走って行った。
外に出た彼らは、霊脈の暴走の意味するところを、自身の眼でまざまざと見ることになる。
裏庭の発光量は、陣発動時の比ではなく、あっという間に昼間の明るさが建物の周辺に広がった。
「みんな家から離れろ! お前もだ、ネルハイム!」
「まだ庭で倒れてる者が!」
助けに走ろうとする魔術師を止め、代わりに蒼一が光の中へ飛び込む。
魔力に耐性の低かった二名の警邏官が、逃げ出す途中で霊脈の奔流に飲まれ、地面に臥していた。
地中から噴き出す魔光のオーロラは、もう肉眼でもはっきりと見える。
気を失っている二人の胴を抱えて、彼は跳躍のために膝を曲げた。
「跳ねるっ!」
ビヨォォーンッ!
青白い光を突き抜け、勇者が警邏官たちの頭上を飛ぶ。
仲間を助けるその姿に、彼らは思わず快哉を叫んだ。
「ああっ、勇者様が!」
「音はともかく、何と神々しい!」
「勇姿を目に焼き付けよ! 音は酷いが」
「ダサッ、すごっ!」
――一々音にコメントする必要はあるのかよ。
釈然としないまま、蒼一は岩場に着地して、救助者を降ろした。
大気中に放出された霊力は渦を描き、物理的な力も伴って辺りを掻き回す。木を薙ぎ倒し、建物を積み木のように崩して、光が消えるまで暴威を奮った。
竜巻が一過し、瓦礫となった賢者の家を、蒼一は辟易とした顔で眺める。
「ワザとだろ? こんなのトラップじゃねえか」
家の捜索は、もはや夜間に行える状態ではなくなった。警邏隊の一部を残し、彼らは麓の拠点へと帰還する。
蒼一たちは登山口拠点で遅い夕食を済ませると、テントで寝床に就き、今後の相談は翌朝に持ち越された。
◇
「爽やかな朝ですね。風が気持ちいいですー」
「大した回復力だ。メイリに謝っとけよ、服に臭いが移ったって嘆いてた」
「それは災難でしたねえ」
蒼一と雪は、キャンプ場と整備された登山口の屋外テーブルで朝食を始める。
雪が乾燥チクワを頬張っている時に、顔を洗い終わったメイリがやって来た。
「なんだ、浮かない顔して?」
「うん……昨日、魔法陣の説明を聞いたよね」
「それがどうした?」
彼女は蒼一の隣に腰を下ろすと、徐に口を開く。
「陣は魔物の体液で起動する。祠の転移陣は、ほら、私が発動させたよね。やっぱり私は、魔物の子なのかなって……」
「ないないない」
彼は大きく左右に手を振った。
「百パーセント、それはないわ。誰だって一晩アーマーに――」
「メイリは特別なんです!」
雪が大きな声で、蒼一のネタバレを制止する。
「勇者と一緒に戦ってきたから、力が宿ってるんですよ」
「そ、そうかな?」
「またピンチの時は頼みますね」
この女神の回答は、メイリの鬱々とした顔を明るく晴らす。
「うん、悩んでたらダメだよね! お代わりのトルト持ってくる」
袖口の臭いを嗅ぎつつ、少女は荷物を取りに走り去った。
彼女の背を見ながら、蒼一は雪に尋ねる。
「本当のこと言ったらアカンのか?」
「アカンですよ。女の子なのに、蟹化してたとか教えるんですか? 内蔵からスライムに侵食されて、一体化した挙げ句に魔ゲロ吐いたとか?」
「魔ゲロ吐いたのは、お前だろ」
そういうもんかねえ、と蒼一はまた駆けてくるメイリに目を向ける。
チクワを差し出し、彼女は空の水筒を振った。
「水が切れたよ」
昨夜は大量に水を飲んだ奴がいる。
チクワ大魔神だ。
蒼一はキャンプ場内を流れる小川で水を汲み、煮沸用に焚火材を組む。
勇者と女神は、その気になれば泥水を飲んでも平気だが、メイリはそうも行かない。
警邏隊に借りた鍋で水を煮ている間、彼らはこれからの進路について話し合った。
「まず、これを見てくれ」
テーブルの上に、賢者宅から没収した地図が広げられる。
「この書き込んである印を辿って行こう」
彼は北のハルサキムの点に指を置き、そのままダッハへなぞって行く。
ダッハ近郊には、大きな黒いバツ印が記されていた。
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