011. 洞窟の主
百のマンドラーネに、蒼一たちは無心にかぶりつく。
好物を前に目を輝かせ、七本目を齧っていたメイリが、いきなりホロホロと涙を落とし始めた。
「泣くまで頑張らなくていい。食べ切れなかったら残せ」
「違うよ……私のために、呪術士を凹ませてくれたんだって思って……」
半分は女神の食糧補給のためだったが、訂正する必要もないだろう。
「そういう時は、笑い飛ばすんだよ。最後は錯乱してたぞ、あいつ。“キノコか、キノコの呪いか! キノコを私にキノコォーっ!”とかさ。キノコがゲシュタルト崩壊するわ」
「ふふっ……」
贄にされた時でも、メイリはあんな醜態を晒さなかった。
復讐したいなんて思ってなかったが、錯乱したラムジンを見た彼女の胸がすいたのは事実だ。
「さすがに満足しましたですー」
「何匹食ったんだ?」
「十八体ですね」
狙ったようなその数に、蒼一はツッコまない。
ピクニックのように平和な三人だが、ここは曰く付きの洞窟前だ。彼の最大の関心事は、既に村や小人から移っていた。
「この洞窟の魔物、毒持ちなんだな?」
「うん。毒液を浴びた人は、腕を落とすハメになってる」
洞窟の奥で、最初に魔物を見つけた村人は三人。二人はハサミで真っ二つにされ、一人は逃げ出せたが毒にやられた。
そう、こいつは巨大なハサミと毒が武器らしい。
「洞窟に住み、ハサミと毒に硬い甲殻。こりゃ、蠍だな」
「サソリ?」
「地球にも小さいヤツならいる。どうせここのはサイズのおかしい、不思議の国の住人だろうよ」
凶悪な魔物を想像して身震いするメイリに対し、蒼一はニヤニヤと嫌らしく口許を緩ませる。
「ソウイチ?」
「ふっ……フハハハハ!」
堪えきれず笑い出した彼を見て、雪に緊張が走った。
「メイリ、キノコを調べて! 蒼一さんの様子がいつも以上におかしい!」
「何気にディスるな! 蠍戦に向けていいスキルがあるんだよ」
毒使いに対する決め手、“毒反転”。毒を回復薬に変えるこの能力を、雪に選んでもらう。
「他はいいですか?」
「そりゃ、欲しい能力はいっぱいあるけどさ……防御系とか残ってないだろ?」
彼女が読み上げるスキル群に、蒼一は一々頭を横に振る。
「ハサミ相手に、“被害遅延”ってどれくらい意味があるんだ。結局、ちょん切られるんだし……」
「後は“交換”、“硬化”……」
ここで彼の目に光が戻った。
「交換はよく分からんけど、硬化、いいじゃん」
「取ります?」
「おう、行こう、それ。ハサミも防げるなら楽勝だぜ」
スキルを揃えれば、次はその実践。マンドラーネを袋に詰め直して、三人は探索準備に取り掛かる。
かなり量が減ったとは言え、キノコの袋はまだ結構な重さだ。
蒼一が三等分しようとするのを、メイリが止めた。
「食糧運びは、私がする。補助だもん」
「そっか。じゃあ、頼むけど無理すんなよ。食べ物よりメイリの安全を優先しないと」
普段口の悪い人間が気遣うと、より優しく聞こえるものだ。
メイリも蒼一の言葉に、感じるところがあった。
「ありがと……」
「いざとなったら、私たちに構わずに逃げてね」
雪も彼女に嫌味のない笑顔を向ける。
村の一件が片付いたことで、メイリの心の陰りは少し薄れた。
「……頑張ろっ」
軽く拳を握り、小声で気合いを入れると、彼女は重い荷物を背負う。
皆に祠と称される建造物は、台座の上に設置された小さな石造りの社のようなものだ。
社は屋根付きのミニチュアの家といった姿で、前面だけが開いている。中にも地蔵のようなものが覗くがよくは見えない。
蒼一は少し気になる違和感を覚えるものの、今回の主目的は祠ではないと、その奥に目を向ける。
祠の裏に口を開けた洞窟へ、三人はゆっくりと歩み出した。
◇
崩れた岩や土が邪魔をした洞窟入口を越えると、その後は歩きやすい平坦な道が続く。
幅は広く、天井も高い。大型の魔物でも、楽に通行できるだろう。
周囲の壁がボンヤリと光っており、暗闇を予期していた三人には大きな助けになった。
「これは夜光石じゃないな……」
「輝光石だね。夜光石より貴重品だよ」
自力発光する輝光石は、周囲の魔力を光に変換する性質を持っている。
輝度が高いため、住宅設備としても人気のある素材だ。
「少し持って帰りません? 便利そうですよ」
「そうだな」
雪はロッド、蒼一は鞘打ちでゴンゴンと壁を殴り、洞窟内に打撃音が反響した。
「おっ、いい大きさのが取れたぞ」
「こっちもです」
手頃な輝光石が手に入ると、蒼一はランプ代わりに前に掲げて歩き出す。
雪は石を背嚢に仕舞うと、メイリの持つ袋からキノコを取り出した。
グチャッ、グチャッ。
グシャッ、グシャッ。
「この洞窟、ちょっと湿っぽいな」
「水場があるのかな」
グチャッ、グチャッ、グチャッ。
グシャッ、グシャッ、グシャッ。
「……食う音を歩くリズムに合わせるなよ。しかし、よく入るな。さっき食ったばかりだろうに」
「自分でも嫌になってきました」
雪が両手に持ったキノコを食べる音は、この閉じた空間だとよく響く。
壁を殴る震動で目を覚ました者が、彼女の咀嚼音によって呼び寄せられた。
シュルシュルシュルッ……
「あそこっ、ソウイチ!」
「ん? あれは……」
彼らに急速に近づく、黒い紐状の影。
ウネウネと動くその移動方法は、見間違いようもない。
「蛇か。数が多い、二人とも下がってろ」
この湿り具合なら、有効範囲が広がるはず。蒼一は膝を付き、手を地面に重ねた。
蛇行する敵が間近に迫るのを待って、彼は電気スキルを放つ。
「気つけっ」
小さなスパークが四方に散ると、彼の前の魔物たちが跳ね、その場に静止した。
「よっしゃ、今のうちだ」
彼は黒刀を抜き、鞘でピクつく敵を叩いて回る。
打撃は一発で魔物を潰すが、肉感が軽い。プチッと潰れるこの感触は――。
痺れの解けたものから、また獲物を求めて動き出した。
「こいつら、蛇じゃない。雪、何匹か後ろに抜けた!」
離れて電撃を避けていた雪は、彼が潰し損ねた魔物に目を凝らす。
元々、彼女は蛇が好きではない。しかし、こいつらは蛇より彼女の嫌悪感を煽った。
「げえぇっ、キモッ!」
「潰せ、こらっ、逃げるな!」
「ちょっ、ユキさん!」
赤と黒の縞模様の肉食ワームが、雪の足に取り付こうと身を跳ねさせる。
彼女がクルリと回転して身を翻すと、ワームはメイリの腹にへばり付いた。
「ぎゃああぁーっ!」
「簡単に潰せる、早く助けてやれ!」
蒼一はワームの一掃作業中だ。
助けが無いと知って、雪はメイリの腹を
「マジカルキノコォーッ!」
「ぐぼぅっ!」
マンドラーネのボディブローをまともに喰らい、メイリは体を二つ折りにして膝を突いた。
彼女は雪のローブの裾を掴み、無言の抗議を涙目で訴える。
女神は憐憫をもって、縋り付く彼女と、役目を果たし粉砕したキノコの残骸を見下ろした。
「小人様の献身に感謝を」
ワームを片付けた蒼一が、二人に近づく。
「メイリはどうしたんだ?」
「一撃を喰らったんです」
少女の腹は、虫の体液とキノコ汁で酷い有様だ。
「ワームに攻撃されたのか。雪は大丈夫なのか?」
「はい、キノコが守ってくれたので」
「へえー、小人って虫に効くんだ」
「チガウ……ソウジャナイ……」
メイリの否定は、吐息に紛れて彼には届かなかった。
◇
喋れるようになったメイリは、蒼一の横に並んで、雪の仕打ちの非道さを訴えた。
「ぐぼうって。食べたキノコが全部出そうだった。ちょっと出た」
「まあ、悪気は無いんだしさ。メイリも俺に、マジカル岩したじゃん」
それを言われると、彼女も反論しづらい。
「必死だったですからねえ。早く何とかしないとって」
「うーん……助けてもらったのは事実かぁ……」
ロッドで攻撃されなかったんだし、よしとするか。そうメイリは自分を納得させる。
洞窟は一定の幅を保って長く続き、奥に行くほど湿気はきつくなった。
ワーム襲来からそう時間を置かず、三人が一本道を進んだ先で、洞窟の様相が一変する。
自然の柱があちらこちらに立つ、開けた空間。
天井には輝光石が多数埋まっているらしく、天然のイルミネーションが煌めいていた。
その輝光石の明かりをもってしても、奥がハッキリとは見えない。
「星空みたいで綺麗」
メイリは上を向いて感嘆の声を上げる。
洞窟と言うより、ここはもう大空洞と称した方が相応しかった。
「そろそろだよなあ」
「雰囲気ありますもんね」
二人の予想を裏切らず、濡れた地面をピシャピシャと打つ音が近付いてくる。
「もう外は夜だしな。これが今日、最後の仕事だ」
まだ敵は見えないが、彼は毒反転を発動して魔物の襲来に備えた。
「俺一人で相手してみる。二人は下がっていてくれ」
待避を指示された雪とメイリは、彼の荷物を持って大空洞の入り口まで戻る。
「ユキさん、サソリって洞窟にいるものなの?」
「普通は砂漠かなあ。食べる人は少ないです」
入り口からも、蒼一の立つ場所はよく見える。
彼は音を頼りに敵の居場所を探るが、なかなかその姿を見せようとはしなかった。
――もう少し奥に行くか。
彼が足を踏み出した時、メイリが叫んだ。
「ソウイチ、サソリ! 右!」
「待ちくたびれたぜ。毒の化け物さんよ」
黒剣を抜き、右にいるという魔物に身体を向ける。
石の柱、岩、壁。
「おい、いねーぞ。奥に引っ込んだのか?」
「違う、それ、そいつがサソリ!」
石の柱に隠れられるほど、魔物は小さくないはずだ。
――とすれば、あのデカい岩の陰か?
空洞内には、魔物サイズの岩もゴロゴロあり、メイリの指す方にも巨大な岩が鎮座していた。
「気つけで出てくるか試す」
「ダメっ、近づいたら危ない!」
そう言われても、岩の裏に届きそうな遠距離攻撃スキルが無い。
湿地に放つ気つけが、まだ有効範囲は広いだろう。
岩の前まで行くと、彼は電気を流そうとしゃがむが、その必要は無かった。
重さを感じさせない動きで岩が持ち上がり、その下に突き出た二本の目が蒼一を捉える。
「ぐあっ!」
横に払われたハサミによって、彼は勢いを付けて地面を転がった。
「だから言ったのに! その岩がサソリなの!」
「擬態するのは蠍じゃねえ!」
二つのハサミに、六本の脚。巨大なヤドカリが、岩を揺らして蒼一に近付いた。
「んー……ヤドカリだからって、やることは一緒だな」
回復歩行で体を治しつつ、彼は敵を観察し直す。
「いや、ちょっと待て。こいつはヤドカリとしても間違ってる」
岩は平らな背中に乗っているだけで、中に身体を隠すことはしていない。
丸く節だった尻尾が後ろに反り返り、先端は扇状に開いていた。
「尻尾は蠍、その先端は海老、んで生態はヤドカリか。デタラメ過ぎだろ」
魔物は威嚇するようにハサミを持ち上げ、彼に向かい唸り声を上げる。
「カニィ……」
「やかましーわっ!」
洞窟のボスとの戦いの幕が、ここに切って落とされたのだった。
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