008. マラソン

 タブラ上の点が止まり、動きが無くなる。

 導かれる結論は、傷付いたイノジンが死んだか、家に帰ったか、だ。


「この点の位置は、石切場か?」

「たぶん……あまり村から出たことがなくて、詳しくは分からない」


 メイリが申し訳無さそうな顔をする。


「別にいいさ。近くで見れば、すぐハッキリする」


 蒼一たちは迂闊に近付き過ぎないよう、焦らずに光点の示す場所に進む。


「ぼちぼちだな。あの岩陰に移動しよう」

「どんなお家ですかねえ」


 マイペースの二人とは対照的に、敵の本拠地に乗り込むと思ってなかったメイリは、少し心配顔だった。


「巣を見つけたら、どうするの?」

「小屋を家にしてたら、封鎖して炊事。横穴みたいな住み処なら、木枯らしで追い込んで炊事」

「基本、焼くんだ……」


 他にスキルが無いのだから、仕方ない。


「豚さんですから。丸焼きです」

「中まで火が通らなくても、酸欠にはなるだろ。マルーズ連れて来たらよかったな、蒸し焼きに出来たかも」

「豚まんも悪くないですね」


 雪が生姜焼きの作り方について講釈しているうちに、三人は目標の岩陰に到着する。


「ドンピシャだ。小屋も採石跡も見える」


 石を切り取った跡が直線で山肌に走り、洞窟の様な凹凸を形作っていた。

 人が昔使っていた木造の小屋はそのままで、薄汚れた姿を晒している。

 徘徊する魔物は穴にも小屋にも見受けられ、この一帯を縄張りにしているようだった。

 住み処に戻ったイノジンは、手足を伸ばして大の字に倒れており、その回りを数匹の仲間が囲んでいた。


「うん、手前に見えるのがイノジンたちだな。これは予想通りだ」

「ですね。メイリみたいに寝っころがってるのが、さっきのヤツみたい」

「わ、私、あんな寝相なの……」


 蒼一の視線は、そのメイリモドキの奥に注がれている。


「で、あれは何なんだ。蟻か?」

「アンティスだよ。火山に巣くう火の虫」


 魔物と言っても、見た目は地球の蟻と同じ。六本脚に、大きな顎。

 違いは人の子供ほどある体長と、色が真っ赤なことだ。

 十匹以上が岩にしがみ付き、お互いの触覚を突き合わせていた。


「ちょっと気持ち悪いです。食材感、ゼロだし」

「お前の価値判断は、食い物基準なのな」


 魔物の新顔は、それだけではない。


「小屋の前にいるのも、イノジンじゃないですね」

「デカいやつだな。トゲトゲじゃないか」


 全身を硬質のトゲで覆われ、鼠のような顔をした人型の魔物。


「キュバインだね。実物を見るのは、私も初めて」

「違いますよ、メイリ。あれはトゲジンですよね?」


 蒼一はヤレヤレと頭を振る。


「お前ら名付けセンス無いな。あいつはイガジンだ」


 ほほう、と手を打つ雪。

 メイリは「私が名付けたわけじゃ……」とブツブツ呟いていた。

 しかし、この魔物の群れは、蒼一が想定したより数も種類も多い。


「なんで魔物同士、仲良くやってるかねえ。水場でもないのに、イモジンまでいやがる」

「ルームシェアみたいなものでしょうか?」

「意識高過ぎだろ。共有するのは名前だけにしとけ」


 嘆いたところで、選択肢は二つだ。

 逃げるか、戦うか。


「えーっと、イモジンは気付けだろ。イノジンは鞘でボコって……」


 習得スキルを思い返し、蒼一は戦い方を思案する。


「うーん、蟻が、蟻がなあ。イガジンの強さも不明だし……」


 彼の目がメイリを捉えて離さないことに、彼女は居心地悪く感じた。

 最初は恥ずかしそうに頬を赤らめたが、次第に不穏な予感が彼女を襲う。


「あの……ソウイチ?」

「……お前、囮になれ。得意だろ」

「ええっ!?」

「ひとっ走り行って、帰ってくればいい。魔物の家のピンポンダッシュだ」


 鬼畜な提案にわななくメイリへ、雪がアドバイスする。


「呼び鈴を押したら、振り返らないのがコツですよ」


 勇者と女神は親指を立て、メイリの肩を持ってにこやかに微笑んだのだった。





 メイリは魔物を引き付けると言う。

 それを利用しようというのが、蒼一の作戦だ。

 住み処に近付き、敵の注意を引いたところで、メイリは蒼一たちの待つ場所へ戻ってくる。

 引き連れてきた敵へ、鞘打ちとマジカルだ。


「よし、行って来い。捕まったら、また助ける」

「うん……」


 勇者の言うことに、メイリがそうそう逆らうことはない。一応、もう二度も命を救ってもらっている。

 名残惜しそうに二人に振り向きながらも、彼女は魔物宅へと踏み出した。

 雪は手を振って彼女を見送る。


「メイリのことは忘れません!」

「やめといてやれ、あの涙目は本気でビビってる。おもちゃにするのは、帰ってからだ」


 彼女を最初に発見するのは、手前にいるイノジンたちだ。上手く行けば、猪だけを分離して、始末できるかと蒼一は期待していた。

 メイリモドキまで三十メートル、ご本人登場というところで、猪たちが一斉に彼女に顔を向けた。


「ひっ!」

「固まるな、走れ!」


 蒼一の声が届いたか分からないが、メイリは踵を返し、全力で駆け戻る。

 イノジンたちは、その彼女を追いかける前に、石切場に響く咆哮を上げた。


「グオオオォォー!」

「バカイノ野郎、全員に伝えやがった!」


 蟻が、イモリが、イガジンが一つの目標に向かってワラワラと動きだす。

 小屋からはイノジンの仲間が、採石場の奥からは見えていた数の倍の蟻が溢れ出てきた。


「振り返っちゃダメだって!」


 後ろを確認しようとするメイリに雪が叫ぶが、遅かった。

 言い付けを守らなかった彼女は、自分を追いかける魔物の一個師団を目の当たりにする。


「ああっ! ひいぃーっ!」


 女神に逆らった自分を後悔しつつ、彼女は手足を振り回して全力疾走した。

 地球ならモデルで通用しそうな美少女が、ヨダレや鼻水を撒き散らしながら二人の方へ走って来る。

 気ばかりが急くのか、手足の動きが微妙にシンクロしておらず、狙ってやったのなら素晴らしいコメディエンヌぶりだった。


 火事場の馬鹿力か、メイリは魔物たちに追いつかれるどころか、その差を広げる。

 彼女の頬の肉が風圧で波打ち、歯茎を見せた彼女は爆笑しながら走っているようだ。


「これは酷い……」

「楽しそうに見えなくもないな」


 二人に飛び込んできたメイリを、雪が抱き支えてやる。

 優秀な囮のおかげで、まだ迫る魔物とは距離があった。


「このまま橋まで走って行け! 追いかけてくる奴は、俺たちが片付ける」

「はぁ……はいっ……」


 迫る魔物の集団をバラけさせるように、蒼一は適当に粘着を撃つ。


「粘着、粘着っ! ほら一列に並べ!」


 魔物は所詮、魔物だ。知能が高ければ集団戦や連携をとってくるだろうが、追っ手は自分勝手に動いている。

 粘着での速度調整は、見事に機能した。


「えいっ」

「鞘打ちっ!」

「ゴブゥッ……」


 まずは彼らに到達したイノジン一匹に、勇者と女神の物理打撃が炸裂する。


「俺たちも走りながら戦おう」

「了解です!」


 魔物は一匹ずつ相手にする方がいい。

 蒼一たちもメイリの後を追い、敵を引き連れて来た道を戻り出した。


 先頭がメイリ、次に蒼一と雪、少し遅れて猪、蟻、イモリ、最後尾が針鼠。

 採石場から橋までの、異種族混合マラソンが開始された。





「マジカルストライクッ!」


 ロッドがイノジンの腹を強打する。


「ゴ……ブ……」


 血を吐く猪の後ろに、蟻の群れ。


「木枯らしっ!」


 体重の軽い蟻たちが、木の葉のように舞い上がり、後ろへ吹き飛んだ。

 蟻を掻き分け、イノジンとイモジンのコンビが順位を上げる。


「気つけっ」

「マジカルロッド!」


 雪の攻撃にふらつく猪へ、すかさず続く追撃。


「鞘打ち!」


 ゴブゴブ呻く暇も無く、顎を砕かれたイノジンは崩れ落ちた。


「イノジンはこいつが最後かな?」

「はい、イモくんも全滅みたいです」


 残るは蟻と針、ゴールが見えてきた。


「イガジンは足が遅せえな。陸上競技に向いてない」


 一番強そうなヤツが最後になりそうなのは、幸運なのかどうなのか。

 蟻は一匹ずつなら脆弱だが、数が多い。蒼一の木枯らしと粘着が、フル回転で活躍する。


「木枯らし! くそっ、何匹いるんだこいつら」

「蒼一さん、メイリが」


 気付けばもう、台地状の段差まで戻っていた。

 メイリは飛び降りることもできず、崖の上でオロオロと立ち止まっている。


「跳べ、メイリ!」

「無理、無理ぃ!」


 粘着連打で敵を大きく足止めすると、蒼一は雪から崖下に下ろすことにする。


「首にしがみつけ、抱えて跳ぶ!」

「おんぶ」

「え?」

「おんぶがいいです」


 雪は彼の背中に回ると、小さく跳ねて飛びついた。


「何でもいいから、落ちるなよ……跳ねるっ!」


 ビョーン!


 二人はメイリを越え、一気に下の地面に着地する。


「面白かったですー」

「アトラクションじゃねえ」


 置いていかれるかと思った少女が、ギャーギャーと上で叫んでいた。

 ビョーンッ!


「もうちょっと信用しろ」

「ヒック……もう……おしまいかと……ズビッ」


 恐怖と安堵の繰り返しで、彼女の顔は液体まみれになっていた。


「ほら、つかまれ。おんぶは嫌だぞ、汚れるから」


 メイリは大人しく蒼一の首に手を回し、お姫様抱っこで跳躍に備える。


「跳ねる!」

「わっ」


 一瞬の無重力の後、二人は無事、着地した。


「お、面白い……」

「お前もか! 泣いてたんじゃねえのかよ」


 ここを越えれば、川までの道のりにもう大きな障害は無い。


「ほら、蟻が降りて来てる。もうちょっと頑張れ」

「うん!」


 多少元気になったメイリは、再びレースに復帰した。


「木枯らし!」

「害虫駆除の再開です」


 手際よく、二人は黙々と蟻の頭を叩き割る作業を続ける。


「こいつら、血が発火するんだな」

「手にかかるとビックリしますね」


 アンティスと呼ばれる巨大蟻は本来は火の魔物であるが、火炎で攻撃してくるような素振りはなく、体液にさえ気を付ければ御しやすかった。


「雪のロッドは短いからなあ。俺が相手するから、メイリを見てやってくれ」

「はーい」


 蒼一に火耐性は無くても、回復歩行がある。


「ふっ、競歩をナメるなよ」


 男子五十キロ競歩は、陸上の最長種目である。

 歩行法を制限された、見た目より遥かに過酷な競技であるが、今は関係無い。


 回復歩行で体力を維持し、一匹ずつ蟻を潰して行くと、彼の通った後には死骸の道しるべが出来ていった。


「こいつで最後だっ!」


 粘着で固定された蟻の頭に、黒剣が思い切り振り下ろされる。

 バギッ。


 殻を割る音と共に巨虫の体液が吹き出し、地表に小さな火が散った。


「ソウイチッ、こっち!」


 橋の袂で待つメイリが、彼に手を振る。

 疲れた笑顔で応える勇者に、雪が警告を叫んだ。


「後ろ! 後ろです!」


 慌てて振り返る彼の眼前に、巨大な針球が迫っていた。


「うおっ!」


 横っ飛びで避けた彼の足に針がかすり、蒼一は身体を錐揉きりもみさせながら地面を転がる。


「痛っ……そんなん反則だろ。走ってねえじゃないか!」


 ラストはやはり、針の魔物キュバインだ。

 身体を丸め高速移動するこの魔物に、陸上競技のルールを守らせるのは至難の業であった。

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