026. 日記
大賢者の家までの道にいた魔物は一掃され、イシジンだけが数匹まだ動いていた。
蒼一は研磨を念入りに掛け、岩球を鞘で叩き割る。
「これで魔物は全滅か?」
「おそらく。魔術師で死体の消却を行います」
ネルハイムは仲間と一緒に、魔物の屍の処理に取り掛かった。
後で聞かされたた報告によると、ここに集まったイ人の総数は百五十一匹だった。
結果的に、敵を警邏隊の数で押し潰せたのは、三百人の大所帯を編成したカルネの手柄と言えよう。
「あの家だ」
メイリが蒼一の指す建物を見る。
「もっと大きいかと思ってた。普通のお家だね」
「二軒もありますねえー。大賢者は双子ですかあ?」
「お前の目玉がブレてるだけだよ」
雪は何が可笑しいのか、クスクス笑いながら自分の頭を左右に振り始めた。
「アッハハハ! 家が十八軒!」
「多過ぎだろっ……しまいに吐くぞ」
蒼一に付き従って来た数十人の警邏隊が、建物を包囲しようと散開する。
勇者は玄関に歩み寄ると、木製の扉に手を掛けた。
「……開かねえ。鍵が掛かってる」
彼は
「ビクともしないね」
僅かにも揺れない扉を、メイリは不思議そうに見つめていた。
「どうせ魔法だろう。鞘打ちっ! 重撃っ!」
勇者のスキルを以てしても、大きな衝撃音以外の変化がない。
玄関扉と格闘する彼に、裏手に回った警邏官の一人から声が掛かった。
「勇者様っ、魔法陣です!」
宅内への進入を後回しにして、蒼一たちは報告のあった場所へ移動する。
裏庭は縦に長い空地で、ちょうど家に隠れて前からは見えなかった。
大岩が散乱する中、庭の中央に魔法陣が刻まれている。陣の大きさは家と同じくらいあり、立ち込める臭気には覚えがあった。
同じ臭いをさせる雪が、顔をしかめて家の壁に手を付く。
「うっ……気持ち悪い……」
「ほらっ、言わんこっちゃない! メイリ、背中をさすってやれ」
顔色こそ悪いが、普通はダメージを受けるのは勇者の方だ。
女神が胸焼けを起こしたのは、酒に酔ったためではなく、霊酒で魔力を急増させたせいだった。
過剰な魔力摂取は女神の担当領域であり、余剰分を放出しようとする行動が、酔いとよく似た症状を引き起こしていた。
ゲオゲオ言い出した雪を放置して、蒼一は警邏官と一緒に庭を調べる。
「転がってる岩は、作りかけのイワジンか……」
「イシジンだよね?」
勇者の適当さに、女神を介抱中のメイリがツッコむ。
中をくり抜かれた巨岩は、そこに霊酒を入れる予定のものだろう。
魔法に詳しくない蒼一に、陣の方の詳細は分からないが、以前石切場で見付けた物と同じ紋様に思われた。
「……うぅ……タスケテ」
魔法陣の中央にしゃがんだ蒼一に向かって、雪が千鳥足で近寄ってくる。
「バカっ、向こうで大人しくしとけ」
「うー……きぼちわる……」
陣には大量の霊酒が浴びせられていたらしく、アルコールが今も立ち上っていた。
酒気が彼女の胸やけを助長し、女神の顔は一気に青ざめる。
「うっ……うぇぇ……!」
ゲオゲオゲオゲオ。
「こらっ、俺にかかるじゃ――」
雪の吐瀉物は、女神の力と霊酒の混合した魔力の濃密液だ。
魔法陣の刻みに青い光が走り、空中は輝きに満たされた。
「ア、アホォォーッ!」
発動した魔法陣が、複雑な起動紋を描きゆっくりと宙を回転する。
蒼一は慌てて、雪の首根っこを掴んで、陣の範囲外に引きずり出した。
暗い山中を照らす、青い魔光。
光の中に、一体、また一体と人型の影が現れるのを見て、勇者は皆に叫ぶ。
「敵だ、攻撃準備っ!」
魔光が沈黙するまでに、イノジンが六匹、イヌジンが十匹、イモジンが三匹、円陣の中にみっちりと出現した。
一瞬、呆然と立ちすくむ魔物たちの足先へ、勇者が粘性の網を撒く。
「粘着、粘着っ、粘着っ! 今のうちに行け!」
警邏隊の弓が斉射され、突き出した槍が魔物を襲う。
雑多な唸りを上げて、急襲された亜人たちは魔法陣の上に崩れ落ちた。
彼らの傷口から、その体液が流れ広がる。
「あ、しまった」
蒼一は自分の浅慮に後悔した。
魔物を呼び寄せる召喚陣が、魔力を供給され、また光を取り戻す。
体液での発動は、先程ほど長くは続かない。呼ばれたのは、イヌジンが二匹に、火蟻が三匹だった。
「俺が殴り飛ばす、陣の上で死なれたら、発動が止まらん!」
回復歩行で強引に敵の中に飛び込んだ彼は、中央でボウガンを振り回す。
「連、環、撃!」
「グルッ!?」
弾き出された魔物を、警邏隊とメイリが串刺しにした。
「やった、アンティスを倒した!」
非力ではあるものの、メイリの槍の腕は悪くない。彼女の槍先は蟻の頭部を貫き、敵を一撃で屠っていた。
蒼一が彼女の腕前を褒めると、メイリは嬉しそうにガッツポーズをとる。
「しかしまあ、これで魔物の出現原因は確定したな。魔方陣で魔物を呼ぶ、霊酒はその起動燃料だ」
「何でこんなこと、したんだろ……」
その手掛かりが欲しければ、家の中を探すべきだ。
「入り方を考えよう」
魔法陣の破壊は警邏官に任せ、蒼一たちは玄関に戻る。
雪はロッドを杖にして体を支え、老女のようにヨロヨロ歩いていた。
「お待ちくだせえ……」
「喋り方まで姿勢に合わせんでいい」
「酔い止めのスキルを……」
「ふっ、欲しいか? ありませーん」
彼女をからかうのは面白かったが、家宅捜査の役には立たない。
夜の山中で、蒼一は暫く大賢者宅への進入方法に悩むこととなった。
◇
「おい、頑張って探してくれよ……」
蒼一に頼まれ、雪はスキルを探そうと巻物を広げたが、目が字を追い切れずにさ迷ってしまう。
進入者を拒んだのは扉だけではなく、壁や屋根でも同じことだった。
跳躍で乗った屋根を、上から鞘で叩き続けたが、建物全体が固く何かに守られている。
諦めて降りた彼は、雪に新スキルを求めたわけだが、彼女は先の有様だった。
「仕方ない、とりあえず、全スキル試してみよう」
打撃系、無効。
炊事、無反応。
月影、無意味。
地走り、自分でもアホの子みたいだと自嘲する。
「警戒走行、粘着、あと何だ……全力遁走……」
どれも無益なのは、試さなくても分かる。
ここで全力遁走したら、思春期も真っ青の現実逃避だ。
どちらにしろ、解呪、解錠、罠解除といった主要能力は、既に取られている。
雪が復帰しても、有効なスキルが手に入る可能性は低かった。
「ええいっ、陽炎っ!」
ヤケクソで試した謎スキルは、黒剣を鈍く光らせる。
どうせ無駄だと期待していなかった蒼一だったが、剣を握る両手に違和感がある。
彼は剣を振りかぶり、そのまま扉を打ち据えた。
ガンッ!
「んー。保護魔法を斬れたりはしないか……」
打撃同様、手応えは無い。
しかし、やはり剣から妙な力が逆流するのを感じ、蒼一は首を傾げた。
剣を構えたまま扉から後退ると、彼は“十八番”を静かに左右に振ってみる。
「なんか……右に引っ張られるような」
握る手の力を緩め、剣先を見つめる。
「やっぱり、右に動く」
彼の気のせいではなく、剣は一定方向に引き付けられているようだ。
黒剣を正眼に構えて、力に逆らわないように、蒼一はジワジワと歩を進める。
「ソウイチ、どこ行くの?」
「剣に聞いてくれ」
雪の介護に飽きたメイリは、彼に付いていくことにした。
警邏官はそのまま待機してもらい、二人は家の右、山の下手に向かって歩く。
「これ、ダウジングか……」
「何それ?」
“陽炎”は不可視の導線を追うスキルだ。強い魔力の流れに沿い、剣先で道を示す。
霊脈にも反応するため、意外と使い道はあるが、勇者よりは占い師に似合う能力だろう。
「……十八番に、今度オプションの紐を付けとこう」
建設的な意見の割に、彼の声には多分に落胆が含まれている。
アウトドア活動用のスキルの充実ぶりは、歴代勇者でもピカイチとなりつつあった。
家から二、三十メートル離れた辺りで、剣は地面方向に傾きを強める。
その指す先は、小さな丸い石だった。
「地蔵? いや、石像?」
「自然の物じゃないね」
やや縦に伸びた丸い石の表面には、細かな模様が彫り込まれていた。
設置したのは、当然、大賢者と考えるのが妥当だ。
「壊すしかないだろ。鞘打ちっ!」
鞘の縦振りをまともに食らい、石は真っ二つに割れて砕ける。
「成仏してくれ」
地蔵の残骸に蒼一が手を合わせるのを見て、メイリも慌てて真似をした。
「ユキさんが元に戻りますように……」
「色々と確かめに帰ろう」
建物の玄関に戻った蒼一は、迷わず扉に付いた鉄輪を引く。
戸は抵抗無く手前に開いた。
「まあ、陽炎も使えないスキルじゃないんだろうよ」
結果には満足し、彼はようやく家の中に踏み込んだのだった。
◇
家は玄関からすぐにキッチンやダイニングに繋がっており、その奥には四部屋がある平屋だ。
ランプを貸してもらった蒼一から順番に、屋内に進入した。
最奥が寝室と物置。手前に書斎、その向かいが食糧庫になっていた。
用があるのは、資料が乱雑に散らばり、書架に多数の本が並ぶ書斎で間違いないはず。
壁一面に並んだ書物には、全て背表紙に記載が無い。
気になった蒼一は、一冊を手に取り、中を開けてみた。
「これ……本じゃない。大賢者が自分で書いたものだ」
メイリも書棚に手を伸ばす。
「日記、でもないね」
「ああ……」
“七の月、十三の日、晴れ”
書き出しだけなら、日記で通る。問題はその次だ。
“七の月、十三の日、晴れ 七の月、十三の日、晴れ 七の月、十三の日、晴れ”
延々と、本の終わりまで同じ小さな字で繰り返されている。
メイリの選んだ物も、さして変わらない。
“私は誰? 私は誰? 私は誰? 私は誰?”
半分ほど進んで、ようやく内容が変化する。
“お前は誰? お前は誰? お前は誰?”
「大丈夫か、こいつ……」
彼は本を棚に戻し、荒っぽく次を開けた。
“帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。”
「ひっ」
「どうした?」
メイリが新たに開いた箇所にも、びっしりと文字が埋め尽くされている。
“見るな。見るな。見るな。見るな。見るな。”
彼女の本を奪い、蒼一は次々とページをめくった。
“ここはおかしい。ここはおかしい。ここはおくしい。ここはおくしし。”
“見るな。見るな。見るね。見るな。見るま。”
“死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ね。”
メイリの表情が不安で陰り、蒼一が笑い飛ばしてくれるのを期待して、その顔を見る。
しかし、彼も背筋に嫌な冷たさを感じていた。
本の最後に近付き、もういくらもページが残っていない所まで繰ると、見開きに書かれた字が目に入る。
それまでと違い、殴り書かれた大きな筆跡。
“見たな。”
隣で覗き込んでいた少女が、口を押さえた。
最後のページに、荒れた文字がもう一行続く。
“判定・可 もう少し丁寧に書きましょう。王国文書指導院”
「書き取りの練習かいっ! なんちゅう文面でやらせてんだ」
この国の国語教育に懸念を抱いた蒼一に、さらに大きな疑問が湧き出てくる。
「大賢者って、本当にボケてるのか?」
「マジボケっぽいよね……」
どこがどう賢者なのか、言葉の定義を問い詰めたい勇者だった。
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