第46話 終わりと始まり


 ——災厄に襲われて、七日あまり。


 サン・カレッドの街には、少しばかり平穏が取り戻されていた。とはいえ、災禍が襲う前の国の様子とはまだほど遠い。甚大な力を有した魔法と多発した地震による影響で、石造りの街にはひびが入り、数十棟が完全に損壊、数百棟が半壊している。そして、怪我人は千人を超え、死者も十三名いた。そのほとんどが瓦礫から逃れられず、圧死したものばかりだった。


 けれど、あの大規模の災害で、ここまで被害を抑えられたのは、三人の力があったことが大きい。


 一人目はアルカナ・レティア。街全域に降り注ぐ赤く燃える鉄の雨を、国防の要である彼女の傘が受け止め、二次的な被害を最小限に抑えた。


 二人目は王女クレア・レティア。魔法の才能を土壇場で花開かせた彼女の魔法によって、サン・カレッド全域に住む人々の精神を安定させ、取り乱すことなく行動できた。その上、重軽症者全てを癒した彼女の効力がなければ、時すでに遅しという最悪の事態を防ぐことができなかっただろう。

 だが、残念なところもある。彼女の魔法の力をもってしても、既に死人となっていた人を、ついに生き返らせることには至らなかった。それは、精霊の力が及ぶ自然の摂理外の事象であり、魔法が成し得る枠の外のことであったからである。改めて人々は、魔法とはつくづく難しいものだと感じただろう。


 話を戻す。功労者のもう一人の名前を今はまだサン・カレッドに住む人々は知らない。その謎の人物はサン・カレッドを恐怖に陥れた教会からの使者を、正面から迎え撃ち、見事に討ち倒した。その人物がいなければ、或いは被害は増えていただろう。


 この三人の力をもってしてのこの惨状だ。けれど、これは奇跡と言って相違ない。家族が、友が、死に、悲しむ人がいるだろうけど、それでも悲しみに暮れる人がここまで少なく済んだのだから、誇っていいだろう。

 そして、名の知られた英雄を称えるように、今日この日、パレードが開催されることになった。


 そのパレードが開催される少し前に、王宮の女王アルカナの部屋に尋ねる者が一人いた。金髪を長く伸ばし、銀のカチューシャでそれを留めた少女は、アルカナの了承を聞き、部屋へと入った。


「……クレア、どうした? こんな時に?」

「……お母様……お話があります……」


 クレアは真剣な眼差しで、思いを吐露し始めた。




「お兄様、あのお方の晴れ姿を見てはいかれないのですか?」


 損壊が少ない宿泊していたホテルの一室で、メルクはせかせかと支度をしている。荷物をしっかりとまとめ上げ、旅に出ようかとでも言うように。


「……あぁ。俺のことを言及されちゃあ、たまらないからな。俺のせっかくの旅路が、崩壊してしまう。秘密は秘密のまま、誰も知られないまま、噂にだけなればいいんだよ」


 メルクは名誉も、栄誉も、全くもって必要ない。——訂正。生きるためのお金はいる。


 けれど、別にメルクは英雄になりたいわけでも、王になりたいわけでも、金持ちになりたいわけでもない。メルクはただ旅をしたいのだ。母の背中を追い、王子というくらいを捨ててきて、たどり着いたサン・カレッド王国。ここでの生活が悪いということはないけれど、フロンティアはまだまだ広い。地図にも載らない迷宮ダンジョンや小さな国もあるかもしれないし、自分の知らない大国もまだ二つもある。

 だから、メルクは旅をする。己の赴くまま、母を追いかけて。


「……そうですか。別れの言葉もないというのは少し寂しいものがありますが、私はお兄様に付き従うと決めました。今日の内に出発するというのなら、反対はしません」


 アナは微笑を浮かべて、そう答えた。それが、自分の運命だからと、そう信じて。


「……そうか。なら、アナもしっかりと支度をしろよ」


 メルクも微笑で切り返した。ピッドがいたとはいえ、孤独感のあった旅が、少しばかり騒がしくなるだろうと、思いを馳せて。

 荷物をまとめて、ホテルの主人に挨拶と宿代と復興費のチップを渡して、外へ出る。大通りに入れば、建設を生業なりわいとする者達が、魔法を用いて、急速に修繕作業を行っている。もちろん、働いているのは大工達だけではない。それらを労い、限りある食糧を料理して、働く男達に差し入れをする女達。わめむせび泣く子供をあやす父母とその周りの見知らぬ大人。子供もできる範囲で手伝いをして、弱音も吐かずに働く。


 女王アルカナの意志を尊重し、自由の意味を履き違えずに民の姿はとてもキラキラとしていた。


「……さて、行こうか?」

「はい」


 その中を、異邦人の兄妹は、目配りしながら歩いていき、軽く会釈を交えて渡り歩く。甚大な災害があったというのに笑顔すら浮かべて、応えてくれる民達を元王子と暫定王女の兄妹はどこまでも尊いものだと感じた。


 時間というものはあまりにも平等すぎて、残酷で、こんな尊い人達に目を合わせながら、進んでいくうちにあっという間に過ぎ去ってしまう。メルク達が歩みを止めたのは、サン・カレッドの東方、ほとんど誰も使うことのない正門の前だった。


 ヤコブが襲った地域の中で一番の被害を受けたこの場所は、やはり、他よりもずっとひどい有様だ。建物が全壊してしまい、修繕不可となった建物がほとんどのこの場所は、復興を後回しにされていて、今は寂寥感せきりょうかんに満ちて、誰もいないままだ。


 その中を歩く兄妹の表情は言っていたこととは裏腹に、少し寂しそうな気がして、荒れた石畳の道の上を進む足は重く見える。思うところがあるのなら、残ればいいと思うのだけれど、メルクの夢は、理想は、足を止めさせない。


 それが、最善の道だと信じているから。それが、自分の運命だから、と。


「…………この街ともお別れだ。何とも寂しいが、決めたことだから……」


 もう一度確認と、メルクはアナに問う。


「……はい。行きましょう、お兄様」


 ——と、静寂の中に声が飛び込む。


「……お待ちください!」


 聞き覚えのある凛とした美しい声音。振り返ればそこには、長い金髪を風になびかせる、サン・カレッドの王女の姿があった。


「……クレア、どうして? パレードがあったはずだろう?」


 メルクは動揺していた。初めてできた教え子との別れが寂しいから、この日を選んだのに、その教え子が目の前に立っている。疑問と混乱がメルクをさいなんだ。


「……パレードならば、予定よりも早く済ませました。そして、そこで母と共に私の思いを国民に伝えてきました」

「……思いとは、なんです? クレア王女?」


 動揺する兄に変わり、妹が問う。すると、王女は笑みを浮かべて。


「わたくしは、王女という立場を一度捨て、旅をしたい、ということです」


 メルクはその発言にさらに顔を歪めた。目の前にいる彼女は、俺と同じ道を辿ろうと、そんな愚行を犯そうとしているのだと、そう感じて。


「……待て。そんなこと、国民が受け入れるはずがない。第一、この国はどうするんだよ!」

「……いえ、国民はわたくしの願いを受け入れてくださりました。覚悟を決めた思いが届いたのでしょうか、認めてくださりました。そして、今後の国についてですが、しばらくの間は母が国を支え、妹のリラが後任として王に就任することで決まりました。元々、わたくしよりもずっと才能を開花させていたのですから、当然のことではあるのですが」


 クレアは言う。これは、国民が納得した上で成り立っていることなのだと。


「けど、どうして旅なんか?」

「それは、もちろん学ぶためです。母にも説得しました。わたくしの至らぬところを埋めてくれるのが、貴方様方、兄妹であることだと。だから、共に旅をさせていただきませんか? 覚悟はできております」


 真剣な瞳。それが欺瞞ぎまんであることなどない。だからこそ、メルクは答えあぐねた。

 本心から言えば、確かにクレアがいた方が旅は楽しいだろうし、心強くもある。けれど、それは同時に、いつ仲間が死に、絶望に苛まれる可能性を秘めている。だからこそ、クレアを連れ出すべきか、深く懊悩した。


「……行くのは国だけじゃない。危険な迷宮ダンジョンにも行くと思う。死ぬかもしれない、苦痛を味わうかもしれない。それでも、いいのか?」

「はい。そこまでするから、学ぶことができて、そこまでするから、意味のあることだとわたくしは思います。だから、それを踏まえて、覚悟はできております」


 クレアのその表情は変わることがない。メルクは苦悩する。そんな兄を見たアナは小さく腰を手で打って。


「……お兄様、答えてあげてください。お兄様の理想を、彼女へ」


 そう。今、メルクは忘れてしまっていた。己のあり方を。理想をとする己の考え方を。


(……母さん。これでいいんだよな?)


 母に問う。もちろん、言葉など返ってくるはずもない。けれど、背中に肌の温もりを感じた。それが、何かはわからないけれど、正しいと背中を押してくれているのだと信じた。


「……アナ、お前はいいんだよな?」

「……お兄様が望むなら、私は否定などしません」


 アナは微笑みを浮かべ、そう伝えた。


「……そうか。……なら……行くか、クレア?」


 覚悟を決めたメルクはあくまで自然を装って、そう伝える。


「……はい。行きましょう。未だ知らぬ世界への旅へ」


 荒れた地面を踏みしめ、六本の異なる足は一歩を踏み出す。門を越えれば、後戻りはできない。度し難い恐怖が、身を焼くかもしれない。けれど、彼らが恐れることはない。友が、仲間が、相棒がいるから。だから、ゆっくりと二歩目を踏んだ。


「……マスター、ボクを忘れないでよね~」


 遅れて、一匹の自称精霊の声が響く。その声の主は、マスターとその仲間達の背中を宙を飛び、追いかけた。




 物語は終わり、そして、始まるのが定め。自然の摂理でも違わない、世界の絶対不変のルール。だから、彼らの旅は始まった。歯車はきしみを上げながら回り始めた。


 ならば、我らも見届けようではないか。その者達の行く末を。


 ——これは、人間と精霊と魔法が紡ぐ、終わりと始まりの物語。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法技師《マジックメイカー》の精霊銃 松風 京 @matsukazekyosiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ