Afterstory

敗退その後

「ったく、マジふざけんな! んだよこれはぁぁ!」

 四本の腕で雨風を受けながら、蠅の王である悪魔ベルゼビートはフラフラと飛んでいた。吹き付ける雨と風はまさに嵐。周囲一帯にはいくつもの竜巻が巻き起こり、下では荒れに荒れた海流が渦を巻いてそこに無数の雷が絶え間なく落ちていた。

 こんな中を飛んでいけるだけ、ベルゼビートは強い。だがそんな彼ですら雷鳴と風音に掻き消えると知りつつも、愚痴を叫ばなければやっていけないほどに酷い天気だ。

 自分達が寝床にしている廃工場に着くと、太公望の勧誘によって集められた神や魔神、悪魔に神獣が力を駆使して防壁を張り、なんとか自分達を守っていた。

 そんな中で、防壁も何も張らず暗黒の空を見上げる黄金の女が一人。人類史上に残る最古の歴王、ギルガメス。

「蠅の王か」

「よぉ、女王様……なんなんだよこの悪天候は! 南の大陸って、こんなに天気の荒れるとこだったか?!」

「阿呆、これはただの天候の災厄などではないわたわけ。これは天の女王のだ」

「癇癪だ?! ハ?! 癇癪で世界滅ぶぞこれ!」

 ベルゼビートの言うことは、決して冗談ではなかった。激しい渦の中に、巨大な島が沈んでいく。望遠鏡をしまった太公望は、絶え間なく震えて天井が少しずつ崩れる洞窟に戻っていった。

「これで四つ目。恐るべき威力です……“大地は天を恐れ敬い信仰すグガランナ”……これでたった二割の力なのですから」

「四つも島が沈んだのか? ハァ、もう……!」

 巨大な石柱が飛んでくる。しかも音速で。なんとか身を低くして躱し、真っ二つに両断した。和国における伝説の武神も危うく串刺しにされるところで、危機を回避したことに思わず安堵する。

 スサノオは剣を収めると、太公望を連れて一度外に出た。その間も、止まらない落石が襲って来る。

「この洞窟も持たないぞ! まさか初戦で負けるとは――?!?!」

 スサノオはとっさに耳を塞ぐ。洞窟から反響して響き渡るユキナの絶叫が壊音波となって、大気を揺らし鼓膜を破壊していた。

 空を飛ぶ鳥は海に落ち、イルカやクジラなどの超音波を放つ生き物は脳をやられて腹を上にして浮かんでくる。その島の動物はすべて死に絶え、周囲の生態系をも滅茶苦茶にする音が、一人の少女の絶叫などとは誰も思えなかった。

 スサノオと太公望もまた、ユキナの声だと理解しているにも関わらずこれを音波だと思ってしまう自分もいて混乱する。

「それほどショックが大きかったということなのでしょうが……しかし、ここまでとは……! 頼もしいを通り越して、恐ろしい……ただの声が、そのまま殺傷兵器とは!」

「だが仕方あるま――!? まさかこのタイミングで破水するとは! 予定日は、ずっと先だったはずだろう?!」

「おそらく、ユキナ様が子供に与えていた霊力の質が良すぎたのでしょう……子への愛で満ち溢れておられるのはよろしいが、まさかそれで自らに課したハンデを撃たせるハンデとなってしまうとは……我が計略も、まだまだ浅かったということでしょう……不覚です」

「そんな後悔している場合ではない! なんとかしなければ――!」

 スサノオが自らの切り札を切って、ユキナを止めようとしたそのときだった。突如、ユキナの絶叫が止まる。竜巻と渦潮は次第に治まり始め、雷も消え始めた。

 島を四つ海に沈め、七つの海流を破壊し、万億の動物を殺した癇癪は、わずか九分程度で治まる、だった。すぐさま二人は崩れかけた洞窟へと入り、奥へ進む。

 奥では力尽きている二人の神と、荒い息をしながら倒れているバスカヴィル。そして湖の中心では、ユキナが天井を仰いだ状態で固まっていた。

「……ユキ、ナ?」

 スサノオが呼ぶと、まるで人形の首が外れたかのようにユキナは顔を落とす。泣き腫らした顔に黒の長髪が張り付き、もはや見るも恐ろしい形相となって二人に眼光を飛ばしていた。

 和国に名高い武神と数多くの戦を潜り抜けて来た天才軍師ですら、思わずたじろいでしまいそうな恐ろしさだ。

「負けた……? これが、敗北?」

 自らの髪の毛をぐしゃぐしゃに握り締めて、ユキナは呻く。その股からは破水したことで流れ出た体液が熱を持ち、糸を引きながら湖へと落ち続けていた。

「嘘、嘘よ……私、私っ……! 私を殺せるのはミーリだけ! 私を愛していいのはミーリだけなの!! だから負けるはずなんてない! 私が……私が消されるはずがない!」

 力強く繰り出された踏み付けで、巻き起こった水飛沫が天井を貫く。ようやく顔を出せた太陽が、漆黒の彼女へと降り注ぎ照らす。水面が姿を反射して、天空の女神の幼き姿を照らす。

 肩で息をする少女はその太陽を仰ぎ、金色の瞳孔を縮こませて睨む。そしておもむろに太陽に向けて手を伸ばすと、まるで太陽を掴んだかのように指を曲げ、ほんの少しずつ、少しずつ引き寄せ始めた。

 太陽がどんどんとその姿を大きくしていき、気温が徐々に上昇していく。それを理解したスサノオは、即座にユキナを止めるため刀を抜いた。

「待てユキナ! 太陽と衝突させる気か! この星が滅べば、おまえはともかく彼は――」

「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! うるさい!!! 私は、私はミーリの妻! 史上最強! 歴代最強! この世のすべて、次元のすべての猛者を一蹴する最強の……ミーリ・ウートガルドのパートナー! 天の女王である私が……たかが一人の紳士ムッシューごときに負けるなんて、あってはいけないことなのよ!!!!」

 手は、次第に太陽の引き寄せをやめる。しかしその指はあろうことか、太陽を握り潰す形で力を入れ始めた。

 太陽と衝突させようが太陽を握り潰そうが、彼女はとにかく許せない自分をこの世界ごと壊したいらしい。しかもそれができるから、彼女は怖いのだ。

 だがしかし、それも止まる。雷雨に竜巻、渦潮が止まったのと同じ要因だ。砕かれ損ねた太陽が、銀河系の中心へと戻っていく。

 ユキナは静かに水面に背を打ち付けて、力なく浮かぶ。そこに倒れていたバスカヴィルが歩み寄り、ユキナの火照った顔を舐めると、それに応えてユキナはバスカヴィルの頭を撫でた。

 そしてそのまま、涙する。泣きじゃくる声が響く洞窟は、まるで台風一過の後のごとく静けさに満ちていた。

 スサノオがユキナへと駆け寄り、抱き起す。

「落ち着いたか、ユキナ」

「スサノオ……私、は……」

「泣くことはない。あの聖職者は強かった。ハンデを用意したのは、軽率だったな。見事に突かれた。おまえはハンデを用意できるほど、強くはなかったということだ。

 だがそれは、伸びしろがあるということだ。これ以上心強いことはない。私達も、さらに強くなる。そのとき私達の力を統制する、さらなる力が必要だ。おまえはその力を得られる大きな伸びしろがある。私達を従える素質が、おまえにはあるよ」


「おい泣くな、おまえらしくもない」

「……ありがとう、スサノオ……でも、あのね……下ろして欲しいの」

「?」

「お腹……す――ごい痛いの……」

 スサノオは思わず体を落としそうになる。なんとか落ち着きを払ってユキナを下ろすと、刀を収めて辺りを見渡した。倒れている中に、自分の妻であるクシナダを見つける。

「陣痛が始まってるなら早く言ってくれ! クシナダ、クシナダ起きろ!」

 今までに経験のしたことない激痛が、体中を駆け巡っている。確かにこれでは、戦闘など無理だ。女である自分の、唯一の弱点というわけか。

 仕方ない。今回の敗北は、それを知っただけ良しとしよう。英雄ジークフリートの弱点も、これから利用方法がありそうだ。

 これから自分はもっともっと強くなる。いずれ来るミーリとの戦いのために、最強にしか倒せない存在になる。

 紳士様ムッシューにも感謝しないと。彼には油断の不要さと、余裕と油断の違いを教えられた気がする。何より、何より彼には教えられた。

 彼は他人に干渉する戦いをしていた。他人の心にも入り込む戦いをしていた。人のことなど興味もなく無関心の自分からしてみれば、なんて無駄なことなんだろうと思っていたが――

 意識を失う寸前で見た、対戦相手である自分にすら幸福を祈っただろうあの表情、態度。あなたは聖女の息子なのと、ツッコみたくなりすらするその行い。

 あぁそうだ。そう、それだから、ミーリは強いのだ。

 ミーリが最強である理由が、またわかった。やっぱりミーリは最高だ。最強だ。自分の将来の相手にと、決めてよかった。彼以外にいい人間はいない。

 ありがとう、紳士様ムッシュー。私はあなたのお陰で、またミーリのことを好きになれた。だから、だからね?

 私の分まで不幸になって。

 生憎と、ミーリと私以外の幸せを祈る気なんてない。私の分まで不幸になって、ミーリの分まで不幸になって、あなたの不幸が私達を幸せにする……!

 それが私を負かしてくれた、あなたへのお礼。人生は波に例えられる。私の分まで不幸になれば、きっとそれ以上の幸せが来るでしょう。だから私達のために、喜んで不幸になりなさい? 紳士様ムッシュー

 異世界の聖職者に、そのような願いが届くのか否か。それを知る術は、彼女にはない。彼は彼女の願い通り、彼女の分まで不幸になるのかそれとも否か。それはまさに、神のみぞ知るところである。

 しかしながら、彼女にはもはやそんなことに興味はなかった。

 今まさに始まった陣痛が苦しいことも要因の一つであるが、異性に対する興味があまり長続きしない彼女の性格も相まって、次の瞬間にはもうそんなことは忘れていた。

 興味を持てる異性など、この世でたった一人だけなのだから。

 天の女王は傲慢かつ暴虐。そして我儘で残虐で、人の不幸を祝い楽しむ、まさに人外。彼女を一人間として捉えて打倒した異世界の紳士の偉業は、このあとの世界を揺るがす戦いの炎に、油を注ぐ結果となっていく。

 そのことを知るものは、神のみである。

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私を殺せるのは、彼だけなの 七四六明 @mumei

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