012. 泥沼

 蠍ではないという蒼一の叫びに、メイリが雪へ説明を求めた。


「あれは一体、何なの?」

「ヤドカリですかねえ……蒼一さん、結局そいつは何ですか!」


 回復に忙しい彼に代わって、本人が答えてくれた。


「カニカニィ……」

「蟹みたいです」

「バカっ、自己紹介する甲殻類がいるか! 魚屋が発狂するわ!」

「カニィ」

「お前も平然と相槌打ってんじゃねーよ! どこから声出してんだ……」


 この自称蟹の魔物は動きが遅く、移動スピードは彼の競歩といい勝負だった。

 お互いが、少し離れて相手の出方を窺うことになる。

 蟹の体表は、見るからに厚い青光りする装甲で覆われていた。


「尻尾が海老ってことは、毒針はどこだ……?」


 針を探した蒼一は、すぐに思い違いに気付く。

 魔物は口から紫と緑が絡み合う泡を噴き出し、シャボン玉のように空中に放出し始めた。

 毒々しいマーブリングの色合いが、泡が危険物であることを自ら主張している。


 パチンッ!


 近づくシャボン玉に敢えて突っ込み、蒼一はその正体を確かめた。

 彼の顔に弾けた液が飛び散ると、回復の魔力光が全身を巡る。


「よし、こいつが毒ってことだ。回復薬付きの魔物とは、サービス満点だぜ」


 毒反転が効いている間は、敵自身が彼を癒してくれる。

 蟹の動きに注意を払いつつ、蒼一は思い切って間合いを詰めた。


「粘着っ」


 狙いは二つのハサミ。

 魔物の右手を固定すると、彼は連続して左手にスキルを発動させる。


「粘着っ、これでグーしか出せないだろ!」

「カ……ニ……!?」


 蟹は蒼一を挟むのを諦め、ハンマーのように青い右腕を振り下ろす。

 その閉じたハサミに向けて、彼は鞘を掲げた。


「鞘打ちっ!」


 ガーンッ!


 大空洞中に、派手な衝動音が響き渡り、雪とメイリは思わず耳を塞ぐ。

 しかし、その大音量は蟹の腕を弾き返しただけで、甲殻に傷一つ与えることは出来なかった。


「硬ってぇ……」


 武器に使うハサミは、硬度も極めつけだろう。

 仕切り直す前に、蒼一は追撃を図る。


「三段打ち!」


 泡吹く口元へ一段、彼を押し戻そうとする左ハサミに二段、ハサミの下を潜り、蟹の左脚に最後の鞘打ち。

 三つの反響音が、空間を満たす。


 攻撃の勢いのまま、彼は蟹の後ろへ走り抜けた。

 どれも魔物を怯ませるほどの打撃だが、ダメージを与えた気配は無い。


「打撃攻撃じゃ駄目なのか」


 叩いて無駄なら、斬るのはさらに不毛だ。間接を狙うにしても、動きは止めたい。

 スキルを両手で放つため、蒼一は剣を鞘に戻そうとする。

 彼が愕然としたのは、その時だ。


「……曲がってもうた」


 金属製の鞘は軽く湾曲し、くの字に変形している。黒剣を仕舞うことは、もはや叶わなかった。

 ここまで苦楽を共にした愛鞘を破壊した魔物を、彼は憎々しげに睨む。


 ――勇者の攻撃スキルの源を、よくもっ!


「やってくれやがったな……鞘ブーメランっ!」


 蟹の後ろ姿に向けて、彼は鞘を投げつけた。

 回転する鞘は尻尾に当たり、ガランガランと地に落ちる。


「まあ、邪魔だし」


 のっそりと向きを変え、蒼一に振り返った蟹のハサミは、もう自由に動かせる。

 彼が粘着を放とうと腕を前に出すと、蟹は蒼一ではなく、自分の真下をハサミで攻撃し始めた。


「何をする気だ?」


 大空洞の地面は柔らかく、みるみる穴が掘られて行く。

 蟹は穴の上に移動し、身を沈めると、岩だけが地表に残った。


「敵を前に擬態って……いや、この震動は……」


 地震のような細かい揺れが、岩を中心に広がる。

 不穏な気配に後退する蒼一を追うように、彼の足元は一際大きく縦に揺れた。


「うおっ!」


 地面を突き破って飛び出た蟹が彼を真上へ跳ね飛ばし、濡れた大量の土砂と共に、蒼一は空中を高く舞う。


「岩は着脱式かよ! 硬化っ!」


 地に叩き付けられる寸前で、スキルの発動は間に合い、全身を硬く変質させた彼は濡れた地面に着地した。

 くるぶしまで土にめり込み、黒剣を右手で頭上に掲げた姿勢で、蒼一は固定される。


 ――う、動けねえ。


 落下の衝撃は完全に防いだが、彼は身体どころか視線すら動かせなかった。

 フィギュアのように大空洞の真ん中に建立した蒼一を、雪が指差した。


「勇者の石像! お見事です」

「あれが王都にあると言う……」


 蟹は石像に走り寄り、両断しようとハサミを振るう。

 岩を外した蟹は、明らかに高速化している。


 ガキンッ!


 今度は石像の硬さに、蟹が驚く番だった。

 魔物の渾身の力をもってしても、像を破壊することができない。

 身動きできない勇者の前で、蟹が再び地に潜る。


 ――またかよ……。


 発射の瞬間を待つこと暫し。

 石像状態のまま、彼は上に撃ち出される。よりによって、大ジャンプの頂点で、硬化のスキルは解除された。


「ちょっ、硬化!」


 俯せに落下し、顔面から激突した蒼一は、それでも怪我は無い。

 何も見えやしないが。

 彼は四肢を広げ、地面に大の字の凹みを作っていた。


「寝メイリの像! お見事です」

「ひゃっ、恥ずかしい……」


 ――お前らなあ。


 声も出せず、彼はスキル解除をただただ待つ。

 石化した勇者の背を、魔物がカサカサと往復するのが、鬱陶しいことこの上ない。硬くなっても、五感はそのままなのだ。


 ――感覚があるってことは、スキルも使えるのか?


 背中をコツコツと脚が叩くタイミングで、彼は電撃を放った。


 ――気付けっ!


 電流が地中から脚を伝い、蟹は驚いて飛び下がる。

 蒼一の周りを円を描いて這いながら、魔物はまた毒の泡を彼に浴びせた。

 シャボンの中から、ゆらりと立ち上がり、勇者は剣を弧に振るう。


「月影っ」


 暗さに慣れた蟹は、突然の閃光に敵の居場所を見失い、オロオロと横走りを始めた。


 ビョォーン……。


 間抜けなバネ音は、蒼一の反撃の合図だ。

 一拍後、蟹の背甲羅に勇者がヒラリと着地する。


「痛っ! 棘だらけじゃねえか、この甲羅」


 どこに掴まっても傷付きそうな危険な甲羅も、毒反転の効果で致命傷にはならない。

 彼に向かってハサミと尻尾が迫るのを察知し、蒼一は棘を握って自分を固める。


「硬化、そして……」


 ――粘着っ!


 硬化中に貼り付けば、蟹に剥がされる心配なく、背中に居続けられるだろう。


「ガニッ!」


 蟹が苛立って自身の背中にハサミを向けるが、勇者の能力には敵わない。


 ――で、どうするんだ、これ?


 蒼一は自問するものの、答えは知っている。

 この状態で使える有効な能力は一つだけだ。


 ――炊事っ!


 ここから半刻以上に亘り、勇者と蟹による泥沼の戦いが繰り広げられたのだった。





 地球のタラバ蟹は、茹でれば二十分、焼いて十分ほどで調理ができる。

 巨大毒蟹の場合、オーブンで焼くと一時間近く掛かってしまう。もちろん、魔物サイズのオーブンがあれば、だが。


 “炊事”は、単に熱を加えるだけでなく、マイクロ波も発生させられる調理特化スキルだ。

 これを使えば、オーブンなどとは比較にならない高火力を対象に与えられる。

 勇者の本気なら、五分も掛からず決着がつくはずだった。


 蟹を瞬殺しようと、最大火力で炊事を発動させた蒼一は、すぐにその誤りを思い知る。

 熱っせられた甲羅の温度には、彼自身も耐えられない。

 だからと言って、この甲羅の上という絶対的に有利なポジションから離れるのも勿体なかった。


 ――少しずつ焼くしかないのか……。


 ジワジワと背中から焼かれ、蟹はハサミを振り上げ暴れ回る。

 何とか彼を振り払おうと、土に潜ってもみるが、“粘着”の威力は絶大だ。


 疲れ果てたのか、それとも弱い熱が体内を蝕み始めたのか、魔物の動きが徐々に鈍くなってくる。

 この持久戦を眺めていた雪が、見かねて蒼一の元に走り寄ってきた。


 ――馬鹿っ、まだ蟹は弱り切ってない。近寄るのは危険だ!


 硬化中の彼には、警告の声が出せない。

 蟹の攻撃が彼女に向かわないかと心配する中、雪は険しい顔で蒼一に叫んだ。


「強火で!」


 ――えっ?


「強火で焼いた方が美味しいです」


 ――アホか、俺まで調理されるわっ!


 ツッコめないことが、これほど苦痛とは。

 彼女は革袋から塩をつかみ、景気よく蟹に向かって振り撒いた。

 背中にパラパラと落ちる塩を、蒼一はただ物悲しく感じるのみ。

 彼が抗議する機会も無いまま、彼女は空洞入り口に戻っていった。


「あれじゃ、脚は後から別調理です」

「尻尾も食べられるのかな」

「海老味なら、一匹で二度楽しめますね。大好物なんですよ」


 ――二人とも、全部聞こえてるぞ。メイリの目的は蟹すきじゃねえだろ。


「ガニッ……ガ……ニ……」


 青かった甲羅は光沢を失い、赤味が増していく。

 断末魔のように、蟹は毒の泡を盛大に吹いて最後の抵抗を見せたが、マイクロ波が遂に蟹の神経系を焼き切ると、魔物は足を止める。


「あとちょっと! もう少し赤くなったら出来上がりです」


 蒼一は硬化と粘着の連続使用を停止し、自由に動けるようになったところで、甲羅から飛び降りる。

 長かった。

 毒反転が無ければ、自分も焼き勇者になるところだった。


「最後まで付き合ってられるかっ!」


 待望のツッコミを入れ、彼は弱った敵の正面に立つ。

 赤くなった蟹の頭部目掛け、黒剣の峰が向けられた。


「三引く二段打ちっ!」

「ガニィーッ!」


 剣は頭に直撃し、熱で弱った甲殻に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

 一度大きく体を跳ねさせた後、蟹は力無く崩れ落ちた。

 剣を杖替わりにして敵を見下ろす蒼一の元へ、雪とメイリが駆け寄る。


「どんな味か楽しみだね!」

「まだです、足とハサミが残ってます」

「なんでメイリまで食い気に走ってんだよ……」


 戦闘を終えても、彼の仕事はまだ続いた。

 蟹の手足を焼き、間接を黒剣でゴリゴリと強引に切り離す。雪のロッドで殻を割れば、焼き巨蟹の出来上がりだ。

 期待で顔を輝かせる二人に、蒼一は忠告する。


「こいつは毒持ちなんだ。分かる?」

「はい」


 だから? と雪が彼を見る。


「俺はいいんだ、毒反転があるから。お前らが食うのは、ちょっと待て」

「毒味するってことですか?」

「そうだ」


 なんで気遣かってる自分が、不満そうな目で見られなくてはいけないのか。蒼一はその理不尽に憤りつつ、尻尾の身をナイフで切り取った。

 口に身を入れた途端、回復効果が発動する。


「尻尾は毒入りだ。食べるなよ」


 メイリがコクリと頷く。


「次は脚か……」


 脚の身も、ほんの僅かに毒反転のスキルが反応した。微妙な判定に、彼は一瞬、返答に詰まる。


「……これも毒かな」

「今、間がありましたよね?」

「ああ、反応が分かりづらくて……」

「……」


 彼が黙る雪の態度に戸惑っていると、彼女はいきなり大声で叫んだ。


「マジカルストライクッ!」

「ぐおっ!」

「マジカルロッドォ!」

「硬化っ!」


 ――あっ、しまった。


 固まる蒼一に、雪が不敵な笑みを浮かべる。

 女神の巻物を広げると、彼女はその一節を読み上げた。


「“蟹を食して女神の力を顕現すべし”」


 ――絶対、嘘だ。どんだけだ、こいつ。


 雪の蟹肉への執着に、彼は恐怖したのだった。

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