022. 赤方偏移の勇者

 カナン山へ向かう道は、デスタへ来た往路とは全く違う経路を辿った。

 街道を使って、まずナグ川まで南下し、そこから川沿いに山を目指す。初日はカナン山への登山口近くで野宿する予定だ。

 敵もおらず、道も平板な行程に、歩く三人の口も自然と軽くなった。


「やっぱり勇者って言うんだから、ズバッと魔物は倒さないとな」

「まあ、そうですね」

「攻撃スキルを充実させよう。まず、鞘系一式を全部」


 雪が巻物を広げる。


「選ばなくていいんですか?」

「いいよ、もう。どうせ使わないとよく分からんし」


 歴代勇者は鞘スキルに手を出していない。

 バカめ、鞘を笑う者は鞘に泣くのだ、そう蒼一は自分に言い聞かせる。


「まあ、でも、剣技も取ってやらんこともない。……何が残ってる?」

「うーん、攻撃っぽいのは……あっ、これどうです? カマイタチ」

「あっるっじゃーん! 真空波だろ?」

「ちょっと分かりづらい場所にあるんですよ。次のジャンルとの境で」


 雪はリストの能力名を順に選び、足を止めることなく、歩きながら勇者に能力を与えていった。

 場所はナグ川に架かる橋の近くで、以前イガジンと激戦を繰り広げたところだ。


 蒼一は川面に向けて早速スキルを試すことにした。

 鞘のロックを外し、黒剣を上段に構える。


「カマイタチッ……」


 真正面に下ろされた剣は、鋭く空を斬るが、何か効果が発動した気配が無かった。


「おかしいな……剣技じゃねえのか?」


 彼は左手を前方に掲げて、もう一度発動を試す。


「カマイタチ!」


 川のせせらぎは、長雨で増水中のため普段より大きく聞こえる。

 他に変わった現象は、何も起きていない。


「ソウイチッ、行くよ!」


 先に歩み出したメイリたちが、川を見つめる蒼一をせき立てた。

 新技を試せないまま、彼は剣を納めて、不満気に二人を追いかける。


「発動の感触が、全く無かったな……」


 疑問に首を傾げながらも、蒼一は仲間と川上に向かった。

 主街道を折れて、北西に進路を変えると、もうカナン山麓である。ここからは初めて見る場所で、地図を見て居場所を確認する必要も増した。


 カナン山の頂上までは、分岐の多い細い道が網目状に入り組む。なだらかな高山は裾野が広く、森と岩肌がモザイク模様を作っていた。

 迷いやすい上に、道を外れると樹海となった森に迷い込むため、遭難者が多い難所だ。

 訪問者は少なく、辺りに蒼一たち以外の人影は見えなかった。


「大賢者の家は、山の中腹にある。よくもまあ、こんな所に一人で住んでるな」

「食事とか、どうしてるんでしょう」

「ピザが腐るレベルだぞ、これ」


 勇者と女神が健脚なのは当たり前として、メイリも文句も言わずに、よくこの二人に付いて行く。

 槍は蒼一が代わりに持っていたものの、少女も頑張って日中を歩き通したおかげで、日が沈む前に登山口に到着した。


「立て看板があります。“ここからカナン山頂へ”……」


 掲示を読み始めた雪が、途中で言葉を止めた。

 古い案内板には、最近足されたらしき文句が、書き殴られている。


 “この先危険。死ね”


「殺る気満々か。これボケ賢者の筆跡だろ」

「続きがありますよ。“配達人は死にません”」

「賢者が殺さなくても、過労死するわ!」


 不穏な文面に、夜間の登山は控え、三人はここで野宿することとする。

 手近にあった広葉樹の木陰に寝るスペースを確保し、彼らは夕食の準備を始めた。


 魔物に襲われることもなく、平穏な食事と睡眠をとった蒼一たちは、翌朝からカナン山攻略に取り掛かる。

 朝露が光る早朝の登山道を行く勇者一行は、つくづくここへ来る配達員の身を案じたのであった。





「おい、さっきも通ったよな、ここ」

「どこも一緒に見えます……」


 登山道には分岐点ごとに立て札があり、案内が記されている。

 その表記に従って登頂ルートを選んでいるはずが、どうも様子がおかしい。

 蒼一は短剣を取り出すと、見覚えを感じる立て札に、刻みを入れた。


「ボ……ケ……けん……じゃ、と。次にボケ賢者があったらボケ賢者の仕業でボケ賢者が何度もボケ賢者っ!」

「落ち着いてください。無茶苦茶ですが、まあ言いたいことは理解しました」

「ユキさん、すごい!」


 果して、蒼一の推測通り、二十分ほど歩いたところで、“ボケけんじゃ”が現れた。


「……普通に歩いたら、ここに戻るのか」

「どうします?」

「普通じゃなく歩くのは、どうだろう」


 彼らは標識に従わず、頂上行きとは逆の道を選び続けてみる。

 この結果、三十分後に登場したのは、“この先危険。死ね”だった。

 最初の看板にも、大賢者の悪口を刻む蒼一に、メイリが諦めたように尋ねる。


「ふりだしに戻ったね。一度帰る?」

「……それも腹立つな。探索してみよう」


 雪の用意したタブラに、彼は同種族探知を発動する。


「反応は無し、か。次だ」


 熱源探知、これは反応点が多過ぎて役に立たなかった。


「えぇい、食品探知だ」


 新スキルを獲得して、タブラに映すと、大きな紫の点が光る。


「意外と近い。食糧庫かな」

「行ってみます?」

「……跳んで行く」


 蒼一は雪にタブラを持たせて、彼女たち二人を脇に抱えた。


「行くぞ、点を見て指示を出してくれ」

「了解です」


 勇者はカナン山中を跳ね、綺麗な放物線を描く。

 着地に合わせ、彼はすぐに“跳ねる”を連続発動させた。


 ビヨォーン!


 二回目の跳躍中に、雪が叫ぶ。


「点が動く! 次は右に!」

「オーケー!」


 迷いの登山道も、タブラは騙せなかった。

 指示に合わせて、蒼一はジャンプ方向を調整していく。


「次は左!」「おう!」

「右っぽい!」「おう?」

「左っぽい下っぽい!」「分かりづらいわ!」


 一度跳躍を止め、「だって……」と拗ねる雪に、彼はナビの仕方を教授する。


「時計で言うんだよ。十時の方向、とかさ」

「長針? 秒針?」

「針は関係ねえ、文字盤の数字で言え」


 蒼一たちは、再び跳躍態勢に戻る。


「跳ねるっ」


 ビヨォーン。


「三時!」「おう!」

「十一時!」「そうそう、その調子!」

「二十時!」「八時だ、それは!」


 十八回の跳躍後、彼らはようやく輝点の位置に着く。


「お腹空きましたー」

「まあ、連続でスキル使ったからな。しかし、食品って……」


 山中の森の切れ目、岩の転がる空き地を見回し、蒼一は首を傾げた。


「食いもんなんて有るか?」

「でも、点はここですよ。私たちの位置と重なってます」


 彼らも食糧は携帯している。点が重なるからには、自分たち以外にも何かあるはずだが――


 ゴゴゴゴ。


「ん?」


 ゴゴゴーッ!


 三人の眼前の岩が、ノッソリと立ち上がる。

 巨岩には小さな岩が連なり、手足を形成していた。

 メイリが噂に聞いた魔物の名を叫ぶ。


「ゴーレム!」


 雪が勇者の名付けを促した。


「真名は?」

「……イシジンだ」


 平和希求よりは、うがい薬に近くなってきたが、魔物の本質は捉えている。

 自分たちの二倍はある体高に、どう見ても重量級のボディ。

 危険な相手に、蒼一は防御スキルを連射する。


「粘着! 粘着! 粘着っ!」


 せっかく増強した新打撃技も、イシジンに放つには分が悪い。

 さっさと逃げるのが最良と、二人を抱えて、彼は“跳ねる”を選択する。


 ドゴーンッ!


 バネ音を発して飛び立とうとする勇者たちを、岩石の弾が襲った。


「きゃあっ!」

「ごぶあっ!」


 雪に直撃した岩が、三人を地面に打ち落とす。

 女神の受けた衝撃は、肩代わりした蒼一の身体を強打した。


「ソウイチッ!」


 メイリが這い寄り、回復薬で応急処置を行う。


「す、すまん……鞘合わせっ!」


 ガンッ!


 足を封じられたイシジンは、岩の砲弾による遠距離攻撃で彼らを狙った。

 鞘で岩を打ち返したものの、これでは防戦一方だ。


「雪、逃げるぞ、つかまれ!」


 一度失敗したとは言え、跳躍で逃げるくらいしか方法が無い。

 雪は彼の元に駆け寄るが、その背後にさらなる敵を発見する。


「蒼一さん、これ全部イシジンです!」


 この場所にある巨岩群に、単なる無機物は存在しなかった。

 彼らを取り囲むように、岩の魔物が一斉に動き出す。


「くそっ、跳ぶぞ!」

「待って!」


 抱えられた雪は、懸命に女神の巻物を繰り始めた。

 ピンチを脱するスキル、その名前を見たことを彼女は思い出す。


「あった! “全力遁走とんそう”」

「なんだ!?」


 岩が彼らの周囲にバラ撒かれようとしている。

 飛び来る砲弾の前で、蒼一に迷う暇は無い。


「全力、遁走っ!」


 勇者と、彼が抱えた仲間の身体が、瞬時に輪郭を揺らがせて残像を産む。

 岩が着弾した場所に、もう彼らの姿はなく、ヌルリと伸びる影が連なるだけだ。

 巨岩の合間を縫い走り、魔物が何の反応も出来ない内に、勇者は樹海の中へ消え去った。


 異常な速度はドップラー効果を発生させ、イシジンたちの視覚に映ったのは、赤く偏移した軌跡だけであった。





「助かりましたけど……」

「ここどこ?」


 カナン山の樹林に囲まれ、女性二人が途方に暮れる。


「うーん、それも重要なんだけどさ」


 回復歩行で二人の周りを歩きながら、蒼一が難しい顔をする。


「あの魔物、食えるの?」

「……んんー?」


 雪も眉をひそめて、その可能性に考えを巡らせる。

 勇者が使用したのは、食品探知であり、食材探知ですらない。疑問は尽きないが、喫緊の問題に取り組むべきだろう。


 幸い、先のイシジン地帯は、まだタブラに表示されていた。

 その光点を頼りに、蒼一は何度かジャンプを試みる。

 イシジンを避け、微妙にずらした着地点を狙うものの、ハッキリとした目標が無いとやりづらい。


「本格的に迷子ですね」

「どういう仕組みか知らんけど、適当に跳ぶと簡単に迷うな」


 迷いの呪いは、発生させている本体を潰さない限り、周囲の土地に影響を及ぼし続ける。

 その本体の有りそうな場所と言えば、大賢者の家が最も怪しく、そのことは蒼一たちも何となく勘付いていた。


「迷わないために賢者の家に行くってのは、本末転倒だよな」

「行けたら迷ってませんからね」


 彼は悩んだ末、数少ない手掛かりの一つに再チャレンジすることにした。


「やっぱり、あいつらが食えるのはオカシイ」

「まさか、また行くつもり?」


 メイリはゴーレムの強さを村で聞かされていた。

 子供向けの物語では定番の登場魔物で、大抵は何かを守る役割を持って造られたとされている。


「メイリが聞いた話じゃ、イシジンは守護魔物なんだろ?」

「お話ではね」

「ならさ、今回は食糧を守ってるんじゃないのか?」


 どうせ造ったのはボケ賢者だろうと、蒼一は推測する。


「賢者の食糧から攻撃しよう。兵糧攻めだ」

「蒼一さん、大賢者は別に敵じゃないですよ」


 ともあれ、彼らは再戦に向けて計画を練る。

 石に勝つ能力を探し、勇者が選んだのは、やはり地属性のスキルだった。

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