009. 暗闇ダイニング

 蒼一を撥ねた針球は、急停止して二足で立ち上がり、彼の様子を窺う。


「キュバッ!」


 イガジンは助走をつけて走り出して、蒼一の眼前で球型に戻った。


「うおっ、粘着!」

「キュバキュバッ!」


 彼の鼻先で針の回転が止まり、球は拘束を外そうとモゾモゾ揺れる。


「キュバキュバ鳴くからキュバインか。工夫のねえ名前だな」


 球形のイガジンの武器は、逆立てた硬い針だ。

 そのもがく剣山に、蒼一は打撃で挑んだ。


「鞘打ちっ」


 ガンッ!


 景気のいい音は響くものの、剣山を避けての攻撃は本体に浅くしか入らず、針の根本を叩くだけに終わる。

 衝撃はイガジンを呻かせたが、その針を折ることもなかった。


「硬てえ……」


 背中側を攻撃する不利を見て取ると、蒼一はスキルを切り替える。


「木枯らしっ」


 蜘蛛の巣から脱出した針鼠は、竜巻の圧力に押され後退した。

 だが数歩下がっただけでは、全く足りない。


「木枯らし! 痛っ!」


 竜巻を避けてカーブした針球が、彼の左腕にぶち当たった。

 粘着で動きを止め、仕切り直しだ。


「回復、歩行……チョロチョロ動きやがって……」


 固定された球に近付くと、彼は愛剣をバットのように構え、粘着が解けるタイミングを待つ。


「ゴルフも野球も得意じゃねーけどな。こんなデカい球を外すほど、目は悪くない」


 芯を捉えるために、針先が触れそうなギリギリの位置に立ち、蒼一は打撃方向を微修正した。


「こんなもんか。いや、もうちょっと上か……」


 何度も連発したおかげで、粘着の有効時間は覚えている。

 効果が解ける瞬間を、彼は逃さなかった。


「おらっ、勇者ホームラン!」

「キュバッ!?」


 球の中心の少し上を目掛け、蒼一は渾身の力で水平スイングする。

 イガジンはゴロゴロと意に反した高速回転を始めた。

 小さな茂みを潰し、逃げ遅れたウサギを巻き込んでも、その勢いは止まらない。


「キュバァーッ!」


 バシャンッ!


 彼の狙い通り、障害物にぶつかって蛇行した球は、最後は川の中へ転がり込んだ。

 蒼一は左拳を上げ、軌道を読み切った一打を自賛する。


「勇者ホールインワンッ!」

「蒼一さん、競技が無茶くちゃです!」


 まだ冷たいナグ川の水に浸されたイガジンが、川辺を這い上がってくる。

 すぐにボール状に変形しようとする魔物を、勇者が嘲笑した。


「ハッハッハ。濡れやがったな、このアホが」


 転がり出した球へ、蒼一がここぞとスキルを放つ。


「気つけっ!」

「キュッ!?」


 全身に電気が走り、針球を解いたイガジンは、その場にビクッと直立する。

 これで二秒。


「月影!」


 月光をまともに受け、針鼠は目を閉じた。

 これでさらに一秒追加。


 イガジンが再び目を開けると、三秒で接近した蒼一が黒剣と鞘を両手に構え、その眼前に立っていた。


「三、段、打ちっ!」

「キュ、ギュ、ギュバアッ!」


 晒された腹へ、胸へ、最後は顔面へ、勇者の三連撃が叩き込まれる。

 振り子のように針鼠の頭を揺らし、結果、脳震盪のうしんとうを誘う。


 振り子の支点、イガジンの喉元を見据え、彼は黒剣の切っ先を向ける。

 地を蹴り、剣を突き出し、蒼一は一気に魔物へ踏み込んだ。


「これが勇者の十八番だっ!」

「キュ……バ……」


 剣はイガジンの首を貫き、噴き出す血を残し、魔物は頭から地に倒れる。


 彼の決めゼリフの微妙さに雪は首を捻っていたが、何はともあれ競技会のライバルたちは、これで全滅したのであった。





 蒼一は川の水で顔を洗い、まだ緊張の解けていないメイリにも、声を掛ける。


「お前も洗えよ。涙の後が縞になって、隈取りみたいになってるぞ」


 彼女の一世一代の顔芸を思い出した雪が、我慢できずに吹き出した。


「やめて、蒼一さん、メイリが……ふふっ……イノジンみたいな顔に……あははっ」

「ひ、ひどい……」


 憤慨して言い返そうとしたメイリも、最後は雪につられて笑い出してしまう。


「もうっ……必死だったのに。ふふっ」

「ひい、イノジンもメイリの真似してるし……あははははっ」

「ふふふふっ」


 笑顔の二人を見て、蒼一も頬が緩んだ。


「な、囮も終われば、いい思い出だろ。後半は楽しく行こう」

「え?」

「何が“え?”だ。完走しないと意味ないじゃん。まあ、もう走らなくていいけど」


 戸惑うメイリの代わりに、雪が聞き返した。


「石切場に戻るんですか?」

「おう。気になることもあるしさ」


 くたびれ果てた少女が、川の水で汚れを落とす間に、雪はイガジンの棘に刺さったウサギを取り外す。

 彼女が血抜きを済ませる頃には、メイリも復路に挑む覚悟ができた。


「おんぶ」

「お前、また話が飛んでるぞ。将来の夢がオンブなのか? ミドルネームがオンヴ?」

「メイリ・オンヴ・ローン、収まりはいいですね」


 ズレそうな話題を、メイリが慌てて戻しにかかる。


「おんぶで跳んでくれたら、やる気が出る。ユキさんにやったやつ」

「よく見てたな。あの顔は意外に視野が広いのか?」

「ぶはっ!」


 再び発作を起こした雪は、その後の石切場への道でも、たまに笑いを堪えて口を押さえる。

 ウンザリ顔のメイリも、おんぶジャンプは気に入ったらしく、ゴールに着く頃には機嫌を直していた。


 半死のイモジンにマジカルロッドを食らわしつつ、雪は石切場の様子を確認する。


「魔物の気配はありませんね。全員、メイリを追いかけたみたい」

「よかったな、メイリ。顔真似した甲斐があったぞ」


 小屋の中には獣の臭いが残るだけで、ここも無人に戻っていた。


「奥を調べてくる。雪はどうする?」

「昼を食べ損ないましたからね。お食事にしましょう」


 彼女はウサギを地面に置き、その毛をむしり出す。

 蒼一は周囲に散らばる廃材を薪にして、彼女のために調理場所をこしらえた。炊事で着火した焚火の番を、メイリが担当する。


「じゃあ、私はユキさんの手伝いをするね」

「何かあったら叫べよ」


 食事の準備は二人に任せ、蒼一は採石の跡を手前から順番に見て回った。

 どこも魔物の毛や、食い散らした痕跡は有っても、特に気になる物は見当たらない。

 彼が足を止めたのは、最奥の横穴に入った時だ。


「これは……見たことがあるな」


 他の場所と違い、その穴は入口は狭くても、中は開けた空洞が広がっていた。

 昼間でも暗く、夜光石では壁までも見通せず、入口だけが明るく外へ通じている。


 そんな暗闇の中、地面に描かれた淡い光の円がある。

 硬い石質の地面に彫り込まれた、緑色の複雑な記号の並び。魔法陣だ。

 色こそ違うが、蒼一がこの世界に飛ばされた時、城の部屋にあった物とよく似ている。


 光に歩み寄り、膝を付いて調べるが、彼に分かることは少ない。

 魔法陣は濡れており、触れた手に冷たい感触が残る。


「分からないことだらけだ」


 そのまま魔法陣を残して置く気にもなれず、彼は鞘に手をかけた。


「鞘打ちっ」


 硬い地面を割ることは出来ないが、何度か繰り返す内に光は薄れ、やがて暗闇が訪れた。

 沈黙した魔法陣を後にし、探索を終えた彼は、ウサギ肉を焼く雪たちの元へ戻る。


「何かありましたか?」

「有るには有ったけど……」


 話は飯を食いながら、ゆっくりしよう。そう蒼一が雪を手伝おうと、薪に手を伸ばした時、彼女は息を飲み込んだ。


「蒼一さん、その手!」

「……さっき触った時か」


 彼のてのひらは一面、真っ赤な血で汚れていたのだった。





 ウサギの串焼きとキノコの葉包み。

 キノコはメイリが石切場の周りで集めてきたもので、この地方では簡単に採れる食材らしい。肉厚で食べ応えがあるという彼女のオススメだ。

 これらは軽く焼いた後、シダのような葉で包んで風味を移す。

 ウサギの体は地球産よりかなり大きく、三人で食べても余りそうだった。


「せっかくだし、中で座って食べるか?」


 小屋を指し、蒼一が提案する。

 小さな丸テーブルと椅子が無事だったのは、最初に確認した。


 テーブルの上を拭き、真ん中に夜光石とシダの包みを置く。

 三人は串焼きを手に持ち、背もたれの無い小さなスツールに腰掛けた。


「急に暗くなって来ましたね」


 西側に山がそびえるため、石切場はその影になり、日没が早く感じる。

 夜光石の弱い光が彼らの顔を青白く下から照らし、暗い部屋の中に浮かび上がらせた。

 クチャクチャと、三人の咀嚼音が室内に響く。


「大体な、魔物の共同生活ってのがおかしいんだよ。そんなタマじゃないだろ」

「あまり聞かないね。イノジンも蟻も、縄張りがあるし」


 蒼一がいつもの調子で話し出したことに、メイリは少しホッとする。怪談でも始まりそうだったからだ。


「あいつら、ゴミ出しとか騒音で、絶対叱られるタイプだぞ。偶然じゃないなら、なんか理由があるはずだ」


 クチャクチャ。


「魔物が集まる理由って?」

「奥で魔法陣を見つけたんだ。俺らが呼び出されたやつと、よく似てた」


 クチャ?


「召喚陣? 私は見たことないな。何を呼び出すんだろ……」

「魔物を呼んだとしたら、辻妻が合わないか?」


 クチャクチャ!


「雪も会話に参加しろよ、肉噛んでるだけじゃねえか」

「クチャクチャが肯定、クチャが疑問です」

「分かりづらいわ!」


 肉に執着する雪は食べ終わるまで待つしかないと、蒼一はメイリに向き直った。


「その魔法陣に触ったら、血だらけだったんだよ」

「怖いね……」

「ああ、こう手にベットリな。血がさ……」


 また怪談じみてきた雰囲気を変えようと、彼女は明るく振る舞う。


「これ、開けるね。美味しいよ」


 メイリがシダの葉を開くと、洗って焼いただけのキノコがゴロゴロと現れた。


「いい臭いでしょ。そのままかぶりつくんだよ」

「うん……」


 反応の悪い蒼一に、彼女は怪訝な顔をする。


「どうしたの、キノコ嫌い?」

「いや、形がなあ。なんて名前なんだ?」

「マンドラーネだよ」


 その名前が連想させるものが、彼のキノコへの印象を決定付けた。


「このキノコ、採る時に悲鳴を上げたか?」

「き、気味悪いこと言わないでよ!」

「だってさ、よく見てみろ」


 小さい傘に、白い軸。太い軸からは四本の支軸が生えており、手足を思わせる。


「この真ん中の軸にさ、黒い点が三つあるじゃん。上に並んだ二つが目で、下の大きい点が口……」

「ひっ」


 傘から大胆に噛み付いていたメイリは、思わず口からキノコを離した。


「それにさ、夜光石のせいで胴体が青白いだろ? なんか死体みたい――」

「ひぃぃっ」


 顔を歪めて人型キノコを見つめていた彼女は、数瞬ためらった後、意を決して猛烈な勢いで齧り始める。

 マンドラーネは、メイリの大好物なのだ。


 グシャッ、グシャッ、グシャッ。

 キノコにしては、音もどこか違和感があった。


 テーブルの上に積み重ねられた、小人たちの遺体。

 青い光に浮かぶ、その小人を頬張る少女。


 クチャッ、クチャッ、クチャッ。

 隣には、一心不乱に咀嚼する肉の女神もいる。

 蒼一は、二人を見てボソリとつぶやいた。


「……喰ってるのか、人を」

「食べてないっ!」


 メイリの絶叫とともに、採石場の夜は更けて行く。


 その後、彼も食べたマンドラーネは、非常に美味だった。

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