013. 到達記念

 石像となった蒼一に、雪を止める手段は存在しない。

 お預けを食らっていた彼女は、モグモグと蟹を堪能する彼にブチ切れていた。


「いくら何でも、カニを独り占めは酷いです」


 ――違う、毒味だ。


「しかもそれを見せつけて、こんな美味いカニは初めてだ、とか」


 ――言ってない。幻聴だ


「お前に食わせるカニはねえ! とか」


 ――気つけっ!


「びぎぃっ!」


 電気ショックを受けた雪は、蟹の脚のように髪の毛を四方に逆立てた。

 手を突き、四つん這いになった彼女は、蟹脚を求め手を伸ばす。


 ――正気に戻れ、気つけっ!


「ぎぎっ!」


 腕の力が抜け、顎から地面に伏せ崩れて尚、匍匐前進して身体を引きずる女神。

 蟹肉に彼女の顔が押し付けられようというその瞬間、蒼一の硬化が解ける。


「よせっ、蟹の女神になる気か!」

「ガニィー!」


 蟹の鳴き真似は異様に上手かったが、それじゃ共食いだ。

 彼の制止する声も届かず、雪は魔物の肉を貪り始めた。

 彼女がグシャグシャと蟹身を食むと同時に、彼の体に淡い回復の光が点る。


「……あれ? なんでだろ」


 とりあえず雪が毒で苦しむ様子もないため、しばらく放置することに決め、蒼一はメイリ用の部位を探した。


 脚とハサミだけでも、とても食べ切れる量ではなく、無理に毒部分を食べることもない。

 幸い、ハサミ肉は無毒だったので、彼とメイリの二人で焼きハサミを仲良くつつき出す。


「ハサミは完璧に蟹の味だな」

「ホクホクして美味しい」


 彼らは片方のハサミを平らげ、まだ続く雪の晩餐を眺めて待った。

 太い脚が二本、殻だけになって転がる頃、ようやく女神も満足したように微笑む。その顔も手も、カニ汁まみれだ。


「蟹の魂は無事導かれ、女神の糧となりました」


 空の甲殻に手を合わせて、雪は厳かに告げた。


「おい、蟹神が何か言ってるぞ」

「成し遂げた顔をしてるね」


 いつものマイペースに戻った雪は、先刻までの自分の行いに、多少の言い訳をする。


「今回の空腹は、半端なかったんです。蒼一さんが甲羅に乗った辺りから……」

「それなんだけどさ」


 蒼一は尻尾の毒身をナイフの先に刺し、彼女の前に突き出した。


「食え」

「そこまで怒らなくても! 脚はまだいっぱい残ってます!」

「全部お前の分でいい。メイリが食えない毒脚を、雪は食える。さあ、どういうことだ?」


 彼女は、脚を無毒と思って食べていた。


「……お腹が丈夫?」

「それも凄いと感心してる。だが、それだけじゃないだろう」


 彼の真剣な眼差しに、雪も思い切って尻尾に噛み付く。

 味の違いがどうにも気になっていたという理由も、もちろんあった。


 彼女が身を飲み下すと、蒼一から回復光が溢れ出る。

 女神が毒をあおれば、勇者がその毒に身を侵される、この現象は彼の予想を裏付けた。

 雪が眉をひそめる。


「やっぱり……」

「そう、リンクして――」

「尻尾は海老味なんですね!」

「俺の話を聞けよ」


 彼は今一度、二人の関係を説明した。


「雪が傷つけば、俺がダメージを負う。女神の肩代わりをしてるわけだ」

「じゃあ、私は怪我しないってことですか。戦闘役、交替します?」

「逆だ。雪がやられたら、俺まで倒れてしまう。防御に専念してくれないと」


 二人の会話には、メイリにも気になることがあった。


「ひょっとして、雪さんがすぐお腹を空かせるのって……」

「メイリもそう思うか?」


 雪だけが理解できず、蒼一たちの推測を尋ねた。


「俺が戦闘すると、雪の腹が減ってるよな。スキルは、女神の力を使って発動している気がする」

「あー、そう言えば」

「一蓮托生、いや、二人三脚ってとこだ」


 ここまでのアレコレを思い返す彼女に、蒼一は確認作業を提案した。


「確認?」

「本当に推論が合ってるか、念押ししよう」


 彼はメイリの肩に手を置き、雪の腹部を指差す。


「腹パンしてやれ」

「……うんっ!」

「ちょっと、蒼一さん……メイリもそんな目で見ないで!」


 メイリの軽いパンチなら、大したことない。自分に衝撃がくれば、リンク仮説が証明される。

 それが蒼一の狙いだったが、メイリはしゃがみ込んで荷袋を漁り出した。


「何を準備して……おい」


 彼女の手には、選りすぐりの大ぶりマンドラーネが握られている。


「メイリ、やめましょ。謝るから、ね?」

「そうだぞ。実験にムキに――」

「まじかるキノコォーっ!」

「ぐぼぉぅっ!」


 今回ぐぼったのは、蒼一だ。雪は身じろぎもしていない。

 キノコの衝撃は雪の腹に触れた途端、霧散して、全て彼の腹に転移した。


「道具を……使うなよ……」


 恨みの篭ったメイリの一撃は、意外に重い。

 食道を逆流するカニと格闘しながら、蒼一はうずくまった。


 勇者と女神の不思議な絆は、こうやって実証されたのだった。





 腹の痛みを消すために回復歩行中の蒼一は、ついでに大空洞の奥を見に行った。

 この洞窟はここで終点ではなく、その先に続く道が、奥の壁に口を開けている。


「おかえり、ソウイチ。何かあった?」

「まだ先がある。進んでもいいけど、一度休むか」


 洞窟内は時間が分かりにくいが、もうそろそろ真夜中だろう。

 蒼一と雪は、まだ湿りの少ない壁際を寝床に決める。

 均した地面にローブを敷き、荷物を枕替わりに置くと、メイリが不安そうに二人に尋ねる。


「ここで寝るの?」

「蟹は倒したしな。危険度は、外も変わらんだろ」


 そう言われても、彼女はキョロキョロと周囲を見回すのを止めない。

 蒼一は雪にスキルリストを見てもらった。


「警戒系で、いい能力は無いか?」

「そうですね……」


 輝光石をかざし、巻物を読む雪が、いくつか候補を挙げる。


「警戒走行」

「一晩中、俺を走らせる気か。死ぬわ」

「警戒跳躍」

「一晩中、俺を跳ばせる気か。死ぬわ」

「警戒落下」

「死ぬわ」


 最後にお目当ての能力が来る。


「警戒睡眠」

「それにしよう。バッチリのがあるじゃん」


 発動して寝ると、敵の気配に敏感に反応して目が覚める、それが“警戒睡眠”だ。

 スキルを使わなくても実現できそうなところが、余り能力になった原因だろう。


 勇者の能力に安心したメイリは、あっという間に寝息を立て始める。

 その左隣に雪、さらに左に蒼一と、三人は並んで眠りについた。


 洞窟内はやや冷えるものの、寒さに震えるほどではない。ゆっくり眠れるかと思いきや、蒼一は一時間後に起こされる。


「ん……スキルのせいか」


 反応対象を見つけるのに手間取るが、輝光石で照らすと、小さな影が視界を横切る。


「ネズミかな?」


 詳しく観察するより、寝るのが優先だ。

 適当に気つけを放つと、影は「キュロッ!」っと弱い悲鳴を上げて走り去った。メイリの足も跳ね上がったが、起きないので問題は無い。

 その二時間後、不穏な気配に、彼は飛び起きる。


 ドサッ!


 蒼一の首があった辺りに、メイリの踵落としが炸裂した。


「……? どうやったら、こんな位置関係になるんだ」


 手足を馬鹿みたいに広げているのは相変わらずで、これが彼女の標準睡眠スタイルであり、驚きはしない。

 しかし、メイリは雪と蒼一の間に寝転がっている。それも真横に向いて。

 雪は彼女に腹を枕にされ、眉間に縦皺を寄せていた。


「まあいいや。メイリの寝てた所を使おう」


 彼は雪の右に移り、再び目を閉じる。

 忍び寄る睡魔は、またスキルが追い払った。


 ゴロゴロゴロッ!


 雪を越えてローリングするメイリが、蒼一の横にやって来る。


「起きない雪は、偉いと思う」


 前回は、この寝メイリのせいで、随分な早起きをさせられた。いつもこれでは、寝不足になる。

 どうしたものか。

 立ち上がった蒼一は、蟹の残骸へ歩いて行き、手頃な殻を物色した。


「綺麗に食べたもんだな……」


 雪の担当した脚の殻は、身の一片も残っていない。

 細い先端近くの物を四本選び、毒反応の無いのを確かめて、寝床へ運ぶ。

 またもや大の字に戻ったメイリの手足に、彼はその甲殻を嵌めていった。


「関節が曲がらなきゃ、派手に動きはしないだろう」


 肩から手首に、蟹の脚先はちょうどすっぽりと被さる。

 四肢を甲殻で覆い、隙間をハサミ肉で埋めれば、蟹メイリの完成だ。


「よしっ」


 会心の出来映えに納得し、蒼一は本来の自分の寝場所に戻った。


 この後、メイリはその場でジタバタするだけで、回転も移動もせず朝を迎える。

 もう彼が警戒睡眠を発動させることはなく、次に起きたのは、雪が馬鹿笑いする声を聞いた時だった。





「ひぃー、メイリが! 一体化してるっ、あははははっ」

「……ああ、おはよう、雪」


 朝日は無くても、早朝だろうと蒼一は見当を付けた。


「メイリはよく起きないな。今のうちに、アーマーを解除しとくか」


 蒼一は殻を元の場所に返し、雪はメイリの体中に付いた蟹肉を綺麗に拭く。

 拘束を解かれて、しばらく自由に動き回った後、少女はゆっくり目を開けた。


「……おはよ」

「よく眠れたか?」

「うん、蟹をいっぱい食べる夢を見た」


 実際、食べたしなと言う蒼一に、彼女は楽しそうに頷く。


「でも、メイリの目的は蟹じゃないだろ?」

「そうだね」


 村にいた時に、彼女は何度も自分で祠を調べていた。

 手掛かりになる物は見つけられず、記憶を呼び覚まされることも無いと、メイリは言う。


 探すべきは洞窟ではないのではないか、そうも思いつつも、何かを求めて三人は奥へ進み始めた。

 途中、メイリがしきりに後ろを気にして振り返る。


「どうした?」

「何だか、蟹の気配が消えなくて……」

「魔物を食ったんだ、少しは影響もあるだろうよ。そのうち消えるさ」


 金髪に残っていた蟹肉を、歩きながら雪がさりげなく取り除いてやる。

 大空洞は最奥までの中間地点だったらしく、前半とほぼ同じ時間で彼らは開けた空間に行き着いた。

 学校の教室ほどの場所の真ん中に、直径一メートルくらいの円い石板が二つ横たわっている。


 片方は、城や石切場で見たものとよく似た魔法陣が表面に施されており、もう片方は鏡のように磨かれ、近づいた蒼一たちの顔を映した。

 滑らかな円盤を調べる蒼一とメイリは、模様も何も無い表面に首を捻る。


「ツルツルだ」

「ただの石みたいだね」


 二人の感想に、雪が異議を唱えた。


「字が書いてますよ。読めませんか?」


 蒼一とメイリは、揃って首を横に振る。

 巻物と一緒で、女神にしか読めないらしい。


「読んでくれ」

「えーっと……“宝具はここに在り。勇者に栄えあらん”」

「ほう、いいね。蟹を倒した報酬があるのか」


 それらしい物を探し、蒼一たちはこの部屋を調べる。

 奥の壁には凹みが有り、床に台座らしき物もあるが、宝と呼べそうな品は発見できない。

 輝光石で右壁を照らしていた蒼一が、刻まれた文字を見つけた。


「ここに何か書いてあるぞ。“六番目、苦難の末ここに至る”……」


 左壁に向き合っていた雪も、探し当てた書き込みを報告した。


「こっちにもありますね。“九番目、宝具は大事に使います”」


 よく見れば、文字は壁のあちこちに彫られている。


 “十番目、蟹が強かった”

 “十五番目、靴下が濡れた”

 “十七番目、また来たい”


「ペンションか、ここはっ! どんどん感想がショボくなってるじゃねーか!」


 宝まで先着順とは。

 骨折り損――膝を付いた勇者の頭の中で回っていたのは、そんな言葉だった。

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