015. 浄化すべきもの

 窓から差し込む日差しに顔を照らされ、蒼一はゆっくりと目を覚ます。

 温泉で綺麗になった身体を、着汚した服に通すのは勿体なかったが、雪には何か考えがあるようだった。

 昨日と変わらない格好で隣部屋をノックすると、先に起きていた二人が待ち構えていた。


「見つけましたよ、蒼一さん。これこれ」


 雪が探していたのは、洗濯のスキルだ。

 炊事があるなら洗濯もあるだろうと、昨夜の彼女は息巻いていた。


「まさか、洗濯なんてあったのか?」

「いえ、それは無いみたいです」


 当たり前だ。勇者の女子力を高めてどうしようというのか。


「代わりに見つけたのがこれ、“浄化”」

「……何のジャンルのスキルだ?」

「聖なる光とか、光輪とかのところです」


 光魔法――それで洗濯の代用ができるのか、やはりはなはだ疑問である。


「まあいいや。やってみよう」


 スキルを選ぶと、二人はメイリを前に立たせて試験台にした。

 緊張する彼女に、蒼一が手をかざす。


「浄化っ」


 乳白色の不透明な光が少女の全身を包み、魔力のベールで彼女の姿を隠す。

 白く光るメイリは、蒼一たちへ穏やかに微笑んだ。


「ああ、失敗ですかね。服は変わってません」


 メイリの服は、いつも通りの濁った茶色だ。

 裏地の元の生地色で、どれほど汚れた状態なのかが窺える。


「汚れを落とすスキルなんて、そりゃ無いよ」


 少女の服に他に変化が無いか、蒼一はしげしげと観察する。


「物に囚われてはいけません」

「ん?」


 聞き慣れない声色は、メイリが発っしたものだ。

 彼女は優しく、二人へ語りかけた。


「人は欲を貪り、心を苛むのです。執着を捨て、あなたも物質の枷から解き放たれましょう!」

「……おい雪、これ洗脳系のスキルだ。ヤバい」

「内面を真っ白にする系ですね」


 なら逆をと、雪は黒化スキルを探し始める。


「黒光、暗黒陣、汚染……」

「浄化の対となるのは、汚染だろうけど……」

「もう取られてますね」


 ――何に使ったんだ、そんなスキル。ミニマリストの治療か?


「力に拘ってはいけません。ありのままを受け入れるのです」

「いや、お前を治すのに……」


 蒼一を見るメイリの目に、迷える羊への憐憫が宿る。


「能力が無いことを知る。無能の能! それこそがあなた――」

「浄化っ!」

「ちょっ!」


 浄化を重ね掛けされ、メイリは言葉も無く、幸せそうに中空に視線をさ迷わせた。


「なんかムカついたので、つい」

「ついじゃないですよ。どうするんですか、この子」

「窓辺に座らせよう。定番だろ、空見るの」


 二人は椅子を窓際に設置し、発光メイリを連れて行く。

 スキル効果が切れた時のために、蒼一は書き置きをテーブルに置いた。


「メイリは買い物に連れて行かないんですか?」

「この状態じゃ、何も買わんと思う。筋金入りの精神論者だぞ」

「帰ってくるまでに、治るといいですねえ」


 青空に心を馳せるメイリを残し、蒼一たちは街に出掛ける。

 少女がショッピングに行きそびれたと嘆くのは、それから一時間後のことだった。





 デスタは鍛冶屋街と言うだけあって、武器や防具の店が何軒も連なっており、買い付けに来た商人や冒険者で通りは賑わっている。

 景気のいい呼び込みの声が、あちこちから聞こえてきた。

 この街ではギルドに加入した武器屋は無いので、品揃えと宿屋で聞いた評判だけで入る店を選ぶ。


 蒼一の一番の目当ては、その中でもとびきりの腕と値段で名を上げている剣の専門店、ホールソンの店だ。

 黒剣を掲げて入る彼を見ても、この店の主人に動じる様子は無い。


「へいっ、らっしゃい」

「おう、ここは期待できる」


 カウンターに剣を置き、蒼一は要望を伝えた。


「この剣の鞘が欲しい」


 武器屋の親父がピクリと眉を上げる。


「うちは鞘屋じゃねえ。剣の店だ。間に合わせの仕事なら、他を当たりな」

「欲しいのは、タダの鞘じゃねえんだよ」

「どういうことだ?」


 彼は蟹に曲げられた鞘を、剣の隣に並べる。


「普通の鞘だと、こうなる。俺が求めてるのは、剣がシケて見える程の鞘だ。魔物を殴ろうが、岩を叩き割ろうが、ビクともしない。下手な剣より硬い、軽く振れば空気を切り裂く、もう剣はいらないんじゃね?そんな鞘が欲しい」

「剣はいらないんじゃね?」

「いや、一応要る」


 親父は曲がった鞘を手に取り、ひとしきり調べると、蒼一に告げる。


「この鞘も悪い造りじゃねえ。これを超すとなると、ちょっと時間が掛かるな」

「どれくらい?」

「二週間」

「五日で」


 親父は呆れて両手を上げた。


「無茶言うな。特急で作っても、一週間だ」

「それでいい。言い値を出すよ」


 店番に立っていたのは、職人ホールソン本人だった。

 鞘の新造には、金貨十枚がかかると親父は言う。

 剣本体であっても破格の値段だ。要求通りの物が出来るならと、蒼一はその条件を呑んだ。


「黒剣を預けるなら、その間に使う武器が要るな。その壁にあるのは?」


 カウンターの後ろの壁に、柄に赤い鉱石の嵌まった短剣が飾ってある。

 いかにも特別扱いされたその姿に、蒼一は惹かれる。


「こいつは焔の魔剣だ。貴重品過ぎて、誰も買わないから飾りになってるのさ」

「いくらだ?」

「金貨で百二十枚だな。まあ、火炎を直接扱える勇者さんには、無縁の代物だ」

「ふーん」


 この短剣の価値は嵌め込まれた鉱石に因るもので、デスタ火山で稀に得られる火焔石、その大結晶が使われていた。

 短剣に視線を送りつつ、ここでは代用剣を買わずに蒼一は店を出る。

 武器屋に聞こえない場所まで離れてから、彼は雪にまくし立てた。


「見たかよ、あの短剣。魔剣だって。火が出るんだぜ! ボーッて!」

「高過ぎですよ。蒼一さんは炊事があるじゃないですか」

「おいおい、魔剣と炊事を一緒にするなよ。炊事なんて蟹一匹を焼くのが関の山じゃないか。魔剣なら十匹は焼ける」


 十匹焼いても食べ切れないでしょうに、という雪の反論は、彼に無視された。


「欲しいなあ。あれ、欲しい」


 浄化したら譲ってくれるかもという勇者を、女神がコンコンと説教する。

 蒼一は子供の様に駄々をこねかけたが、雪に引っ張られて買い物を続行した。メイリ用の装備品の購入を忘れると、帰ってからが怖い。


 槍や短剣、軽鎧にローブと、ひとしきり揃えたところで、彼はもう一軒、行きたい店を挙げた。


「医者がいるんだよ、この街。薬屋を兼業してるらしい」


 宿屋で仕入れた情報を元に、二人は街の端まで足を伸ばす。

 立派な二階建ての医院と、その横に併設された薬局は直ぐに見つかった。薬局側の扉を開け、蒼一がカウンターに向かって叫ぶ。


「おーい、毒くれ、毒。人が簡単に死ぬやつ」

「喧嘩を売りに来たのかね、君は」


 痩身の薬局主人が、妄言を吐く客を睨んだ。


「もちろん回復薬も買うさ。でも、まず毒だな。飛び切り強いのがいい」

「見れば勇者さんじゃないか。毒で何をするのかね?」


 蒼一をよく見た主人が、困惑を隠せず彼に問い質す。


「そんなもん、飲むに決まってるだろ。毒で顔を洗う馬鹿はいない」

「好んで毒を飲む馬鹿もいないがね。一応、研究用に集めた魔物毒はあるが……」


 街で手に入れる回復薬には、二種類の系統がある。

 一つは自然の素材から生成する粉薬や塗り薬。これは地球にも普通にある、生薬の類である。

 もう一つが、水に回復の魔力を含ませた治療水だ。


 冒険者なら、即効作用のある治療水を持つのが一般的だが、重傷に効果のあるような物は貴重で、入手しづらい。

 その点、この世界で即死するような猛毒は珍しくなく、毒反転を持つ蒼一には、神威級の回復薬に事欠かないということだ。


「一通り見せてくれ。選んで買いたい」


 代金を貰えるなら、毒も売れない物ではない。

 主人はカウンターに、猛毒を収めた白磁の瓶をズラリと並べた。


「じゃあ、ちょっと味見させてもらうぜ」

「味見?」


 何の比喩だと考える店主が見守る中、蒼一は瓶の中身を手の平に出し、一つ一つの味を確かめていく。


「これは苦すぎる。何の毒だ?」

「……西岸の山地に住む地虫だ」

「おっ、こいつは飲みやすい」

「ゆ、雪蛇の雌の毒だな」


 最初は目を見開いて勇者の所業に驚いていた主人も、彼の感想を慌てて書き記し出した。


「毒蜂のは、やや甘みがあって癖になる。毒量は並だ」

「……やや甘みが……よし、毒は蛇より弱い?」

「うん。美味さはそっちのが一番だ。麺料理のソースに使えそう」

「テンタクルドの毒だ。北海の蛸だよ。麺料理のソースに……」


 一通りの所見を聞き終わると、主人は蒼一に礼を言う。


「こんなやり方で、毒の分析が出来るとは思わなかった。また是非来て欲しい」

「こちらこそ、毒が切れたらまた頼むよ」


 飲みやすい物を選び、メイリ向けの回復薬と一緒に代金を支払うと、彼は店の品揃えを褒めた。


「毒の充実した良い店だ。宣伝しとくよ、毒を飲みたければこの店だと」

「店を潰す気か」


 他言しないように店主に約束させられ、蒼一たちは薬局を後にする。


 荷物を抱え、宿屋に帰った彼らを玄関で待っていたのは、不機嫌なメイリと警邏官のタルムだった。





 置いていかれた不平をこぼしていたメイリも、槍が自分用と知って機嫌を直す。

 買った荷物を部屋に置くと、蒼一たちはタルムに連れられ、来賓用の大部屋に案内された。

 彼らを待っていたのは、街の首長クルムスだった。

 午後の茶を啜りながら、蒼一はクルムスの用件に耳を傾ける。


「デスタの北東に、巨大な地下洞窟があるのはご存じでしょうか。入り口には祠も有ります」


 また祠と魔物のパターンか、と蒼一たちは内心思う。


「その洞窟は、火山の下に向かって広がっておりましてね。分岐した先々に、採掘場ができています」


 広大な洞窟の名前は、捻りも無くデスタ洞窟と呼ばれている。


「貴重な鉱物が採れるので、冒険者にも人気があるんです。この洞窟には、未探索の分岐先が存在します」

「探索できてなない理由は?」

「熱過ぎるんです。肌が焼けるくらいで」


 話の本題は、ここからだった。


「数百年に一度、その熱が消えることがあると伝えられています。先日、その伝承が実際に起ったのです。この好機を狙って、多数の冒険者が洞窟に入ったのですが……」


 クルムスは一度話を切り、茶で喉を潤す。


「突入した冒険者たちが、誰も戻っておりません。洞窟奥には多数の魔物がいて、その餌食になったのかと」

「で、その魔物を討伐しろと?」

「ええ。上層に魔物が上がって来ており、このままでは採掘もままなりません」


 冒険者に関しては、自業自得な面もあるしなあ――そう考える蒼一は、魔物討伐に積極的になれない。


「しばらく閉鎖して様子見したらどうなんだ。俺たちは、大賢者に会いに行かないといけないし」

「大賢者様は、今朝方、洞窟の調査を約束してくださいました」

「え?」

「我々の依頼を聞いて来て下さったのです。ただ、調べはするが、解決には期待するなと……」


 探し人の意外な所在に、彼は言葉に詰まる。

 その様子を、クルムスは依頼の断りと受け取った。


「歴代の勇者様にも、デスタ洞窟に挑んだ方はおられないと聞きます。やはり勇者様の本分とは外れる仕事なのでしょうか……」


 うなだれるクルムスの言葉に、今代勇者が反応した。


「はい、質問します。よく聞いて」

「何なりと」

「今まで洞窟に行った勇者はいない?」

「そのはずです」

「大賢者もそこにいる?」

「早晩には」

「魔物を一掃すると、街の人は喜ぶ?」

「もちろんです」


 黙って聞いていた雪が、人助けになるのならと、彼に依頼を受けることを勧める。


「どうせ鞘が出来るのを待つんだし、行くだけ行きませんか?」

「まだだ、もう一つ聞いとかないと」


 蒼一はデスタの首長に、最後に確認した。


「冒険者は何が欲しくて、洞窟に潜ったんだ?」

「最奥には、火焔石の巨大な鉱床があると言われています」


 勇者は皆を見回して、宣言する。


「魔物をしばき、大賢者もついでにしばき、宝具を取ったら、火焔石を賢者に運ばせて、村人はハッピー、俺たちは地球に帰還。土産は焔の魔剣。これが勇者の本分だ!」


「物欲大魔王……」

「ソウイチ向けだよね、浄化」


 十八番目の勇者による、デスタ洞窟ダンジョン攻略が決まった瞬間だった。

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