第二章 大賢者
014. 聖火ランナー
ガックリと肩を落とした蒼一は、壁に張り付いているメイリを急かした。
「もう帰ろうぜ。何か見つけたのか?」
彼女はボウガンの矢を借りて、先駆者に倣って字を刻み付けていた。
「何て書いたんだ……」
“十八番目、蟹が美味しかった”
「輝光石が綺麗だった、がいいかな」
「借りパクした九番目の文句も書いとけ」
この宝具部屋でも、彼女の出自の手掛かりは得られなかった。
雪の巻物だけでなく部屋の石盤も読めないとなると、彼女が女神の眷属というのは、やはり考えにくい。
「くたびれ儲けだった割には、顔が明るくね?」
「元々、そこまで期待してなかったし。勇者のお手伝いは、やり甲斐があるよ」
「そういうもんか」
村人の顔色を窺う日々よりも、蒼一たちと一緒に行動する方が、よほど充足感が有る。
この勇者との冒険は、メイリに今までの鬱屈を忘れさせていた。
「でも、祠が宝具部屋に関係あったのは間違いないですよね。他の祠もそうなのかな」
似た祠はいくらでも存在すると言う。
どれも宝に通じる物ならば行ってみてもいいだろう。
「でも、宝より先に大賢者だ。いや、その前にこいつも調べとくか」
部屋の真ん中の円盤は、メッセージ用の他にもう一つあった。
魔法陣の書式は彼らが読み取れるものではなく、何のための物か推測もできないが、陣の真ん中に描かれた小さな模様は理解できる。
「蟹に見えますね」
「奇遇だな。俺にも蟹に見える」
蟹を呼ぶ魔法陣? それとも――
「ひょっとして、蟹で起動するのかもな」
「殻、取りに戻りますか?」
いや、と蒼一は首を振る。魔物の何が必要なのか知らないが、蟹エキスなり蟹風味が鍵になるなら先に試したい物がある。
“借りた物は返しましょう”と書き終えたメイリを、蒼一は中央に呼ぶ。
「メイリ、この円盤の上に乗ってくれ」
蟹と一体化した彼女なら、ほぼ蟹と認めてくれるのではないだろうか。
魔法陣の反応は、彼の期待通りだった。
少女が足を乗せた途端、陣の模様に光が走り、青い魔力が上に立ち上る。
「すごい、私が発動させた!」
「おう、そうだ。こんなこと、メイリにしかできな――」
蒼一が全てを言い切る前に、蟹の化身の姿が掻き消えた。
「転移陣か、これ。俺たちも乗ろう!」
「はい!」
二人が魔法陣に足を掛けたその瞬間、周囲の景色が一変する。
先に来ていたメイリと顔を見合わせた後、蒼一は転移先を確かめようと辺りを見回した。
「入り口に戻ったのか」
朝の日差しが、祠に帰り着いた三人を出迎える。
洞窟入り口に戻るのは、行きよりずっと早かった。
「しかし、この洞窟が勇者用として、入り口の穴は誰が塞いでたんだ?」
蒼一が疑問を口にするや否や、祠の裏に崩れ落ちていた岩や土塊に魔光が点る。
青く光った岩が、時間を巻き戻すように入り口に積み上げられ、隙間を土が埋めていった。
「自動ドアとはな……」
起動スイッチは、石盤に触れることか、転移陣の発動か。
正解はともかく、三人が外に出た時点で、洞窟は再び土壁で封印された。
この洞窟での仕事は終わった。蒼一は仲間に、周辺の地図を見せる。
「ここから近い町はどこだ? 武器屋に行きたい。メイリの装備も欲しい」
自分の装備と聞いて、彼女の鼻息が荒くなった。
「剣……やっぱり槍かな。火山の近くに鍛冶屋街があるよ」
「カナン山から更に離れるけど、仕方ないか」
デスタ火山は、火口に溶岩が噴き出す活火山だ。鉱物資源が豊富で、熱と素材を求める者が集まって山麓に街が作られた。
この各種金属製の装備品を産み出す街が、火山と同名のデスタの街だった。
「もうここに用は無い。そのデスタって街に向かおう」
「地図を見る限り、日が暮れるまでに着きそうですね」
街は洞窟の北にあり、直進コースだと道無き道を行くことになる。
時間はあるので、蒼一たちは一度北東に進み、街道に出ることを目指す。そこからは正規の交易ルートなので、楽に歩けるはずだ。
この考え自体は正しかったが、街道までの丘越えは、予期せぬ邪魔が入り少し面倒なことになった。
◇
「マジカルロッドッ!」
雪のロッドが振り下ろされると、砕けた羽が鱗粉と一緒に周囲に散る。
メイリは舞う粉を吸い込まないように、風上に待避した。
洞窟からマルダラ村と逆方向に丘を登り、なだらかな頂上から街道に下る。これは疎らな林を抜けるだけの道程で、地形に関しては徒歩でも支障が無い。
蒼一たちがウンザリしたのは、ここが毒蛾の巣窟だったからだ。
「弱いけど、大量に飛んでくるなあ……」
「あっちこっちから来るんで、撃退しづらいです」
鱗粉毒は、蒼一自身は毒反転で、雪は勇者へダメージ転移するので無効化できる。
メイリは対抗する手立てが無いので、彼女に毒を吸わせる訳にはいかない。
「……警戒走行を取ろう」
走行中、自分の全周囲に警戒の網を張るスキル。ちなみに、警戒歩行は残っておらず、回復歩行との併用は不可だった。
蒼一はスキルを発動し、メイリの回りをグルグルと走り始める。
蟹戦で曲がった鞘は回収したものの、剣を納めることはできない。今朝からずっと、彼は抜き身の黒剣を握ったままだ。
「ヤッ!」
飛び来る蛾を、蒼一が剣でいち早く叩き落とす。
「迎撃はいいけど、剣を持って走られると、ちょっと危ないです」
「そう言われても、仕舞えないしなあ」
仲間を傷付けないために、彼は傘を持つように垂直に剣を掲げた。
リズム良く呼吸を整え、蒼一は蛾の襲来を警戒しつつ走る。
「ホッ、ハッ、ホッ、ハッ、ヤァッ!」
砕ける蛾が、また一匹。
「私のためなのは分かってるけど、ソウイチが何だか山賊みたい……」
「絵面が悪いですね。不審者感がすごい」
剣を右手で高く掲げ、少女の回りを息荒く走り回る姿は、事情を知らない者が見れば討伐対象になるだろう。
「あっ、街道が見えた!」
「蒼一さん、もう走らなくていいですよ」
「ヤァーっ!」
ラストに一匹片付け、彼はようやく足を止めた。
蒼一は膝を曲げ、地に落ちた蛾に手を伸ばす。
「ちょっと蒼一さん、何してるんですか!」
「何って、回復……」
彼は蛾の羽を拾い、鱗粉を指ですくい取ると、ペロペロ舐めていた。
回復歩行よりも手っ取り早く、毒反転で疲労回復を図った行為だ。
「ああ、良く効くわ、これ」
「……ひょっとして美味しい?」
何度も指を口に運ぶ蒼一を見て、雪も鱗粉食にチャレンジする。
「……マズッ! どんな味覚してるんですか!」
「旨くて食ってるわけじゃねえ!」
雪の試食で回復効果が増し、蒼一の疲れもすっかり消えた。
剣を握り直し、彼は先頭に立って街道へ向かう。
「よし、行こう」
「ツアコンみたいです。剣に旗でも付けた方がいいんじゃ」
街道に出れば、デスタの街までは数時間で到着する。蛾で時間を食ったが、急げば日没までの到着に間に合うだろう。
道端で遅い昼食をとり、彼らは北上を再開した。
この道は山中の移動と違い、行き交う商人や旅人も多い。
街に近づいた頃、剣を抜いた不審勇者の元にデスタの
◇
全力疾走してきたのであろう、デスタの警邏官タルムは、ゼーハーと肩で息をしていた。
蒼一たちを見つけると、彼は大声で一行に呼び掛ける。
「勇者様、何事ですか!」
「デスタへ向かってるんだが?」
動転した様子のタルムを、蒼一は不思議そうに見返した。
「見えない敵と戦う勇者様がいると、通報がありました。ここはもう、デスタの管轄です。魔物なら、我々も協力させて下さい」
「んー、剣が戻せんのよ」
彼は鞘を見せ、事情を説明する。
「そういうことでしたか。戦闘中ではないと?」
「ああ。さっきまでは蛾がいたけどな」
「蛾! ここしばらく、大量発生しているのです。街道でも被害が出ています」
ここも安全では無いと聞き、蒼一は緩みかけた緊張を取り戻した。
「警戒走行!」
「あぶっ――お止め下さい、勇者様!」
バネ仕掛けのように駆け出した彼を、タルムが両手を振って制止する。
「なんだよ。走っちゃダメなのか? 警戒跳躍ってのもあるらしいけど……」
「公街道や街中では、本来、抜刀は禁止されてるんです。罰則がある訳ではないですが」
「それは困るな」
ここで規則を破る気がない蒼一は、顔を曇らせる。
「勇者様ですので、咎める者もおらんでしょうが……私が案内しますので、後をついて来てください」
「走ること自体は構わないんだな?」
「まあ、それは。ウロウロされなければ」
タルムが先頭を行き、その後ろに蒼一が小走りで続く。雪とメイリは、彼らを追って早歩きでデスタを目指した。
オレンジの夕陽が山脈に掛かり、一行の影を街道に長く伸ばす。
「もう日が落ちます。足元が暗くなる前に、着きたいですね」
タルムの予想では、街の直前で夜になるくらいのペースだ。
「……照明ならあるぞ。ハッ、月影っ」
まばゆい月光が、周囲の影を奪う。
「や、やめて下さい! 剣を振り回さないで!」
それから小一時間ほどで、デスタの街の入り口が、暗くなった道の先に現れた。
タルムの同僚たちはゲート前の道の両側に並び、彼らの到着を待っている。
「あれが街です。街門は素通りで構いません。もう走らなくていいのでは?」
「ホッ、ハッ、せっかくだし、ゴール、しとくよ」
ラストスパートとばかりに速度を上げた蒼一を、タルムが慌てて追いかけた。
勇者一行の無事の到着を、警邏官たちが迎え入れる。
「ようこそ、デスタへ!」
「ホッ、月影っ、ハッ、月影ぇっ!」
「うわっ!」
彼らの歓迎に対し、蒼一はフラッシュライトで返礼した。
「ソウイチ、なんだか楽しそう」
「ランナーズハイってやつだと思います」
街の商店はもう店仕舞いの時間だ。買い物は明日にして、三人はタルムに連れられ宿屋に赴く。
「では、私は街門の詰め所に戻ります。困ったことがあれば、またお訪ねください」
「助かったよ。ありがとう」
通常任務に戻る警邏官に礼を言い、蒼一たちは宿屋の中へ入っていった。
◇
「すいません、今晩泊めて――」
「ひぃーっ!」
宿屋の主人が、抜き身の黒剣に悲鳴を上げる。
「ソウイチ、せめて剣先を下ろしてあげて」
「忘れてた。この状態に慣れてきてた」
剣をメイリに預け、彼は主人に改めて話し掛けた。
「二部屋空いてるかな?」
「ああ、勇者様でしたか。二階の部屋をお使い下さい。ご案内しましょう」
主人はカウンターから出て、二階の廊下の突き当たりまで彼らを連れていく。
「御夕食はお済みですか?」
「いや、まだだ。ここで食べられるのか?」
「ええ、すぐにご用意しますよ。一階の食堂にお越しください」
蒼一は平然と彼の部屋で寝ようとする雪を隣の部屋に押し込め、荷物を置くと、一人食堂に出向いた。
しばらくして、雪たちも一階へ降りてくる。
「この街、温泉もあるらしいぞ。二人も後で行ってこいよ」
「それはありがたいです。ドロドロだもん」
宿屋の夕食は肉料理にパンと野菜スープという、地球人にも食べやすいものだった。
三人が宿屋自家製のスモークハムもどきに舌鼓を打っていると、横から怖ず怖ずと声が掛かる。
「あの……」
蒼一たちの視線が、声の主に注がれた。
暗色のフードを被り、顔は見えづらい。
革鎧の狩人装備という格好は雪に似ているが、声はもっと若く、腰には厳つい造形の剣を携えていた。
「ん? 俺たちに用か?」
チラチラとメイリを横目で気にしつつ、少女は蒼一に確認する。
「勇者さん……ですよね」
「そうだけど?」
彼女の用件はそれで済んだらしく、クルリと後ろを向き、逃げるように走り去った。
「……ソウイチ、怖がられた?」
「何でだよ。剣も置いて来たし、勇者スマイルもしたぞ」
「それ、スマイルのつもりだったんですか。知らない人には威嚇する信条なのかと」
まあ、勇者ともなれば、色んなヤツが来るだろうと、蒼一は深く考えないことにする。
三人は笑顔の定義で論議を重ねつつ夕食を終えると、その後は各自分かれて動いた。
温泉でサッパリし、宿に戻った彼はベッドに身を沈める。
誰に邪魔されることもなく、蒼一は久々の安眠を楽しんだのだった。
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